「お疲れ様です、北村ですっ!」
オレは編集長室の前に立つと、一度深呼吸をしてから木製の扉をノックした。
高校時代には何度か校長室に呼び出された事もあったが、正直その時よりもずっと緊張するな……
「お~うっ! 待ってたぞ、遠慮せず入ってくれ~っ!」
「し、失礼します……」
返ってきたテンション高めの声に、オレは僅かばかり戸惑いながらも、その扉をゆっくりと開く。
大きさ的にも造り的にも高校の校長室によく似てる部屋。違いと言えば、棚に並んでいるのが賞状やトロフィーではなく、漫画の雑誌や単行本である所だろうか。
何より一番の違いは、正面に置かれた大き目のデスクに座っているのが、禿げたオッサンではなくゴスロリを着た小柄な女性だという点だろう。
そして今オレは、そのゴスロリ編集長の不敵な笑みを浮かべた瞳に見据えられ、身体が完全に硬直してしまっていた。
いや、確かに編集長に見据えられているが、身を固めてしまっているその原因は別だ。
オレが固まってしまった原因は、デスクの上に広げられた原稿と、その前に立ち困った顔でコチラへ振り返る女のせいである。
「あははは……バレちゃったみたい……」
そう、デスクの前で困り顔を向けているのは、オレが編集を担当する工藤愛先生こと長与千歳であり、デスクに広げられているのは昨日までオレが描いていたフラッシュ☆ガールズの原稿である。
「さて、北村――コレはどういう事なのか、説明して貰おうか?」
この現場を見て、自分が今どんな状況なのかが分からないほど、オレもバカではない。
ココでジタバタするのもみっともねぇし、自分でしでかした事のケジメはキッチリ付けねえとな――
オレは、後ろ手に編集長室の扉を閉めると、意を決して――いや、意を決すると言うより、腹を括って歩き出す。
そして千歳の隣に並ぶと、懐から取りだした一通の便箋をデスクの上に置き、深々と頭を下げた。
「なんのつもりだ、北村……?」
「ちょっ! じ、辞表ってっ!? アンタ、何を――」
同時に声を上げる千歳と編集長。
オレは頭を下げたまま、その声へ被せるように――その声を遮るように言葉を発した。
「申し訳ありませんでした。今回の件は全て自分の独断で、その責任は全て自分にあります」
そう、今回の件――そもそもオレが千歳に持ちかけたのである。オレが責任を取るのは当然だ。
何より、コイツの描く漫画を待っているファンが全国に大勢いる。そして、オレ自身もその一人なのだ。
|編集者《オレ》の代わりなんていくらでもいるが、コイツの代わりは――工藤愛の代わりは誰にも出来ないのだから。
「ちょっとアンタッ、何言って――」
「オマエは黙ってろっ!」
横から口を挟もうとする千歳をシャットアウト――しようとしたが、コイツがあっさりと引き下がるワケもなく……
「コレが黙ってられるワケないでしょうがっ! 編集長っ!!」
「おっ、お、おう……」
勢いよくデスクを叩き、そのデスク越しに詰め寄る千歳と、若干怯えるように頬を引きつらせる編集長。
「今回の件は、私の不注意が発端ですっ! 責任は私に有りますし、もし連載は打ち切りだと言うのであれば、それも甘んじて受け入れますっ!!」
「はあぁっ!? バカか、テメーはっ!? フラガはマンリの看板漫画の一つなんだよっ! 打ち切りになんてさせられるワケねぇだろうがっ!! スッ込んでろっ!!」
「バカはアンタよっ! 自分の漫画に責任持つのは作者の努めっ! アンタこそ引っ込んでなさいよっ!!」
「アホかっ!? その作者のケツを持つのが、担当編集の努めなんだよっ!!」
「半人前の新人がカッコつけてんじゃないわよっ、バカッ!!」
「ああっ!?」
「あぁっ!!」
すっかりヒートアップしたオレ達は、編集長の前だというのも忘れ、モロヤン丸出しで睨み合う。
そんなオレと千歳を交互に見比べながら、編集長は大きなため息をついた。
「はあぁ~、まったく……何を勘違いしてるんだか、この似た者夫婦は……」
「「夫婦じゃねぇーッスよっ!!」」
「うおっ!?」
デスクに両手を勢いよく叩き付け身を乗り出すオレ達に驚き、後ずさる編集長。
「ちょっと落ち着け、二人共……ま、まあ、私の聞き方が悪かったな。別に二人を責めてるワケじゃないんだ。こんな楽しそうな悪だくみに、私を誘わなかった事に対しては文句を言いたいがな――」
編集長は一拍置くようにデスクの引き出しからメンソールの長いタバコを取りだし、ゆっくりと火を着けた。
「正直、雑誌に穴を開けない事を最優先にするなら、北村の取った策は最善だろう。ましてや、作画を担当したのが豊田まことだっていうなら尚更だ」
「「!?」」
くわえタバコで不敵な笑みを浮かべる編集長に、オレ達は揃って目を見開き、言葉を詰まらせた。
な、何で編集長がその事を……
「なんだ? 私が気付いてないとでも思ったのか?」
「い、いや、だって……い、いつから……?」
「いつからぁ? そんなの、面接でオマエの絵を見た時からに決まってるだろ。でなきゃ、オマエを拾ったりはしなかったさ」
「………………」
編集長の答えにポカンと口を開き、唖然とするオレ。
確かに、自分が何で拾われたのか不思議ではあった。しかし、面接の時に描いた絵は、かなりタッチを変えていたはずのなのに……
「まあ、あんときは半信半疑だったけどな。ただ、それも富樫先生のアシをやったときの絵を見て、確信に変わった。どの絵も微妙にタッチを変えてはいたが――どんな描き手にも必ず幾つかのクセっていうもんがある。そして、そのクセってぇのは中々隠せるもんじゃないからな」
クセ……オレにもそんなものがあるのか?
てゆうか、自分でも気が付かない様なクセを見抜くとは、さすが編集長……
「例えばコイツは、|大衆《モブ》群を描かせると必ず一人、大きなリボンのポニーテール少女がいるからな――もしかして、ポニテ萌えか?」
「違いますよっ!」
って千歳っ! テメェもそんな生ゴミでも見るみてぇな目ぇ、してんじゃねぇよっ!!
「ちょっと話が逸れたが――さっきも言った様に、別に二人を責めているワケでも、この原稿を雑誌に載せる事に反対なワケでもない。私が聞きたいのは――」
編集長は、くわえていたタバコを灰皿でモミ消すと、その手でデスクに広げられた原稿――その中央にあった、表紙のページを指差した。
「コレは、このままでいいのか? って事だ」
このままでって……
オレの描いた主人公、佐藤千菜乃を中心にした扉絵。そこにフラッシュ☆ガールズのタイトルとアオリ文、そして作者名が綺麗に版下処理されている原稿……
「この扉絵に何か問題でも――」
――コンコンッ。
編集長の言葉の意味が理解出来ず、それを尋ねようとしたオレの言葉は、背後から聞こえたノック音に遮られた。
「お話中、失礼――明菜、1番に雅子から外線が入ってるわよ」
「雅子から……?」
開かれた扉から現れたのは、副編集長。そして、その副編集長から出たセリフに、編集長は眉を顰める。
いや、眉を顰めたのは、オレも一緒だ。
締め切り日の翌日。そしてこの時間に雅子さんからの外線――その要件は、おおよそ見当がついた。
「二人とも、ちょっと待っててくれ――こちらスターダスト・コントロール。デビル雅子、状況を報告せよ」
『こちらデビル雅子。ポイントCKH付近にて、目標をロスト。至急増援を要請する』
予感的中。富樫先生は、また逃げたのか……
しかも、またケーキ食い放題の店に行くとは、ほんとに懲りない人だなぁ。
「ね、ねぇ……アレって何なの?」
編集長と雅子さんの異様なやり取りに、困惑の表情を浮かべる千歳。
何なのと聞かれても――
「単なる編集長の趣味だ。気にするな」
としか、答えようがない。
「こちらスターダスト・コントロール、了解した。目標の予測逃走経路を知らせろ」
『目標はポイントCKHから北北東へ逃走。行き先は、ポイントYKHかATSのどちらかと思われる』
YKHにATS――焼肉食い放題にエステティックサロンか……
確かにCKHから北北東へ逃走したのなら、そのどちらかだろう。でも、ケーキを食いそびれたなら、エステより焼肉の方が確率は高いな。
「了解した。デビルはATSを確認してから、YKHに向かってくれ。コチラからは、増援を直接YKHに向かわせる」
『了解しました』
二人の会話を聞きながら、周辺の地図を頭に思い浮かべるオレ。もし、行き先がYKHなら、ココから先回りが出来るか……
って、今はそれどころじゃ――
「悪いが話の続きはあとだ。サーベラスッ! 至急ポイントYKHへ、デビル雅子の支援に向かってくれっ!」
それどころではないはずなのに、あっさりとコッチの話を後回しにする編集長。
「い、いや……でも……」
オレは編集長の言葉に戸惑いながら、広げられた原稿の上――問題になっている扉絵のすぐ隣にある便箋に目を向けた。
「ん? ああ、コレか……」
オレの視線に気付いた編集長は、その便箋――オレの出した辞表を手に取った。
「アホか、オマエは……?」
編集長はひとつため息をつき、その便箋を見せつける様に突き出すと、それをゆっくりと縦半分に引き裂いた。
「こんな紙切れ一枚で足が洗えるほど、この業界は甘くないんだよ」
「し、しかし……」
「しかしも鹿刺しもないっ! 復唱はどうしたサーベラスッ!」
「はっ! 至急ポイントYKHに向かい、張り込みを開始しますっ!」
ゴスロリ編集長の迫力に圧され、咄嗟に直立敬礼で任務を復唱するオレ。
このゴスロリ編集長の何処から、これだけの絶対服従オーラが出てるのだろうか……?
「それから工藤先生――出来れば一緒に付いて行ってもらえませんか?」
「わ、私もですか?」
「ええ、張り込みはカップルを装った方が、何かと便利ですから」
「カ、カカカ、カップルゥ!?」
編集長の言葉に、裏返った声を上げる千歳。
まあ、イヤなのは分かるが、あくまでカップルのふりだ。そこまで慌てる事もないだろうが。
「サーベラス! 特別に店内張り込みと経費での飲食を許可する。工藤先生には|東京《ここ》まで出向いて貰った上、張り込みにまで協力してもらうんだ、雅子と合流するまで丁重にもてなしてやれ」
「サーッ! イエッサー!! おい、行くぞ千歳っ!」
「う、うん……」
戸惑う千歳の手を掴んで走り出すオレ。
雅子さんと合流するまでのわずかな時間とはいえ、焼肉食い放題は魅力的だ。
まあ、その後に待っているのは、缶詰と徹夜の修羅場だけど……
しかし、待ち受ける絶望的な未来予想図を思い浮かべながらも、廊下を走るオレの口元には笑みが浮かんでいた。
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