<2.5>
★新宿某所 マンションの一室
____________________
窓の外には、新宿の夕暮れが広がっていた。ビルの隙間に沈みかけた太陽が、淡いオレンジと群青のグラデーションを作り、街並みに長い影を落としている。歩道を行き交う人々の姿が小さく映り、車のヘッドライトがぽつぽつと灯り始めていた。 部屋の中は、その喧騒とは対照的に静かだった。
モノトーンで統一された空間。壁際には観葉植物が一つ、ガラスの花瓶に活けられ、微かに揺れている。無駄のないインテリアに整えられたリビングのテーブルには、開きかけのネタ帳と、飲みかけのコーヒーカップ。コースターの上に小さな水滴が滲む。エアコンの低い唸りだけが部屋に響く中、俺はペン先をトントンとネタ帳に当てながら言った。
「な、ここさ……こうしたら面白いと思うんだよ」
「……うーん、俺はこっちの案の方がいいと思うけどな」
春沢さんが、軽く眉を顰めながら台本をめくる。彼は薄いグレーのスウェットを着ていて、いつものようにリラックスした姿勢でソファに沈み込んでいた。
「俺、またボケやんないといけないの? たまにはツッコミもやってみたいんだけど」
春沢がふっと笑う。
「それはそうだけどさ……コントって、素の自分じゃなくて役を演じるわけじゃん? だから、俺がツッコミやるのもアリかなって思ったんだけど……」
言いながら、無意識に春沢さんの顔色を窺ってしまう。彼の方が五つ年上ということもあって、どこか俺の意見に対して慎重に見極めようとしているのが伝わってくる。しばらく考え込んだ後、ぽつりと口を開いた。
「秋野、お前さ……最近変わったよな」
「……え?」
思いがけない言葉に、俺は手を止めた。
「いや、なんつーか、前より自己主張するようになったっていうか。今までは『うん、それでいいと思う』って感じだったのに、最近はこうやって意見ぶつけてくるじゃん?」
春沢さんは腕を組みながら、じっと俺を見つめる。
「……そう、かな」
「そうだよ。で、正直、お前がツッコミやるのって、俺はあんまイメージ湧かねーんだけど」
「……やっぱそう?」
俺は少しだけ肩を落とす。こうなる気はしていた。でも、俺の中にはどうしても試してみたいことがあった。
「……俺さ、ちょっと変わりたいんだよ」
ぽつりとこぼすと、春沢さんは「お?」という顔をした。
「ほら、俺、前に出るの苦手だし、目立つのあんまり好きじゃないって思ってたけど……笠木と話して、考えが少し変わった。俺のネタを面白いって言ってくれて、一緒にやろうって言ってくれて、なんとなく……もっと色々試してみたくなった。だから、やってみたいんだよ」
春沢は黙って俺を見ていたけど、やがて小さく笑った。
「……そっか。まあ、そんなに言うなら、試しにやってみるか」
「……いいの?」
「俺は年上だから譲ってやる」
「それ言う?」
俺が呆れたように言うと、春沢さんは「ははは」と笑った。
「でもまあ、お前がどうしてもやりたいって言うなら、一回やってみようぜ」
そう言って、春沢さんは改めて台本をめくる。
窓の外では、すっかり夜の帳が下りていた。ネオンの光がビルのガラスに反射し、遠くでパトカーのサイレンがかすかに響く。 俺はペンを握り直しながら、小さく息をついた。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!