「…やっぱり自分のことしか考えられないか?」
律を連れて逃げようとした俺が、どの目線で旦那に説教しているんだろうか。自分のことは棚に上げておきながら、思わず嫌味が出た。
「どういう意味ですか?」
「今から警察なんかに行ってどうする? 誰も得しない。それどころかマイナスな結果しかないけど」
真面目な性格の男だから出た発言だとは思う。
「あの…言っている意味が理解できません」
「このまま黙っとけって言ってるんやけど」
鈍い返しに短気な俺はイラっとした。冷たく言うと旦那が息を呑んだ。
「そんな…新藤さんは律がこんな状態で、このまま…なにも無かったことにしろと言うのですか?」
「そうや」
「そ…そんな…」
「出頭して罪償ったら気持ちは晴れると思うし、世間的な正解はそれやけど、遺された家族はどうなる? 痴話喧嘩の果てに嫁を刺して重傷負わせたなんて公表したら、家族が大変なことになるけど。それに今は『サファイアのギター』としての立場があることを忘れてないか? スキャンダルを晒してメンバー全員の人生を棒に振らす気か?」
「そんな…こ、こんなこと…黙っておくなんて……」
旦那はますます青ざめて震えた。俺みたいに汚れ切った狡賢い人間の考えが、到底理解できないのだと思う。
「俺がどうして闇医者(ここ)に連れてきたと思う? 事件の漏洩を防ぐためや。万が一他にバレたら、俺が律を盗ろうとして刺したってことにしたらいい。律もそれを願っている。話は合わせるし、最悪の事態も想定してる。律にもしものことがあったら、俺が律を連れて逃げる」
「そんな…」
「覚悟を決めて、このことは一生自分の心で背負い続けろよ。俺もそうする。俺の犯した罪だと思って甘んじて受ける。どんな罰でも受けるし、このせいでもし刑務所に放り込まれても別に構わない。俺には失うもんなんかなにもないし。大栄も辞めているから俺が捕まっても困る人間は誰もいない」
正直者の旦那にすれば、事件をうやむやにしてしまう方が辛いのだろう。自分の犯した罪を他人に押し付け、償う機会すら与えられないのだから。
でも旦那には守らなきゃいけない立場がある。どんなことをしても、サファイアや家族を守る義務がある。でなければ、律が頑張った意味がなくなる。
「詳しい説明は省くけれど、RBの時も似たようなあことがあった。メンバーのひとりが女とモメて、結果傷害事件が起こってしまった。でも表沙汰にはせずにRBを電撃解散させた。今からアンタが生きようとしている世界は、そんな汚い世界や」
旦那は俺の言葉に瞳を揺らせた。
「サファイアはこれからや。どんなに辛いことがあっても、泣かずに笑ってギターを弾いてくれ。それが唯一の償いで律の願いや。彼女がどんな思いで今まで堪えたと思う? ここで潰すなら、デビューライブで無様な失敗晒してさっさとギターを辞めておくべきだった。でも、成功してサファイアは走り出した。ここまできてもう引き返せないから覚悟を決めろ。これが表に立ち続ける者の宿命だということをよく覚えておけよ。正直だけじゃやっていけないこともある」
表舞台を歩き続けてきた俺の言葉は旦那の心に響いただろう。単純に傷害事件を自分の保身ためだけにもみ消すわけじゃないことを理解したはず。
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