僕は安倍晴明。
妖怪たちが通う百鬼学園に赴任してきた、人間教師。
弐年参組の担任で、担当教科は国語。
そんな僕には、ひっそりと抱いている恋心がある。
この百鬼学園を統べる学園長、蘆屋道満を好きになった。
最初は、近くにいるだけで体温が上がって、恥ずかしくて、学園長に聞こえてしまうんじゃないかと、思えるほど
心臓がバクバクと鳴るものだから、悪い病気かと思った。
同僚に相談するにも気が引けるし。双子の兄である雨にも言えなかった、だから
この症状について一人でひたすら調べ続けた。ネットの片隅、図書館の古びた本の中、あらゆる情報源を当たった。
結果は病気、それも四百四病。
所謂、恋の病気。
そう自覚してからは、
心の中に様々な感情が芽生え、そして散っていった。
これは決して実らない恋だ。
なにせ、彼は上司で、僕はただの部下に過ぎない。
恋愛感情など、彼の中に芽生えるはずもない。
何より同性同士。
社会が、そして彼自身が、決して認めない壁がある。
同性愛。それについては理解がある方だと思う、でも、僕が良くても周囲はどう見るだろう。
同僚たちは? 生徒たちは? そして何より、学園長は………?
もしもこの胸の内を吐露して、受け入れてもらえなかったら。拒絶の言葉を突きつけられたら。
その時、僕はどうなるのだろう。拒絶されて、気まずくなって、
きっと、二度と今のように、他愛のない話もできなくなる。
ほんの少しの希望に賭けて、今ある全てを失う。そんな賭けに、僕は震えるほどに怯えていた。
何より恐ろしいのは、僕の身勝手な振る舞いで、学園長は周りから異様な目で見られてしまう。
それは、彼の高潔な人柄や、築き上げてきた全てを汚すことに等しい。
無責任に彼を傷つけ、彼の立場を危うくする。そんな真似だけは絶対にしたくない。
だから、僕は………
僕は……この産まれたての感情を、このふわふわとしてキラキラした恋心に蓋をした。
二度と、顔をのぞかせることがないように。
そうして、平静を装って日々を過ごしていた。
変わらない日常、教壇に立って授業をする。 毎日何かしらのトラブルで巻き込まれ、みんなを巻き込みつつ、
学園長に怒られる。怪我をすれば明くんにお世話になりつつ、
教員室に戻れば友達の2人と日々を駄べっている、そんな幸せな日常を永遠に過ごしていくのだと、そう思っていた。
…………今日までは。
辺りが夕暮れに染まる頃――
今日は久しぶりに、凛太郎くんと飯綱君、そして何人かの先生たちと飲みに行くことになった。
少し遅れてから居酒屋に到着して、引き戸に手をかけた。その瞬間、
沸騰したような熱気と、アルコールの匂い、そしてけたたましい談笑が、外の冷気を切り裂くようにして視界に広がる。
揚げ物の香ばしい匂い、熱燗から立ち上る湯気、そして上機嫌な笑い声に包まれる。
誰もが日々の疲れや明日への憂いを一時忘れ、この賑やかな宴に酔いしれていた。やがて、
一人、また一人と教師たちが酔いつぶれた頃――
酔っぱらった道満の一言で、今回の悲劇を起こしてしまった…。
「――だから!! 僕は晴明公じゃありません!!! 何で、何で間違えるんですか…⁉
何回呼び間違えたら…っ、気が済むんですか…っ!」
「違っ、違います、本当に違うんです!晴明くん、落ち着いて下さい、申し訳ありません…」
腹の底から響くような怒声に、道満は一気に血の気が引く。
酒の酔いは一瞬にして醒め、晴明の見たこともない峻烈な怒りに、道満はただ、ひたすらに謝り続けていた。
「道満さんが晴明公を大切に想っているのは分かってます…でも、
でもあんまりじゃないですか…っ、これで、これで何回目だと思って、…っ、」
「申し訳ありません…、どうか泣かないで、泣かないで下さい…貴方に泣かれてしまうと、私は……、」
好きな人に〝前世の自分〟と名を呼び間違えられた事に、晴明は涙を流しており、
道満はその涙を何度も指で拭い、そっとティッシュを差し出すが、
拭っても拭っても、晴明の涙は次から次へと止め処なく零れ落ちていった。
「どうして……っ、どうして酔う度に僕の事を〝せいめい〟って…何度も何度も呼ぶんですか…っ、」
「それは、その…、本当に申し訳ありません」
「……謝って欲しいんじゃないです、理由を聞いてるんです。
教えて下さい、どうして間違えるんですか…、」
好意を抱いている人に名前を呼び間違えられる、それはあまりにも辛くて、
血が出るわけでも、熱を持つわけでもない。ただ、いつまでたっても消えない
ちくちくとした痛みが繰り返される。その小さな間違いが、最近の悩みの種でもあった。
学園長が酔っ払ってしまう度。もちろん、シラフの時でも平気で間違える。
これが1度や2度では無い。軽く二桁は超えてしまっているだろう。以前にも間違える理由を聞いた事はあるが、いつもの調子で煙に巻かれて終わりだった。だが、今日という今日は……
いつものように曖昧な笑顔でかわされる前に、学園長から本音を引き出す覚悟を決めていた。
「っ、と、その…本当に申し訳ありません、」
「どうしても、名前を呼び間違える理由を教えてはくれないんですね…」
「分かりました、もう良いです。これ以上は聞きません」
「……晴明くん、すみませ…」
「もう帰ります……」
「えっ、ちょ……晴明君!」
後ろから自分を呼び止める声を無視して、席を立つ。
周りの誰もが寝息を立てる中、この情けない会話が聞かれていなかったことに、
まずは安堵した。しかし、その安堵の裏側で自分自身への嫌悪感が、心にじんわりと広がっていくのを感じた。
「皆のこと、ちゃんと家まで送ってくださいね。学園長」
「ちょっ…、と待って下さい、本当に、待って下さい!」
「待ちません、何回伝えたと思ってるんですか?
『次は間違えないで下さいね』そう何度も何度も貴方に伝えて来ました。直る事はありませんでしたけどね」
「それは、本当に申し訳ありません、ですがもう少しだけ話をさせてください、
本当に違うんです、待って下さい、お願いします! 晴明くん!」
道満が発する焦りの声は、震えを帯び、縋るように何度も晴明の名を呼んだ。だが、その声は空を切る。
晴明は一切の情を切り捨て、居酒屋の扉を閉めた。教師寮の部屋へ急ぎ足で向かいながらも、
晴明は拭うことのない涙を流し続けた。
「僕は、僕なのに…っ、結局1度も、僕の事は……っ」
彼は、最初から僕など見ていなかった。
自分を教師にしたのも、僕という器に、あの人の魂が宿っていたからだ。
そう気づいた瞬間、あのとろけるほど甘い熱を帯びた瞳は、
僕という皮一枚隔てた向こうにいる〝僕ではない誰か〟に向けられていたのだろう。
「う゛っ…ぷ、ぅお゛え………ッ」
飲んだ酒が今になって回ってきたのか、それとも、いろんな感情がごちゃ混ぜになったせいか、
どろどろとした感情のすべてが、ごぽりと音を立てて吐き出された。
「げほっ…ッ、う゛……っ、ごほッ、」
どくどくと嫌な程、心臓の音が全身に響く。やけに存在を主張するその音に
自然と呼吸も浅くなって、気づけば、目の前の光景が涙で滲んでいた。
「な、なんで……?蓋したのに……」
蓋をしたはずのナニカが、這い出てくるような、そんな気がした。
日々の中で学園長と少し話せたり、会えたりするだけで時々きゅっとなる。
心臓がこそばゆくて。でも、いつしか少しずつ黒くて濁った欲が、
僕に触れて欲しいと訴える欲が溢れてくるようになった。
「…………は、ぁ……はぁ……、」
しばらくしてから浅くなっていた呼吸を整え、
顔は涙と吐いてしまった時に着いた唾液でぐちゃぐちゃになったので、
よろよろとしながら洗面所へ洗いに行く。鏡の中の、見慣れないほどやつれた自分をじっと見つめる。
「………」
戻ってきてから、使い捨ての手袋とレジ袋を使って、
黙々と吐いたものを片付けて捨てる。
なんとなく、袋に入れたナニカの呼吸を止めるように空気を抜いて、
結び目を二重、三重に。しっかりと口を縛った。
「明日も学校だから、今日はもう…寝ちゃおう……、」
拭っても拭いきれない涙のせいで、視界は滲んだまま、
晴明は冷え切ったベッドに横たわって、鉛のように重い瞼を閉じた。
次の日。
昨夜泣きすぎたせいか、鳴りやまない頭痛に目を覚ます。
ひんやりとした空気が肌を滑るのと同時に、喉は砂漠のように乾き、
吐き気を伴う嫌な感覚が胃の腑を這い上がってきた。
二日酔いにでもなったのだろうか。あるいは風邪か。
答えの出ない問いを頭の中で反芻しながら、意識のないまま洗面所へと向かう。
「……うわぁ~、目が腫れてる………、
どうしよう…凛太郎くん達に心配かけちゃう…よね……」
腫れてる目を少しでもマシにしたくて氷水で冷やすが、それでも全く腫れも赤みも引かなかった。
ただこのままだと日課であるマンドラゴラ達のお世話が出来なくなってしまうので、
仕方ない…と腫れた目のまま準備をして学園に向かった。
「マシュマロ~! のり子~! カズ夫! 皆おはよぉ! ちょっと遅くなっちゃってごめんね…!」
「あっ! せーめーくん! ……あれ? 目が赤いよ? どうしたの?」
「あ、えっと…実はね、セーラーがビリビリに破けちゃった夢を見ちゃって……トホホ」
「そっかぁ…」
マシュマロたちの無邪気な声に耳を傾けているうち、張り付いていた涙の痕が、少しだけ剥がれた気がした。
目の腫れはまだ残っているが、ひどい赤みは引いている。これなら凛太郎くんや飯綱くんから誤魔化せる…
そう思いながら、完璧な笑顔の仮面を被って、職員室へと向かった。
(昨日のこと、学園長に謝らないと……)
癇癪を起こし、学園長に怒鳴りつけた自分を心の底から軽蔑した。
大人げない、見苦しい振る舞いだった。そんな自責の念にさいなまれながら、晴明は重い足取りで職員室の扉に手をかけた。
ドアを開けるか開けないか、わずかな迷いのさなか、
中から自身の名と話し声が聞こえてきて、晴明は手を止めた。
「いや~ほんと怖いよな…」
「安部先生でしょ。怖いよね。関わりたくないよほんと」
「噂では〝安倍晴明〟の生まれ変わりらしいけど、あれが子孫じゃなぁ…」
「本当に子孫だとしたら、とんだ〝ハズレ物〟だよな…」
悪意のこもったひそひそ声が、鉛のように重く晴明の心にのしかかる。
〝安倍晴明の生まれ変わり〟その言葉が、まるで刃物のように胸の奥深くをえぐり、晴明は息を詰まらせた。
昨日の出来事もあいまって、ふと、あることを考えてしまった。
学園長は僕のこと、どう思っているんだろう、と。
僕は、百鬼学園の一教員、もしくは部下? ヘタレでセーラー大好きな変態だろうか?
それとも…………
僕の魂、ご先祖さまである安倍晴明の生まれ変わり?
違う、そうじゃない、そう見てほしくない…………。
「………晴明くん?」
そんな思考をぐるぐると考えていると、背後から聞き覚えのある声が聞こえた。
「こんなとこで何してはんの?」
そう声をかけてくれたのは凛太郎くんだった。
不意を突かれて声も出ず吃驚していると、凛太郎くんの隣にいた飯綱君が
「晴明?大丈夫か?」
と、元気がないことを感じ取ったのか心配そうに顔を覗き込んできた。
「…えーと、ちょっとセーラーのことを考えていて……ぼーっとしてました」
じぃーっと顔に穴が空くのでは?と思うぐらい見つめられる。
「…なら、ええけど……何かあったら、すぐ言うんやで? 僕でもいいし…最悪クソ中でも」
「うん、ありがとう!」
何か言いたげではあったが、特に追求することも無く、
凛太郎くんと飯綱君は、受け持つクラスへと教員室を出ていった。
さて、僕もそろそろ行かないと。
教室に着くなり、生徒たちは、凛太郎くんと同様にこちらの顔色が悪いことを指摘してきた。
セーラー特集に夢中になったと言えば、いつものかよと言わんばかりに普段通りの騒がしさに戻った。
中には、何か言いたげな生徒もちらほら居たが。なんとか言いくるめて授業を進めた。
一通り授業も終わり、教員室に戻る。
すでに帰り支度は済ませていた重いカバンを抱え、冬の凍えるような空気の中、
吐く息が白くなるのを見ながら、そのまま学園を後にした。
自宅の寮まで到着すると、鍵を開けて、そのまま自室に倒れ込むように床に伏せる。
学園長に昨日のこと謝れなかったなぁ…と考えつつ、職員室での出来事で酷く傷心していることを晴明は感じていた。
このまま寝てしまおうかと考えもしたが、気分転換にと、重い体を引きずりつつお風呂へ入ることにした。
「やだなぁ…元気全然でないや…」
お風呂から上がり、一通り家事などを済ませ、自由な時間になっても気分は晴れず、
むしろ暇な時間になったことで気分は更に落ち込んでいた。
〝安倍晴明の生まれ変わり〟その言葉がずっと頭に残って、ズキズキと胸が痛い。
さっさと寝ようと考えベットに横になってもなかなか寝付けず、考えないようにしていても、
ぐるぐると脳内で嫌な出来事が巡って頭痛がし、しまいには吐き気がしてきて慌ててトイレに駆け込んだ。
が、夕飯を食べる気力もなかったので胃の中は空っぽで、嘔吐できるような強い吐き気でもなく、
気持ち悪さを吐けずじまいで終わってしまった。
「う゛ぅ……っ、明日も学校だし……ぅ…早く寝ないと……、」
吐き気を堪えながら、冷たいシーツに身を横たえる。
胃のあたりはまだ落ち着かず、不快なざわめきが続いていたが、いつからか、
底なしの沼に引きずり込まれるように眠気が訪れ、その重みに身を任せるようにして、そっと目を閉じた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:
「ん…あれ?ここは…僕何してたんだっけ…」
「晴明君、聞いてますか?」
「……え、学園長⁉ どうして…」
「まったく、ちゃんと人の話を聞いてくださいよ」
「すみません…。えっと、なんの話でしたっけ?」
「はぁ……単刀直入に申し上げますね」
「晴明君。この学園から出て行って頂けますか?」
「………、?…………え…っ、……?」
………え、そんな、…………学園長……今なんて…………
「…貴方は耳が遠いんですね。この学園から出て行けと言ったんですよ、理解できますか?」
「す、みません…………っ、あの、…どうしてか…理由…お伺いしても……、?」
「貴方〝安倍晴明〟の生まれ変わりでしょう?」
「晴明はかなり優秀だったので生まれ変わりの貴方も優秀なのだと思い、少しは期待していたのですがね…
とんだハズレ物でしたね。期待し過ぎてしまった様です」
…………た、確かに…僕、皆にも学園長にも迷惑かけてばっかりだし……ちゃんと教師…に…なれてないのかも…
学園長の言うとおり…………僕は…いない方がいいんじゃ……………
.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
(ピピピピピ…………
携帯電話のアラームが鳴り響き、その無機質な電子音に意識が引き戻された。
「うっ………ゆ、夢? ……」
ぼやけた視界が徐々にクリアになり、天井の模様が現実のものだと認識する。今のは悪い夢だったのだと、
即座に理解し、心臓の鼓動がゆっくりと落ち着きを取り戻していく。
しかし、安堵の息をつくより早く、夢の中で響いた学園長の言葉が、
鋭い棘のように胸の奥を突き刺し、ズキズキとした痛みが広がっていく。
その言葉は、冷たい現実として、今もなお耳の奥でこだましていた。
「…………僕も、安倍晴明みたいで優秀な人だったら……、学園長に少しでも見てもらえたかな……、いや、
……、学園長に少しでも迷惑をかけないように…皆の役に立てるように頑張らないと…」
目にいっぱいに溜まった涙がこぼれ落ちないように、必死で瞼の奥に押し戻す。
教師という仮面を被るため、いつものように準備を始めるが、足取りは鎖が付いているように重い。
洗面所の鏡に映った自分の顔は、生徒たちに見せる満面の笑みなどなく、やつれきった憔悴の相が貼り付いている。
その痛ましい姿に、自分自身でも目を逸らしたくなった。
少し頭痛いな…手首もズキズキするし……いや、これくらい我慢しないと、
僕が休んだらみんなに迷惑かけちゃうかもだし…学園長にも…………
……うん……今日一日くらいなんとかなる………よね………
「今日も一日頑張りましょう
安倍晴明(あべ〝はるあき〟)君」
鏡を見て自分にそう言い聞かせる。
病んで暗い、全く笑わない安倍晴明は一旦終わりにしないと………。
コメント
11件
毎回最高の作品ありがとうございます! 涙が出てきてしまって、、、、 失恋したあとこれみたら涙が止まらなくなってしまいました、、、 まじで最高ですッ!うちの小説と比べたら差がすごいです。 ウチも頑張らないとなーって思いました。 晴明くんの気持ちが心に響くってゆうかもうすぎる 語彙力の無いのですみません💦 長々とすみません💦
今回の作品の内容もとても大好きです!ෆイラストも最高でした!つかぬ事をお聞きしますが別の小説アプリでも活動していらっしゃったりしますか、?
イラストありがたすぎる…最後の言い聞かせるやつすごいなんかなんて言うんだろ…言い聞かせてるなぁって(?)