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軍の講堂には、軍服姿の将校や軍医たちが整然と並んでいた。父、憲一と二ノ宮の姿もある。壇上には軍旗が掲げられ、厳かな空気の中、一人ずつ名が読み上げられていく。
「安藤将臣軍医」
将臣は一歩前へ進み出ると、静かに壇上へ上がった。
司令官から将臣へ辞令書が手渡される。
「司令部勤務を命ずる!」
静かな拍手が講堂に広がる。
誰もが栄転を祝う中、将臣だけは受け取った、その白い辞令書をじっと見つめていた。
(この紙切れ一枚が……妙に重い)
「以上をもって、辞令の交付を終える」
司令官が席へ戻ろうと踵を返した、その時だった。
「お待ちください」
将臣の低く鋭い声が、講堂の天井に響き渡った。
司令官の足がピタリと止まる。居並ぶ将校たちが、一斉に将臣へと視線を向けた。
列の中にいた憲一と二ノ宮が、息を飲む。
将臣はまっすぐに司令官を見据えて深く一礼した。
「恐れながら──」
指先が白くなるほど、辞令書を強く握りしめる。だが、その瞳は一切、揺がない。
「この辞令……固辞いたします」
一瞬、講堂から全ての音が消え去った。
「……今、何と言った?」
司令官の低く冷たい声。
次の瞬間、後方から大きなどよめきが沸き起こった。
誰一人として、目の前の光景を理解できない。軍において栄転の辞令を自ら蹴る軍医など、前代未聞だったからだ。
「辞令を断ったのか!?」
「安藤軍医が!? 正気か!?」
「司令部勤務だぞ! 断る人間がどこにいる!」
ざわめきが広がっていく中、憲一は目を見開いたまま凍りついていた。信じられないものを見る眼差し。その眉間には、恐ろしいほどの深い皺が刻まれていく。
ギィッと重い音を立てて、憲一の椅子が引かれた。ゆっくりと立ち上がる。
講堂のざわめきが、すっと引いていく。
憲一の殺気立った視線が、壇上の将臣を射抜いた。
「……貴様っ」
低く押し殺した声。だが、それだけで空気が凍りついた。
「自分が何を言っているのか……わかっているのかっ!!」
将臣は、父の怒号から一切視線を逸らさなかった。
「──はい」
短く言い放たれた一言が、憲一の怒りに油を注いだ。父は一歩、前へ踏み出す。
「栄転を蹴って……お前は何のために軍医になったっ!!」
講堂中に響き渡る憲一の咆哮。
将臣は拳を固く握り締めた。
「……私は今まで、自分を偽って生きてきました」
静かだが、腹の底から響く声だった。
「私はこれからも現場に立ち続け、一人でも多くの患者を救いたい。……それが、私の意思です」
(これが、私の本当の信念だ。もう二度と、自分をごまかさない)
一度だけ静かに目を閉じ、そして憲一の目をまっすぐ見つめ直す。
講堂中の誰もが息を飲み、言葉を失っていた。
将臣は壇上で深く一礼すると、迷いのない足取りで講堂を後にした。その背中には、一切の躊躇も未練もなかった。
二ノ宮は思わず半歩前へ出ると、講堂を飛び出して将臣の後を追った。