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少年は当時、12歳であった。
彼が持つそのリーダーシップと、正義感がそのまま擬人化したような性格から、彼の周りにはいつも人がいた。
得意な勉学に励み、苦手な運動も精一杯取り組み、少しでも克服しようと運動部に所属していた。
彼は何事もなく小学校生活を終え、受験はせずそのまま皆と同じ中学校に進んだ。
中学校は近所の三つの小学校の生徒が合わさる。
1年生では、彼の通っていた小学校の生徒はほとんどいなかった。
それでも、1年生の間はうまくやったほうだろう。
友人にも恵まれ、担任にも恵まれ、その上想いを寄せる人もでき、毎日が充実していた。
2年生になった。
俗に言う『好きな人』とはクラスが離れ、残念がる一方で、幼稚園からの幼馴染であり親友であるRと同じクラスであったことには喜びを抱いていた。
一学期の前半は、野外学習という大イベントもあり、足早に過ぎたようだった。
だが、あと一か月で夏休み、というところで、少年は急に体調が優れなくなった。
一週間ほど休んだ彼は、次の週の月曜から復帰した。
実は昔から人に話しかけるのが苦手な人見知りの彼は、いつもRのほうから話しかけてきたこともあって、休み時間になると誰にも話しかけずに次の授業の準備を黙々としていた。
長い間休んだら流石に長い付き合いでも心配して即座に話しかけてきそうなものであるが、その日一日中、Rに話しかけられることはなかった。
Rとは2年生になってから何度もカラオケに行ったり、映画を観に行ったり、仲良くしていた。
そんな親しき仲であるからこそ、中学生になってからややマイナス思考気味になっていた彼は、嫌なことしか考えられなくなった。
ー「Rは自分の事がいやになったのかも。」
ー「そもそも最初から嫌いだったのに親が仲いいから無理やり遊んでたとか…?」
そんなわけない、と思っていても、14という若者の心には心底大きなダメージを与えた。
復帰してから一週間がたったが、嫌な予感が頭をよぎり、Rとは一向に話せなかった。
少年はマイナスなことしか考えられなくなり、気持ちの激しい落ち込みから、生まれて初めて学校をサボった。
単に自分から話しかけて聞けばいいだけの話に思えるが、マイナス思考の少年にとって『話しかける』ということすらハードモードのタスクと化していた。
話しかけることについて少年は、昔、「話しているところに急に話しかけられるとキモイ」や「話したくないから話しかけてないのにこっち来んな」、「空気読めよ」といった感想を持った人たちの意見を記憶してしまっていた為、自分もそう思われるんじゃないかという思いから恐怖を覚えるようになっていた。
少年のマイナス思考は日に日にひどくなり、最近では歩いているときに別の人たちが会話の中で笑ったりすると自分のことを笑っているように感じたり、街往く人々が全員自分のほうをじっと見てきているような気がして、外に出るのも嫌になってしまった。
段々、人が話していることの裏の感情を勝手に想像して、自分がした行動を恐れたり、全ての人のやさしさが偽善としか受け取れなくなり、少年は次第に人を信じられなくなった。
それからは周りに話すことのできる人がいても、人を信じられなくなった少年の心に住み着いた『孤独』は簡単になくなることはなかった。
それは精神的なものであり、物理的なものより宿主に与えるダメージは大きかった。
少年は心に住み着いた孤独という厄介者の対処法について考えるうちに、ある一つの事を思った。
ー愛が欲しい。
決して少年は親から虐待を受けているわけでも、学校の生徒たちにいじめられているわけでもない。Rに何か言われたわけでもない。
ただ、そう思ったのだ。
学校の中にいる、『話せる人たち』は、単に話せるだけでそれ以上でもそれ以下でもない。
だが、他の人たちはどうだろう。
彼が話せる人たちは、他にも話せる人がたくさんいる。
彼が5人としか話せなくても、その5人はみんな、彼以外の20人と話せる。
彼とその20人の中の誰かが電車のレールに縛り付けられていたとして、どちらかしか助からないというのならば、彼が話せる誰で試しても彼が助かることはないのだ。
つまり、彼は誰かの中の【一番】になりたかった。
何かあれば即座に身を案じ、共に泣き、笑い、共鳴できる友人が欲しかった。
周囲にはそんな仲の人たちがたくさんいるのに、どうして自分にはできないのかと、考えるほど悲観的になってしまう。
誰が悪いわけでもない。これは少年の問題だ。
だが、そんな自分を【一番】だと思ってくれて、自分も【一番】だと思える友人ができぬ限り、彼の心の孤独は永遠に彼を蝕むことであろう。