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「ポーションを探しに行く」というレジーナが、クロードを連れて広間を出ていく。
ダンジョンで生成される宝箱から入手するのは困難だが、活動拠点に残されている可能性はある。
リオネルは黙って二人を見送った。
二人の姿が見えなくなったところで、シリルがポツリと呟いた。
「レジーナ様って、治癒魔法使えたんだね」
「ああ。……他人の治療は無理だと、自身の怪我を治すだけで精一杯だと聞いていたんだが」
そうではなかった。
その事実を目の当たりにし、リオネルは自分の感情を上手く処理できないでいた。
嘘をつかれた訳ではないだろう。事実、彼女が今まで積極的に治癒魔法を使うことはなかった。
ただ、いきなり自分の知らない彼女の力を見せつけられ、釈然としない。
(……騙された、とは言わないが)
シリルが横で「ふーん」と呟き、考え込み始めた。
リオネルも自身の思考に沈む。
(私の知らないレジーナか)
能力だけではない。
いつも冷めたような眼差し。時に感情を露わにすることがあれど、それは全て他者に対する怒り。特に、エリカへの憎悪は酷かった。
そんな彼女に、リオネルは辟易していた。
そのはずだったのに――
(初めて、かもしれないな)
レジーナの必死な姿。
アロイスを懸命に治癒し、彼女の罪を庇おうとした。エリカへ向けた怒りの表情さえ、いつもとは違って見えた。
紅潮した頬、熱に浮かされ赤く燃える瞳。
その煌めきは――他者を必死に守らんとする姿は、リオネルにも訴えるものがあった。
リオネルの脳裏に、かつての日々が蘇る。
幼い頃のレジーナは今よりずっと感情表現が豊かで、よく笑っていた。
それが、いつからか温かな感情を失い、見せるのは怒りの感情のみ。だが、それでも、先程のような激情を見せることはなかった。
思えば、初めてエリカとの仲を邪推された時でさえ、彼女の瞳はどこか冷めていて――
「……リオネル? どうしたの? 大丈夫?」
エリカに袖を引かれた。
どうやら、彼女の声が聞こえないほど考え込んでしまっていたらしい。
不安げに見上げてくるエリカ。
リオネルが、何か言ってやらねばと口を開きかけた時、フリッツが声を上げた。
「アロイスッ!」
リオネルはフリッツの腕の中に視線を向ける。
アロイスの瞼がピクリと動いた。
皆が見守る中、瞼がゆっくりと開かれ、現れた菫色の瞳がぼんやりと宙を見つめる。
「アロイス、平気か? 俺がわかるか?」
フリッツの呼びかけ。
焦点の合っていなかったアロイスの瞳が、彼に向けられる。
アロイスは数度瞬きし、口を開いた。囁くような掠れ声。
「フリッツか。私は……?」
「俺を庇って、腹に毒矢を受けたんだ」
「毒……」
傷を確かめるためか、アロイスが身動ぎする。
フリッツが止めた。
「動くな。毒は消した。傷も塞いであるが、無理に動けば開く」
「そうか……」
アロイスの視線が彷徨い、エリカへ向けられる。微かに笑って、「ありがとう」と呟いた。
フリッツが首を横に振る。
「……違う。お前を治療したのはレジーナだ」
「レジーナが? なぜ……?」
アロイスは疑問を口にしたが、すぐにハッとしたように瞳を見開く。
身体を起こそうとする彼女を、フリッツが抱きしめて押し留めた。
「止めろ。動くなと言っているだろう? ……治療のため、服を脱がせた」
「……そう、か」
アロイスの身体から力が抜ける。全てを察したらしい彼女の口から、フッと苦笑が漏れた。
一度目を閉じた彼女は、再び目を開くと、硬い表情で謝罪した。
「フリッツ、騙していてすまなかった」
フリッツがグッと拳を握る。
リオネルには、彼が言葉を呑み込んだのが分かった。
呑み込んだのはアロイスへの詰問か。
彼女が深く頭を下げる。
「国を謀るつもりはない。これは私個人の意志、我儘なんだ。クラッセンは一切関与しない――」
「バカかっ、お前は!!」
フリッツが堪りかねたように叫ぶ。
「俺が聞きたいのはそんな言葉ではない! 俺はっ、ただ、お前に隠し事をされたくなかった! どんな事情があったか知らんが、俺には、俺にだけはっ……!」
――教えて欲しかった。
フリッツの思いが聞こえた気がした。
しかし実際は、フリッツがそれ以上を口にすることはなかった。代わりに、大きく息を吸って吐き出す。ユルユルと首を横に振った。
「……いつか、いつかでいい。お前が話せる時が来たら話せ。……それで、黙っていたことは帳消しにしてやる」
「謀反を疑わないのか?」
「お前がそんな人間でないことは、俺が一番よく知っている。……だいたい、お前は俺を庇ってこんな目にあっているんだぞ? 命を掛ける相手を疑えるか」
フリッツはぶっきらぼうに言い放つ。それから、アロイスを鋭い目で睨んだ。
「だけど、こんな真似は二度とするなよ。俺を庇ってお前が怪我をするなど絶対に許さん」
よほど恐ろしかったのだろう。
凄みのある彼の言葉に、しかし、アロイスは軽やかに笑って答える。
「わかった、……と言いたいところだが、体が勝手に動いたんだ。二度はないと確約できない」
「アロイス、お前なっ!?」
叫ぶフリッツにアロイスが愉快そうに笑った。
リオネルは、二人のやりとりに安堵する。
(……良かった)
目の前の光景が永遠に失われていたかもしれない。そう思うとゾッとする。
不意に、シリルが「ねぇ」と口を開いた。
「アロイス、ちょっと聞きたいんだけどさ」
「なんだ?」
「レジーナ様って、アロイスが女だって知ってたの?」
「え?」
予想もしなかった言葉。全員が驚きの表情を浮かべた。
アロイスも虚を衝かれた顔をする。それから、「いや」と首を振った。
「誰にも伝えたことはない。王都に私を知る者ははいない」
「うーん、そうなの? レジーナ様、アロイスの事情知ってそうな雰囲気だったんだけどなぁ」
シリルは首を捻り、再び考え込む。
アロイスが思い出したように、「そう言えば」と口にした。
「今にして思えば、になるが……」
躊躇するアロイスに、フリッツが「話せ」と先を促す。
「……入学直後の討伐演習を覚えているか? 私がつた植物の魔物の毒を受けて倒れた」
「覚えている」
フリッツが間髪容れずに答え、苦々しげな顔をした。
「レジーナが『班が違う』とごねて、お前にエリカの治療を受けさせなかった、アレだろう?」
フリッツは、「あれ以来、あの女が嫌いなんだ」と吐き捨てた。
言われて、リオネルも当時のことをぼんやりと思い出す。
確かに、演習は班行動が基本で、アロイスの怪我も命にかかわるものではなかった。レジーナが「緊急を要していない」と主張したのは間違いではない。しかし、あまりに杓子定規な彼女の対応に、当時の自分は苦言を呈した覚えがある。
あの時、レジーナは何と答えたのだったか――
「彼女がエリカを止めてくれて、私は助かった」
アロイスの言葉に、リオネルはハッとした。
彼女は苦笑して「もしもあの時」と告げる。
「治療のために服を脱がされていたら、私の身は終わっていた」
(……確かに、アロイスの立場としてはそうなるのか)
納得するリオネルに対し、不満が残るらしいフリッツが舌打ちする。
彼はクシャリと前髪をかき上げた。
「だが、つた植物系の毒は時間が経つと麻痺が残る。そうでなくとも、棘の痕は残るだろう?」
「ああ、そうだな。だが、例え麻痺が残ろうと、私は女の身であることを隠すことを優先した」
「なんでそうなるんだよ」
フリッツが嫌そうな顔をした。
アロイスは苦笑して答える。
「だが、まぁ、見ての通り、麻痺は残っていない。傷跡もね。……医務室に運ばれた後、同じ班だからとレジーナが治癒ポーションを届けてくれたんだ」
リオネルは驚く。
治癒ポーションは決して安いものではない。入手は困難。
それを、他人に興味がない、どころか、忌避することの多いレジーナが態々届けた――?
(……先程の治療といい、彼女にとってアロイスはなにか特別な存在なのか?)
また、リオネルの知らないレジーナの一面が顔を覗かせる。
アロイスが、目を細めて呟いた。
「その時、彼女に言われたよ。『傷を残したままでは生きにくい』と」
遠くを見つめて苦笑する。
「どこで気づかれたかは不明だが、今思えば、私の女としての身を案じてくれていたのかもしれないな」
場に沈黙が訪れる。
レジーナの意外な一面。彼女がなぜアロイスの嘘を見抜いたのか。
それぞれが思考する中、シリルが口を開く。
なんてことないように告げられた言葉は――
「ひょっとして、レジーナ様、読心が使えるのかもね?」
「なっ!?」
「馬鹿な! そんなはずが……っ!」
皆が驚きを示す中、リオネルの背筋を冷たいものが流れた。
身体が強張る。心臓が嫌な音を立て始めた。
シリルが軽く肩を竦めて口にする。
「そう考えると一応、辻褄が合うかなって。アロイスの話もそうだけどさ、さっき、レジーナ様が治癒魔法を使った時、変に魔力制御がぶれてたでしょう? あの時、他の魔力が動いてたんだよね」
シリルは、「干渉していた魔力の正体は不明」、「アロイスの身体から戻るレジーナの魔力を感知した」のだという。
「本当、魔力が微弱すぎて、最初は全然分からなかったんだけどね。感知はするし、何だろうなぁって思ってたんだ」
それが読心による魔力循環なのだとすると、辻褄が合う――
リオネルは茫然とした。
フリッツが「しかし」と口を開く。
「レジーナが読心を使えるという報告は国に上がっていない」
フリッツがリオネルを振り向いた。
「お前は知っていたか?」と聞かれ、リオネルは唖然と首を横に振るしかできない。
(知らない。そんなことは聞いていない。あり得ない。だが……)
レジーナには、リオネルの知らない面が多すぎる。それを先程思い知ったばかり。
もし、彼女がリオネルに嘘をついていたのなら、謀っていたのなら――
(一体、いつから……)
いつから、レジーナは読心が使えたのか。
いつから、リオネルを騙していたのか。
少なくとも、婚約時には、彼女に読心のスキルはなかった。家族の期待に応えられずに苦しむ彼女を、リオネルは知っていた。
(……いや、だが、それさえも嘘、演技だったのなら)
思い当たった可能性に、呆然となった。
「……リオネル、大丈夫? 顔が真っ青よ?」
エリカの案じる声。
だが、リオネルは何も言えない。レジーナに心を読まれた可能性に、恐怖していた。
今まで、彼女に触れられたことは何度もある。その時、自分は何を考え、何を思っていたか。
未知の恐怖。
リオネルの身体は縛られたように動かなかった。