コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
※本作には、一部性的な描写を含む章があります。該当話にはタイトルに 『♡』 のマークがついています。
苦手な方は飛ばしてお読みください。
ただし──物語はすべてが繋がっています。
スキップすると、一部の心理描写や人間関係の意味が分からなくなる場合がありますが、ご了承ください。
テラーノベルの方へ。
こちらはpixivで記載したものをコピペしております。多少文字が乱れる場合がありますが、見逃して頂けると助かります。
甘ったるい匂いがした。
空気ごと、舌にまとわりつくような糖の香り──この甘い匂いを漂わせている犯人は誰か、分かっている。
月の隣にいる二人だ。
──Lと、B。
Lはいつものように、ケーキを口に運ぶ。
フォークの角度も、座り方も、姿勢も、常識とは真逆だが、動きそのものは洗練されている。
問題は、もう一人。
Bだ。
Bはなぜか、ショートケーキのクリームを指ですくい、舐め取っている。
いや、指だけじゃない。
今度は手づかみだ。
ぐしゃり……。
「……B、手で食べるなよ……行儀悪いにも程があるぞ」
月は叱る声で呟いた。
だが、Bは答えない。
返事の代わりに、手の上に残った生クリームを、躊躇なくべろべろと舐め始めた。
「…………」
さすがの月も絶句。
不快とか異常とか、そういう言葉では足りない。
もはや──精神的ハラスメントだ。
「……なあ、L」
「はい」
「この鎖、外してくれないかな」
椅子に座るLは、手に持った角砂糖を順番に珈琲に沈めている。数えて、七つ目。いや、八つ目だったか。もはや液体ではなく、液糖。甘さという暴力。カフェインの仮面を被ったショ糖の暴君。
「“気持ちはわかりますが”、堪えてください」
「……………」
わかるなら、取ってくれよと、内心でぼそりと呟いた。
いや、ほんとに。気持ちが「わかる」ってことは、共感するってことだ。共感するってことは、理解できてるってことだ。理解できてるってなら──止めてくれ。
何をって?
言うまでもない。
隣で生クリームをべろべろしてるこの男を、だ。
器用に舌を這わせ、わざと音を立てて舐め回している姿は、ひと言でいうと「行儀が悪い」。二言で言っても「汚い」。三言目には「外してほしい、この鎖」だ。
Lが手元のトレイからフォークをひとつ拾い上げ、Bの前に差し出した。
「……B、ケーキのクリームを舐め回すのはやめてください。フォークをどうぞ」
するとBは。
この文明の利器を、あろうことか初めて見た人みたいな顔をした。
「……これ、使うんですか?」
使うんだよ。
普通はな。
しかし、お前のその持ち方は“武器”の構え方だ。
「じー……」
Bは、なぜかそこで手を止めた。
Lが、となりでケーキを食べているのを見ていた。
刺す。持ち上げる。口に運ぶ。飲み込む。
その一連の所作には、一切の無駄がなかった。いや、無駄はなかったが、持ち方は芸術の域だ。
「…………」
Bは、フォークと、Lを、交互に見た。
Bは、何かを思いついたように顔を上げ、ついに決断を下した。
「……夜神さん」
「ん?」
「あーんしてください」
あーん、来たよ。
Lを上回る精神攻撃が、ここ捜査本部で繰り広げられている。
「あー……うん、L、ちょっと」
思わず振り返った。
この異常事態を、法と秩序の象徴たるLに“押し付ける”ために。
「……どうにかして」
Lはモニターを見たまま、角砂糖をまたひとつ落とした。
何個目だ。
「……私に、ですか?」
「うん、そう。あーんって言われてるし。Lが面倒見てくれ」
──その言葉がトリガーだったのかもしれない。
Bは笑い出した。
文字通り、ケタケタケタと。
なにがそんなにツボなのかは謎だったが、彼の笑い声には一切の上品さも、理性も、抑制も存在しなかった。
むしろ、椅子の上で軽く足をパタパタさせながらの笑い。
この空間の空気だけが糖度を増していく。比喩じゃなく、糖尿病の発症リスクが心配になるレベル。
Lはというと──無反応だった。Bの笑いにも、僕の悲鳴にも。ただ黙って、自分のケーキを見ていた。
そして──フォークを持った。
すくった。
ひと口ぶんのケーキ。生クリームとスポンジの完璧な比率。
そしてLは、そのフォークを、そのまま──Bの顔の前に差し出した。
「…………」
Bは、ためらいなく、ぱく。
ケーキを食べさせてもらうのが当然の権利であるかのように。
ぱく、っと食べて。
──次の瞬間。
「きゃははははははははは!」
爆笑した。
けたけた、じゃない。
きゃはは、である。
「あーん、Lにあーんだあ、あはははははは!夜神さん見てました?今の、見てましたよね?」
叫びながら、椅子の上で体を揺らすB。
この人、実年齢いくつだっけ……?
見てるだけで頭がおかしくなりそうだ。
月はLに目を向けてボソッと。
「…………ほんとにやるんだ……」
引いている。
物理的にも……後ずさった。
ここが捜査本部であるという事実が、もはや冗談に思えてくる。
──そして、L。
Lは、いつもの無表情のまま、言った。
「……餌付けです」
餌付けです、じゃないんだよ。
思わず頭を抱えた。
あいつらを見ていると人としての尊厳が、ガリガリと削れていく。
「……だめだ……引っ張られるな……」
もはやこの空間で、まともなのは──僕だけのようだ。
──その時。
〈竜崎!〉
パソコンのスピーカーから、ワタリの声が響いた。
場違いなほど緊張感を帯びた声。
今のこの、餌付けコントとはまったく別の、ちゃんとした“事件”の空気。
Lは、ケーキの皿から顔を上げた。
Bも、フォークを咥えたまま、ぐぎぎぎ……と首だけ曲げて、モニターを見つめる。
「どうしたんですか、ワタリ?」
〈ヨツバグループから、エラルド=コイルにある依頼が入りました──〉
ワタリの報告が、室内の空気を一瞬で変えた。
〈『Lの正体を明かしてほしい』という、直接的な依頼です〉
「……エラルド=コイル?」
月が、眉をひそめる。
「聞いたことある。世界の名探偵の一人だったはず……Lと並んで……」
と、そこまで言ってから、月の顔が、ほんの少し、動いた。
疑念の色。
その横で──Bは。
唇に、親指を当てたまま。
じーーーーーーーっと、Lを見つめていた。
「……………」
無言。
まばたきもしない。
すると、Lが沈黙を遮った。
「夜神くん、大丈夫です。現在、“世界の三大探偵”と呼ばれている、L、コイル、ドヌーヴ。──皆私です」
その言葉が発せられた瞬間。
Bは、目を見開いた。
まるでそこに真実の重みが、ずしんと直接乗ったかのように。
瞳孔は、僅かに収縮し。
肩の力は、僅かに抜け。
そして、口角は、持ち上がる。
「……ははっ」
Bの笑いは乾いていた。
けれど、理解している顔だった。
いや、むしろ──どこか、嬉しそうですらあった。
Lはそんな彼を見ず、淡々と続きを口にした。
「“私を探そうとする者”は、結構これに引っかかります」
告げられたその事実は、鋭利な刃物のようだった。
誰よりも“L”にたどり着きたがる人間が──皮肉にも、その策略にはまり、最もLに遠ざけられる。
月は言葉を失っていた。
Lはそのまま、ほんの少しだけ椅子に身を預ける。
そして、ぽつりと。
「……今回のキラ事件は──“ある二人”に依頼することになるでしょう」
Lの横で、Bが、ふっと目線を外した。
ほんの一瞬。
顔の向きがわずかに逸れただけ。
でもそれは──明らかに、何かを避けるような仕草だった。
その横顔には、影が差していた。
口元は笑っていない。瞳には光がなかった。気のせいかと思った。でも、確かにそれは、“B”らしくなかった。
何かを思い出すように。何かを諦めるように。何かを拒むように。
あるいは──その“二人”の名を、すでに知っていたのかもしれない。
「…………」
言葉はない。
けれど、空気が言っていた。これは、因果だと。そして、Bは再びLを見た。
もう、その顔に笑顔は無かった。
◈◈◈
ヨツバグループ。
日本経済の心臓部とも言える大企業連合の一角。
その中で、“選ばれた数名”によって開かれていた会議。
その議題が──「誰を殺すか」だと判明したとき、捜査本部には戦慄が走った。
これまでキラは、神の名の下に人を選び、犯罪者を裁き、殺していた。
だが今。
その“神”が、会議室の中で、指を差して利益を得るために人間を選んでいる。
──そんな光景が、カメラ越しに映っていた。
不自然なまでに豪華な会議室。
並ぶ男たちの顔。
その中に、いる。火口卿介(ひぐち・きょうすけ)。
Lは言った。
「──この中に、“キラ”がいる可能性が高い」
その隣では、夜神月が腕を組み、真剣な眼差しを向けていた。
「……ああ。しかし、決定的な証拠が無ければ、踏み込めない──」
会話が交わされる中、Bは一言も喋らなかった。
──喋るどころか、瞬きすらしていなかった。
モニターの火口卿介を、じーっと。
視線を逸らすことなく。吸い込まれるように、張り付いたまま、ただひたすら、じーっと。
「B……?」
最初に気づいたのは、Lだった。
椅子に浅く座るLが、わずかに体を傾けて、Bの顔を覗き込む。
「?」
それでも──Bは、動かなかった。
返事をする素振りもない。
目を逸らす気配もない。
「……何を見てる?」
Lの声が、わずかに低くなる。
彼は“目に見えないもの”には強い興味を示す男だった。
「……?……B?」
月も異変を感じたようだ。
重ねて呼ばれても──Bは、じーーーっと火口を見ている。
視線は、真っ直ぐ。
でもその“真っ直ぐ”の先には、人間以外の“何か”がいた。
✧✧✧
捜査本部の一角。
用意された月の部屋ではLと月が眠っており、元通り──手錠で繋がれた。
Lの判断だ。
その意図は明かされなかったが、月にとっては、もう“日常”になりつつある。
月はベッドの左側で、眠っている。
疲れた身体が深く沈み、呼吸は穏やか。
そのすぐ隣に──Lがいた。
白シャツの袖はまくり上げられ、目は閉じている。
そして──Lは、夜神月を抱きしめていた。
横向きに、腕を回すように。
そこに“愛情”があるのか、“監視”なのか、“警戒”なのかは、誰にも分からない。
けれど、それは確かに──繋がれた者たちだけが取る姿勢だった。
……そこへ。
Bが、現れた。
音もなく。気配もなく。影が這うように。
Bは、二人の様子をしばらく見ていた。
何も言わない。何も思っていないような顔で。
そして、そのまま──Lの背中に背を合わせるように、寝転がった。
三人が川の字になるように。
左から、月。その背中を抱くL。そして、Lの背中にぴたりと沿うB。
誰にも向けない声で、ぽつりと呟いた。
「……まさか、ワタリが“あの人”だったとは思いもよらなかった」
その言葉は、独り言のようでいて、Lに届く強さで発せられていた。
Lは目を閉じたまま、しばしの沈黙。
そして、まるで“会話”という定義にギリギリ触れないような淡い声で返す。
「……眠れないんですか?」
Bは、目を開けたまま天井を見つめていた。
真っ白な天井に、思考の影を落とすように。
「ううん。眠ろうとはしたけど……駄目だった」
「興奮していますか?」
「それもあるかもね。Lの腕の中にキラがいるし」
「ということは、嫉妬ですか?」
「……ふふ、まあ……うん。そんなところ」
言いながら、Bは目を細めた。
「……施設にいた時、眠れなかった夜があって」
唐突に始まった、思い出話。
Lはそれを遮らなかった。
「“あの家”の天井って、今のこれよりもっと大きくて……ひび割れも何もなくて──“何もない”ことに圧迫されてた」
「……………」
「で、よく思ったんだ。もしこの部屋の天井に落書きできたら、きっと眠れるのに、って。ぐちゃぐちゃに黒く塗って、空とかじゃなく、ただの黒い空洞にしたら、安心して寝られる気がした」
Bはそう言ってから、少しだけ間を置いて、声の温度をほんの少し、落とした。
「……なにも、見えなければいいのにって──思った」
ぽつりと。
まるでそれが、ずっと言えずにいた言葉だったみたいに。
「目を開けると、いろんなものが映るんだ。人の顔とか、名前とか、数字とか。そういうの全部、あるだけでうるさいんだ。知らなければ平気なのに、“在る”だけで、こっちの心が削られる……」
Bはそこで言葉を切った。
喉の奥で、言葉が固まる。
少し息を飲み込んでから、ゆっくりと、落とすように零した。
「なのに──なのに、自分だけは見えなくて」
その声は、悲しみというより、空虚そのものだった。
「誰かの“終わり”は見えるのに、自分の“終わり”だけは、どこにも映らない。だから、ずっと続いてる気がする。終わらない夢の中に、閉じ込められてるみたいで」
Lは、まだ何も言わない。
けれど、背中の向こうで、彼の呼吸が少しだけ変わった。
「……“世界の寿命”が見えたらいいのに、って思うんだ」
Bは続けた。
囁くように。
「世界にも寿命があるなら、あとどれくらいで終わるか知れたら──少し、安心できる気がする。“もうすぐ終わる”って分かったら、その時だけは、ちゃんと眠れるかもしれない」
Lは目を閉じたまま、わずかに呼吸を整える。
その沈黙が、返答の代わりだった。
Bはふと目を閉じると、Lが言葉を紡いだ。
「……それは、あなたが“世界の一部”だからですよ、B」
Bは、目を瞬いた。
その言葉は、どこにも棘がなかった。
突き放すでも、説き伏せるでもない。
ただ、“返してくれた”という事実。
Lは続ける。
「……寿命を、知りたいと思うのは、生きるのが怖いからじゃありませんか?」
Bは小さく息を吸った。
「終わりを知るというのは、恐怖を限定して安心する行為です。“あと何秒で死ぬか分かれば、驚かなくて済む”──人間は、未知よりも“既に確約された不幸”の方を知りたがる傾向にあります」
そこまで言って、Lはほんのわずか、間を置いた。
いつもより、少しだけ柔らかい声で。
「けれど……B。“寿命を見たい”と思うあなたが、その“終わり”を怖がっていないことも、私は知っています」
Lは続けた。
理屈と感情のあいだを、器用に歩くような声で。
「あなたが見ている“寿命”というのは、“残り時間”ではなく、“まだ何かをできる時間”のことです」
「……そうだね」
言葉がそこで一度切れる。
Lはわずかに呼吸を整え、まぶたの奥に何かを思い浮かべるようにして──
「……それを、“分かったうえであなたは奪ったんですよ”──それは、とても……残酷だとは思いませんか?B」
Lの言葉がまだ空気の中に残っている。
Bは、唇を開きかけて、閉じた。
答えが見つからなかったのではない。
答える資格がないと思ったのだ。
人の寿命を見ながら、その寿命を奪った自分。
それを理解していた自分。
そして、そのすべてを、Lに見透かされている自分。
Bは目を伏せた。
まるでまぶしさに耐えるみたいに。
何も言えなかった。
何も言わなかった。
Lはゆっくりと息を吸い、囁くように言った。
「“生き残ってしまった”のですから──」
その声音には、わずかな揺らぎがあった。
「もう、“死”には目を向けずに……“生きる”ことに専念してはどうでしょうか」
Bは、Lの背中越しに小さく息を漏らす。
その表情は見えない。けれど、何かがゆっくりとほどけていく気配があった。
Lは続けた。
今度の声は、ほんの少しあたたかかった。
「死を見つめ続けても、死は少しもこちらを見返してはくれません。けれど、“生きている”という事実だけは、あなたが見なくても、常にあなたの中で動いている。それを放っておくのは、少しも賢くないでしょう?」
Lは、背中合わせのまま、微動だにしない。
Bは口を開けた。
「“生きることに専念する”って、簡単に言うけど──Bにとっては、それがいちばん難しい」
「はい。そうですね。私も難しいと思います──答えがないからこそ、人は生きることに迷うんじゃないでしょうか。……ですが、B。迷うというのは、間違えることとは違います。間違いを恐れて立ち止まるのではなく、“理想の生き方を探す”ことこそが、生きるということです。粘り強く、それでも歩き続ける人だけが──いつか、答えに辿り着けるんだと思います」
BはLの服をつまみ、上を向いた。
「……あなただって、いつか死ぬのに」
Lの横で呟くその言葉は、淡く、けれど確かな重みを持っていた。
Bは、かすかに笑った。
その笑いには、諦めでも皮肉でもなく、どこか澄んだ響きがあった。
「Lは、“生きることに美徳”を感じてるのか?……見える側からすると、それも滑稽だ。終わりが見えてるのに、歩き続けろって──それこそ残酷だと思わないか?L」
Lはすぐには答えなかった。
まるで、Bの言葉そのものを咀嚼するように、呼吸だけが続く。
「……残酷ですね。確かに」
返ってきた言葉はあまりにもあっさりしていた。
「けれど、B。──人間はいつしか死にます。“死”があるからこそ、“生”が輝くんです。終わりを知ってなお歩くこと、それを残酷だと言うなら──私はその残酷さを、正しさと呼びます」
瞳の奥に映る光は、冷静で、どこまでも透明だった。
「……けれど、それでも──あなたが“死にたい”と願うのなら、私は止めません」
声は淡々としているのに、奇妙な温度を孕んでいた。
「ただひとつだけ──」
Lはそこでやっと寝返りをうち、Bの目を見た。
「……私を想って死ぬのはやめてください。─────不愉快です」
「……………」
Bは何も答えられなかった。
──生と死の境界に立つ自分を、真正面から見据える瞳。
それがどれほど残酷で、どれほど覚悟のあることか、Bはようやく理解した気がした。
[newpage]
【♡】
「……L、手、貸して」
Bは無邪気な笑みを浮かべながら、Lの手首を取った。
白くて細いその指先を、わずかに震わせながら──
Bは、何も言わず、自分の膝の上へとその手を“導いた”。
ぐっと押し当てる。ゆっくり、じんわりと、熱を移すように。
Lは、動かない。けれど拒まない。
Bはそれを確認して、さらに甘く、指を滑らせる。
「……どうする?L。“触れてしまった”んだから……もう、知らないふりはできないよ」
息がかかる距離。
Bはいたずらっぽく笑いながら、Lの手を──もっと深く、自分に触れさせた。
「っ……ぁ、ん、く……」
吐息が、こぼれた。
Bの喉の奥から漏れる声は、甘く、やわらかかった。
Lの指が動くたび、びくんと身体が震える。
自分で誘ったはずなのに、制御不能に溺れていく。
「L……そんな……そこ、ばっか……っ」
苦しげに眉をひそめながらも、声はどこか嬉しそうで、唇は、堪えきれない声を隠すように震えていた。
ぐずぐずに熱を孕んだ瞳で、Lを見上げながら、Bは喉を鳴らす。
「……ふふふふふ、たのしい。Lの手、気持ちよすぎて──笑っちゃう、あは……っ、ふ、あ、ふふっ……あ、は、あぁ……♡」
その笑いは、もう“笑い声”というより、熱に浮かされた喘ぎに近かった。
呼吸と声の境目が曖昧で、途切れ途切れに震える。
「ふふ、はっ……くく……あ、ん……Lぅ……っ」
腰が逃げそうになるのを自分で押しとどめるように、BはLの手首に縋る。
「……さっき……L、“不愉快”って言ったよね……」
潤んだ目で見上げながら、Bは笑った。
「でも、Bは──たのしいんだ」
喉をかすめるような息。
その下から、蕩けるような笑いがこぼれる。
「こぉんな顔、こぉんな声……あなたの目の前で晒して……ぐちゃぐちゃにされて……」
吐息混じりの声で、BはLの手首に爪を立てる。
逃げない。むしろ、もっと深く、求めるように。
「……ねえ、L。あなたの目の前で“死ぬ”とき、きっとBはこんな気持ちなんだと思う」
びく、っと喉が鳴り、声が上ずる。
熱に浮かされた瞳が、ゆらりと揺れて、Lだけを映していた。
「っは、ん……あ……ふふ……っ、ふぁ、あぁ……♡」
快楽に呑まれながら、それでもBの意識は途切れない。
むしろ、その刹那を刻みつけるように、Lを見上げる。
「ねぇ……Lの瞳……Bの、ぜんぶが映ってる……」
こくん、と喉を鳴らしながら、声は続く。
「いたくて……くるしくて……でも……たまらなく、きもちいい……っ」
Lの腕が、そっと動いた。
そして──
ぎゅうううぅ……っ。
Bはびくん!と腰を跳ねらせ、上を向く。
「あがっ!……ふっ、ふぅ……♡」
声が漏れる。止まらない。
痛みと快楽が背骨を駆け上がり、脳まで痺れさせる。
Lの腕のなかで、Bは小刻みに震えていた。
「……っ、は、……あ……L……っ。Bは、愉しい──」
甘い吐息。
BはLの胸元で笑う。
喉をくぐらせるように、掠れる声で──
「あなたの目の前で──死んでみたい」
♥♥♥
「……ん、……」
唇に、やわらかい感触。
鼻先をくすぐる、誰かの吐息。
そして、
べロッ──
「……ッ⁉︎」
バッ!と目を開けた月は、反射的に身体を起こした。
寝起きの思考回路に、まだ現実が追いつかない。
だが──すぐ目の前には。
「おはよう、キラ」
振り返ると、Bがいた。
黒髪の男は、真顔で、だがその目だけは妙に愉しげに笑っている。
「朝のキス……のつもりだったけど」
赤い舌を、わざとらしく唇に滑らせながら。
「ちょっと夜神さんの寝顔が可愛くて──舐めたくなっちゃいました……くくくくくくくっ」
Bは布団の上を「じりっ」と押すように前に出る。
「…………」
Bの顔が、至近距離に迫った。
「……舐めてるのか、僕を」
比喩ではなく、文字通り、唇を“舐められた”のだ。
月は確信する。
これは試されているのだ──理性の限界を。
「……わかった」
月はわずかに息を吐き、次の瞬間、Bの顔を掴んで引き寄せた。
「今朝は、そういう気分なんだな?」
唇が重なる。
押し潰すように、深く。
快楽を与えるためではない。“わからせる”ためのキス。
「B、君の舌が──どうしても欲しいって言ったから、責任はとってもらうよ」
シーツが軋む音と、舌の絡む音だけが、部屋に響いていた。そしてBは、悦びながら、月に“侵食されていく”。
舌が触れた瞬間、Bは喉を震わせた。
「……っ、ふ……あ、ふふ……♡」
与えられる隙間も、呼吸の余地もなく、ただただ──ちゅるちゅると啜られていく。
「ふっ……ちゅ、……ちゅる、ちゅっ……♡」
舌先を絡め取られ、逃げ場を失ったBは、まるで蜜を吸われるように、快楽の奥でとろけていく。
「……キラ、くるしい……♡」
唇の隙間から、濡れた音が響く。
ちゅ……ちゅぱ……ちゅる……♡
舌と舌が濡れた熱で溶け合い、どちらのものか境界を失う。
月の舌は、Bのすべてを理解するように、ねっとりと、律儀に、舐めとっていく。
「逃げないんだね。……なら、まだ足りないってことだ」
囁きの直後──舌が、さらに深く差し込まれた。
「ん、ちゅ……ちゅる、ぷは……っ♡」
唇が離れた一瞬の隙を、Bは逃さなかった。
とろける目で、唾液の糸を引きながら、甘く、熱のこもった声で囁く。
「……キラ……♡」
その言葉に、月の指がぴくりと止まる。
「……僕は、キラじゃない」
低く、乾いた声だった。
けれどそれは、決して否定しきれない“何か”を滲ませていた。
Bは笑う。
濡れた唇をぺろりと舐め、舌を歯に引っ掛けながら。
「じゃあ……南空ナオミは、どうした?」
唐突な問い。
しかしその名前は、月の背筋をわずかに硬直させるのに十分だった。
「彼女は──行方不明になったままだ。会ったり……してないか?」
「し、してない」
「本当に?」
「…………」
月の瞳が揺れる。
その顔は、珍しく“読めない”。
否定も肯定もせず、ただ、俯いた。
「──あなたが殺したんでしょう?」
「…………」
月の声は、かすかに掠れていた。
罪悪感とも、恐怖とも違う、混ざり合ったもの。
「ふふ……困っちゃった?」
そのままBは身を寄せる。
そして、唇をそっと──「ちゅっ」と重ねる。
「……安心しろ、キラ。Lには、黙っててあげる──」
囁きは、吐息と混ざって耳元に落ちる。
Bの目は、笑っていた。
でもその奥には、確かな“刃”が仕込まれている。
快楽と、脅迫と、優しさが入り混じった“あの男”の──いつもの、最高に厄介なやり口だった。
そして次の瞬間、その口元を、ぐいと引き寄せて──「うるさい」そう言わんばかりに、月は、Bの唇に激しく、強気なキスを落とした。
ちゅっ、ちゅるっ、ん、ちゅぅ……♡
最初の一撃は強く、次の瞬間には、舌がぬるりと絡む。
そして、執拗に、深く、貪るように──
ちゅ、ちゅる、ちゅっ、ちゅっ……ちゅうぅ……♡♡
濡れた音が絶え間なく響く。
呼吸が混ざり、温度が混ざり、唇がぴったりと吸い付いて離れない。
「んぅ……♡ふ、ふぅ……♡ちゅ、く……んっ♡」
Bは押し返すこともせず、むしろ月の支配に蕩けていく。
口元を奪われながら、指先が月の背にまつわりつく。
月は構わず舌を滑らせ、舌先を啜り上げ、上下の唇を交互に啄むように味わう。
ちゅ……ちゅぱ……ちゅっ、ちゅぅ……♡♡♡
喉の奥まで侵入してくるような強引な舌先。
「っ、……ふ、ふぅっ……♡」
Bの吐息はもう、息とも呼べないほど浅く、月の支配に完全に溶かされていく。
「ん、ぅ、……キラ、くる……し……」
言いかけた言葉も、またちゅうっと塞がれる。
月の唇は容赦なく、啜るように、何度も何度も──
ちゅっ……ちゅ、ちゅぅぅ……ちゅる♡♡♡
そして、
Bの身体がぐらりと傾いだ。
「……っ」
月はすぐに気づき、腕をまわして支える。
支えたまま唇を離さず、さらに深く舌を絡ませる。
背中に手を添えながら、囁くように、唇を這わせて。
「……落ちるなら、僕の中で落ちろ……」
ちゅっ、ちゅぅ……♡♡
耳元まで唇が滑っていき、Bの耳たぶを甘く啄むと、またちゅっ♡と吸う。
ぐったりとしながらも、Bの手は月の服を離さない。
そのふたりのすぐ──隣に。
ずっと座っていた男がいる。
L。
スイーツ皿を片手に。
ティースプーンを口に運ぶことなく、ただ、じっと。
あまりにも自然にそこに“いた”ものだから、月もBも、気にはしていなかった。
Lは一口、スポンジケーキを口に運び、咀嚼もせずに、淡々と告げる。
「……相変わらず、感情の表現が攻撃的ですね、夜神くん」
それに対し、月はBの乱れた吐息をその肩で受け止めながら、淡々と視線だけをLに向ける。
「お前ほどじゃないよ、L」
その余裕に、Lの指先がぴくりと動く。
スプーンを皿に置く音が、静寂を切った。
そして──Lは、珍しく視線を逸らすように言った。
「……B、なぜ私より、気持ちよさそうな顔をするんですか」
その言葉には毒はない。
ただ、嫉妬と疎外感と、“ひとりだけ知らない遊びに置いていかれた”ような悔しさが滲んでいた。
Lの声に、Bはふっと笑いながら、その視線をちらりと──Lに向けた。
Lに……ただ、それだけ。
なのに──
ばっ──!
月の手が動いた。
Bの顎をぐいと掴み、そのまま唇を奪う。
ちゅっ、ちゅうぅ……ちゅるっ、ちゅっ……♡♡
甘さのかけらもない。
ただただ激しく、舌を押し込み、唇を吸い、逃げ場も、視線の余白も与えない捕食のキス。
「んっ……ふ、くぅっ♡」
Bの身体がのけぞるほど、月の唇は、“Lの存在すら忘れさせるほどの熱”で覆い尽くす。
ちゅ、ちゅっ、ちゅるるっ……ちゅっ♡
呼吸なんて二の次。
月は、執拗に唇を貪った。
ちゅっ、ちゅぅ……ちゅる♡♡
月の強引なキスの嵐に、Bの呼吸は乱れ、身体は月に預けられたまま、脚先までとろけていく。
「っふ、ふぁ……♡ キラ、すご……い……」
とろとろに蕩けた声を漏らすB。
月の唇が離れた瞬間、その吐息を吸うように、Lの影がすっと近づいた。
「……B」
囁くと同時に、Lの手がBの顎をそっと持ち上げる。
無表情のまま、何のためらいもなく──
ちゅっ……♡
Lが、Bに口づけた。
「っ……え、L……」
驚く間もなく、Lの舌が柔らかく唇を割る。
月とは違う。
でも、負けない。
ちゅ、ちゅる……ちゅっ……♡
「……さっきの顔、私にも見せてください」
息を重ねたまま、Lが淡く囁く。
Bは、ふるりと細く息を漏らした。
蕩けそうな目元でLを見上げていたその瞬間──
月の指先が、Bの服にふれる。
「……もう十分、見せつけただろ」
月はBの胸元の布を、指先で軽くつまむと──そのまま、ゆっくりと押し倒した。
ベッドに沈む、柔らかな重み。
ふわりとBの髪が広がり、その上に、月の瞳が熱を帯びて降りてくる。
「……君が、誰に可愛がられていたか──身体で、思い出させる」
Bの服の襟元に指をかけ、わずかにずらす。
露出した肌へと、唇が滑るように近づいて──
ちゅっ……♡
月のキスは、執着の印だった。
◈◈◈
Bはシーツに沈んでいた。
脚を開かされる形で、白く整えられた布団の上。
月はその上からゆっくりと覆いかぶさる。
「……おとなしくしてて」
低く落とされた声は冷静で、どこか悦びを滲ませていた。
Bの腰に添えられた手は熱を帯び、指先がまるで“命令”するように皮膚の上を滑る。
そして──ゆっくりと、深く、貫かれた。
「っ……あ、あ、ぐぅ……っ♡」
最初の一撃。
身体の奥にずん、と響く感覚に、Bの背がわずかに反る。
ぱんっ──
月の腰が打ちつけられる音。
「んっ、ふっ……キラ、っ……♡」
Bの声は、声というより、意識がこぼれていくような吐息だった。
脚を掴まれ、引き寄せられ、逃げ場のない角度で──
ぱん、ぱんっ、ぱんぱんっ……♡♡
何度も、何度も。
Bの身体に月の熱が打ち込まれ、内側がじゅくじゅくと熱く満たされていく感覚に、理性と理屈が削られていく。
「ほら……もっと声出して、B」
「っ……うぐっ……きもち……い……♡」
月はBの涙の滲んだ頬を片手で押さえつけ、そのまま腰を打ち付けながら──唇を強く塞いだ。
「っ……ふ、ん……♡ や、キラ……そこ、また……♡」
Bはベッドの上、汗ばんだ身体を晒しながら、月の指に翻弄され、その首筋──鎖骨──太腿──あちこちに、「痕」を刻まれていた。
ちゅ、ちゅうっ……ちゅる……♡
「……ここも、つけとこうか。見えない場所に──」
月は、汗の滴るBの内腿に舌を這わせ、そのままキスマをそっと吸い付けるように残す。
ちゅっ……ちゅうぅ……♡
「あぅ……♡ もう…………♡」
Bは笑いながら、月の髪をくしゃりと撫でる。
でもその瞬間──ぴたり、と音が止まった。
すぐ隣から、Lの声が落ちる。確かな“怒り”を含んで。
「……夜神くん。それ以上、跡をつけるのはやめてください」
月は、Lの方を見もせずに答える。
「見えるところにはつけてないよ」
「問題は“見える”かどうかではなく、“残る”こと、です」
そしてLは、少しだけ目を伏せて、低く続けた。
「Bは、後日、収容所に戻ります。──Lの名で一時釈放されたBに痕があれば、誰に何をされたのかと“誤解”される」
その瞬間、月はふっと笑った。
「……よく言うよ」
その声は冷たく、どこか愉しげだった。
「お前がBを抱いたとき、気絶するほどに、鳴かせてたくせに」
Lの指が、わずかに止まった。
何も答えない。
けれど、沈黙がすでに肯定と同義だった。
「違うだろ。L……僕の痕だから気に入らないんだろ?」
月は、軽く首をかしげてLに問いかける。
わかっていて、わざとやっている。
だが、Lに切り返された。
「……違います」
月が目を細めると、Lはほんの一瞬だけ、視線をBに落としてから、再び月を見た。
「……“あなたが”Bに痕を付けているのが──気に入らないんです」
「……っ、え?」
月の笑みが、ぴたりと止まった。
数秒の静寂。
けれどLは、そこで終わらせなかった。
「自分はそうやってつけて……私には、つけさせなかったくせに」
「……」
月の喉が、わずかに動いた。
「……それなのに」
Lは、Bにそっと視線を落とし、「どうして、Bにはこんなにも、甘い痕を残せるんですか」
「……ぼ、僕……?」
珍しく困惑の声を漏らした。
予期していなかった“自分への矛先”に、わずかに理性が泳いだ証だった。
「……Bにつけるのはいいのに、私がつけるのは許さない。その矛盾が、どうにも理解できません」
Lはそう言いながら、ゆっくりと這うように迫り、月の目をじっと覗き込んだ。
目線がぴたりと合う。
そして──あの、感情を読ませない黒い瞳が、はっきりと月を捕らえていた。
「Bにつけるってことは、私も……つけていいんですね、夜神くん?」
「……そ、れは、ちょっと……」
その言葉と同時に、Lの白い手が、月のシャツの襟元に指をかけた。
そして、迷いなく、首筋へと唇を落とす。
「っ……!」
柔らかく、濡れた音が響いた。
ちゅっ──ちゅう……♡
その音は、さっきまでBにしていたのと同じ。
でも、今は“夜神月に向けられた熱”だった。
「や……だ、やめろ」
首筋に押し当てられた唇の熱に、月の肩がびくりと跳ねた。
わずかに眉がひそめられる。
その表情は、快楽ではなく──明らかな“拒絶”だった。
「……お前、つけるの……下手くそだろ」
声はかすかに揺れていた。
完全な虚勢。
けれど、それがLに火を点けてしまった。
「……下手なら」
Lは低く、そして淡々と囁く。
「……こうはならないはずです」
その瞬間──
じゅうぅ……っ。
Lの唇が、月の首筋に深く強く吸いついた。
──残すつもりで。
明らかな、所有の証として。
「っ……!」
月の体が反射的に跳ねた。
次の瞬間、
ごっ──!!
鈍い音が鳴る。
Lの頭に月の拳が、振り下ろされる。
「ふ、ふざけるな……っ!」
月が、ベッドの上で身を震わせていた。
「痕残るだろ……」
すると、先程までヨガっていたBが起き上がり、月の首筋にまとわりついた。
さっきLがつけたところ、柔らかく噛んだ後、強く吸い付いた。
「……ちゅ……ん、ふふ……」
Bは唇を離すと、月の胸元に顔を寄せ、そのまま胸元に舌を這わせ、またそっと吸い付く。
ちゅっ、ちゅうぅ……♡
「……んっ……」
その声。
月の唇から、小さく、掠れるような喘ぎが漏れた。けれど、Bのキスは拒まない。むしろ、受け入れてすらいる。
──Lの目の奥で、何かが弾けた。
(……なぜBは拒まない)
さっきまでの怒りとは別種の、もっと深く、鈍く、そして感情的な“苛立ち”。
「……ちゅっ♡」
また一つ、Bの舌が月の鎖骨のくぼみに吸い付く。
濡れた音と共に、赤く滲む痕が増えていく。
月は息を浅く吐きながら、首をわずかに仰け反らせる。
「……ん、く……っ」
自分でも抑えきれない吐息が漏れる。
それを見て、Bは舌をちょろんと見せて、いたずらっぽく笑った。
「……1回は1回ですから」
そして、無邪気な声で宣言する。
「夜神さんがつけたキスマの数だけ、私が付けてあげます♡」
その声に、月はふっと目を伏せ、顔をそらした。
そして、誰にも聞かせるようにではなく、ぽつりと呟く。
「……好きにしろよ」
それは、“Bにだけ向けられる”受け入れ。
誰のものでもなく、Bだけに許された特別な甘さだった。
「……なぜ、私のキスは受け入れないんですか」
Lがそれを見逃すはずがなかった。
「夜神くん。あなたは今、Bにされるまま、甘く喘いでいる。私が同じことをしたとき──あなたは、殴りました。どういう理屈ですか?」
月は、それでもBのキスを拒まない。
くすぐったそうに、わずかに肩を震わせ、首筋に舌を這わせるB。そして、肩越しにLへ答える。
「んー……」
少し考える素振りをした後、月はあまりにも軽い声で言った。
「Bなら……可愛げがあるから、いいかなって」
「──……」
部屋の空気が、凍りついた。
月は気にも留めていない。「勝手なことを言ってる」と思われることすら承知のうえだった。
「お前には、ないだろ? “可愛げ”」
その声音には皮肉も、優しさもない。
ただ、事実としてそう述べたにすぎなかった。
「Bは……されることが、嬉しそうだし。お前は、僕を“監視”しかしてないじゃないか」
Bはその会話の間にも、唇で月の喉元をふわりと吸っていた。
「……ちゅ♡ BはLより可愛げがありますからね、たくさんつけてあげます」
Bの舌が首筋を這う中、月は余裕の笑みを浮かべていた。
「……ね? Lより素直で、可愛いだろ?」
その瞬間、月の鎖が引かれ、ぐいっと引き倒された。
「っ……L……?」
ベッドの軋む音。
上にのしかかるLの影が、冷たくも熱を帯びている。
「──それ以上、見せつけられるのは気分が悪いです」
Lは淡々とそう言った。
けれどその手は、明確な“意志”で月の腰を押さえつけていた。
「え、Lっ……」
月の声にかぶさるように、Lの指が喉元へ這い上がる。
「──躾が足りなかったですかね、夜神くん」
「ひっ……!」
ぱんっ。
鋭く音が響いた。
「っ、う……ぁ、ちょ、なに……っ」
ベッドの上、仰向けに押し倒された月の腰が跳ねる。Lの腰が、容赦なくもう一度──ぱんっ、と叩いた。
「あなたが悪いんです。何度も警告しましたよね。“気を引くためにわざとそんな目で見ないでください”と」
「そ、そんなつもりじゃ……!」
「嘘はつかないほうがいいですよ。顔が赤くなってます。──敏感なんですね」
そう言いながら、Lの手が月の太ももから内側へと這う。
ピクリと反応するその動きを、見逃さなかった。
「……っ、ちが……っ」
Lの指が、月の下腹部の上から、そっと押さえる。
「……息、止めてませんか?」
耳元で囁かれる声。
「そんなに我慢しなくていいんです。──でも、命令には従ってください。息を、吐いて。ほら……今すぐ」
「……ん、ぅ……く、はっ……」
ゆっくり吐いた月の息に合わせて、Lの腰がまた──ぱんっ、と打ちつけられた。
その音は小気味よく、だが確実に意識の芯を揺らす。
「いい子ですね。では次は、もう少し速く。数えてください」
「っ、は……?!」
「1回ごとに、ちゃんと声を出すんです。……さっきまで自分で煽っていたのですから、当然の罰です」
「そ、そんな……L 、いやだっ──」
ぱんっ!
「……数えてください。聞こえませんでした」
「っ……い、いち……っ」
「上手にできましたね。次、いきますよ?」
ぱんっ──ぱんっ!
「っ、に……さんっ……っぐ!……嫌だ、これ……」
一定のリズムで、月の奥深くまで震えが届くように、しつけるように叩いていく。
「……はやくなりますよ、ちゃんと、飛ばずについてきてください」
Lの声が、耳の奥まで染み込むように響いた。
月は肩で息をしながら、それでもLを受けて入れている。
──その時だった。
すぐそばで、小さく布が揺れる音。
Lの袖が、そっと引かれた。
「……夜神さんだけ、ずるいじゃないですか」
囁くような声。
振り返ると、そこにはBがいた。
濡れた赤い瞳で、Lの顔を真っ直ぐ見上げている。
「B……」
その表情には、どこか寂しげな色があった。
けれど、Lはその甘えに応えるように、手を伸ばした。
「──そうですね。あなたにも、平等な“ご褒美”を与えないと」
Lは、Bの両膝を開かせていた。
「気持ちくなりますから、我慢してください」
LはBの下腹部にそっと掌を添える。
温もりのある掌とは裏腹に、指先は冷たいほどに理性的だった。
皮膚を撫でるのではなく、なぞる。
ただなぞるだけなのに、Bの身体が、ひくりと反応する。
「ぁ……っ、L……」
「声が出るのが早いですよ」
Lの指が、ゆっくりと中心に向かって沈んでいく。
すぐに──濡れた音が、空気に滲んだ。
くちゅ、くちゅ、と小さく湿った響きが、ベッドルームにいやらしく響く。
「こっちの方が正直ですね、B」
「っ、んぅ、そこ……っ、や、ぁあ……」
くちゅっ、ぬちゅっ、ぬる、ぬちゅ……。
わずかな指の動きで、Bの太ももがぴくぴくと震える。
「膝、勝手に閉じようとしないでください……だめですよ、もっと開いて。──はい、いい子」
Lは、反対の手でBの膝を外へ押し広げる。
羞恥に染まったBの頬が赤くなっていくのを、冷静に見ながら──中指の腹で、敏感なところをこすり上げる。
「……んぁっ……っ♡♡っ、そこ……っ……!」
「気持ちいいですか?」
「い……いやっ、っ、あぁぁっ……!」
指先が、びくびくと跳ねる一点を執拗に責める。
リズムはゆるやかで、でも逃さず、何度でも、執拗に。
まるで、Bの反応だけを読み取って、最もいやらしい角度と圧で“快楽”を刻み込んでいくかのように。
「どんなに賢いあなたでも、“身体の反応”はごまかせませんね」
「っ、は、ぁ……L……っ、やだ……っ、また……♡」
Bはぐったりとベッドに沈みながら、Lの指先にすがるように震えていた。
指だけで──ただそれだけで、限界まで追い込まれているのに、Lはまだやめる気配を見せない。
「Bはほんとうに、手だけで気持ちよくなれるんですね。──素直で、可愛いです」
くちゅ、くちゅ……
ぬるんとした音が響くたび、Bの喉から甘い声が漏れる。
「んぅっ……っ、L……もっと、もっと、ください……っ♡♡」
「──よく言えました。では、そのまま、感じ続けていてくださいね」
そしてLは、もう片方の手を月の腰へと伸ばす。
「……さて、月くん。あなたには……手だけでは、足りませんよね?」
「っ……は、っ……っ、や、L……っ」
「だから──ちゃんと、“腰”で教えてあげます」
Lの腰が、ぴたりと月に重なる。
ぬちゅっ──、ぐっ、ぐっ……。
「っあっ……ぁ、っ、あ゛……っ♡♡」
月の声が、明らかに変わった。
Lの動きに合わせて、背筋が反る。
腰の奥深くをぐりぐりと擦られるような錯覚に、思考が削られていく。
「──どうですか? 月くん。こっちのほうが……ずっと、気持ちいいでしょう」
「く、っ……し、らないっ……そんなの……あっ♡♡ああっ♡♡」
「嘘をつかないでください。ちゃんと、認めましょう。……“Lのがいい”って」
「っ、……い、いっ……いってる、もう……っ、っ……!」
月が喘ぎ、Bがびくびくと腰を揺らす。
Lの手はBの奥をくちゅくちゅと撫でながら、腰は月の敏感な奥へとぐりぐりと押し当て──“ふたり同時”に追い詰めていく。
「……ふたりとも、壊れてしまうまで、離しませんよ?」
「……ん、んあっ……Lっ、も……っ♡♡あ゛あっ……♡」
月の声が、耐えきれずに割れる。
Lの腰が、ゆっくり、そして確実に──奥を、押し広げていくように動いていた。
最初はなぞるだけだった。
浅く、優しく、触れるだけ。
それが今は──
「……はっ、ぁっ、ん、や、Lっ、だめぇ……っ♡♡っ、んああっ♡♡♡」
ぐっ、ぐっ、ずんっ……。
沈む腰に合わせて、シーツの上で月の身体が持ち上がる。
「そんなに腰、浮かせて……気持ちいいんですね、月くん」
「っ♡♡……ば……かっ……♡♡し、らない……L、のくせに……っ、はあぁっ♡♡」
Lは意地悪に笑う。
そして──もう片方の手でBの下腹部へ、ぬるりと這わせた。
「……Bも、素直で偉いですね。そんなに締め付けて」
ぬちゅっ、ぬちゅっ、ぬるっ……くちゅっ♡♡
その音だけで、Bの足がびくびくと震える。
「んんっ……っ、や、ぁ、だめ……も、もっ……♡♡もっとぉ……っ♡♡」
「仕方ないですね……じゃあ、“強く”しますよ」
──指の動きが、変わった。
これまでよりも、ぐっと深く。
ねっとり、ぐりぐりと、なかを探るように。
「ひあっ……♡♡あ、あぁっ、Lの……ゆび……っ、きもち、いい……っ♡♡」
Bは喉を仰け反らせ、月は声にならない声を漏らし、腰を震わせる。
だがその“動き”は次第に熱を帯びていく。
──さっきまでとは明らかに違う。
だんだん、だんだんつよくなる。
「ふたりとも、もうすぐですね」
Lが腰を強く押し込む。
──ぱんっ、ぱんっ、ずんっ!
「んんぁあっ♡♡あっ、もう……っ、イくっ……♡♡」
「Lのゆびっ、気持ちいい、くる、くるっ♡♡♡」
「ふふ……じゃあ、気持ちよくなった方から──イってください」
「ふぅ……っ、く、っ……L……♡♡」
月の腰がビクッと跳ねると、とろとろに溶け、ぐったりとシーツにしがみつく。
そのとなりで、Bが膝を立てたまま、身体を震わせていた。
「……B、イケますか?」
Lはそう囁きながら、Bの頬を指でなぞる。
濡れた赤い瞳が、トロンと蕩けてLを見上げてくる。
「──っひぅ♡♡んんっ、んああああっ♡♡♡」
「……中、ぎゅっとしてます」
ぐっ……ぐりっ……
奥まで沈み、指の腹で敏感な場所をねっとりと撫でる。
「っ、あっ、ぁ、い、いや……や、やあぁぁ♡♡そこぉ、そこだめぇ……っ♡♡♡」
「ここのことですか?」
ぐりぐりっ♡♡♡
「ひゃあっ……ああぁあああっ♡♡♡っ♡♡と、とけちゃう……びぃの、なか……♡♡♡」
「溶けていいんですよ。……これは、“ご褒美”ですから」
腰の動きが、どんどん強くなる。
かき混ぜるように、探るように、そして──とどめの一点を、執拗に責め立てる。
「Lっ♡♡だめっ♡♡くる、くるっ♡♡Lのゆびで……っ♡♡♡」
「もっと聞かせてください。Bはどこがいちばん気持ちいいのか──ちゃんと、言葉で」
「っ……ふあっ♡♡んん、Lの……そこ、また……っ♡♡」
Bの身体はすでに何度も絶頂を越えていた。
それでも、Lの指は止まらない。
くちゅっ、くちゅっ、ぬちゅ、ぬりゅ……♡
「……B。まだ物足りないでしょう? ほら、力を抜いて、もっと開いて──」
「ひぅっ♡♡ん、あぁ、らめっ、見られてる、キラに、みられてっ……♡♡♡」
そう。
隣では、月が体を震わせながら、Bの手をそっと握っていた。
もう腰が立たないほど乱された月の手は、Bの指をきゅっと絡めとるように、重ねられていた。
「ふふ、B。ちゃんと感じるときは、こうして誰かにすがったほうがいい」
Lは微笑みながら、ぬるぬると、敏感な一点をぐりぐりと押し上げる。
「っ、や……んんっ♡♡……L、ああぁぁっ♡♡♡」
Bの瞳がとろんと潤んでいく。
すると月が、そっとLに視線を向けて──にやり、と笑った。
「……ずいぶん楽しそうだな、L。Bをどこまで壊せるか……試してるのか?」
挑発するように、艶のある声。
さっきまであんなに乱れていたくせに、Bの手を握ったまま、Lに微笑んだ。
「じゃあ──もっと、やってみせてよ。こいつ、どこまで壊せるか」
Lは、一瞬だけ目を細めた。
そして──
「いいでしょう。では──“証明”してみせます。あなたの目の前で」
そう言って、ぐっ……♡♡と、腰が奥へと沈み込む。
「ひゃぁああっ♡♡っ、ああっ、まって、L、やがみ、さ、いや……気持ちいいっ♡♡♡」
「大丈夫ですよ、B。私だけを感じて」
Lの腰が、さらに奥を探るように深く沈んだ瞬間──Bの身体がびくりと跳ねた。
目尻に涙を浮かべながら、Bは月のほうに縋るように顔を向ける。
そのときだった。
「……B」
月が、ゆっくりと顔を近づけ──ふるえるBの唇に、そっと口づけを落とした。
「いいよ、イッて──」
その囁きが終わるか終わらないかのうちに、Bの身体が甘く、ふるふると波打った。
Lの腰はぴたりと震えの中心を押し続けたまま、最後の導きを与える。
──そして、Bは。
まるで溶けるように、崩れ落ちた。
ぴくぴくと震えるその身体を、月がそっと抱きしめる。
涙と息の熱を頬に感じながら、月はひとことだけ囁いた。
「……かわいいよ、B」
Lの腰は静かに抜け、その場に、甘い余韻だけが残った。
[newpage]
3日後──
朝からずっと妙な胸騒ぎがしていた。
捜査本部には張り詰めたような空気。
ただひとつ、確かなのは──
──Bが、いない。
そう、あの“B”が、今日は姿を見せていないのだ。
あれだけ四六時中、鎖の先にいた存在。
僕の左手と、強制的に友情ごっこをしていた存在。
食べ物をこぼす、独り言がうるさい、意味不明な笑い声。
──その迷惑のかたまりが、今日に限って、いない。
しかも、手錠まで外されて。
「……あいつ、どこ行ったんだ?」
と、僕が当然の疑問を口にすると、Lはキーボードを打ちながら、あっさりと答えた。
「外しました。Bの希望です。……今日は来ないと思います」
「……許可、したのか」
「ええ。私の判断で」
その言い方がまた、なんというか──全責任を負う気ゼロである。
「……何かあるのか?」
僕の問いかけに、Lは何も言わなかった。
──答えない。
言葉を濁すのではなく、そもそも出さない。
その沈黙は、“Lが一線を引いた”ことの証明でもあった。
だから、僕はそれ以上、問いただすことはしなかった。
そんな中──ウエディとアイバーが、やって来る。
時間通り。
期待通り。
いや、Lの“予定通り”。
Lに雇われた“あの二人”──つまり、Lが言っていた“ある二人”だ。
(……このタイミングで、Bがいないのは偶然か?)
そんな思いが、月の胸をかすめる。
──いや、偶然じゃないだろう。
わざとだ。
Lが許可したのも、Bが席を外したのも、全部、意味がある。
けれど、分かっていた。“その意味”に触れる資格なんて、僕には無いことを──
✧✧✧
モニターには、スーツに身を包んだ7人。
その中には、火口卿介の姿もある。
「……始まったな」
月が小さく呟く。
隣で、Lは目を細めたまま、何も言わなかった。
ただ、Bのいない椅子にちらりと視線を落とす。
Lはパソコンを開き、キーボードを打つ。
〈ワタリ。Bはそちらにいますか〉
送信。
数秒の間。
すぐに返信が帰ってきた。
〈います〉
Lは短く息を吐き、ほっとしたように肩を落とす。
(やはりそこにいたか……──しかし、よくもまあ、ワタリの部屋を見つけ出したものだ……)
Lはパソコンに文字を打つ。
〈彼が勝手な行動を取らないように、見張っていてください〉
もう一通、メッセージを送る。
今度は──すぐに返事がこない。
Lは数秒ほど画面を見つめ、それから目線を落とす。
(席を外しているのか?)
独り言のように呟く声。
そのときだった。
ドアが開く音。
足音。
「竜崎、今戻った」
夜神総一郎。
続いて、松田と模木。
紙束と資料を抱えて帰ってくる。
Lはすぐに姿勢を戻し、モニターの光を顔に浴びせた。
「おかえりなさい、夜神さん。松田さん、模木さん」
竜崎こと、Lは椅子に座ったまま、相変わらずの姿勢で小さく会釈した。
総一郎が眼鏡の奥からじっとモニターを見つめ、重い声で問う。
「様子はどうだ、竜崎」
Lはモニターから視線を外さず、淡々と答えた。
「……今、映っている七人の中に“新たなキラ”がいます。確率としては非常に高いです」
その一言に、松田と模木が息を呑む。
総一郎の表情もわずかに緊張を帯びた。
Lは手元のキーボードを軽く叩き、映像を切り替える。
ヨツバグループの重役たちが円卓を囲み、どこか異様な沈黙を共有している。
「会議は定期的に行われ、表向き“新商品の企画会議”ですが、実際には“キラによる殺しの会議”を行っています。この七人の中の誰かが“キラの力”を利用して会社の利益を得ている。……しかし、“誰が”キラかまでは、まだ確定していません」
無駄に整ったスーツと、7人。
その場の空気は、利益の臭いと血の匂いが混ざったように重い。
《では本題に入る。誰を殺すか》
「!…………」
《広告代理店・メディア関係者で、ヨツバのイメージを損ねる発言をした者。──株価を下げる発言をしたという理由で事故死》
《異議なし》
《異議なし》
次々と、同じ言葉が返ってくる。
まるで“人の命”ではなく、“不要な書類”でも処理しているかのように。
《内部告発を示唆した社員および元社員については?》
《……“会社の秘密を外部に漏らす可能性のある”よって病死》
《異議なし》
《異議なし》
モニター越しに映る男たちの表情──そのどれもが、恐ろしいほど“平常”だった。
「……こ、こんな、簡単に……!」
総一郎が低く呟く。
《次のターゲットは……“広告代理店 小倉朔間”。脳卒中でどうだ?》
《異議なし》
《異議なし》
たったそれだけの言葉で、一人の“死”が確約されていく。
「……このまま、“殺し”の過程を監視し続けることで、いずれ“キラの決定的証拠”が得られます」
Lの冷たい意見に、場の空気をざわつかせた。
「……竜崎」
総一郎が低く呼ぶ。
その声の奥に怒りがあった。
「……“人が殺される”と分かっていながら、見届けるつもりか?」
Lはゆっくりと首を縦に振った。
「ええ。中途半端な介入では、キラは尻尾を切って逃げるだけです」
「でも──」
今度は月が口を開いた。
「殺されると分かっていて、その人を助けられる可能性があるのに、“捜査のため”に黙って見過ごすなんて──正しいと思えない」
「正しくはないでしょうね」
月は息を飲む。
「しかし、“正しい”ことと、“勝てる”ことは一致しません。キラを捕まえるためには、“犠牲”も必要です」
総一郎が唇を噛んだ。
Lの言っていることがあまりにも冷たく現実的で──だが、どうしても納得はできない。
「……殺される人間が、無抵抗のまま死んでいくのを見届ける。それが“キラ逮捕”の代償だと言うのか?」
Lは、一瞬だけ目を閉じた。
そして──静かに言った。
「その“犠牲”を本当に正当化できるかどうかは、すべてキラを捕らえた“その後”でしか分かりません」
「……………」
一方その頃──
Bは、ワタリの部屋にいた。
照明は落とされ、モニターの光だけが空間を照らしている。
捜査本部から送られてくる会議映像。それを、Bは無言で見つめていた。
その横で、ワタリが口を開いた。
「……あなたなら、どうしますか、B」
Bは、画面に映るヨツバの重役たちから目を逸らさず、ぽつりと答える。
「──Lの考え方は最も合理的だあ。証拠が出るまで“引く”のは理にはかなってる」
机の上には、ワタリが用意した菓子類。
どれも開封済み。
というより、解体済み。
ポッキーはチョコを全部舐め取られ、棒だけが残されている。マシュマロも中心部だけ舐め取られており、外側の白い皮は食べずに放置。グミは何故か赤いの以外残している。
「──しかし、見守るだけでキラが捕まえられるのかなあ」
画面には、ヨツバの会議が続いていた。
殺しが“業務決定”のように処理される異常な会議。
この監視映像があればすぐに逮捕に踏み切れるが……Lならそれを見届け、“キラの殺しの仕方”を見るまで動かない。それが、“Lのやり口”だろう。
「見てるだけじゃ、キラは捕まえられない。──そう思わない? “ワイミーさん”」
お菓子の甘さとは裏腹に、Bの中には、すでに攻める覚悟が出来上がっていた。
Bは椅子の背にもたれ、イチゴジャムの瓶を片手に持ち上げる。
指先でイチゴジャムをすくいとると、それを見て、舐めるでもなく、ただ赤に惚れ込んだように見つめる。
Bは、椅子の背にもたれながら、ふと尋ねた。
「──Lを初めて見た日のこと、覚えてる?」
ワタリは視線を上げる。
「もちろん、覚えていますとも」
「Bも覚えてる。ワイミーさんが、やたらと緊張して連れてきた子ども。まるで“爆弾”でも持って帰ってきた顔してた、ははははは……──実際、爆弾みたいなものだったけれど」
Bは指先についたイチゴジャムを舐めとった。
「入って数十分で事件は起こった」
「事件?」
「そう、でも、あの時、ワイミーさん席外してたから知らないのか」
Bは瓶をずずずっと飲みながら、続ける。
「Lが施設に来てすぐ──“新入り可愛がってやる”って言って殴りかかったんだ」
「……ああ、そんなことも、ありましたね」
ワタリにとっては苦い思い出なのか、困ったように苦笑いをした。
「Lは無言で蹴り返した。顎に。しかも一発で。更に他の二人を同時に襲いかかって──あれは興奮した。Aと上のロフトから見てたけど、二人で大笑いだ」
ワタリは困ったように肩を落とした。
「見ていたのなら止めてくださいよ」
「止める? あれを? まさか。あんなおもしろいの止めるわけないだろ。Aなんてあいつらにいじめられてたから清々したんじゃないか?」
「まったく……」
「はははははは……」
ワタリがため息をついた。
「あのあと、大変だったんですよ」
Bが首を傾げる。
「大変?」
「鼻を折られて保健室行きですし、床には血の跡がついてみんなパニックで……男の子は大笑いしてましたけど、女の子は泣き出しますし、掃除用具を取りに行った職員が、血を見て“何事ですか!”って叫ばれ、結局、私が夜中まで説教と後片付けで走り回る羽目になったんです」
「それは、ご苦労さまでした」
Bは肩をすくめ、イチゴジャムをもうひとすくい。
手のひらにとろりと落とし、べろぉっと舐め回した。
ワタリは少し間を置いて言った。
「……あの事件のせいで、Lはしばらく友達ができませんでしたからね」
Bは指先のジャムを見つめながら笑う。
「そうだろうね。あの蹴りを見たら、誰だって距離を置く」
「ええ。誰も彼に話しかけなくなって。あの子はいつも一人でした」
Bは目を細めた。
「覚えてる。Lが独占してるおもちゃを取りに行く時はいつもジャンケンで決めてたくらいだ」
ワタリが驚いたように目を上げる。
「そんなことを?」
「そう。負けたやつが行く。完全に罰ゲームだ」
Bはくくっと笑い、肩を揺らした。
「でも、負けた子が“おはよう”って声かけると、Lはちゃんと“おはようございます”って返してたらしい……でも、おもちゃは貸してくれなかった」
ワタリも、ふっと笑った。
「そうでしたね。あの子は興味のあるものにしか手を出しませんから」
「……Lらしいよ」
Bはイチゴジャムの瓶を指で転がしながら、モニターに目をやる。
画面の向こうでは、ヨツバの会議が続いている。Bの目には、遠い過去と同じ“孤立”の輪郭が重なって見えていた。
ワタリはしばし沈黙したあと、穏やかな声で言った。
「それでも、あの子は──誰よりも人を救ってきましたよ」
ワタリは手元のカップを置き、少し遠い目をした。
「──Lが初めて“世界を救った”事件を知っていますか?」
Bが、イチゴジャムを指ですくったまま、視線だけで応じた。
「知らない……」
「──では、聞きたいですか?」
ワタリの穏やかな声に、Bの動きが止まり、目を見開く。
しばし沈黙。
イチゴジャムの赤が、モニターの光を反射して、妙に血のように見えた。
「……なに、その誘い文句」
Bは笑いを押し殺したように唇を歪めた。
「聞きたいに決まってるじゃないか」
ワタリの口元がわずかに緩む。
「では──語りましょう」
[newpage]
Bは目線を真っ直ぐ見据えた。
「Lよりも早く、“キラ”を捕まえてみせる」
Bの宣言。
あの事件を作った時と同じ目の輝き。
ワタリが息を吸った。
咎める言葉を探すように、唇が動く。
だが、言葉は出ない。
Bはすでに、ワタリの携帯を勝手に取り出していた。
「何を?」
──逆探知できない特殊仕様の携帯。
「Lには悪いけど、勝手に動かせてもらう」
Bは軽く笑った。
「大丈夫。失敗はしない。Lを超えるんだから。手を抜いたら、勝てない」
ワタリはモニターから目を逸らさないまま、小さく首を振った。
「あなたは……昔から変わりませんね、B」
「変わらないのは悪いこと?」
「いいえ。ただ──誰に似たのか、考えていました」
Bは笑う。
「育てたのは、ワイミーさんだ。あなたも、少しは見てみたいでしょ。“Lを超える子ども”を」
ワタリは目を細めた。
表情は穏やかで、どこか懐かしさが滲んでいた。
捜査本部。
ヨツバの会議映像を見つめていた月が、ぽつりと呟いた。
「……竜崎。仮にこの七人の中にキラが本当にいるとして──」
Lが横目で彼を見た。
月の瞳には、はっきりと“策”の光が宿っている。
「そいつに当たる可能性は“7分の1”と見ていいのか?」
Lは間髪入れず、首を横に振った。
「私は“少なくとも7分の2”と考えています。……“共犯”の可能性も含めて」
月は小さく頷いた。
そして、モニターを見つめたまま口角をわずかに上げる。
「……どうせ捜査の手が伸びていると知られる“覚悟”なら──その7分の2に、賭けてみよう」
松田が戸惑ったように首を傾げる。
「賭けるって、なにを……?」
月は答えた。
「殺しの会議を遅らせるんだ」
月はLの方を振り返り、はっきりと言った。
「Lの名を、借りるぞ。竜崎」
Lはしばし沈黙した。
その言葉の裏にある意味──“Lの威光を利用する”ということ──を、完全に理解していた。
それでも、反対はしなかった。
月は逆探知も盗聴もできない特殊回線の携帯電話を手に取り、奈南川に電話をかけた。
ワンコール、ツーコール。
やがて、受話器の向こうから低く控えめな声が返る。
〈……はい〉
月の声は、端的かつ落ち着いていた。
「ヨツバグループ 第一営業部 部長、奈南川零司さんですね?──」
〈ああ。そうだが?〉
その時──突然。
数秒遅れで“火口卿介の携帯も鳴った”。
「っ……!」
Lが即座に反応した。
その目が、瞬時に火口の手元へと跳ねる。
「……今、火口にも着信がありました」
(このタイミングで?偶然か?)
それを横目に、月は淡々と奈南川に話しかけた。
「適当に相槌を打って聞いてください。私は──」
『──キラです』
不意打ちのように。
火口の鼓膜を打つ。
火口卿介の手元の携帯。
その画面に表示された電話番号には、登録も発信元情報も存在しない。非通知。
火口は、まるで雷に打たれたかのように凍りついた。
手が震え、額からは滝のように汗が噴き出している。
『……火口卿介さん、ですね』
その声は、落ち着きすぎていた。
『あなたが“キラ”であることは、一目瞭然です』
「い、イタズラか……?」
小声で誰にも聞こえないように呟いた。
『いいえ? イタズラではありませんよ。──私は“目”を持ってますから』
その瞬間、火口の顔から色が引いた。
椅子がガタッと鳴る。
彼は、机に置かれた資料をひったくるように掴むと、慌ただしく立ち上がった。
「……ちょっと、電話が来てまして、失礼」
会議室の空気が一瞬だけざわめくが、他の役員たちは深く追及しない。
火口は上擦った声を隠すように、早足で会議室を出ていった。
──その様子を、捜査本部のモニター越しにLがじっと見ていた。
「……不自然ですね」
火口の突然の離席。
それに、携帯を強く握るその手の震え。
「夜神さん」
Lは低く、夜神総一郎に声をかけた。
「火口の電話回線、逆探知は可能でしょうか?」
総一郎は端末に手を伸ばす。
「時間との勝負になるが、やってみよう。盗聴器の設置履歴があれば、そこから回線を追えるかもしれない」
「お願いします」
──非常階段を降りながら、火口は携帯を耳に当てたまま、息を荒げていた。
『……落ち着いてください。火口さん』
「だ、誰なんだお前……!」
『ああ、声が聞き取りづらいですか? すみません、少し音声を変えているもので』
発音の隅々に“人間味の薄さ”が滲んでいる。
『このままでは危険です。その部屋には、盗聴器と監視カメラが死角なく配置されています。──今すぐ、そのビルから出てください』
「は? 何を言って──」
『信じなくても結構です。でも、信じた方が身のためですよ』
火口の額に冷や汗が伝う。
声の主は、まるで内部構造を熟知しているかのように、階段の数や監視カメラの角度まで言い当てた。
『今あなたは裏口の階段を降りてますね?三段下の踊り場にカメラがあります。右を向かないでください』
火口の動きが止まる。呼吸が浅くなっていく。
『……私はそうですね。“第2のキラ”とでも言うべきでしょうか』
「……何っ!?」
火口の足が止まり、ワナワナと震える。
『ええ。あなたのように“キラの力を持っているわけではありません”が──“顔と名前が必要”ってことくらいは分かります』
火口の脳内で、思考がぐるぐると渦を巻く。
(──どうなっている?第2のキラはもういないんじゃないのか。いや、それよりもこいつ、なぜ俺がキラだと分かった?まさか、Lか?)
『どうして私が、あなたをキラだと思ったのか──お話ししてもいいですか?』
その声は、まるで授業を始めるような、穏やかな口調だった。
火口は、無意識に喉を鳴らした。
「な、なんだよ……」
『後ろに、見えるんですよ』
「……何が?」
『死神が』
その瞬間、火口の全身が凍りついた。
反射的に後ろを振り返りそうになり、足をもつれさせる。
階段の手すりを掴んで、肩で息をする。
『止まってください。振り返らない方がいい』
Bの声はあくまで優しかった。
だが、その“優しさ”が、異様だった。
まるで、火口の恐怖を“見ている”。
「な、なんでお前──見えてるんだ……?」
声が震える。階段に響いた反響が、自分のものとは思えなかった。
電話の向こうが、一拍だけ静まる。
ノイズの奥で、くすりと笑う音がした。
『おや……やはり“いた”んですか?』
と、穏やかに言った。
──しまった!
火口の思考が、その一言で完全に凍った。
「……っ!」
“鎌をかけられた”と気づくより早く、心臓が跳ねる。
Bは息を吐いた。
(死神の存在は──“キラの力を持つ者にしか見えない”と思っていたが──“この目には見えている”。この目を持つものなら、誰でも死神が見えるのか?となると、ますますこの目は死神と繋がっていることになる──)
『……なるほど、理解しました。ありがとうございます、火口さん、では──』
──捜査本部では、Lの目がモニター越しの火口の挙動を、隅々まで見ていた。
その様子を注視していたLの隣で、夜神月は別の戦場にいた。
〈……もし、あなたが“キラ”、もしくは“キラと直接交渉できる人間”であるのなら──〉
奈南川は、息を詰めて聞いている。
月は、言葉を正確に刻むように続けた。
〈“取引”しましょう〉
『取引しましょう』
唐突に、穏やかで、しかし逃げ場を塞ぐような声音が耳を打った。
『キラはLを殺したい。そうですよね?』
火口の喉が、無意識に「ああ」と震えた。否定できるわけがない。
Bの声はまるで、それを“待っていた”ように弾んだ。
『では、こうしましょう。私はLに接近することに成功しましたから、私がLを裁きましょう。ええ、すぐそばまで接近しました。この目で見たんです。Lの“顔”と……“本名”を』
「な、に……?」
『ですから、あなたの“力”を、私にください。キラの力を分けていただければ、私がLを──“裁きます”』
Bの隣にいるワタリが、無言のまま、その手首をそっと掴んだ。
優しげに見える仕草──だが、その目は困惑していた。あらゆる感情を殺し、ただ一点、“制止”の意志だけを宿している。
Bはわずかに目を伏せ、指先を止めた。
通話越しの火口の息遣いが、遠くで揺れている。
「……ワイミーさん、殺すわけないだろう、“脅し”だ」
ワタリはその言葉を聞くと、ほっと胸を撫で下ろし、Lに目を向けた。
──捜査本部。
夜神月は研ぎ澄まされた声で奈南川に語りかけていた。
〈……私の目的は、“キラとの一騎打ち”です〉
月は間をあけず、核心を突いた。
〈いいですか──Lがキラに勝てば、あなた方は無罪。一方、キラがLに勝てば──あなた方は、そのまま裕福な人生〉
奈南川の眉がひくつく。
〈どちらが勝っても、あなた方に“損”はない。あなたの損は……“今、捕まってしまうこと”です〉
その言葉は、鋭利な選択肢を突きつけた。
黙って協力するか。今すぐ“罪”にされるか。
──火口はビルの外へ飛び出した。
夜気が肺を刺す。汗で濡れたシャツが、冷たい風に張りつく。
『私の目的は、“Lを殺害すること”です』
空気が一瞬、張り詰める。
火口の目が大きく見開かれる。
『キラがLに勝てば、我々はやりたい放題。誰にも止められない。しかし、Lが勝てば……私達は“死刑”です』
「だったら! お前が殺せばいいだろう!!」
唇を舐め、汗をぬぐいながら、火口は怒鳴るように吐き捨てた。
「……第2のキラなら、自分で殺せ」
荒い息の合間に吐き捨てる。
電話の向こうで、Bが少し笑った。
『ええ、そうしたいのは山々なんですが──』
声がやけに柔らかく、“困ったふり”をしているようだった。
『あいにく、私は“キラの力”を持っていないんですよ』
「はあ……?」
火口の足が止まる。思考がうまく回らない。
(キラの力を持たない? じゃあ──“目の取引”はどうやってしたんだ。そもそもなぜレムが見えている?まさか、このノートの“元所有者か”!?)
脳のどこかで“理解”が形になる前に、Bの声が追い打ちをかけた。
『……だから、欲しいんですよ』
Bの声は、風のように穏やかだった。
『“キラの力”が』
言葉の端が、笑っている。
火口は、喉を掻きむしるように息を吸った。
「な、なにを言って──」
『もし、渡してくれないのなら……どうしましょうね』
電話越しに、くすり、と微笑の音。
『さっきの殺しの会議の映像、Lに売ります。そうすれば、あなた方は“即逮捕”。あるいは、そうですね……』
Bは一拍おいて、わざとらしく息を吐いた。
『私が、今ここで“殺し”てもいい』
「っ……!」
火口の心臓が跳ねた。
脳が警報を鳴らす。背筋を、氷の刃が這い上がり、火口は額に汗を滲ませながら、思考を巡らせた。
(こいつ……キラの力は無いといいながら、すぐに殺せるような発言──しかも、第2のキラを名乗っている──脅しか。イタズラか)
火口は荒い息を吐いた。
「……ハッ。脅しか。バレバレだ」
怒りと恐怖が混じって、声が裏返る。
「お前の話、矛盾してるんだよ!俺は──キラなんかじゃない!」
電話の向こうで、Bは一瞬だけ黙った。
沈黙。
その沈黙が、逆に“笑っている”ようだった。
『……そうですか』
Bの声が、わずかに拗ねたように落ちる。
『死神が見えてるのに──キラじゃないなど随分、強がりますね』
火口の喉が、ひくりと鳴った。
(……こいつはどこまで本気なんだ……)
『いいでしょう、火口さん。では──』
Bはさらりと調子を戻した。
『あの会議の様子をLに売ります。ええ、きっと喜びますよ──“ヨツバの中にキラがいた”と』
「ま、待て!」
『……もしくは、です』
Bの声が、すっと低くなる。
『直接交渉しましょう。午後一時。ヨツバ本社の地下駐車場に来てください。“キラの力”を、直接私に渡すなら──あなたのことは見逃します』
(見逃す?……どこまで信用していいのかわからないが、レムが見えているということは放っておくわけにはいかない……何か手は──)
「……わかった」
火口はとうとう折れた。声は乾いて、喉の奥で軋んでいた。
電話の向こうで、Bが嬉しそうに小さく笑う。
『ああ、良かった。やっと話が早い方にいきましたね』
その声音は、まるで旧友と再会した少年のように軽い。
『では──明日。午後一時。ヨツバ本社の地下駐車場。あなたの車の中で結構です。“キラの力”の受け渡しをしましょう』
火口が息を呑む間もなく、Bはさらりと続けた。
『ああ、安心してください。あなたが来なければ、私が“Lに全てを報告する”だけです。来るか、捕まるか──好きな方を選んでください』
通話がぷつりと切れた。
静寂。
耳の奥には、まだBの声が残響のようにこびりついている。
火口はその場に立ち尽くしたまま、凍える風の中で呟いた。
「……最悪だ……」
──ピッ。
音の余韻だけが残り、世界が一瞬だけ静寂に包まれる。
Bは飴玉を口に含んだまま、真っ直ぐ前を見据えていた。
その瞳に揺れはない。
狙い定めた獲物の心臓を、寸分の狂いもなく貫くような視線。
そして、ワタリの方へ身体を向ける。
「……ワイミーさん」
ワタリは、席に座ったまま視線をあげた。
「……はい」
Bは、ほんのわずか笑った。
だが、その笑みには温かさが欠片もなかった。
「もし──Lよりも先に、“キラの力”を私が手に入れたなら」
言葉がひとつずつ、鋭く空間を切っていく。
「その時は……“Lの名前”をください」
Bは、真っすぐにワタリを見たままだった。
その瞳は、まるで何かを“試している”ようでもあり、一方で、それだけが自分の存在意義だとでも言いたげだった。
飴玉が舌の上でゆっくりと溶けていくように、言葉がまた落ちた。
「……なんとしてでも、Lを超える。──私が、Beyond Birthdayである限り──」
Bは、背を向けたまま、立ち止まって声をかけた。
「それと、ワイミーさん。……FBI捜査官を、ひとりつけてほしい」
ワタリは小さく目を細めた。
「FBI?」
「ええ」
このタイミングでFBIの意味が分からないが、ワタリは首を傾げて問う。
「手配に2日ほどかかりますが……」
「構わない」
「誰がいいですか?」
「誰でもいい。……しいて言うのなら、“運転が上手い人”がいい、かなあ」
[newpage]
【♡】
捜査本部の照明が落ち、残光が壁に淡く残る。
Lは廊下の奥、誰も使っていないはずの扉の前で立ち止まった。
──ここにいる。
そう確信して、何のためらいもなく一見“何も無い壁”を押す。
「……L?」
秘密部屋の中、Bがこちらを振り返る。
白いシャツの袖口に、紅茶の香りがほのかに混じる。
Lは扉を閉めながら、Bに近づいた。
「どうやって、ここに入ったんですか」
問いの響きには、怒りでも警戒でもない。
夜の湿気を含んだ、やわらかい声。
床の音を消すように、裸足のままBの方に寄る。
Lの指先が、その髪に触れた。
淡く冷たい指が、黒い髪を撫で上げる。
「……あなたは、いつもそうですね。私の知らない場所に、先にいる」
「まあ」
短く、Bはつぶやいた。
Lが問いの続きを探すより早く、Bの手がそっと動いた。
裾を掴む。
その細い指先に、ほんのわずか震え。
「L」
その名を呼ぶ声が、やけに色っぽくて。
Lの胸元に額を押しつけるようにして、Bは小さく笑った。
「見つけてくれると思ってましたよ」
Lは少しだけ肩の力を抜いた。
まるで、触れてはいけないものに触れてしまったかのように、指先が宙を彷徨う。
それでも──そっと、その背中に手を回した。
Bは息を吐いた。
小さく、熱を含んだ吐息。
Lの白いシャツに頬をすり寄せながら、声にならない言葉を零す。
「……ここ、静かでいい」
Lは黙ったまま、Bの髪に指を埋めた。
少し絡まった黒髪をなぞるたび、肌の奥に微かな熱が灯る。
「静かすぎますよ」
やわらかく応じながらも、Lの視線はどこか迷っていた。
それは部屋の薄闇のせいなのか、それとも──B自身が、掴みどころがないからか。
Bが少しだけ、顔を上げた。
その距離が近すぎる。
まつ毛とまつ毛が、触れてしまいそうなほど。
「……L」
呼ばれるたび、名前が熱を帯びていく。
「なぜ、あなたはいつも……そうやって」
言葉を紡ごうとした瞬間、Bの唇が、Lのそれを塞いだ。
ちゅ、
最初の音は、おどろくほど優しく、短く、柔らかくて──
それなのに、Lの背筋に走る衝撃は鋭い。
「……L、怒りますか?」
口元をわずかに濡らしたまま、Bが笑う。
「怒る理由があるなら、教えてください」
再び、Bが身体を寄せた。
Lは、逃げなかった。
二度目のキスは、明らかに長くて、やわらかく、深く──とろ、とろ、と溶けていくような感触。
Lの睫毛がわずかに震える。
ぴちゃ、と舌が水音を立て、濡れた息がBの喉元に絡みつく。
「……ん、ふ……」
押し返さないどころか、Lの指先が、Bのシャツの裾をきゅっと掴む。
──衝動は、抑えられなかった。
Lが、息を吐くと同時に、ぐいとBの肩を押し、壁際へと追い詰めた。
「……L?」
不思議そうに瞬いたBの唇を、またすぐに奪う。
ちゅっ、ちゅぷっ、じゅる、と、湿った音が交錯する。
「ん、ふっ……ぁ、ちょっと……」
壁に背中を押しつけられたBの喉から、甘やかな呻きが漏れる。
Lの指が頬に添えられ、顎を固定されるように傾けられた。逃げられない角度で、深く、深く舌を絡めとられる。
「L……そんな……ちゅっ、激しい……ん、ふっ♡」
Bの長い睫毛が震える。あれほど無表情だったLの顔が、眼差しもいつになく鋭い。
Lは低く囁く。
「あなたが──あんな風に、笑うから」
もう一度、唇が塞がれる。
先ほどまでの柔らかさは影を潜め、次第に荒く、濃密に変わっていく。
Lの舌がBの奥を這うたび、Bの脚がぴくりと揺れる。
「ちゅ、ぁっ……L、んっ……や、ちょっと……」
Bの声が、とろけていく。
それでもLは容赦しない。
「んっ……ふ、あ……っ♡」
ずる、と腰が落ちかけた瞬間──
ガッ、とLの腕がBの腰を強く支え、壁際へと押しつける。
その手には、感情が宿っている。冷静なはずのLにしては、異常なほど強く。
「……大丈夫ですか?」
低く囁くその声が、Bの耳奥にぬるりと侵入する。
そしてすぐに、
唇が襲う。激しく。深く。飢えるように。
ちゅぷ……じゅる、ぢゅっ……♡
濡れた音が響くたびに、Bの背中が跳ねる。
「んっ……んちゅ、は……っ、L……♡」
舌が引き抜かれるたび、喉の奥からくぐもった喘ぎが漏れる。
額を壁に預けながら、口元を緩めて──どこか苦しそうに。けれど、明らかに悦んで。
Lの唇がそっと離れる。
唾液で濡れた糸が、唇と唇のあいだにひとすじ垂れた。
そしてそのまま──Bのシャツの裾へと手が伸びる。
するり。
指先が、シャツの中へ。
下から這い上がるように、細く冷たい掌が肌をなぞる。
腹部の下縁、肋骨の稜線、息が跳ねるその位置まで。
Bはピクリと背を逸らし、ひくりと笑う。
「……L」
Lの指は止まらない。
触れているのに、感情はまるで込められていないようでいて──その不自然な冷たさが、逆に熱を帯びる。
「今日……ワイミーさんに、会ってました」
Bが、唐突に言った。
「まさか、ワタリがワイミーさんだったとは思わなかった……。Lの話を色々聞かせてもらいましたが……」
Lの動きが、一瞬だけ止まる。
指が、Bの肋骨のあたりでピタリと固まった。
「あなたが……どれだけ、強くて、優しくて、綺麗な人かって思い知らされた」
Bの瞳が、ゆっくりとLを見上げる。
とろけたままの目つきで、でもその奥に、明らかな“仕掛け”があった。
「……余計なことは、訊かないでください」
Lは低く告げた。
Bは、それでも笑う。その瞬間──Lは不意に腰を低く落とした。
「──え?」
Bの体がふわりと浮かぶ。
気づけば、Lの両腕に抱えられていた。
片方の腕は膝裏に、もう片方は背中に。
ぐっと密着した胸元に、Bの頬が触れる。
「ちょっと……L?」
「立てないでしょう、あなたは」
低く淡々とした口調のまま、Lは足音を立てずに部屋の奥へと歩いていく。
その歩みのあいまにも、指先が動いた。
裾から滑り込んだ指が、腹の奥、みぞおちをくすぐるように撫でる。
それはBを支える以上に、意図的な愛撫だった。
「……ん、んふっ……ずるい……」
Lの胸元に顔を埋めると、Lの甘い匂い。
一気に吸い込んだその途端──がくんっ、と身体が震えた。
「あ、あ──っ……!」
唐突に反応したBの身体を、Lは片腕だけで巧みに支えたまま、もう片方の手の動きは止めない。
「……暴れると、落ちますよ」
いつもの無機質な声。けれど、耳元でささやかれるだけで、肌がびり、と震える。
「ん、ふぅ……っ、ぁ、ぁ……Lっ……」
Bはくすぐったそうに、でも気持ちよさそうにヨガる。
Lは淡々とした目でBの顔色をうかがい、しかし手の動きはわずかに速度を増した。指先で描かれる螺旋が、Bの神経を焼くように撫で回す。
「ふ……ぅんっ……っ、や、だって……それ……っ」
ベッドの縁に着くと、LはそっとBを降ろす。
だが、BはそのままLの首に回した腕は離さず、熱い目でLを見つめる。
「……なにを、話していたんですか」
もう一方の手が、Bの太ももをなぞるように沿って──腰を、沈ませた。
Bは一拍だけ黙ったあと、小さく笑う。
「うん、Lの昔の話を、少し。ワイミーさんがね、教えてくれたんですよ」
Lのまつ毛がわずかに揺れる。
「あなたが……おやつを盗み食いした話を聞いて──」
「……それは」
LはBの上に体を預けるようにして、自分の頬をBの肩口に押しつけた。それは、本当に小さな照れ隠しだった。
「……恥ずかしいので、聞かないでください」
「L、可愛い」
そう囁かれた瞬間、Lの耳がぴくりと動く。
Bの指がそっと髪に触れただけで、Lの表情がほんの少し、揺らぐのがわかる。
「……まったく、Bは──そんなに私のことが好きですか?」
少しだけ肩をすくめて、LがBの胸の上で身じろぎした。
頬が触れ合っていた距離がわずかに離れたかと思うと──Lは、自分の髪を、ゆっくりと指でかきあげた。
しっとりと濡れた黒髪が、白い額と漆黒の瞳を露わにする。
それだけの仕草なのに、Bの心臓がドクン、と跳ねた。
「……あ」
目を逸らしそうになるが、逸らせなかった。
どこか整ったその輪郭、伏せた睫毛、そして──名前と寿命。
「……顔、赤いですよ」
囁く声が、やけに近い。
細い指が、Bの頬にかかっていた前髪をそっと払った。そのまま、耳の横にかけて、視線をまっすぐ重ねる。
Bはふっと笑った。
目を細めて、わずかに首を傾けながら。
「……だって、Lが大好きですから」
反応を返す前に、Bは両腕をそっとLの首に回して引き寄せた。
Lの睫毛がふるりと揺れる。
引き寄せられた距離のまま、Lはわずかに身体を傾け、Bの耳元へ──そっと、唇を寄せた。
「……ちなみに、私もあなたの恥ずかしいエピソードを知っていますよ」
低く、微かな吐息が耳殻を撫でた瞬間、Bの背筋がぴくりと跳ねる。
「……なに?」
あくまで平静を装った声。
けれど口元はにやにやと笑っていて、“何を言われても動じないつもり”が滲んでいる。
Lは構わず、さらに声を落とした。
「……あなたがロサンゼルスで警察に送りつけたクロスワードパズル、ありますよね?」
「……ああ。あれか」
それは彼にとって、“自信作”のはずだった。
「あれ──」
Lの声が、静かに微笑む。
「スペル、間違いがありましたよ」
──一瞬で、空気が止まる。
「………………へ?」
Bの目が、あり得ないものを聞いたというように瞬く。
次いで、その白い肌が、みるみるうちに朱に染まっていった。
「ぅ、う、そ、だ……っ」
Bがしどろもどろに言葉を探しているあいだも、Lは冷静そのものだった。
首をかしげて、優雅な微笑を浮かべながら──
「……あのクロスワードパズルに、第2の事件のヒントがあったのは分かりましたが」
Lが言葉を継ぐ。
「その他に、私の“本名”も埋め込まれていましたよね?」
Bの動きが止まった。
そうだ。確かに入れた。ワイミーハウスで一瞬だけ見えたLの本名──
Lは、ふわりと目を細める。
「私の苗字は“lawliet”です」
「……う、うん」
嫌な汗が流れる。
「……ただし、あなたの問題上では──“lawlite”になっていました」
しん、と室内の空気が沈黙する。
Lの声はとても穏やかで、いつも通りの調子。
けれどそこに、完璧な“優雅なる勝利”の響きが滲んでいた。
Bの赤い瞳が、ぱちぱちと揺れる。
「ほ、本当に……?」
「ええ。あそこのマスは何度解いてもスペルミスの方しか当てはまらなかったので、あなたが私の名前を誤解していると判断しました」
Lは平然と微笑んだ。
その表情があまりに無垢で、Bは思わず目をそらし──
そのとき、Lの本名が浮かぶ“その文字列”が、うっすらと瞳の中にまた映り込む。
──L. Lawliet。
「……ッ、ッ」
──L. Lawliet。
──『et』だ。
「あ”〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!」
Bが絶叫するように自分の目を抑え込む。
そのまま指の隙間から見える、Lの本名。浮かぶ“アルファベット”の中の、 “et” の文字を、指でぴんっ!と弾こうとした。
──ぱちんっ。
指が弾いたはずの “e” は、目の中でびくとも動かない。
当然だ。
死神の目に映る「名前」は、現実の物理法則とは無関係に、網膜の奥にこびりついている。
「いらない!こんなの……!」
なのに、Bは何度もぴんっ、ぴんっとやってみせた。
「いります」
まるで、弾けば「それが間違いであってくれる」かのように。
けれど──目の中にあるその綴りは、嘲笑うように、完璧だった。
L. Lawliet。
──et。
Bは、ぶるぶると肩を震わせる。
慌てて起き上がるB。髪はぐしゃぐしゃ、目は据わり、肩で息をしながら、言い訳のモードに突入する。
「違うんだ、L……“死神の目”で見る名前は“歪んで見える”んだ……特に、こう……小文字は形が似てるし、文字はふわふわ浮いてるし、たまに、逆さまになることも──そもそも……雨なんて降ってると、尚更見えづらい。その、あの時は……一瞬しかあなたの顔を見れなかったから……」
Bは頭を抱えて、今にも発狂しそうな顔をしながら、頭を抱えた。
そんな彼の様子を、Lは──ニヤニヤ眺めていた。
「……随分と、盛大な見間違いでしたね。Beyond Birthday」
Bの脳天に雷が落っこちるほどの衝撃。
クラっと頭を揺らすと、枕に沈んだ。
「あ゛ーーーーーーー」
撃沈。──完全敗北。
Bは枕に突っ伏したまま、顔すら上げられない。
「お願いだ。一生この話をしないでくれ……この世から“e”と“t”の文字を殺したい……」
唸る声もくぐもって、情けなさすぎて、その背中にすら「照」がにじみ出ている。
そんな彼を、Lはひとつ息を吐いて見つめた。
ゆっくりとBに覆い被さる。
「……仕方ないですね」
その声は、もうからかいではなかった。
くすりと笑いながらも、やさしさと、何より“独占”の気配を含んだ響き。
「お詫びとして──」
Lの手が、服の下へ。
Bの背中にそっと添えられ、背骨をゆっくりなでる。
「今夜は、あなたの好きなようにしていいですよ」
そう囁いたあと、Lはいたずらっぽく微笑んだ。
「──ただし、“正しい綴り”を三回唱えられたら、ですけど」
「うぐぅ……っ……」
枕に顔を埋めたまま、Bは小さく震える。
「やめてくれ……」
Bは枕をぎゅうっと抱きしめながら、顔を埋めたまま呻いた。顔を上げることなんてできなかった。悔しさと、照れくささと、意味不明な感情の渦に巻かれながら、Bは必死に理性の破片を拾い集めていた。
「……後輩のくせに……っ」
──そう。言い返したのは、もう、それくらいしかLに勝てるものがなかったから。
本当はもっと皮肉のひとつやふたつ浴びせてやりたかった。舌先で翻弄するような言葉で、相手の余裕を打ち砕きたかった。けれど、主張できる勝ちもない。
だからせめて、「後輩のくせに」という言葉にすがるしかなかった。
そうして、枕に埋もれたBの耳元に、再びLの声が囁く。
「……そうでしたね、Bの方が先輩でした」
Bががばっと顔を上げた。
頬はまだうっすら赤くて、髪もくしゃくしゃ。
それでもその目だけは、はっきりLを睨んでいた。
「笑わないでくれ……」
「……はい、先輩」
Lはわずかに目を細め、冗談ではなく、甘えるような声でそう答えた。
「B先輩って、呼んでいいですか?」
そう言いながら、そっと胸に腕を回して、ゆっくりと抱きしめる。
「私、後輩なのでちょっとだけ、わがままを言いたい気分です」
呼吸の混じる距離で、Bの耳元に唇を寄せて、Lがもう一度、今度は囁くように言った。
「いいですよね?──B先輩」
Bはそれ以上、何も言えなかった。
睨んだはずの目も、すぐに熱を帯びて、逸らされた。
そしてLの背に腕を回した。
唇を、くしゃくしゃに笑いながら。
[newpage]
約束の時間、午後一時。
ヨツバ本社の地下駐車場。
白い光が断続的に明滅している。
その中を、ひとりの男がひょこひょこと歩いていた。
目の下の隈は深く、髪は寝癖のように四方へ跳ね、白いロングTシャツ。
ジーパンのポケットの中で、携帯が震えた。
Bは指先でスライドし、無造作に通話ボタンを押す。
『……おい、来てるな』
声は火口。息が荒い。どこか焦りが滲んでいる。
『赤い車だ。B3の柱の前に止めてある。……あんたが見えてる』
Bはゆっくりと顔を上げた。
点滅する光の向こう、B3の支柱の陰──確かに、赤いセダンが一台。
「ええ、見えました」
Bは携帯を切り、ポケットに放り込むと、靴音を響かせながらその車へと歩いていった。
そして、車のすぐ横に立った瞬間──Bの赤い目が、ふと“中”を覗き込んだ。
腰を曲げ、覗き込むように、じっと。
そこに──いた。
後部座席だ。
骨ばった輪郭、のしかかるような体躯。羽のようなものが、ゆらり、と動いた。
Bの瞳孔がわずかに細くなり、口角が上がる。
「……やはり、いたのか」
その声は喜びとも恐怖ともつかない、妙に甘ったるい響きだった。
Bはそのまま、まるで風景の一部にでも溶け込むような無頓着さで、助手席のドアを開けた。
冷えた空気が流れ込む。
「こんにちは、火口さん」
あまりにも普通の挨拶だった。
Bは無警戒で、助手席に座ると、ドアを閉めた。
火口の手がわずかに震える。
そして、カバンの中から──黒光りするもの──拳銃を取りだした。
引き金に指をかけ、Bに向ける。
「動くな。……お前、何者だ」
Bは、撃鉄の重みをコメカミで受け止めながら、逃げる様子はない。
「拳銃ですか。……日本は銃を持たない国のはずですが……」
火口の額に汗が浮かぶ。
Bはその様子を横目に、ゆっくりとシートにもたれかかった。
「……撃ってもいいですよ」
「……は?」
「いや、撃っても撃たなくても。どちらでも。もしあなたが今ここで“私を殺せるのなら”──その弾はきっと当たる。でも、もし“まだ私が生きていられる未来”がこの先にあるなら、弾は絶対に当たらない」
火口の喉が鳴った。
その言葉の意味が、まったく理解できない。
だが、Bは本気で信じている顔をしていた。
「人間は寿命が来ないと死なない。そうですよね?──死神さん」
Bはゆっくりと後部座席へと首を傾けた。
羽のような影が、わずかに動いた。
「……なぜ、私の姿が見えている?」
火口の指が引き金から外れかける。
Bは肩をすくめ、笑った。
「さあ?」
軽い口調で、まるでどうでもいい質問を返すように。
「死神だから……ですかね?」
「……人間ではないのか?」
「どうでしょう。私にも分かりません」
その返事は、冗談のようで、冗談に聞こえなかった。
火口の脳内が、ぐらりと揺れる。
(な、なんなんだこいつ……人間、じゃないのか……?)
「撃つなら撃ってください。撃たないなら──さっさと“キラの力”を渡してください」
火口は汗まみれの手で銃を握り直したが、その銃口を、どうしてもBに向けていられなかった。
瞳の奥で、何かが“見透かされている”──そんな錯覚が、火口の手から力を奪っていく。
「……わ、わかった」
銃を下ろすと、震える指でカバンのジッパーを開いた。
中から覗いた“黒いノート”。
その表紙は、地下駐車場の薄光を受けて、鈍く、ぬめるように光った。
「これだ……これが、“キラの力”だ……!」
火口はそれを取り出し、差し出した。
その瞬間──
バチッッ!!
「ッ!?」
体に衝撃が走る。
(スタンガン!?)
Bは反射的に、後ろポケットへと手を伸ばした。
降りたまれたナイフ。
Bのナイフが、閃光のように動いた。
刃が空気を裂き、火口の胸元を正確に狙う──が、
「っ……!」
間一髪で火口が反射的に身を引いた。
ナイフの刃先は、軌道を外れ、運転席のシートに深々と突き刺さる。
火口の瞳が、恐怖で大きく見開かれていた。
「……はぁ、はぁ。はぁ……」
(やはり……)
Bはわかっていた。火口の寿命は、まだ来ないことを。
──殺すつもりで刃を振るえば、死なない。
つまりそれは、“まだ寿命が来ない”ということ。
彼はただ、試していた。
──今、自分が死ぬのかどうか。
けれど、生きてしまった。
最悪の結末。
己が描くシナリオの中で、いちばんつまらない筋書き。
(……やっぱり、まだ“生きてる”か)
まだ、死なない。
まだまだ死なない。
虚ろげな目のまま、再び放電音。
火口が震える腕でスタンガンを押し当てたのだ。
Bの体が弓なりに反り返る。
電撃が胸を貫き、視界の端がじりじりと白く滲む。
Bの唇がかすかに動いた。
次の瞬間、意識が途切れる。
頭がカクンと傾き、肩から力が抜け落ち、スタンガンの音だけが、しばらく車内に残っていた。
[newpage]
【♡】
Bは、冷たい革のベルトが太腿の裏に喰い込む感覚で目を覚ました。
両脚は大きく開かれ、M字に固定された体勢。膝の裏には何か硬い器具──金属のリングか、もしくは拘束台の一部。
目隠し。
真っ暗。
視覚を奪われた世界は、肌の感覚だけがやけに鮮明だった。
手首も動かない。足首はさらに強く拘束されている。
「ん……」
声を出した瞬間、どこかでドアが開く音。
ゆっくりと、重たく、誰かが入ってくる気配。
──火口だ。
声を出すまでもなく、Bにはわかっていた。
この“歪んだ遊戯”を開始したのが誰か、匂いと足音だけで判別できる。
「ははっ、いい眺めだな。見えないってのは不安か? それとも、……興奮するのか?」
火口の足音が近づく。
Bの両脚の間、腰の前、指先ひとつ触れられていないのに──呼吸が乱れる。
「……離せ」
低く、かすれた声。
Bの胸がわずかに上下し、呼吸がうまく整わない。
視界のない世界が、余計に追い詰めてくる。
(計算を誤った……)
Bの頭の中で、冷たい言葉が鳴った。
この状況を作ったのが自分であることを、嫌でも理解している。
火口という存在を、ただの愚かな駒として侮ったツケ。
「……こんな茶番のつもりじゃ、なかった」
落ち込む──
自嘲めいたささやきが漏れた瞬間、足音。
ゆっくりとBの身体の左右で円を描くように歩く火口。
「教えろ」
火口の声はやけに近い。
耳殻に触れそうな距離。
「なぜ──キラの力を持たないお前が、死神が見える?」
Bは答えない。
答えられない、ではない。
答える価値を認めていないだけ。
沈黙は火口を余計焚きつける。
「知らないふりか?」
嫌に明るい声。
楽しんでいる。
体勢を固定するベルトが、Bの脚をさらに開かせるように締められた。
「黙ってないで答えろ」
火口の指が、視えない空間のどこかで機械を撫でる音。
寒気が背筋を射抜く。
「なら──“身体”に聞くまでだ」
Bの呼吸が、一瞬だけ止まる。
「言葉は嘘がつける。だがな」
火口は、Bの顎に触れない距離で囁いた。
「身体は嘘がつけない」
「……………」
捜査本部。
突如として、緊急連絡が飛び込んできた。
ウエディからの通信だ。すぐさま、その情報はワタリの手元へいき、Lに流れる。
〈……L、少しよろしいですか〉
ワタリがメッセージを送ってきた。
音声を使わずに送ってきたということは、Lと秘密の会話をする時だけ。
その異変に、身を構える。
〈……Bが、襲われました〉
Lの手が止まる。
〈火口の車内でスタンガンによって気絶。現在……彼の自宅と思われる場所にいるそうです〉
Lは、キーボードの上から視線を上げると、問う。
〈火口の家には……監視カメラを設置してありましたね?〉
〈はい。全方位・屋内・屋外。すべて、リアルタイム接続です〉
Lは椅子に座ったまま、ゆっくりと振り向いた。
「……夜神さん。松田さん、模木さん。──申し訳ありませんが、私が個人的に追っている事件で問題がありましたので、退室願えますか」
「えっ……」
松田が驚いた声を出すが、模木が分かりましたと立ち上がり、それを促す。
夜神総一郎も一瞬だけためらったが、
「……わかった」
と一言だけ残し、静かに部屋を出ていく。
「夜神くんはここにいていいです」
「いいのか?」
残されたのは、Lと夜神月。
カメラの映像が切り替えられる。
──火口宅。
静まり返ったリビング。
Lは無言で、もう一つの視点を呼び出す。
──それは、ベッドルームだった。
そこに映ったのは、拘束されたBの姿──M字に固定され、目隠しをされた状態で、ベッドの上に裸でさらされている。
「なっ!?」
Lの指が、わずかに震えた。
画面には、火口の姿はまだ映っていない。
だが、部屋の外から音がする。
──やがて、ノブが回る音。
「…………」
月が息をのむ。
モニター越しに、それを見ているLもまた、表情を凍らせている──
「……ははは、捕まってるくせに、こんなに感じてるのか?」
火口の声が、Bの睫毛がかすかに震わせる。
──すでに、服は脱がされて、肌に触れる空気が感覚を研ぎ澄ませていく。
「なぜ、死神が見える?」
ぶぅぅぅん……。
低く唸る器具が、再びBの太腿の内側へと押し当てられる。
布もなく、直に触れられる振動が、あまりにも敏感に刺さる。
「っ、あッ……あぁ、ぁあ……ッ」
ビクンと背が仰け反る。
拘束された手首が震え、ベッドがきしむ音が響く。
喉から、苦しげに、甘い喘ぎが漏れる。
「言え。──なぜ目を持ってる」
火口は、あくまでも冷静な声で、しかし手元の器具を遠慮なく滑らせる。
今度は下腹部に沿って、ゆっくり、ねちっこく。
「ぃ……や、だ……っ、しら、ない……ッ」
抵抗の声は、もはや快楽に上塗りされていた。
「“言うわけがない”って顔してるが、声が教えてくれてるぜ? ……気持ちいいってな」
「っっ……ちが、ぁ……ッ♡んああっ♡」
Bの腰が浮き上がるように跳ねる。
目隠しの奥、赤い瞳は見えないはずなのに──
その顔は、あまりに無防備で、あまりに悦んでいた。
「ふふ、笑えるな。お前、“感じながら”拒んでるのか」
Bの喉がひくりと鳴る。
反論しようと開いた口からは、だが、言葉ではなく──
「ん゛っ♡……あ゛ッ……♡あああ……♡」
──快楽の声だけが、こぼれ落ちる。
「おっ……♡ぁぁ……♡っ、あ、あ゛……♡っっ♡」
その瞬間、火口は堪えきれずに笑い出した。
「……っぷ、あはははっ……! ははっ、やべぇ、お前……ほんとにイッちまいそうなんじゃねぇのか?」
Bは顔を背けた。
見えていないはずの世界に、どこまでも見透かされるような、屈辱の感覚。
「──自白するまで、たっぷり可愛がってやるからな」
火口の声が、低く笑って耳元に響いた。
Bの赤い瞳は隠されたまま、ただ震える唇だけが、言葉にならない吐息を漏らす。
「まずは、その腰。もっと突き出せよ。……ほら」
「……や、だ……っ、やめ──ッ♡♡」
脚を無理やり開かされ、敏感な部分が晒される。
火口は、それを見てにやりと笑った。
「よし。じゃあ……ここを……」
指先が、Bのものをすっと撫で上げる。
「ッあ゛──っ♡♡♡♡」
「よく鳴くな……まだ何ひとつ言ってないくせに、身体はもう全部教えてくれてるじゃねぇか」
火口はおもむろに、先ほどの器具を、Bの前と後ろ、両方へ滑らせる。
「これで前立腺と、先っぽ両方。交互に刺激してみようか?」
「い、い゛……やっ……♡♡やだァ♡♡」
「言わないなら、“耐える”しかないなあ」
器具が交互に唸る。
前はぴったりと当て、後ろは振動と共に、執拗に、内部を押し開けようとする。
「らえっ♡♡そこ──っ♡♡うごくのやだ♡♡あ゛っ、やあああ♡♡」
Bは仰け反り、足をばたつかせるが、火口の手が太腿を押さえつける。
「まだだ。まだ、入れてないからな──“本番”は、これからだ」
「い゛……いれちゃ、だめっ……しぬっ♡♡だめっ♡♡♡」
「じゃあ教えろ。Lの名前はなんだ?教えれば止めてやる」
「い、いわ……なっ……しらな……いっ♡♡」
「ふふ、強情な……。じゃあ……“中”に、直接教え込むか」
火口はもう一本、形の違う器具を手に取る。
先端がやや太く、ねじれのあるデザイン。
スイッチを入れると、ぬるぬると回転し始めた。
「これを、ここに──」
「ひあッ♡♡♡♡まってっ♡♡やぁ♡♡♡んんん♡♡♡」
くちゅっ、と音を立てて器具が飲み込まれる。
Bの口からは、もう言葉にならないあえぎが──
「お゛おッ♡♡♡♡♡♡……ッァああ♡♡♡♡♡♡」
「ははははッ!気持ちよくてばかになったか?」
「ちがっ……ちがう……っっ♡♡♡♡やっ……とまらな……っ♡♡♡♡」
回転は徐々に強くなり、内部を捻るように掻き回す。
吐息が涙に変わり、舌がうまく回らず、もう喋ることすらままならない。
「よし、“次”は──乳首にも吸盤つけて、同時に責めるか。振動モードでな」
「まって、そんなとこ、やだぁ♡♡♡♡」
「ほら、言ってみろよ。“Lの名前は、○○です”ってな?」
「ううう……♡♡あああ♡♡……っっ、あ゛っ……♡♡」
火口はBの髪をぐしゃ、と撫でつけるように掴んで引き上げる。
顔は紅潮し、口元はとろんと開き、理性の残り香はかすかに揺れていた。
「仕方ねぇな、もう時間だ。俺は会社があるんでね」
ふいに、火口が立ち上がる。
そして、Bの太腿を両手で押さえ──くちゅっ、と奥深くまでおもちゃを挿し込んだまま、ベルトで“固定”を始めた。
「ひ……っ♡♡ぬ、ぬけなくな……っ♡♡♡♡」
「抜けないようにしてるんだよ。わかるか?」
ベルトが音を立てて締まる。
Bの秘部に挿入された器具は、ピクリとも動かず、逆に内部で小刻みに震えながら、ぴったりと粘膜を責め続けていた。
「よし、次は胸……」
火口は吸盤タイプの吸引バイブを乳首に密着させる。
スイッチを入れると、ぴったりと吸い付き──ぶぅん……と波のような振動が伝わっていく。
「それは……だめぇ……ッ♡♡♡♡」
「お前の身体のほうが、正直だからな。ほら──」
最後に、リモコンをかちりとセット。
振動の強弱がランダムに切り替わる。
「しっかり楽しんでくれよ。……俺が帰るまで、ずっとな」
「む、無理……しんじゃ……ッ♡♡♡♡」
「死ぬわけない。感じてるだけだろ?」
そう言って、足元にはペットシーツが丁寧に敷かれていた。
「……なん、で……これ……」
「汚すからに決まってんだろ? 防水。染み込まないやつだ。下もちゃんとタオル挟んでるから、好きなだけ、出していいぞ?」
Bの顔が真っ赤になる。
だが、脚は開かされたまま。
器具は固定され、声を上げるたびに奥へ、奥へ──
「ん、んぅ……♡♡♡♡や、やぁ……やだぁぁ……ッ♡♡♡♡」
「じゃあな、おもちゃたちによろしく」
ガチャリ、と扉の音がする。
残されたのは、拘束されたまま、全身におもちゃを装着されたBだけ。
目隠しの下から、涙がつう、と滑る。
そして──
「ひあッ♡♡♡♡ん、やぁぁぁ……♡♡♡♡あ゛あ゛……♡♡♡♡」
振動が切り替わるたび、甘い悲鳴がシーツに染みこんでいく。
逃げ場はない。誰もいない。止めてくれる人も、いない。
「……える、ぅ……♡♡」
目隠しの下から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。
息は途切れ途切れで、声は甘く震えながら──それでも、何度も、彼の名前を呼んでいた。
「えるぅ……♡♡っ、たす、け……♡♡」
Bの身体は、ベッドの上で小刻みに跳ねるたび、装着された器具が内部を掻き混ぜ、敏感な場所をえぐるように震え続けていた。
皮膚は汗で濡れ、くちゅくちゅという水音と、くぐもった喘ぎが部屋にこだまする。
「ん、んんッ♡♡えるぅ、みないでぇ……♡♡やぁ……やぁぁっ♡♡♡♡」
だが──
Lは見ていた。
捜査本部のモニターのひとつ。
設置された監視カメラが、火口の自宅のベッドルームを映していた。
Lは、両膝を抱えて椅子に座り、モニターを見つめている。
指先には角砂糖。口にはくわえたままのチュッパチャップス。
「……竜崎、助けに行こう!」
月が勢いよく椅子を立つ。
Lは首を横に振った。
「いえ、見守りましょう」
「なっ!?何を言ってるんだ!」
Lは当然のように砂糖を紅茶の中に入れ、啜った。
「火口が“Bを“裁く”かもしれません。そうすれば、キラの殺しの仕方が見れます」
「はあ!? 正気か!?L!」
月の声が一瞬、裏返る。
「裁くって……あいつを見殺しにするのか!?」
Lはモニターから視線を外さず、淡々と答えた。
「ええ」
月は机を叩いた。
「父さんに報告する! あんなの、どう見ても犯罪だ!」
Lは、そこでようやく月を見た。
黒い瞳が、飴玉の奥でゆっくりと動く。
「夜神くん、しなくていいです」
「なんで!」
Lは画面を指さした。
Bの顔が、そこに映っている。
ぐったりと倒れているはずなのに、口の端には、わずかな笑みがあった。
「見てください。彼……悦んでます」
月は絶句した。
Lはチュッパチャップスをひねりながら呟く。
「さすがはBです」
月が眉を寄せる。
「どういう意味だ」
Lはチュッパチャップスを舌で転がし、飴を噛まずに言葉だけを紡いだ。
「私だったら取り乱します。しかし、見てください、もう彼2回はイッてますよ」
「……………」
「“究極変態”を名乗るだけはありますね」
「し、しかし、Bが死ぬのはまずいだろ」
Lは画面から視線を逸らさず、淡々と返す。
「彼は元々死刑になってもおかしくない囚人です。今回は特別に釈放し、私は『勝手に動くな』と命じたのに動いた。私たちが助ける筋合いはどこにもありません」
月が食い下がる。
「ほ、本気で言ってるのか!?Bは、お前の身内だろ!?」
「“関係ありません”」
「っ!?」
「身内だろうと──“関係ありません”」
Lは飴を噛み砕くと、皿の上に棒を転がした。
「必ず火口はBを殺す。どういう殺し方をするのか、見届けましょう」
──カチャリ。
玄関の鍵が開く音。
部屋の空気が、久しぶりにかすかに揺れた。
「……ただいま、と」
火口は靴を脱ぎ、ジャケットを脱ぎながらリビングへ足を踏み入れる。
そこにいた。
ベッドの上──ペットシーツの上で目隠しのまま、おもちゃをすべてつけたB。
「……はは、まだ動いてるか……?」
火口は近づき、しゃがみ込んで、Bの顔を覗き込んだ。
「おい」
返事はなかった。
だけど、耳元でふ、と吐息をかけると──
「っ……ぅ……ん……♡♡……」
弱々しく、くぐもった甘い声が漏れた。
「……おーい……おまえ、まだイッてたのか?」
火口は笑う。
唇の端を上げながら、Bの腿を軽く叩いた。
「7時間だぞ。すげえな……おまえ」
手でリモコンを拾い上げる。
「何回イッた?」
「ふっ……っ、ぅ、んっ」
喉からこぼれたのは、もう制御不能なほど蕩けきった快楽の声。
口元は涎で濡れ、まつげには乾ききらない涙が残っていた。
「答えろ、何回だ?」
「………に、じゅ、っかい、くらい……」
指でBの頬に触れると、うっすらと濡れていた。
涙か汗か、はたまた、それ以外のものか。
目隠しはまだ外されていない。
だけど、Bの唇はかすかに開いていて、乾ききらず、わずかに震えていた。
「名前、まだ言えねぇのか?」
火口は耳元で囁く。
「Lの、本名。──20回イっても、言わないとかさあ……お前、マジでバカか、ドMか、どっち?」
「……う……んっ……♡♡……しらな……い……♡♡」
火口は体勢を変えて、Bの上に覆いかぶさる。
首筋に舌を這わせてから、低く囁く。
「じゃあ……21回目、いこうか?」
「ひっ……♡♡……まっ、て……やだ……もぉ……やぁ……♡♡♡♡」
再び火口の指が動く。
──いやらしく、ねっとりと。
21回目の絶頂を、やさしく、でも容赦なく、引き出すように。
「ほら、また声、出ちゃうな? じゃあ、次はちゃんと“名前”と一緒に、出してみな?」
「やっ……ああ゛……あああああああっ♡♡♡♡♡♡」
甘く潰れた声が、またひとつ、天井に響く。
♥♥♥
それから──翌朝。
カーテンの隙間から、朝の光が差し込んでいた。
とはいえ、地下の部屋。
ほんのわずかな、湿った白い明かりが、Bの頬に落ちている。
身体はびくびくと小さく痙攣していた。
一晩中、おもちゃに責められ続けて──数えるのも馬鹿らしいくらい、絶頂を繰り返し、それでも“口”だけは、閉じ続けていた。
「はぁ……ん、……っ……は、ぁ……♡♡」
声はもう、かすれている。
唇が開きっぱなしで、喉がひゅうひゅうと鳴っていた。
ガチャ──
そのとき、扉が開く音。
「おはよう、“ルエ”ちゃん。……あれから、何時間目だっけ?」
火口の声。
今朝は、少しだけ低く、湿っていた。
「今日はな……おもちゃは使わない」
そう言って、火口の手がBの頬に触れる。
昨夜よりも、ずっと、熱を持った指。
「俺の手で、お前の全部を、暴く」
その言葉の通りに──
ゆっくりと指が、鎖骨のラインをなぞる。
ちり、と肌が反応する。
指先があるだけで、Bの胸がゆっくりと持ち上がる。
「も、もう……や、ぁ……」
「もう、じゃない。……ここからが本番だ」
火口の舌が、耳の裏を這った。
熱く、じわじわと。
「昨日みたいな声、もう一度、俺だけに聞かせてみろ」
指先が、下腹部をゆっくり、押すように撫でて──つ、と指が這った瞬間、
「っっ♡♡♡ああっ♡♡♡」
もう、Bの身体は、感じてしまっていた。
汗と涙に濡れたシーツの上で、再び始まる。
火口の舌が、Bの首筋に沈んで、指が、ゆっくりと“そこ”に差し込まれ──
「まだ言わないか。おしおきだな……」
火口の手が、ベッドの端にいるBの腰をつかむ。
がくがくに震えている身体を、ぐいっと引き寄せて──パン、と軽く音が弾ける。
「やっ……♡♡」
「声、可愛すぎだろ……お前。じゃあ──いくぞ」
そう言って、火口がBの腰を掴み直す。
ぐっと押し当ててから、ぐい、と前に押し込むように──
「──ん゛ッ♡♡♡♡ッ♡♡♡♡!!」
パァン……ッ!!♡♡
音が響いた。
ぶつかった腰と腰が、やらしい音を立てて跳ね返る。
「だめっ♡♡そんな……やぁッ♡♡」
「それがおしおきだ」
火口の指が、Bの両手首をベッドの柵に絡めて固定してる。
動けないまま、腰だけが突き出されていて──そこに、容赦なく、ぱんぱん♡♡♡
「ああぁ……ッ♡♡♡♡」
火口のリズムが、どんどん深く、重くなっていく。
音も、熱も、どんどん上がって──
Bの身体はもう、くちゅくちゅといやらしい音を立てて応えていた。
「ほら、Lの名前……まだ言わねぇのか?」
「い、わ……ないっ♡♡♡♡やぁぁッ♡♡♡♡ん♡♡♡」
「じゃあ、もっとだ」
パンッ……ッ♡♡
ベッドのフレームがきしむ。
Bの涙が頬をつたう。
でもその口からは──
「よし……ここまで感じたんだ。少しだけ、“ごほうび”だ」
火口の手が、Bの顔に触れる。
汗で濡れた前髪を避け、ゆっくりと目隠しを外していく。
ぴたり、とまつ毛が震えた。
光が戻ってくる。
けれど、Bの表情は──快楽の痕跡に染まっていた。
「ほら、しっかり目、開けろ」
火口は、ポケットから1枚の写真を取り出した。
無造作に折れた、証明写真のようなそれ。
──ある人物の顔。
Bは、それを一瞬で認識した。
「──こいつの名前、読めるか?」
火口の声が響く。
まるで、日常の延長線みたいに。
Bは、目を細めた。
見えている。
はっきりと。
──だけど、答えない。
「……読めないのか? それとも、読めるけど言わないのか?」
火口が指でBの顎を掴み、顔を上向かせる。
その目は、もう震えていない。
快楽に壊れかけていた顔に、ふと一瞬だけ、研ぎ澄まされた静かな“拒絶”の光が宿っていた。
「おい、何か言えよ。さっきまであんな声出してただろ?」
「……」
火口が、じれったそうに写真を揺らす。
けれどBは、ただ唇を引き結んだまま──
──“喋らなかった”。
「……そうか。喋らないってことは──知ってるってことだよな?」
火口の声が、どこまでも低く、濡れていた。
腰をぶつけるたび、パン……ッ♡♡と甘い音。
Bの喉からは、かすれた喘ぎがもれている。
火口はBの顎を掴んで、顔を無理やりこちらに向かせると。火口は、ぐっ……と深く押し込んだまま、Bの唇を塞ぐように──
「んむっ♡♡……ん、んんぅ……♡♡♡♡」
──ちゅうぅ……
グチャグチャの音を立てるキス。
唇を吸い、舌をねじ込む。
Bが拒めないように、喉の奥まで舌を絡ませる。
「ちゅっ……んんっ、やぁ……くるしっ……」
けれど火口はやめない。
唇を何度も重ね、ねちっこく、何度も、舌を入れる。
「ほら、声に……ならないだろ? そうすりゃ、余計に身体が喋ってくれる」
再び腰が動く。
キスされながら、奥を突かれて──
Bの身体はびくびく震えて、
「んっ♡♡っ♡♡……ふ、ぁあぁっ♡♡♡♡♡」
キスと腰、同時責め。
ちゅっ、ちゅっ……。
火口の唇が、Bの口から涙の粒まで奪い取る。
「喋れよ、ルエ。──名前を言えば、これ、やめてやる。な?」
「ん……いえな……いぃ……」
「ふふ……“言えない”って言ったな。じゃあ、もっと奥突いてやるよ」
──ちゅう。
唇を奪いながら、パンッ!
ちゅうと一緒に、奥に奥に……。
「次、イくとき……“キラ様”って言いながらイけよ。言わないと、止めないからな……?」
火口の声が、汗の滲んだ肌にまとわりつく。
Bの身体は、拘束の中で揺れていた。
目隠しもとられ、瞳が宙をさまよっている。
「ほら、もっと腰突き上げろ。奥、ほしいんだろ?」
「くっ、……んぅ……」
Bの視線は監視カメラに。
(……L……)
胸の奥で、そう呟いた。
その名を呼ぶたびに、喉の奥が苦しくなる。
火口の熱い舌が首筋を這っても、ぐい、と深く腰を打ちつけられても──
「んぅっ……あ、ぁ……っ♡♡」
声が勝手に漏れる。
嫌なのに、感じてしまう。
それは全て──Lに見られているから。
「……くっ……L、……や、め……L……っ♡♡」
「──あ?」
火口の動きが、一瞬止まる。
それでもBは、朦朧としながら、うわ言のように繰り返す。
「L……L、……ちがう、これ、……ちがう……っ♡♡」
唇からこぼれるその声は快楽で濡れきった喘ぎと、胸の奥からしぼり出された、ただひとつの願い。
「……お前、そんな顔で──“Lのこと”考えてんのかよ」
火口の声が、皮肉に歪む。
だけど、Bは答えない。
もう、Lしか見えていない。
(L、L……L……)
もう、誰にも触れられたくなかった。
Lにしか、抱かれたくなかった。
「んん……ッ♡♡……L、……Lぅ……♡♡」
「……ふぅ……」
火口が、ゆっくりと腰を引いた。
汗をぬぐいながら、乱れたYシャツの裾を直す。
そして、無造作にズボンのチャックを上げた音が、部屋に響いた。
──ジィ……。
その音が、終わりの合図だった。
ベッドの上。
Bは、ぐったり、崩れたまま。
身体はまだ微かに痙攣し、唇は開いたまま、荒い吐息を繰り返していた。
「……ん、……っ♡♡」
とろとろで、何も考えられない。
瞳は潤み、ぼんやりと焦点を結ばない。
(L……)
頭の中には、あのひとの名前だけが、ずっと、残っていた。
──でも、次に響いた音は、もっと冷たい。
「……さてと」
火口はベッドを離れ、窓際の小さな机の上に腰掛けると──一冊の黒いノートを、開いた。
──パサ……ッ。
その表紙には、「DEATH NOTE」と記されている。
(……ノート……)
火口の指が、ぺらりと一枚めくる。
「さぁて、今日も犯罪者殺しだ……」
「……………」
先程までに抱いていた男がロサンゼルスを驚愕させたBB連続殺人事件の犯人とも知らずに、犯罪者裁きを始める。
「“L”の本名のほうが──先に書きたいんだけどなぁ?」
ベッドの上で、Bがぴくりと反応する。
力なく、でも確かに震えた。
「さて……今日も、可愛がりながら、聞き出すとするか。なぁ、ルエ?」
ノートのページが、ペラ……と風に揺れた。
「……火口が、ノートを取り出したぞ!」
月が一歩、前に出て声を上げた。
映像の一角、火口の部屋。
机の上に黒いノートが置かれ、火口が何かを書き込んでいる。
「L……これは……!」
Lは背もたれから体を起こした。
椅子の上で足を乗せたまま長い指を口元へと持っていく。
「映像を拡大してください──」
操作盤を叩き、映像が拡大される。
モニターに映ったそのノートの中身には──
“犯罪者の名前”と、“死因”。
そして、“病死”や“事故死”といった記述。
Lの黒い瞳が、鋭く光る。
「……これは……間違いありません……」
「まさか……これが、キラの殺し方?」
月の言葉に、Lが短く頷いた。
「おそらく。……“殺しの手段”が、ノートによる筆記である可能性が非常に高い」
「つまり、“書くこと”が“殺すこと”……?」
「はい」
Lが答えたそのときだった──
「……あれは?」
ふと月が、画面の端に違和感を覚える。
Lもすぐに気づいた。
モニターの下、火口のベッドの下にある暗がり──そこから、何かが、這い出してくる。
ぬるり、ぬるり。
──ゆっくりと。
──確かに、“人”だ。
床に手をつき、肩を揺らしながら、まるで貞子のように。
「……男……?」
Lが、言葉を詰まらせた。
画面の中で、その男はベッドの下から、まるで地獄から這い出る亡者のように、ぐらりと体を持ち上げた。
火口は気づいていない。
机に集中し、なにかを書き込もうとしていた。
「まずい……!」
Lが声を上げると同時に──男が火口に襲いかかり、机の上のノートに伸びた。
だが──その気配に火口が反応した。
『誰だッ!!』
火口が反射的に振り返り、椅子ごと後ろへ倒れる。
ノートを胸に抱え、男から距離を取る。
『何しに来やがった、この野郎……!』
男は、胸から拳銃を取り出すと、火口は慌てて部屋から飛び出した。
「L……あの男、何者だ!?」
「?……さあ……?誰でしょう」
火口が逃げた。
扉が閉まる音が、乾いた銃声のように部屋に響く。
取り残されたのは男とB。
裸の背中は汗で濡れ、鎖骨には赤い痕がいくつも浮かんでいる。
拘束のバンドが手首を締め付けたまま、微かに動く指先。
でも──次の瞬間。
「大丈夫か?ルエ」
柔らかな声が、暗がりに落ちた。
ゆっくりと近づいてきた男が、しゃがみ込む。
彼の手が、Bの拘束を外した。
カチャ……と金具が落ちる音。
手首の自由を取り戻したBは、わずかに身体を起こすが、その顔は火照っていて、息も荒く──
「……っ、あ……」
うまく言葉にならない。
男は、そっと自分の上着を脱ぎ、Bの肩にかけてやった。
温もりと重みが、Bの身体に落ちる。
「ルエ、無理しなくていい……」
“ルエ”──Beyond Birthdayの偽名。
彼をそう呼ぶ者は限られている。
Bは、男の顔を見上げた。
「……駿河さん」
駿河……彼は事前に用意した“運転の上手な”FBI捜査官だ。
「今すぐ追いましょう。……あのノートは、何としても奪い取ります」
「おい、まだ歩けるのか? お前、顔……真っ赤だぞ」
「……大丈夫です、しかし、運転は任せます」
「あ、ああ」
彼はBの腕を支えながら、立たせる。
「行けるな?」
「ええ」
[newpage]
──捜査本部。
モニターには、逃げる火口の姿が映り、追跡を開始する各班の無線が飛び交っていた。
ワタリから連絡がくる。
〈彼は駿河と名乗っています。事前に手配した、“FBI捜査官”です〉
「FBI……?」
Lの目が少しだけ細められる。
〈彼は、南空ナオミの直属の後継と聞いています。現場に出る許可が出ていた数少ない人間です。優秀で、任務遂行能力が高く、あらゆる脱出経路を想定して動ける男です〉
「……なるほど」
Lはスプーンを止めた。
「火口を追うには、ふさわしい存在というわけですね」
そして、Lは立ち上がると、横にいた月の手首を見下ろし、手錠を外す。
「私達も火口を追いましょう」
「ああ」
夜の車道。
無数のヘッドライトの波が滑るように流れていた。
「前方──赤のセダン、車線変更しました」
Bの声が車内に響く。
彼は助手席、身体を前のめりにしながら、前方を凝視していた。
「あいつ、あんなスピード出して──捕まるぞ!」
ハンドルを握る駿河が、軽く舌打ち。
それでも口元は、わずかに笑っていた。
「ま、俺は捕まえる方の人間だけど……」
ギアを変えた。
「ちょっとだけなら、違反も仕方ねえか」
そう言った直後──
ギャアアアン……ッ!!
タイヤが低く唸る。
「ぐえっ……!」
Bの身体が後ろに引っ張られる。
駿河のハンドル操作が鋭くなり、片側3車線の道路をジグザグに抜けていく。
「駿河さん、前の車──!」
「ああ、わかってる」
ハンドルを切る。車体がしなり、隣の赤いスポーツカーを目指して突き進む。
「駿河さん」
「なんだ!?」
「あんまり、スピード出してると捕まりますよ」
助手席で、Bが冷静に言った。
「大丈夫だ。俺、FBIだから」
「……それ、日本じゃ通用しません」
「まあまあ、言うなって。“今だけ正義”ってことで許してくれよ。追いつけなきゃ、あのノートで死人が出る、そうだろ?」
「……そうですね」
ルエは、フロントガラス越しに遠ざかる火口の車をじっと見据えた。
「……しかし、あなたが捕まった時の面倒までは見れませんよ」
「それはお互い様だ」
Bはふっと笑った。
「“やったもん勝ち”のルールで動いてるのは、あっちの方ですから」
駿河が口角を上げる。
「いいね。そういうの、嫌いじゃないぜ、ルエ」
いつの間にかメーターは100を越えた。
ヘリコプターの低い振動音が、夜の街に響く。
機内では、Lと月が並んで座り、モニターを見つめていた。
「……あれが、火口の車だ。進行方向は──」
月が冷静に報告する。
だが、Lはモニターの後方に目を向けていた。
「……夜神くん。あれ、見えますか?」
モニターには、火口の車を追う1台の車両。
映像がややブレながらも、明らかに法定速度を遥かに上回っていた。
「あんなスピード出して……違法じゃないか……」
月が呆れ気味に声を出す。
Lは、砂糖を山ほど入れたコーヒーを一口すする。
「……駿河、という男ですね」
モニター上、彼の車はスポーツカーを横滑りしながら抜いていく。
「……あんなにスピードを出して。……いくらFBIとはいえ、捕まりますよ」
無表情に、さらりとLが言った。
「まさか、運転してるのBじゃないだろうな?」
Lは水筒に入れた甘い飲み物を注ぎ、飲んだ。
「もしあの運転手がBだった場合、彼は“国家公安委員会からの永遠のマーク対象”になりますね」
「ていうか、L。……彼、免許持ってるのか?」
「……“死神の目”を持っていても、運転免許証まではないと思います。私も、ヘリの運転は初めてです──」
駿河の声が低くなる。
「徐々に詰めてる……だが、下手に車を当てたりしたら、車が大破するかもしれない。そしたら、ノートは燃える──どうする?」
駿河の目は真剣だった。
さすがに無茶はしないつもりでいる──はずだった。
しかし、助手席で、Bが無言で何かを始めていた。
──カチリ。
シートベルトを外す音。
「……なにしてんだ?」
ウィィィン。
「……窓を開けてます」
「いや、見ればわかる。“なんのために”だよ!?」
風が車内に流れ込み、Bの白シャツが膨らむ。
彼は身体をわずかにひねって、助手席の窓枠に手をかけると、ぬるりと外に身を出した。
「──ッ!?」
「火口の車に、飛び移ります」
「はあ!?!?」
駿河の声が裏返る。
「──いや、だめだめだめ!今、時速何キロ出てると思ってんだ!? 100は超えてるぞ!」
「承知してます。ですが、衝突するわけにはいきません。ノートは“火口の手から”奪わなければならない」
「おいおいおい、死ぬぞ」
「大丈夫です、“死にません”」
車内が緊迫と車の爆音に満ちる中、Bは冷静に言葉を継いだ。
「追い抜いて、並んでください。私が、火口の車の屋根に着地します」
「……本気か、お前……」
「……“あのノート”を、絶対に渡してはならない。Lのためにも──」
その名を口にしたBの目に、わずかな光が宿る。
駿河は、沈黙ののち、アクセルを踏み、ハンドルを強く握った。
「……言っとくが、着地失敗したらお陀仏だからな!」
「大丈夫です。私はまだ死にません──結構“頑丈”なので」
重たい回転音が、Lの鼓膜に染み込んでいた。
視線は、目の前のモニターに釘付けだ。
「……前の車──Bが……!」
月が息を呑むように言った。
カメラは上空から、交通道路の一角を捉えている。
──その映像の中。
車の屋根の上に、這うようにしがみついている男。
風に翻る白シャツ。
乱れた黒髪。
うつ伏せになりながら、確かに“火口の車”を見据えている。
「……!」
Lは、無言のまま、前のめりに身を乗り出した。
「……正気じゃないぞ……」
月が、小さく呟く。
「高速走行中の車の屋根なんて、いつ滑って落ちてもおかしくない……!」
だが、Lは答えない。
椅子に座ったまま、爪を噛みながら、画面の中のBを見つめていた。
「……彼は、何をするつもりなんだ……?」
Lが、ぽつりと呟いた。
その声は、月に向けたものではない。
ただ、モニターの中にいるかつての“B”に、語りかけるようなものだった。
「夜神くん、急ぎましょう」
Lの声は低く、鋭かった。
「彼は“奪う”つもりです。──火口から、“直接”」
風を裂く赤いセダン。
その屋根に、しがみつく──元殺人鬼。
Bが勢いよく火口の車の屋根に跳び移った。
爪が食い込みそうな勢いで、ボディを掴む。
シャツの袖が風で千切れそうにばたつき、赤い瞳が、風をものともせずに前方を睨んでいる。
車内。
火口は飛び写ったBの姿をサイドミラーで見て、顔面蒼白になった。
「──ッッ……あ、あいつ……!!」
その瞬間。
Bの体が勢いよくルーフに着地する。
──ズガァン!!
Bは這いつくばりながら、車の横に手を伸ばし、運転席の扉に手をかけて力任せに開け放つ。
開け放たれた隙間から、Bの身体が、宙に浮く。
「やめっ……やめろぉぉ!!」
叫ぶ暇など、ない。
Bは屋根に両手をついたまま、体を大きく捻って反らし、そのまま反動をつけて──火口の顔面へ、完璧な一撃を叩き込んだ。
「──ッがッ!!」
膝蹴りではなく、更に反動をつけた足蹴りが炸裂。
──かつて南空ナオミがBに放った、あの一撃のように。
首が跳ね、血飛沫が飛び、火口の身体がシートに沈んだ。
車内に響くのは、Bの乱れない呼吸と、ブレーキの唸り声。
「ッ!……ッ!──ッ……」
意識を手放しかける火口の上に、Bが滑り込むと乱れた息一つ吐かず、ハンドルを操作し、ブレーキを踏み潰した。
滑る車体。きしむフレーム。
だが、Bの体は一切ブレない。
──計算ずくの力加減で、車はピタリと道の端に止まった。
「……ッッ、うぅ……ああ……!」
火口が、ぐらりと揺れて呻く。
血が口元を伝い、瞳は焦点を結ばない。
Bは、黙ったまま、倒れた火口の脇に投げ出されたカバンに手を伸ばす。
──その中に、黒く沈む一冊。
「DEATH NOTE」
Bの指が、ゆっくりとその表紙に触れた。
「……やった」
──これが、“Lの名前”を守るということ。
──タタタッ──!
後方から、靴音が迫ってくる。
「ルエ!! 大丈夫か!?」
駿河だった。
車を路肩に止めるなり飛び出して、運転席のBの元に駆け寄る。
額に汗を浮かべ、息を荒げている。
「無事か!? 無茶しやがって、お前……!」
「……ええ、まあ、運が良かっただけです」
そう言って、Bは小さく笑った──が、その表情が固まる。
──後方から、甲高いサイレン音。
「……来ましたね」
「くそっ……!」
駿河が振り向いた先、2台のパトカーが赤色灯を回しながら迫ってくる。
この騒音とタイヤ痕では当然の展開だった。
「ルエ、とりあえずここは──!」
だが、Bは駿河の言葉を最後まで聞かない。
「──ありがとうございました。駿河さん。ここまでで十分です」
「……え?」
その瞬間。
Bは駿河の身体を、片手でぐっと押しのけた。
背中越しにノートをかばいながら、駿河の車に滑り込む。
「待て、おい……!」
ギュン──!
アクセルが踏み込まれ、駿河の車はスリップしながら急加速。
サイレンの明かりを切り裂くように、夜の道へと溶けていった。
駿河は、しばらく動けなかった。
パトカーのライトに照らされながら、静かに呟く。
「……あいつ、俺を置いていきやがった……」
──夜のハイウェイ。
暗闇に向かって突き進む1台の車。
運転席には、肩で荒く息をする青年。
白シャツは汗と血で濡れ、袖は風に揺れていた。
ハンドルを握る片手。
もう一つの手には奪還された黒いノート。
「……ふっ……ふ、ふふ……」
小さく漏れた声が、だんだん膨らんでいく。
「……きゃはははははははっ!!」
爆発するような高笑い。
窓ガラスに反響して、車内で跳ね返る。
「やった……やったやったやった……!! 見たかL!」
Bはハンドルを握ったまま、ぎゅうっとノートに頬を押し当てる。
「らんらんらんっ るるる、るるるるる〜〜っ!」
音程もリズムもバラバラ。
鼻歌のような、狂った子守唄のような。
でもその瞳はぎらついている。
「……うん。うん、そうだ……これでいい。うん、これで……Bの勝ち……Bの勝ち、だあ」
Bは駿河の車を路地裏へと放置すると、黒いノートを抱え、ビルに踏み入れた。
ノートの表紙を撫でる指先──
(書くことが、殺すこと……なら……試してみるか……)
Bは文房具売り場から勝手にペンを盗むと、別のフロアの方へ向かい、ノートに記した。
──────
“火口卿介”──自殺 自らの左腕を打撲させ内出血のみで死亡
──────
どんな死因でも死ぬのなら、これで死ぬことは出来るのだろうか──
Bの頭には第3の事件を思い出す。
『皮膚を傷つけずに内出血のみで人を殺せるのかどうか』かつて試したことがある。が、結果は死ななかった。
しかし──
Bはノートを見つめた。
デスノートでならどうなる?
“無理な死因”でも、死ぬことが出来るのだろうか。
考え事をしながら、家電量販店をうろついていると、丁度火口のニュースが流れた。
たった今、心臓麻痺で亡くなった、と。
Bは顎に手を添える。
心臓麻痺?おかしい。奴の寿命はもっと先だったはず──まさか──
Bは非常階段の方へ行くと、ついに一ページ目を開いた。
──DEATH NOTEの使い方──
How to use
その記述が、淡々と目に飛び込む。
「なるほど──」
ルールは一つだけでなく、何十個も存在していた。
無理な死因はやはり適応されず、心臓麻痺になるらしい。
「……………」
やはり、内出血だけでは死なないようだ。
そして、ルールの一つ、いや、二つ、気になるものを見つけた。
『死んだ者には効果がない』
効果がない。
ならば、“死んだ人を書けば効果がないということだ”。
Bは頭を悩ませた後、ページの余白に、ひとつの名前を記す。
──────
“南空 ナオミ”──自殺。11月2日 13時13分
“かつてBB連続殺人事件と言われた犯人と再会したあと、焼身自殺”
──────
書き終えた瞬間──インクの匂いが、鼻をくすぐった。
(死んだものは動かない、なら──)
もし、南空ナオミが目の前に現れなかったら──彼女は死んでいるということだ。
ページをめくる。
そして、その文を見つけた。
このノートに名前を書き込んだ人間は、最も新しく名前を書いた時から13日以内に次の名前を書かなければ、自分が死ぬ。
──13日ルール。
Bの目が止まる。
動かない。瞬きすら忘れた。
「……13日、以内……」
呟いた声は、かすれ、震えていた。
つまり──
今、この瞬間からカウントは始まっている。
書かなければ、死。
書けば、殺人。
生きるために、殺す。
殺せば、生きる。
“選択”など、初めから存在しなかった。
Bは片手で顔を覆う。
「……やるしかないか……」
嗤うでもなく、泣くでもなく。
たったひとつの事実だけが、胸へ突き刺さる。
──夜明け前の捜査本部。
静まり返った玄関ホールに、重たい足音が響いた。
「…………っ」
先に気づいたのは月だった。
月が振り返ると、エントランスの奥から歩いてくる影──
B。
白シャツは破れ、腕には擦過傷、それでも、その赤い瞳は冴えわたっていた。
そして、手に持っていたのは──黒いノート。
「……おかえりなさい、B」
Lがゆっくりと立ち上がる。
Bは何も言わず、そのまま歩き──ノートを指先でつまみ上げるように掲げ、二人に見せつける。
「……ありました。これが、キラの手口です」
月の目がノートに吸い寄せられる。
「……そのノート……まさか……」
「はい。“書いた名前の人間が死ぬ”ノート。そして、ページには──こんなことが書いてあった」
Bはページを開く。
硬質な紙に、英文で淡々と記された記述。
『このノートに名前を書き込んだ人間は、最も新しく名前を書いた時から、13日以内に次の名前を書かなければ、自分が死ぬ』
月が、息を呑む。
「……13日ルール……?」
Bはわざとらしく、ぺら、ともう一枚ページをめくる。
「他にもいくつか面白いルールがあるんですけど、Lの“興味”は、たぶんこれですよね」
13日……。
「……L。これが本当なら……僕とミサは13日以上拘束されてた。今も生きている僕は──キラであるはずがない」
月が勢い込んで詰め寄る。
その目には、わずかに“光明”の色。
だが──Lは、その反応に一切表情を変えなかった。
「……そうですね。もし“本当に”この13日ルールが真実ならば、その説は通ります」
「じゃあ……!」
「ただし」
Lが、一歩踏み出す。
そして、Bを見た。
「そのルールが、“偽り”だった場合──あなたは無関係では済まされませんよ。夜神くん」
月の口元が強ばる。
「……偽り……?」
「はい。“ノートに書かれているルールがすべて真実である”という保証は、どこにもない」
Bはにや、と笑った。
「はい。その通りです。ですから──私が試しました」
「……試した?」
Lの問いに、Bは一歩前へ出た。
ノートを胸に抱えたまま、微笑むでもなく、誇るでもなく──淡々と、しかし確かに“勝者”のように。
「──ええ、試しました」
Bは、ノートを少し掲げて見せる。
「このノートを、Beyond Birthdayの命にかけて“封印”しようと思います」
その言葉が落ちた瞬間、玄関ホールの空気が一気に沈んだ。
Lのまぶたが、一瞬だけ震えた。
月は、口元をわずかに開いたまま、次の言葉が出てこない。
Bは、そのままノートを開く。
ゆっくり、確かに、ためらいのない手つきで。
そこに記されていたのは──
───
“Beyond Birthday” 焼身自殺 2004年11月2日 22時22分 教会にてデスノートと共に焼身
───
時間が止まった。
「……っ……」
月の喉が詰まる。
何かを言いかけたが、声にならない。
Lは、一歩も動かない。
ただ、あの時の事件を見つめるような、冷静の仮面を張り付けたまま、ノートを見た。
「Bの勝ち、ですね」
Bが閉じる。
黒いページが、ぴたりと重なる音。
「……1度書いたことは取り消せない」
手をノートから離し、胸に抱える。
(Bの勝ちとは、このキラ事件、“Lが解けなかった事件”にすること)
赤い瞳が、真っすぐLへ向けられる。
(そして──誰にも渡さずに、消えること)
Lが問いかける声は、かすかに掠れていた。
「……あなた自身が、“自分の死”をノートに……?」
「ええ」
答えは迷いなく返ってきた。
それは、死を覚悟する者の声。
「Lはキラ事件を解けなかった。私が死ねば、ノートも消える。死神も、消える。証拠も何も残らない」
その瞬間、Lの喉がわずかに動いた。
月の拳は強く握られ、血が滲んでいる。
Bは一歩、近づく。
「つまり──私の勝ちですね。L──KIRA──」
チェックメイト。
Lは声を失い、月は息を呑むことすら忘れて、ただその男を見つめていた。
──Beyond Birthdayは、この事件の終着点をすでに決めている。
自分の死こそが、Lへの回答だ。
13日後。
ノートと共に、跡形もなく──
[newpage]
●エピローグ
黒と白の駒が、盤上で激しくぶつかり合っていた。
Bの手は迷いがなく、まるで結末をすでに知っているかのように、鋭く駒を進めていく。
Lは姿勢を崩さず、その動きをじっと見ていた。
「今日は、ずいぶん強気ですね」
「ええ。私が“守り”に入ったことなんて生まれてから一度もありません。──私は強気な攻めです」
Bは、赤い瞳を細め、黒のビショップを滑らせる。
カチ。
その音が、静まり返った部屋に硬く響く。
「あなたの防御は美しい。でも、それだけでは、いつか盤の端に追い詰められます」
「……私を詰ませるつもりですか?」
「ええ。“証明したい”んです。Lが“完全ではなかった”ということを」
Bは、黒のクイーンを指で滑らせながら、ゆっくりと口を開く。
「……どうですか?」
Lが目を上げる。
「?」
赤と黒の視線が交錯する。
「私は、あなたを──超えられましたか?」
静寂。
Lは、手の中の白いナイトを見つめたまま、しばらく動かない。
黒のクイーンの斜線が、Lのキングの正面を射抜くように伸びていった。
Bは駒を見ずに、Lの顔をじっと見つめた。
「私は、あなたを愛していますよ。L。心から、尊敬しています」
Lの瞳が、かすかに見開かれる。
Bはその変化を見逃さない。
「あなたを“超えるために生まれ”、あなたに勝つために生きてきた。だから、この終わりには満足しています」
Lは顔を上げた。
その瞳には、感情の色がほんの少しだけ宿っていた。
「私は、満足なんてしていません」
Bの手が止まる。
「あなたは“私を超えるため”に生き、“私を倒すため”に死のうとしている。でも、私はそんな終わりを、望んだ覚えはありません」
Bの表情が、ほんのわずかに歪む。
笑っているのか、悲しんでいるのか、その境界が曖昧になる。
「……いいんです」
Bは目を伏せ、ゆっくりと息を吐いた。
その声音は、どこか遠く、もうこの世界の重力から外れ始めているようだった。
「私はいくつもの“死”を見てきました。被害者の死──Aの死──父や母の死──でも、自分の“死”だけは、ずっと見えなかった」
Lは何も言わない。
ただ、目の前で語る男の声を、最後まで聞こうとしていた。
「いつ、どう死ぬのか。その不確かさが、私を蝕んでいた」
Bは笑う。けれどそれは、勝者の笑みではなかった。どこか救われた者のように穏やかだった。
「だから、ようやく安心できるんです。“自分の終わり”が、確約された今、この世界が確かに私
の死へ向かって動いている。こんなに、安心して眠れる日は産まれて初めてですよ」
Lは、わずかにまぶたを伏せた。
「……そうですか」
小さく、それだけを返したあと、Lは両手を膝の上に重ねた。
「私は、あなたに……ずいぶんと重いものを、背負わせてしまいましたね」
Bが首を傾げる。
赤い瞳が、Lを見上げる。
「あなたが“私を超える”という言葉を口にしたとき、私はそれを“挑戦”として受け止めていました。でも──違ったのかもしれません」
Bのまつげが、ほんのわずかに揺れる。
Lは言葉を選ぶように、ひとつひとつ丁寧に続けた。
「“超える”という言葉の奥にあったのは、きっと……認められたいという気持ちもあったでしょう。それを、ずっと私に求めていたんですね」
Lはそこで小さく息を吐く。
冷たい理性の殻が、ほんの少しだけ軋んでひび割れる音がした。
「……もし、あのとき少しでも、あなたの苦しみを“共有”しようとしていたら。あなたは、こんな形で“安らぎ”を探すことはなかったかもしれません」
Bは目を開けると、ゆっくりとLを見た。
その表情には、どこか子供のような優しさがあった。
「いいんです、L。あなたが私を“見ていた”から、私は今ここにいるんです。重荷なんてものは、最初から尊敬に近い。だって、私は“Lのバックアップ”として生まれたのですから」
Lは微かに息を飲む。
その瞳に、一瞬だけ光が揺らめく。
「……それでも、私は、あなたを“理解”するには遅すぎた」
盤上の駒が、もう動ける場所を失っていた。
黒のクイーンが、白のキングを追い詰める。
カチ。
その音は、まるで時計の針の最後の一秒のように響いた。
Bは指を離すと、淡く微笑んだ。
「……チェックメイト、です」
Lは盤を見つめたまま動かない。
白のキングのすぐそばに、黒の影が重なっている。
その距離は、まるで二人の関係そのもののようだった。
「……時間です」
Bは立ち上がった。
光のない赤い瞳が、静かにLを見下ろす。
「B……」
Bは椅子から下りると、ぐっと腰をのばし、Lの真似をするわけではなく、普通の青年としてそこに立っている。
「L、先に待ってます」
歩く足音が、重く響く。
手がドアノブに触れたとき、彼は振り返らずに言った。
「……あなたの物語の一つに、私がいられたこと。それだけで、生には意味がありました」
──カチリ。
扉がゆっくりと開く。
その向こうから、やわらかな光が差し込む。
まるで、天国への扉が、開かれたかのように。
「産まれてよかった。あなたに出逢えたから」
扉の隙間から差し込む光は、彼の輪郭を静かに削り取っていく。
「さようなら、L」
残されたLの前には、倒れた白のキングだけが残っていた。
その小さな駒に映る影は、まるで、まだそこにBが座っているかのように見えた。
✧✧✧
Bは車を走らせていた。
地図もない、目的地もない、ただただ気ままに──シナリオ通りに。
気づけば軽井沢方面へ向かっていた。
「らん、らん、らん……」
助手席には黒いノート。
後部座席には、白い死神レムが座っていた。
レムは言葉を発さない。ただ、Bの背中をじっと見ていた。
「……お前は、驚かないのか」
不意に、後部座席で低く響く声がした。
「死神を目の前にしても、怯えもしない。人間なら誰でも、死神を見れば震えるものだろう」
Bは片手でハンドルを回しながら、少しだけ笑った。
「驚かないですよ」
レムは、少しだけ目を伏せた。
「……お前は、自分が死ぬことを恐れないのか」
Bは即答した。
「恐れません」
「……そうか」
レムの声は、どこか遠くで響く鐘のように短かった。
Bは軽く笑みを浮かべ、前を見据えたまま、デスノートの挟まった一枚の写真を取り出す。
──Lとの別れ際に、手渡されたもの。
指先で光を遮ると、写真の中の彼女が浮かび上がった。
──南空ナオミ。
FBI時代の証明写真。
整った顔立ち、迷いのない瞳。
その奥に宿る強い意志が、未だに紙越しに伝わってくる。
Bは小さく呟いた。
「……この人と、一度だけ事件を一緒に解いたことがありました。思った以上に強いFBIでした……」
レムは黙って聞いている。
その視線の奥には、興味とも哀れみともつかない色が揺れていた。
Bは写真を死神の目で見つめる。
寿命も、名前も、何も見えない。
「……南空ナオミ。みそらなおみ、元々寿命は長くなかったけど……キラに殺されるとは……」
Bはハンドルに指を預けたまま、写真を見つめた。
ライトがナオミの顔を照らし、印画紙の中で微かに笑っているように見える。
「ああ、私後悔してます。あの時、名前を簡単に教えるべきじゃないと彼女言えばよかった……しかし、簡単に見えるのこの目の前では無力か?……くくくくっ」
レムの白い指が、動く。
「……その笑い方、」と低く呟いた。
Bがハンドルを握ったまま、ちらとバックミラー越しに目をやる。
「私の知り合いの死神に、似ている」
「へぇ?……死神は他にもいるのか?」
「ああ。いる」
Bの口元に笑みが浮かぶ。
「ふぅん?知り合いの死神って?」
「……リンゴの好きな死神だ」
「へぇ……そいつも、笑うのか?」
「ああ、笑う」
レムは目を細めた。
「なるほど。死神も、笑うんですね」
沈黙のあと、レムが切り出した。
「ところで、お前──なぜ“目”を持っている」
Bの指がハンドルの上で止まった。
「ああ……そのことですか」
彼は短く息を吐き、ゆっくりと笑う。
「私にもわかりません。生まれたときから、見えてました。……ただ、それが“普通”だと思ってました」
「普通ではない」
レムの声が少し低くなる。
「人間に死神の目が宿ることなど、あり得ないんだが……」
レムは窓の外を見た。
「……そのノート同様に──“死神の目”を落とした死神がいたのかもしれない」
Bは目を細めた。
「目を……落とした?」
「ああ。死神の中にも、退屈や好奇心に負けて、規則を破る者がいる。ノートを落とした死神がいるように、目を人間界にうっかり落とした者がいたのかもしれない」
Bは片手でハンドルを軽く叩いた。
「じゃあ、レム──死神界に帰ったら言っといてくれ」
レムが首を傾げる。
「何をだ」
「“二度と目を落とすな”って──。拾った人間が、不幸を見るって」
その言葉に、レムはわずかに肩を竦めた。
「……そうだな、伝えておこう」
小さく頷いたあと、レムは目を細めた。
「“断定はできないが”、死神の中には“目”をたくさん持っている者がいる。あれは、落ちてる死神の目を繁殖させる少し異常な個体だ」
「へぇ……そんな死神がいるのか」
「いる。……そいつがうっかり一つ、落とした可能性がある」
Bは笑う。
「死神も案外どんくさい」
「……私も、“右目がない”しな」
レムの声が、ふいに低く落ちた。
Bは軽く振り向いた。
「へえ?」
「どこかで落としたのかもしれない」
レムは自嘲するように口角をわずかに動かす。
「気づいた時にはもう、なかった。死神にとっても“目”は命と同じだが、長く生きすぎると、何かをなくすのが当たり前になる」
Bは鼻で笑った。
「はた迷惑ですね。落とし物で、人間一人がこうなるなんて」
「……そうかもしれないな」
レムの声が、少しだけ砂を噛んだように低くなる。
「……私も、目を持って不幸になった者を見てきた」
Bは無言で、わずかに首を傾けた。
(目を、持って?──他にもいたのか)
レムは視線を逸らさずに続ける。
「誰かは言えない。けれど、私は──“彼女”のそばにずっといた」
灰のような静けさ。死神の言葉に、温度も感情もないのに、なぜか“痛み”だけが残る。
「……あの時、私は思ったんだ。目を与えなければ、あの子は、幸せだったかもしれない、と」
レムは、吐き出すように言葉を置いた。
「──後悔している。死神でありながら、与えることしかできないと思っていた自分が、思えば大事なものをたくさん奪っていた──」
Bの目がわずかに細まる。
「……“目を持つ者”は、他にもいるんですか?」
レムはしばし沈黙した。
沈黙が、ため息のように重く垂れたあと──
「取引をすれば、誰でも持てる」
「取引?」
「そうだ。デスノートの所有権を持ったものが寿命を“半分”寄越せば、“死神の目”を手にできる」
Bの唇が小さく動く。
「寿命を……半分」
Bは、何気ない調子で──けれど異様に具体的な口ぶりで問いを重ねた。
「もし、その“目の取引”をした人間が──“子供を産んだら”どうなりますか?」
「……子供?」
「ええ。たとえば、親が“死神の目”を持ったまま、生き延びた場合。生まれてくる子供にも、その力が“遺伝”するんですか?」
レムは軽く悩んだ後、答えた。
「それはないだろう」
レムはゆっくりと首を振った。
「だが……分からない、というのが正しい答えだ」
「……………」
「昔から、“死神の目”は人間のために取引されてきた。命と引き換えに、見えるようにする」
レムは遠い記憶をなぞるように言葉を続けた。
「しかし、その歴史を、正確に知る死神なんていないだろう。──いや、知ろうとした者がいなかったのかもしれない」
レムは、ゆっくりと息を吐いた。
「だから断言はできない。理屈の上では、ありえない。けれど、“例外”が起きたとしても、不思議ではないのが……この世界だ」
「……そうか」
そんな会話を交わしながら、車は森の中へと入っていく。
ナビもなく、灯りもほとんどない。
ただ、覆われた道が、月明かりを反射して白く光っていた。
──21時44分。
Bはブレーキを踏み、エンジンを切った。
遠くで、どこかの鐘がひとつだけ鳴る。
「──今日はよく鳴るな……」
ドアを開け、冷気が頬を打つ。
デスノートとライターを手に、彼は歩き出した。
レムがその後をゆっくりとついて行く。
やがて、木々の間に、崩れかけた教会が見えた。
石造りの外壁はひび割れ、窓は半分ほど砕け落ちている。
入口には「立入禁止」の札が何枚もぶら下がっていたが、Bはそんなものには目もくれず、教会の扉を押し開ける。
蝶番が軋み、冷たい風が内部を駆け抜けた。
教会の中は、古びていたが、まだ生きている。
埃の粒が月の光を浴びて、空中で止まっていた。
Bはしばらく黙って空気を味わったあと、入口付近に置かれた古い木製のピアノの前に立つ。
鍵盤を開けると、埃がふわりと舞い上がった。
指先で一つ押す。低い音が鳴る。まだ、生きていた。
「……………」
Bはふと、ピアノの前に腰を下ろすと、鍵盤に手を当て、息を吸い込んだ。
次の瞬間、音が流れた。
ショパンの幻想即興曲第13番──崩れた教会に似つかわしくない旋律が、冷気を撫でるように広がっていく。
Bは譜面も見ずに、ただ、記憶の通りに弾いていた。
指先は迷いもなく、まるで過去に戻っていくように。
「……良い曲だな」
レムの声が、後ろから低く響いた。
Bは曲を弾きながら答えた。
「昔、少しだけ弾いたことがある」
Bは、鍵盤の上で手を止めた。
音の余韻が、教会の崩れた壁に吸い込み、記憶を蘇らせる。
──思い出す。
ワイミーズハウスでのこと──
雨の音と、ピアノの音が混じっていた──
小さな部屋に、二つのベッド──
同じ部屋の片隅で、Aが弾いていた──
「──“解答が存在しないから音楽が好きなんだ”」
いつしかAは、そんなことを言っていた。
AはLみたいに、“正しい答えを探すのが性に合わなかった”。
だからこそ、“Lには向いてなかった”。
『解答のないもの』
その時、はっとした。
解答のないものをLに提供したらどうなるのだろう、と。
Aは、鍵盤の上で指を踊らせながら、ふとこちらを見た。
「バースデイも、一緒に弾くかい?」
Bはしばらく、その背中を見ていた。
Aの指は止まらず、音が流れている。
解答のない旋律。
出口のない迷路。
──それはそれは、美しかった。
「……弾いたこと、ない」
「関係ないよ。弾きたいか、弾きたくないかだけでいい」
Aが少しだけ体をずらして、席を半分空けた。
Bは、何も言わずに隣に腰掛ける。
鍵盤の白が、思ったより眩しかった。
「好きな音を弾いてみなよ」
Aが言った。
だから、Bは適当に押した。
ド、ミ、シ。
音が鳴った。
たったそれだけのことが、妙に心地よかった。
Aは鍵盤の上で、まだ余韻の残る指を軽く叩いた。
「音楽って、良いだろう?」
Bは黙ったまま、押したばかりの鍵を見つめていた。
「……良いとか悪いとか、“分からない”」
Aはキョトンとした後、楽しげに笑った。
「ははは、“分からない”、か。それもひとつの答えだ」
Aは微笑んだ。
「音楽の前では善も悪も無力だ。答えなんてないからこそ、“間違いもない”」
Aの声は、音よりも静かだった。
「“理解されない”ってことは、“自由”ってことでもあるんだ。“誰にも囚われない。誰にもならない”。“自分だけのもの”だ」
Bは隣にいる唯一の先輩に目を向けた。
「──自分だけの?」
「そうさ、バースデイ」
AはそっとBの手を重ねると、月明かりのような笑顔で笑った。
「君がこれから弾くのは、“自分の音”だ。──思うまま、自由に、“オリジナル”を奏でればいい」
Bは鍵盤に指を置いた。
何の音を出すかも分からないまま。
それでも、押した。
世界のどこにも存在しない、Bだけの音──
Bは、最後の音が消えるのを待つようにして、指を離した。
ピアノの蓋をそっと閉じる。
「……もうすぐ、会えるな、A」
独り言のように呟いた声は、どこか懐かしげだった。まるで、隣に“かつての友達”が今も座っているかのように、空席に微笑みかけた。
ピアノから離れると、教会の奥、朽ちた木製の棚に目が止まった。
埃をかぶった紙束──名簿のようなものが、無造作に置かれている。
表紙は破れ、インクも褪せているが、なぜか“呼ばれたような”気がして、Bはそれを開いた。
──そこには、整然とした文字が並んでいた。
名前が、ずらりと。
(こんなに沢山の名前……)
ページをめくるたびに、びっしりと刻まれた文字列が視界を埋め尽くす。
呼吸のたびに、乾いた紙の匂いが肺を刺した。
Bは、その列のひとつひとつを無意識に追っていた。
──名前。名前、名前、名前。
──Bが、生まれてから死ぬまで見続けてきた光景と似ている。
人の顔とともに、頭上に浮かぶ“数字”と“名前”。
幼い頃からずっと、それが世界の“当たり前”だった。
他の誰にも見えない、永遠の名簿。
生きている者たちの寿命が、砂時計のように減っていく様を、Bはずっと眺めてきた。
それがどれだけこの心を蝕まれたか。
「……ッ」
指先が止まった。
そこに並ぶ無数の名前の中で、ひとつの文字列が、Bの視界を鋭く貫いた。
──Raye Penber Naomi Misora.
Bの瞳孔が開き、呼吸が止まる。
「……レイ・ペンバー……南空ナオミ……?」
なぜこの名前が?と考えてすぐに気づいた。
これは、ただの名簿ではなく、──婚姻記録簿だった。
それは、かつてこの教会で“永遠を誓った者たち”の名を記すものだった。
死者の名でさえ、ここでは“まだ結ばれている”。
この場所は確かに「結婚式場」だ。
だが、幸福の名残など、黒いノートの前では無力だ。
Bは、冷たい手で心臓を掴まれたような感覚に襲われた。名簿からゆっくりと顔を上げると、また鐘の音がひとつ鳴る。
「……………」
天井を見つめボーッとしていると、薄暗い聖堂には鼻をさす匂いが混じる。
違和感に気づくまで、時間はかからなかった。
視線を巡らせる。
朽ちた祭壇。倒れかけた十字架。
Bはゆっくりと歩み寄る。
教会の一番奥──パイプオルガンの裏側。
通常、参列者からは絶対に見えない位置。
式の最中なら、奏者以外、誰も立ち入らない場所。
そこに──“人の足”があった。
「、……」
Bは息を呑んだ。
近づくたびに、空気が変わった。
甘ったるく、しかし鉄のような匂い。
それは「時間の経過」を嗅覚で感じさせる腐臭だった。
Bは、しゃがみこみ、死体を見つめる。
全身が硬直し、皮膚は乾いて剥がれかけている。
顔の輪郭はもう失われ、誰なのかを特定できるほどの形は残っていない。
「………。……?」
死体の胸元、ジャケットの内ポケット。
黒い何かが覗いている。
Bはゆっくりと手を伸ばした。
指先が触れた瞬間、紙のような感触が伝わる。
それは一枚の“名刺”だった。
──そこにはこう、記されていた。
『DETECTIVE ・ Luxaky Luee』
数秒、音が止まった。
風も、呼吸も、世界も。
Bの指先から、名刺が落ちかけて宙を彷徨う。
──Luxaky Luee。
その文字を見た瞬間、心臓の奥で何かが弾けた。
目の奥に、遠い記憶がフラッシュのように蘇る。
──初めまして。竜崎と呼んでください。
──竜崎さん──竜崎さん──竜崎さん──何者だっ!──変わった食事をされるんですね──私立探偵ということですか?──竜崎さんだってあるでしょう?──守秘義務──謎の私立探偵みたいなのが現れて──不気味というか無様というか──鍵を持ってない時──子供を殺すなんて酷い──ぐはあっっ!──攻めですか──不謹慎なんです──犯人はB──勝ち負けの問題なんですか?
──竜崎さん──竜崎さん──竜崎さん
──竜崎さん──竜崎さん──竜崎さん
──竜崎さん──竜崎さん──竜崎さん
──竜崎さん──竜崎さん──竜崎さん
──竜崎さん───────
──竜崎ルエ
「─────ッ」
『──ビリーヴ・ブライズメイド、クオーター・クイーン、バックヤード・ボトムスラッシュ、以上三人に対する殺人容疑であなたの身柄を拘束します』
あ……あ、ぅ──
『──あなたには黙秘権がありません』
あ、あ、あああ──
『──あなたには弁護士を呼ぶ権利がありません』
……あ、あああ……あああああ……
『──あなたには裁判を受ける権利がありません』
あ……あ……ああぁ……ああああ……ぁ……あぁ……ぁぁあ……あああ……ッ……
『──現時刻をもってあなたを逮捕します』
ああああああああああああ───
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……!
誰か……誰か……!
誰かァ──────
──殺してくれ
「ッ!」
はっと意識を戻したB。
「ハッ、ハッ、ハッ……」
体が熱く燃え、汗が名刺にポタポタと涙のように落ちる。
──南空ナオミだ。
あの聡明な瞳。
自分がかつて“竜崎ルエ”と名乗り、彼女に渡した、唯一の“名刺”。
これを持っているということは──この腐敗した死体は──
──南空ナオミ本人だ。
Bの唇が、かすかに動いた。
声にならない吐息が零れ、それがゆっくりと言葉になる。
「……なに、してるんですか、こんなところで……」
その声は、まるで彼女がまだそこにいるかのように、やさしく、静かだった。
Bは膝をついた。
血と埃と、長い年月が染みついた床。
指先が震えながら、ナオミの頬のあたりに触れた。
「……死の間際まで、あなたに会うとは──本当に不幸だ……」
腕を出す。
“夜神月からもらった腕時計”──秒針が一刻一刻と進んでいる。
寿命が近づく──
──22時12分。
針がひとつ進むたびに、胸の奥で鐘の音が鳴った。
「もうすぐ、時間ですか」
Bは立ち上がり、ゆっくりとデスノートを取り出した。
表紙を撫でる。まるで古い友人の顔でも確かめるように。
「──終わりにしよう」
そのまま、ナオミの胸元にデスノートを置いた。
閉ざされた聖堂に、紙の擦れる音が妙に響く。
次に取り出したのは、ガソリンが入った缶。
Bは迷いなく、それを教会の床一面に撒き散らした。
古びた木の板が吸い込み、重たい匂いが立ちこめる。
最後に、銀色のライターを親指で弾いた。
カチ。
──ぼうっ!
炎が瞬く間に広がる。
熱が押し寄せ、頬を焼く。
教会の壁が、長い眠りから目を覚ますように、赤く染まっていく。
「……────」
Bはナオミの死体を抱えると、燃え上がる十字架を見上げながら、脳内に響く音があった。
──カーン、カーン、カーン。
鐘の音。
それが幻聴か、記憶か、もう分からなかった。
Bの口元が、かすかに動いた。
「……A。やっと、“答えのない音”が聞こえた」
◈◈◈
夜明け前の空は、まだ灰色のままだった。
焼け焦げた木の匂いと、湿った灰が風に乗って流れてくる。
教会は、もう“建物”の形をしていなかった。
瓦礫の下から覗くのは、黒く溶けた鉄骨と、白く崩れた灰。
焦げた瓦礫の上──Lが立っていた。
白いTシャツの裾が、風に揺れる。
地面には消防車のタイヤの跡と、何人もの人間がここへ駆けつけたような足跡。
燃え残ったものは少ないが、ピアノの鍵盤が、一本だけ落ちていた。
Lはしゃがみ込み、その鍵盤を拾い上げた。
Lは灰まみれの指で、そっと鍵盤を撫でた。
焼け跡の匂いの中に、かすかに甘い旋律の残響が漂っている気がした。
「……God is tot」
口の中で転がすように、Lは呟いた。
“Rest in peace, Beyond Birthday.”
そう言ってLは焼け焦げた十字架を見つめた。
そこには骨のようなものが落ちている。
Lは男性と女性らしき骨を手にすると、じっと見つめた後、後ろを振り向いた。
丸い腰のまま、瓦礫から飛び降りると、灰色の空の下、LはBを背負って歩き出した。
Bが残した未来──寿命が尽きる、その時まで。
あれから、数ヶ月経ったが──キラ事件は、結局「未解決」のまま終わった。
誰も“真実”を掴めず、誰も“正義”を証明できず──自分がキラだった証拠も記憶もないまま──夜神月は侵食された月を見上げた。
◈◈◈
──午前3時。
ワイミーズハウスの廊下に、古いモニターの点滅音が響いた。
ピ、ピ、ピ……。
ピピッ。
13
12
11
カウントダウンが、無機質に降りていく。
“Beyond Birthday — Deceased.”
数秒後、同じ画面にもうひとつファイルが現れた。
タイトルは、冷たいフォントでこう記されていた。
▶︎[[jumpuri:ウィンチェスター爆弾魔事件 > https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=26335435]]
そして、その下に一行だけ。
“For the one who succeeds L”
──ピ。
通信は、そこで途切れた。