コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
面接場所は、会社の事務所だった。
玄関に立ち、深呼吸をして自動ドアを開けた。
「こんにちは」
カウンターのようなものがあったけど、そこには人はいなかった、が、奥から若い男性が出てきた。
___え?
ドキッとした、何故だかわからないけど。
それに、どこかで会ったことがあるような気がしたけど、思い出せない。
___似たような人、勤め先とかにいたっけ?
「こんにちは、あ、面接希望の方ですか?」
「はい。よろしくお願いします」
「こちらへどうぞ。僕はアルバイトの方を担当する久里山久里山といいます」
名刺を受け取り、カウンターの内側に設置されているソファに案内された。
「あの、これを……」
私はバッグから履歴書を取り出した。
「拝見しますね。どれどれ……。岡崎杏奈さん、ですね。前に勤めていた会社でやっていた仕事がそのままアルバイトにいかせそうですね。パソコンは家にありますか?」
「はい、あります」
「では、システムを紹介しますね」
基本的に仕事は、メールでのやり取りになること、入力したデータ量でお給料が決まること、万が一体調不良などで納期が遅れそうなときはなるべくはやく連絡すること。
「慣れてくれば、短時間でできるようになるので時給換算すると上がっていくことになります。ただ、数値や単語の入力間違いがないようにしっかりチェックしてから提出してください」
間違えてはいけない、当たり前のことだけど専業主婦になってから忘れていた緊張感を思い出した。
「それから仕事の連絡は、パソコンメールになりますがいいですか?」
「あの、すみません、ご迷惑でなければスマホに連絡して欲しいのですが。パソコンだと主人も使うので、その……」
夫にはアルバイトのことは知られたくない、となかなか言えなかったけど。
「わかりました。じゃ、メッセージにしますか?」
久里山が取り出したスマホと私のスマホでは、メッセージだと文字数にも制限があると思った。
「あのLINEの方が、送れる文字数が多いのでLINEで」
「僕はかまいませんが、では、登録しましょうか」
友達が追加された。
「えっ、これが久里山さんですか?」
「すみません、アイコンは気にしないでください」
美味しそうなモンブランがアイコンになっていて、名前は“マロン”だった。
「名前も、その……」
「思いっきりプライベートなのでそんな感じですみません」
「いえ、こちらこそ、無理にLINEをお願いしたので」
初対面なのに、そんな気負いもなくてホッとした。
「では、まずこれをやってみてください。納期は1週間、来週の木曜日の午前中までにメールで送るか、そのメモリーを持ってきてもらえれば。それができて初めて正式採用になります」
久里山からフラッシュメモリを受け取った。
「わかりました。よろしくお願いします」
「こちらこそ。頑張ってくださいね、岡崎さん」
ニッコリと笑う久里山の顔に、またドキッとした。
___なんだろ?この感じ
めちゃくちゃイケメンというわけでもないし、何か言われたわけでもない。
だけど、気になる。
そんな心の中を出さないようにして、面接は終わった。
◇◇◇◇◇
「どうだったの?やれそう?」
実家に戻ったら、母が早速訊いてきた。
「うん、大丈夫だと思う。圭太がお昼寝してる時間か、パパが帰るまでの時間でやれそうだよ」
「そう、なんだか楽しみね」
「え?お母さんが?」
「うん、圭太が生まれてから外に出ることがなかったでしょ?杏奈は。少し心配してたのよ。社会と断絶したような生活をしてるんじゃないかって。だけどそうやって新しいことを始めようとしてるって知って、安心したわ」
社会と断絶か。
だから窮屈な毎日だったのかもしれないな。
夜になり圭太を寝かしつけた後、パソコンを立ち上げた。
普段は料理のレシピや、ブログを見るくらいしか使わないパソコンだけれど、夫婦共用なのでログインする時は別々のアカウントにしてある。
雅史は、今日も遅くなるとLINEが届いた。
〈お疲れ様。夜食にはお茶漬けでも用意しておきます〉
それだけ返事をしておいた。
ふと、新しい友達のところに、マロンを見つけた。
___なんだか女の子みたいなアイコンと名前だなぁ
と見ていたら、タイミングよくコメントが届いてびっくりした。
《こんばんは。こんな時間にすみません。メモリーを開くパスワードを忘れていました。パスワードは……》
〈今日はありがとうございました。パスワードのご連絡、ありがとうございます〉
《グッドスタンプ》
いきなりスタンプ?と思ったけど。
〈頑張りますね〉
《杏奈さんにはぜひ、正式採用になってもらいたいです》
___唐突に杏奈呼び?
「あっ!」
思い出した、夢で見たんだ!!
ホテルでの密会の夢、相手はこの人だったってこと?
いやいや、ただの思い込みだよなと自分を笑う。
それでも、夫の知らない男性と仕事のこととは言え、LINEでやり取りすることに少しの背徳感をおぼえた。
けれどそれは、媚薬のように私に染み込んでいく。
“夫以外の男性”
ただそれだけで、非日常だった。
〈ミスがないようにと思うと緊張します〉
《最初は僕も確認するので、大丈夫ですよ》
〈それなら少し安心ですが〉
《次の木曜日、お待ちしてます》
〈はい、メールしますね〉
《残念スタンプ》
メモリーを直接届けると思っていたのだろうか。
その日の帰りも遅かった雅史のことを、起きて待っていた。
「遅くまでお疲れ様。体、大丈夫?」
「起きてたのか?まぁな、この状況に慣れてきたのもあるし」
私が起きていたのが意外だったようで、なんだかよそよそしい。
「お茶漬け食べる?」
「いや、風呂入って寝るわ」
ソファに脱ぎ散らかした雅史の上着から、甘い香水がふわりと香った。
___まぁ、別にいいか
そのまま片付けた。