コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
ー女みてぇな奴ー
それが
そいつを初めて見た時の
俺の第一印象だった。
⸻
桜の幹からゆっくりと
産まれ出たソイツを
俺は重力操作でふわりと持ち上げ
慎重に引き抜く。
そして
そのまま地面へと降ろした。
足が大地を踏みしめる。
それと同時に
そいつは初めてこの世界を知るように
ぼんやりと辺りを見渡した後
俺の顔を見た。
「⋯⋯貴方は?
僕は⋯⋯いったい⋯⋯?」
まだ意識が朦朧としているのか
そいつの鳶色の瞳は
微かに揺らいでいた。
黒褐色の長い髪が
静かに風に靡く。
端正な顔立ち。
何処か儚げな雰囲気を纏うその姿。
俺は、じっとそいつを見下ろした。
(なんだこいつ⋯⋯
女みてぇな顔しやがって)
俺は無意識に歯を食いしばる。
青龍に比べられ続けた相手が
⋯⋯これか?
なんだか、腹が立ってきた。
「はっ!⋯⋯よぉ、麗しいお嬢さん。」
俺は皮肉たっぷりに言った。
「生憎⋯⋯俺には、名が無くてなぁ?」
青龍が、小さく息を呑む気配がした。
そいつは
ぼんやりと俺を見ていた。
何処か
まだ夢の中にいるみたいな表情で。
すると
青龍がずっとこの日の為にと
繕っていた服を手に
静かに足元に傅いた。
「⋯⋯時也様、お召し物を」
そいつ⋯⋯青龍が〝時也〟と呼ぶ男は
青龍が差し出した服を見つめる。
そして、ゆっくりと手を伸ばし
袖を通し始めた。
その動きは
身体の感覚を確かめるように
慎重だった。
青龍の山吹色の瞳が
静かに俺を射抜く。
「貴様、少しは口を慎め」
と言いたげな視線だったが
俺は気にしねぇ。
服を整えながら
そいつの瞳が
真っ直ぐに俺を捉えた瞬間
ー微笑みやがったー
まるで、全てを見透かすような微笑みに
僅かに肌が粟立つ。
「⋯⋯名がないのは不便でしょう。
僕が、名付けても?」
俺は、思わず言葉を失った。
〝名が無い〟なんて話
普通なら嘘だと思うだろ?
皮肉だと思うだろう?
なのに⋯⋯こいつは。
まるで何の疑いも無く
さらっと言いやがった。
「⋯⋯⋯っ」
俺は思わず
無意識に一歩後退る。
ーなんなんだ、こいつー
〝名を持たない〟事が
ずっと当たり前だった俺にとって
コイツの言葉は
あまりにも異質だった。
そんな俺の様子を見た青龍が
静かに頭を下げた。
「時也様
この者の無礼をお許しください。」
俺は、はっとして時也を見た。
その男は
穏やかな顔のまま
青龍の言葉に耳を傾けている。
「この者は⋯⋯
アリア様と同じく
魔女の異能を持っていましたので
この青龍が拾いました。」
そう言いながら
青龍は俺をじっと見据えた。
まるで〝覚悟を決めろ〟と言うように。
「どうか、お名付けください。」
俺の名を⋯⋯こいつが?
そんな事、考えた事もなかった。
⋯⋯なのに。
時也は服の襟を整えながら
まだ朧気な顔のまま
考えるように黙っていた。
しかし
漸く頭が冴えてきたのだろうか?
時也の顔に、
ハッとした表情が浮かんだ。
「⋯⋯アリアさんっ!」
その声は
切実な響きを持っていた。
「彼女は……どこに!?」
その言葉が発せられた瞬間
俺は、見てしまった。
青龍の顔に
初めて見る〝憂い〟が
浮かんだのを⋯⋯。
「アリア様⋯⋯
奥方様は、ずっと其処で⋯⋯
貴方様をお待ちしておりました」
青龍が視線を向けた方へ
時也もまた、ゆっくりと顔を上げる。
その鳶色の瞳が、微かに揺れた。
俺には
その目の中の感情が何なのかは
分からねぇ。
ただ、確かに揺れ動いていた。
それは、笑うようであり
泣きそうでもあり⋯⋯
何かを押し殺すような
それでいて
堪えきれないような
そんな目だった。
時也は
まだ生まれたての
小鹿のような足取りで進むと
桜の幹の根元、
アリアの結晶に縋りついた。
「アリアさん⋯⋯っ!
あぁ、なんて事⋯⋯
こんな⋯こんなお姿に⋯⋯っ!」
ー僕の所為だ⋯っ!ー
その声は
張り裂ける程の
悲痛な響きを孕んでいた。
細い指が
結晶の表面をなぞる。
其処に閉じ込められた彼女を
震える手で
どうにか掴もうとするかのように。
届かないと分かっていながら
それでも⋯⋯
時也は
大粒の涙を隠す事もなく
嗚咽混じりに叫んだ。
それは
〝悲しみが産まれた産声〟のように
聞こえたよ。
俺は、それをただじっと見ていた。
⋯⋯俺は、愛なんてものは知らねぇ。
だからこそ、その姿が
どうしようもなく
情けなく見えたんだ。
俺は
どれだけ泣いたって
喚いたって⋯⋯
差し伸べられる手も
温かな声も
野良犬の俺には
一度も無かったからな。
「……あーあー。見てらんねぇな?」
俺は、冷めた声で呟いた。
拳を握り締めながら
それでも何処か
苛立ちを隠せないまま。
「女みてぇに
びーびー泣きやがってよぉ。
泣いて、変わる事でもあるのかよ?」
俺の言葉が響いた瞬間
時也の震えていた背中が
ピタリと止まった。
ゆっくりと
俺の方へ振り返る。
(⋯⋯さすがにキレたか?)
一瞬、身構えた。
だが⋯⋯違った。
俺の目に映った鳶色の瞳に
怒りの色は無かった。
時也は
ぐしゃぐしゃの涙と鼻水塗れの顔で
俺を暫くの間
言葉も発さず
じっと見つめる
(何だ⋯⋯コイツ。
俺を見ながら⋯⋯
何かを、見てるような?)
やっと視線を外したかと思えば
そのまま静かに
また大粒の涙を流した。
「⋯⋯えぇ
貴方の⋯仰る通りですね。」
涙に濡れたままの声で
彼は言った。
「お見苦しい所を、お見せして
⋯⋯すみません。」
そう言って
時也は地面に膝をついた。
そして
指を丁寧に並べ
深々と頭を下げた。
俺は、一瞬
何が起こっているのか分からなかった。
⋯⋯何故だ?
普通、此処で謝るか?
俺は、こいつを侮辱したんだぞ?
それなのに
こいつは⋯⋯何で俺に頭を下げる?
俺は混乱したまま
時也の姿を見下ろした。
やがて
ゆっくりと顔を上げた時也は
寂しそうに
微笑んでいた。
「貴方はもう⋯⋯
野良犬ではありません。」
俺は、息を呑んだ。
(今⋯⋯野良犬っつったか?
何で⋯知って⋯⋯っ)
そして、次の言葉が俺の耳に届く。
「先ず、貴方に名を授けましょう 」