コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
診察室の壁には、曇りガラス越しの陽がやわらかく
差し込んでいた。
なつはベージュのソファに腰を下ろし、
指先で膝をいじっていた。
「じゃあ、話してみようか。
君が見ていた“夢”のことをね」
白衣の医師は淡々とノートを開き、
視線だけで促した。
「……夢の中で、いるまが生きてたんです」
「亡くなった恋人、ですね」
「はい。……すごく、普通なんですよ。
あっちではご飯食べたり、話したり、
笑ったり」
「それは心地よかったですか?」
「はい。現実よりずっと」
医師のペン先が紙の上を滑る音だけが響く。
「でも……」
「でも?」
「途中から変なんです。
いるまが、少しずつ違う人みたいになって。
優しかったけど、
だんだん俺を閉じ込めようとして……」
なつは膝の上で指を強く握った。
「“あいつらから離れろ”とか、
“ここにいれば怖くない”とか。
……あの時のいるまなら、
そんなこと言わないのに」
「君は、その夢のいるまが“本物”だと
思っていますか?」
なつは少しの間、沈黙した。
時計の針の音が、やけにうるさい。
「……分かりません。でも、声も、
体温も、全部ほんものみたいで……。
現実より、
夢の方が息がしやすかったんです」
「現実の呼吸が苦しいのは、
夢の影響かもしれないね。
長い間、幻覚や幻聴が続くと、
身体も反応することがあるんだよ」
「幻覚、ですか」
「うん。心が作り出した“いるまくん”が、
君の悲しみを埋めようとして、形になった。
でも――その夢は“優しさ”の皮を被った
依存だよ」
医師の声は穏やかだった。
けれど、なつには刃のように聞こえた。
「……優しさの皮、ですか」
「そう。だから君は、
彼に“愛されている”ようで、
実際は“支配されている”だけなんだ」
なつは笑った。
乾いた声だった。
「ッ……違います。
いるまは、俺を支配なんてしてません。
だって俺、あいつのことが好きで、
あっちに行きたくて……」
言葉が途中で止まった。
医師がゆっくりとノートを閉じる。
「君の中では“行く場所”なんだね。
……でも、もう行かないようにしましょう。
今夜からは、新しい薬を出すよ。
夢の中で会えないようにする薬だ」
なつの喉が詰まる。
“会えないようにする薬”――
それはまるで、
生きることを強要されるような響きだった。
診察室の外に出ると、
光がやけに眩しかった。
手にした薬袋の中で、
錠剤が小さくぶつかり合う音がする。
まるで、夢の残骸みたいに。
ーーー