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それから半刻ほど、レジーナはアロイスの治療を続けた。
クロードのおかげで何とか集中を切らさずにいられたが、レジーナの治癒力には限界がある。
決して効率的とは言えない拙い魔力伝達。
アロイスの顔色が戻った時点で、レジーナは治癒の手を止めた。
「……悔しいけど、私の治癒魔法だとここまでみたい」
レジーナはアロイスの脇腹を見下ろした。
塞がった傷跡、毒による変色も見られない。けれど、矢傷の跡がはっきり残ってしまった。
レジーナは唇を噛む。
今まで、「苦手だから」と治癒魔法を避け続けた結果がこれだ。
自分のことならまだいい。けれど、よりによってアロイスに――この美しい人に、傷を残してしまった。
(エリカなら……)
彼女ならこんな傷痕など残さない。それこそ、奇跡のように完璧に治してみせただろう。
悔しさに、レジーナは眉間に皺を寄せた。
「苦手だ」と諦めなければよかった。諦めてはいけなかった。今日みたいに腹をくくって、もっと必死に練習しておけば――
――あなたは、よく頑張った。
不意に、クロードの声が聞こえた。
彼が口を開く。
「傷口は塞がった。呼吸も安定している。……あなたが、アロイスを救った」
労いの言葉に、レジーナは小さく頷いて返す。
クロードがレジーナの後ろに視線を向けた。
振り返ると、フリッツが立っていた。顔色が蝋のように真っ白だ。
「……アロイスは?」
「一応の処置は終えました。もう、命の危険はありません」
「~~そうかっ」
フリッツが安堵の息を吐き出した。前髪をクシャリとかき上げる。目の周りが赤い。
彼は、レジーナに頭を下げた。
「感謝する。お前のおかげで俺は……、俺は、アロイスを失わずに済んだ」
「いえ……」
レジーナは首を振って答えた。
フリッツはアロイスの側に腰を下ろし、彼女の身体を抱き上げる。固い床の上でなく、自身の膝の上に彼女を寝かせた。
レジーナは安堵する。
どうやら、アロイスの真実を知っても、フリッツが彼女を拒絶することはないようだ。
遅れて、リオネルたちが近づいてきた。
アロイスの姿を確かめたリオネル。その顔に安堵の表情が浮かぶ。
彼の視線が、レジーナへ向けられた。
「……正直、君がここまでやるとは思っていなかった。治癒魔法は使えないのではなかったか?」
「ええ。とても苦手よ」
苦手だけれど、やってやれないことはない。それが分かった。
今後「できない」という思い込みは捨てる。読心の制御力を高め、もっと容易に治癒魔法を使えるようになりたい。
(……ううん。『なりたい』では駄目ね。ならなくちゃ)
今回のような思いを二度としたくない。
決意したレジーナは、自身に向けられる視線に気づく。顔を向けると、リオネルと視線が合った。
「レジーナ、君は――」
何かを言いかけたリオネル。
だが、彼がその先を言う前に、横からエリカが口を挟む。
「アロイスはどうして男性の振りをしていたのかしら?」
疑問に、皆の視線が彼女を向いた。
フリッツが、エリカとアロイスを交互に見る。
誰もが感じているであろう疑問。
しかし、それに答えられる本人は意識を失っている。答えなど分かろうはずもない。
(なのに、どうして聞くの)
レジーナはエリカを睨んだ。
だが、彼女はどこ吹く風。小首を傾げ「もしかしたら」と口にする。
「アロイスは殿下とお近づきになりたかったのかもしれませんね」
「止めて!」
レジーナは声を荒げる。
「憶測でものを言うべきではないわ」
制止するが、エリカは「でも」と言葉を続ける。
「私、アロイスの気持ちが分かるんです。殿下は、簡単に女性をお側におかれたりはしませんから。男性の姿で殿下と仲良くなろうと――」
「黙りなさい! あなたにアロイスの何が分かるというのっ!?」
レジーナが吐き捨てる。
エリカは「すみません」と謝り、俯いた。
俯いたまま、独り言のように――けれど、はっきりと聞き取れる声で――ポツリと呟いた。
「……アロイスはきっと殿下のことが好きなんだと」
「いい加減にしてっ!」
レジーナは目眩を覚えた。怒りに、頭が沸騰する。
「あなた馬鹿なのっ!? 彼女のっ、アロイスの立場を考えなさいよ!」
数代前のクラッセン辺境領の独立未遂。
未だ残る王国との隔意を埋めるための人質としての学園入学。
クラッセン領次代の弱味を見せるわけにもいかず、病弱な弟に替わり王都行きを選んだ。
「アロイスは、彼女のままで得られる幸せを全部犠牲にしたのよ!? 誰も味方がいない、一時も気の休まらない生活がどれだけ苦しかったか! そんな簡単なことも分からないの!?」
「申し訳ありません。私はそのようなつもりは。……ただ、アロイスの気持ちを思うと」
「あなたなんかに、アロイスの気持ちは絶対に分からないわ!」
レジーナはエリカが許せなかった。
アロイスの嘘も決意も――それら全てが揺らいでしまいそうな想いも――、全部、全部、彼女自身のものだ。
なのに――
アロイスの一番知られたくなかった秘密――想いを、彼女が一番知られたくなかった相手の前で暴こうとするなんて――!
レジーナはフリッツを見た。
どこか茫然とした様子の彼に、怒りのまま告げる。
「殿下。今のは全てエリカの妄言。鵜呑みにされないでください」
フリッツはレジーナを見上げたが、どこか遠くを見ている。
焦れたレジーナは詰問する。
「殿下は、アロイスがそんな浅はかな思いで性別を偽ったとお考えですか?」
「俺は……」
フリッツの瞳が揺れた。
レジーナは悔しくて――少しでもアロイスを守りたくて言い募る。
「アロイスの行いは、クラッセン家の謀反を疑われてもおかしくありません。殿下の関心を買うために、彼女が故郷を危険に晒すとお思いですか?」
フリッツは答えない。
レジーナは「思い出してほしい」と願う。
「三年間、殿下が見てきたアロイスは……、あなたの隣にいた彼女は、そんな人間ですか?」
問いかけに、漸く、フリッツが反応する。
ゆっくりと、首を横に振った。
「……違う。アロイスはそんな奴では……。だが、だったら、なぜ……」
フリッツはアロイスをじっと見つめる。瞳を閉じたままの彼女に、答えを求めるように。
碧の瞳に映る陰りは、「裏切られた」という痛みだろうか。或いは、秘密を明かしてもらえなかった悲しみか。
レジーナはフリッツに告げる。
「……直接、本人に聞いてあげてください」
「聞く……?」
「ええ。裏切られたと責めるのではなく。アロイスが目覚めたら、彼女の思いを聞いてあげてください」
ずっと、レジーナがリオネルに願っていたこと。
クロードが叶えてくれた願い。
――私の秘密――苦しみを、聞いてほしい。受け入れてほしい。
「アロイスも、今なら、……殿下になら、きっと明かしてくれると思います」
フリッツはアロイスを見つめたまま。
レジーナは、自身の願いを口にする。
「アロイスが男であろうと女であろうと、私は、お二人には一緒にいて欲しい。こんな些細なことで仲違いして欲しくありません」
「……些細、か」
「ええ、些細です。今まで、お二人が過ごされてきた時間を思えば」
フリッツが、アロイスの顔に掛かった髪を優しく払った。考え込むように、その顔を一心に見つめる。
邪魔にならぬよう、レジーナは彼らの側を離れる。
「クロード、お願いがあるの」
クロードを誘い、その場を抜け出した。