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王宮の静かな回廊に、使者が現れた。
「アイリス殿。王様が、密かにお話をしたいと…」
私は、少し驚きながらも頷いた。
「わかりました。 風が呼ばれたなら、応えます」
案内されたのは、王宮の奥にある小さな書斎。 重厚な扉の向こうに、ヴェルディア王が一人、静かに座っていた。
「来たか。 君の風が、少々気になってな」
私は、深く一礼した。
「お呼びいただき、光栄です。 風は、通るべき場所に向かいますから」
王は、しばらく黙っていた。 そして、机の上に置かれた古い肖像画に目を向けた。
「これは…亡き妃だ。 名は、リゼリア」
私は、絵に描かれた女性を見た。 柔らかな微笑み、果実のような瞳―― どこか、風を感じる人だった。
「彼女は、風のような人だった。 私が王になる前、民の声を聞き、名前を呼び、空気を整えていた」
王は、静かに続けた。
「だが、私は王になり、秩序を守ることに囚われた。 彼女の風は、私には“弱さ”に見えた。 そして、彼女は…風のように去った」
私は、そっと言った。
「リゼリア様は、風を通す方だったんですね。 名前を呼び、声を聞く――それは、空気を整える力です」
王は、私をじっと見つめた。
「君の風は、彼女に似ている。 名前を呼ばれたときの、あの感覚…久しく忘れていた」
私は、少しだけ微笑んだ。
「風は、記憶にも通ります。 渋みのある過去でも、芯に甘みがあれば、焼き直せます」
王は、目を伏せた。
「私は、彼女の名前を最後に呼んだのは…いつだったか。 君が“アイリス”と名乗ったとき、風が揺れた気がした」
私は、深く一礼した。
「リゼリア様の風は、今も王宮に残っています。 そして、王様がその風を感じたなら―― まだ、空気は整えられます」
王は、しばらく黙っていた。 そして、静かに言った。
「君の風、見届けよう。 彼女の名に恥じぬよう、私も少しだけ…風を受け入れてみよう」
その夜、王宮の空気は静かに揺れた。 亡き王妃の記憶が、風に乗って戻ってきた。
王宮の書斎で、私は王様と何日も言葉を交わした。 果実パイを焼いて持参し、風の話をしながら、少しずつ空気が柔らかくなっていった。
「君の風は、静かに揺れる。 だが、芯に強さがある」
王様は、そう言って、リゼリア妃の肖像画を見つめていた。
私は、ずっと迷っていた。 でも、風は嘘をつかない。 だから、私は決めた。彼に私の正体をつたえると。
「王様。 私には、もうひとつの顔があります。 私は…アデル王からの使者です」
空気が、一瞬で凍った。重くのしかかる空気、でも伝えないわけにはいかない。
王様の目が鋭くなり、書斎の空気が張り詰めた。
「…アデル王の使者だと? 我が国に風を通すために、送り込まれたのか?」
私は、深く一礼した。
「はい。 でも、最初は本当に王様が策略したことなのかを探ろうとやってきました。だけど思い出したんです。私は“風を通す者”だと。 争いではなく、空気を整えたいと思いました」
王様は、拳を握りしめた。
「アデル…あの男が、我が国の空気を乱すために君を…!」
空気が裂けそうなほど、怒りが満ちた。誤解させてしまった? 違う、王様はちゃんとわかってるんだ。自分の過ちだって。
王様は、深く息を吸い、ゆっくりと吐いた。
「…毒を盛らせたのは、私だ」
私は、無言でうなずいた。
「リゼリアが亡くなった後、私は心、空気を閉ざした。 民の声も、王宮の風も、すべて遮断した。 だが、アデル王が“風を通す”と聞いたとき、私は恐れた。 彼の風が、我が国の秩序を壊すのではないかと」
王様は、静かに続けた。
「だから、王妃セレナに毒を盛らせた。 彼の空気を止めるために。 私と同じように王妃をなくせば、そう思った。だが、それは…風を止めることではなかった。 むしろ、風を強くしてしまった」
私は、胸が締めつけられるような思いで言った。
「王様…その風が、私を王族と話すきっかけにしてくれました。 渋みのある出来事でしたが、芯に甘みが残っていたから、今があります」
王様は、目を伏せた。
「君が、風を通してくれた。 だから、私は今、君に語っている。 だが、君がアデルの使者だと知っても、風を拒む気にはなれない」
私は、そっと言った。
「風は、誰かの罪を責めるためではなく、空気を整えるために吹きます。 過去の渋みも、焼き直せば芯の甘みになります」
王様は、静かに頷いた。
「ならば、君の風を見届けよう。 アデルの空気ではなく、君の風として」
その夜、王宮の空気は深く揺れた。 怒りと罪と、風の芯が交差する中で―― 風は、過去を通り抜け、未来へ向かい始めた。