「いいんですか?」
「ここまで来て、いまさらそんなこと訊かないで」
昼間でも遮光性のカーテンが閉められた部屋は薄暗く、真っ白なシーツが浮かんで見える。
きちんと整えられたベッドは、清潔感に溢れていて汚してしまわないようにしないといけない、そんな気がしてくる。
これから、ふしだらに乱してしまうのだけど。
「先に汗を流してくるから……」
「待って、杏奈さん、時間がもったいない、僕も一緒に」
服を脱ぐのももどかしく、彼の唇が首筋をついばむ。
「……待って…」
「待てない、もうこんなになってるよ、杏奈……」
なんて夢を見た。
まだドキドキしている、夢なのに。
相手は誰だったんだろう?思い出せない。
ガバッと起きて、夫の方を確認する。
___ただの夢なのに何してるんだろ、私
生々しかった。
声も感触も、体にしっかりと残っているようだ。
そっと毛布の中のパジャマの、その中を確認する。
___あ…!
ぬるりと濡れている。
これじゃまるで、若い男子の朝みたいじゃないかと自分を笑う。
それほど満たされていないということなのだろうか。
うーんと寝返りをうつ雅史。
自分勝手に私を抱くこの男は、私のことをなんだと思っているのだろう?
人員削減のせいで慣れない仕事が増えて、ほとんど毎日遅くなっていることは、わかっている。
そのせいで、疲れも溜まっているだろうということも想像できる。
だから、休みの日はできるだけ寝かせてあげて、休息をとってもらいたい。
家事も育児も、私一人でやることも仕方ないと諦めている、けれど。
___だからといって、気まぐれに強引に勝手に私にぶちまけるのはどうなの?
妊娠する前までは、濃厚なキスも優しい愛撫も私の反応を見ながらじっくりすすめてくれたし、そんな雅史を受け入れる時には、感覚が研ぎ澄まされて恥ずかしいほど濡れることもあったのに。
今では、雅史に感じなくなって濡れなくなってしまって、痛いときもある。
そばで寝ている圭太のことも気になって、行為に没頭して感じるということができない。
そんなことを考えていたら、またいつのまにか眠っていたようだ。
枕元の時計を見たら、そろそろ起きないといけない時間だった。
___顔を洗って準備しなきゃ
今日は木曜日。
先週成美と話してから、早速アルバイトのサイトへ登録した。
今日はその面接に出かける。
面接の間、圭太は実家の母にみてもらうことになっている。
昨日電話で母に、アルバイトでもしようかと思ってると話したら、“それはいいことよ、協力するわ”と言ってくれた。
それから、“アルバイトを始めることは、雅史さんにはまだ言わない方がいいわよ”とも言われた。
『嫁が働くことに反対するかもしれないし、賛成したところで家事育児を手伝ってくれるとは限らない。なのに、嫁の稼ぎをあてにしてくるかもしれない。
そうすると、不満が溜まってしまうから、最初は隠していなさい。
いいこと?自分のために働きなさいね。少しの財産と、自由のためにね』
母は、もしかしたら反対するかもしれないと予想していたから、そんなふうに言ってくれるとは思わなかった。
父は市役所勤めの公務員で、母はずっと専業主婦。
『私もね、そうしていればよかったと思うことがよくあるのよ。そうすればもう少し、お父さんのことも、広い心で見ることができたかもしれないわ』
実は離婚したいと思ってるのよと、サラリと言った。
なかなかできそうにないけどね、と付け足して。
その理由を聞いてみたかったけど、時間がなくてまたの機会にね、と言われた。
電話越しに父が母を呼ぶ声が聞こえてきたから、母が言いたかったことがわかった気がした。
そんなことを思い出しながら、実家へ向かう。
じぃじとばぁばに会えると、圭太は喜んでいる。
「ただいま!おっ、と、お父さん?」
実家の玄関を開けると、出かけるところの父とぶつかりそうになった。
「よう、母さんなら奥にいるよ。俺は出かけてくる」
じぃじ、と呼びかける圭太の頭をちょっとだけ撫でると、じゃあなと出て行ってしまった。
「お母さん、圭太、連れてきたから」
「はいはい、圭太ちゃん、いらっしゃい。ばぁばとお留守番してましょうね。美味しいオヤツも用意してあるのよ」
ほら、時間でしょ、遅れるわよと時計を見て私を心配してくれる。
その前にトイレを済ませて、もう一度鏡で身だしなみを整えた。
「デートじゃないんだから」
と母は笑った。
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