忍び用の馬車に乗り王宮へ向かっている。
出かける父上を捕まえてみれば、これからゾルダークへ忍んで行くという。先触れは出さず驚かすのだと。なにかと父上はゾルダークを贔屓にし、当主に対しては心さえ許しているように見える。一国の王が酔い潰れる場に一人の臣下を侍らせるなど、寵愛ではないか。長い付き合いだというが、あの男の何がいいのか。
「なぜ近衛の格好をさせたのです」
窓から外を眺め機嫌のよい父上に問う。
「前はさ、庭師の格好して行ったんだよ。遊びだよ」
「王宮でやられては?」
「誰を驚かせるんだよ。俺はハンクに会いに行ったんだぞ、国王だって息抜きは必要だよ」
なぜ臣下を驚かせる必要があるんだ。臣下とは会いに行かず呼ぶものだろう。俺が解せない顔をしていたんだろう、父上はおかしなことを言う。
「ジェイドにもハンクみたいな奴がいたらよかったなぁ」
あの恐ろしい顔をした男が側にいたら?嫌だな。
「臣下というより友だな、あいつはいつでも俺をドイルにしてくれる」
よくわからん、父上は友を作れと言っているのか。友など作れる立場ではない。媚びに謀りが横行する貴族の中にどう見つける。弱音を言えば、それを理由に脅されるだろ。強く言えば王族と臣下になってしまう。無理な話だ。
「ハンクはさ、無欲で邪な要求なんて持ってない。根が欠陥人間だけど、王族も金も女も興味なく、話を聞いてくれる。愚痴を言ったって、そうかって言うだけだ。弱音を吐いたって頷くだけ。それを後で弱味として持ち出すこともない。つけこんだり諭したりする奴らが多いのに貴重だよ。王にもそんな存在が必要だと思う。顔は怖いけどあいつの前では王でなくていい。お前は愚痴れる相手がいないだろ?カイランは無理だ、アンダル派だし、感情移入しやすい。お前にはいつかあの子に会わせたかった。それは今日じゃなかったけどな」
あの子。夫人か?普通の令嬢ではないか。他と何が違う。
「あの子は貴重だ、普通の貴族令嬢じゃない。庭師の格好をして会いに行った理由があの子だよ。国王とすぐに気づかれたけどな。臆することなく会話ができる。冷静で、己の矜持を傷つける相手には辛辣。心が強い。きっと、ジェイドの話を聞いてくれるが、悪用しない。だが時が悪いな。しかも女だ。お前に惚れる心配はしなくていいが、おかしな噂が立つに決まってる。お前のハンクは見つからないな」
父上は何を言ってる?貴族の夫人に何を話せる。
「俺には必要ないですよ。夫人は公爵を鷲に例えてましたよ。目付きが似ている」
鷲か…魔王のようだった、と父上は呟いている。惚れる心配?小公爵とは上手くいっているのか。
「まぁいい。何か話したいことがあれば、俺は彼女を薦める。忌憚ない答えが得られるが、その前に彼女に信用されなくてはならないから、お前では難しいかな。カイランはやめておけ、関わるな」
小公爵には関わるな?どういう意味だ。
「ディーターを贔屓にすると他の高位貴族が妬みますよ。ただでさえ、ディーターはマルタンと繋がる。ルーカスがぼやいてましたよ」
「面倒臭いなぁ」
友か、そんなものいたら何か変わるか?俺には理解できない。欲しくはない。欲しいものは手に入らない。
わかってないんだろうなぁ。いずれ国王になるのに、全てを抱え込むのは無理なんだよ。マイラは他国の女だし、用心した方がいい。
ハンクに譲位の話をしたら、王都を離れてゾルダークへ行くとか言われたし、俺がいなくなるのが嫌なんだな、ハンクがいなくなると貴族ら纏めるの誰がするんだよ。ハインスは王妃派だし、マルタンには嫌われてるし。まだジェイドには任せられない、俺より国王らしいのにな。国王だって完璧ではないことを受け入れなくちゃ、つらくなるのに。拗らせ男は何するかわからないし。相談する相手が父親しかいないなんて悲しいだろうに、寂しい奴だな。
いつか抑え込んだ想いが噴き出す。それが国王の時なら国が揺れるんだ。冷血ハンクがあの年で女に骨抜きになるんだから世の中何が起こるかわかったもんじゃない。だが、カイランは黙認を選んだか…予想外。リリアンのせいで女性不信になったのに、妻が父親と子を作ってたんだもんなぁ。もっと大騒ぎになってると思ってたのに、面白くない。
退位して、遠くの離宮で若い女の子をハンクみたいに側に置きたかった。あいつ…惚気やがって。怖い顔して、女はあんなに淫靡なのか…だと?汚したくなる…だって?あいつは何をしてるんだよ、覚えたての若造かよ。羨ましいよ。普通の貴族令嬢は淡白なんじゃないのか。ディーターの閨教育が気になるが、侯爵に聞けないよな。一度見せてくれないかなぁ。
色とりどりの花びらを盥に浮かべ、居室の机の上に置く。私の火照りが収まるまで庭師に頼んで花びらを回収して集めてもらった。曲がりくねる歩道を真っ直ぐ突き進むハンクを思い出すと笑んでしまう。花びらを見つめていると、扉が叩かれカイランが部屋に入ってきた。
「キャスリン、調子は?陛下が来たんだって?」
私はソファに座るよう促し、話し始める。
「ええ、直接お祝いを言いにいらしたのよ。それに新しい花園も気に入ってらしたわ」
「父上の子だと陛下も知ってるんだね。なぜ教えた?」
そう思うわよね。普通なら私だけではなくカイランも共に祝いの言葉を聞くべきだもの。
「知らないわ。私は教えてないもの」
だろうね、と呟いている。
「父上は陛下と仲がいいからな、でも話した理由がわからない。陛下は最強な味方になるけど必要ないのにな」
それは私もわからないけど、私は陛下にハンクのことを話せるから、会話が楽なのよね。
「腹は?どう?」
「変化はないのよ。昼間眠くなるだけ。まだ膨れてもないの」
カイランは立ち上がり私の前に跪き、下から見つめて尋ねる。
「触れてもいいのか?」
ダントルが一歩私に近づく。
下腹に?別に構わないけど、ハンクの触れるな、には入るのかしら。この人は夫なのよね、子が生まれたら父親になるから大切にしてもらいたいし。
「優しくね」
カイランは頷いて手を伸ばす。ダントルは私のすぐ側まで来ていた。そこまで警戒する必要があるのかしら。カイランは優しく下腹を撫で、直ぐに手を離し元の場所に戻る。
「また触らせてくれるかい?」
平たい下腹を撫でても仕方ないのに。
「膨らんできたらね」
カイランがこの子に傷つけるようなことをしなければそれでいい。彼に父性など求めてないわ。私が育てるもの。
カイランは頷き、次の往診も共にいると言って退室していった。私はダントルに振り向き、尋ねる。
「危険かしら?」
触らせない方がよかったかしら。
「予測不能な状態なので細心の注意を申し付けられてます」
ハンクがそう命じたのなら従うまでね。私もカイランの心情はわからない。笑みながら何を考えているのか。リリアン様が恋しいわね。今さら私を気遣う理由はなんなのかしら。好きな女性を囲っていいと言っているのに。
あまりにも平らだ。あそこに子がいるのか。父上の子は僕の弟か妹。年の離れた兄弟になるんだな。腹が膨れるまで触れさせてはもらえない。もしかしたら父上が止めるかもしれない。キャスリンは僕が触れることに嫌悪は見せなかった。少しずつだ、彼女の側にいることが当たり前のように過ごして、信頼を得なければ進むことはできない。まだ諦める必要はない。味方はいない、僕は一人だ。
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