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第6章 迎えに来た君
日曜の朝。
待ち合わせの駅前は、春の光で少しまぶしい。
「……お待たせ」
後ろから声がして振り向くと、亮くんが立っていた。白のパーカーに黒のジーパン。いつもより軽い服装なのに、やっぱり絵になる。
「ううん、私も今来たとこ」
「そう言うやつほど、十分前から来てるんだよな」
「な、なんでわかるの」
「顔に出てる。……ほら、行くぞ」
自然に私のトートを受け取って、肩にかける。その仕草だけで心臓が忙しい。
「今日の行き先、教えて?」
「最初は——ゲーセン」
「やった!」
「……子どもみたいに喜ぶな。……可愛いけど」
「今なんて?」
「なんでもねぇ。急ぐぞ」
ゲーセンに入った瞬間、電子音とネオンに包まれる。亮くんは迷いなくクレーンゲームの島へ。
「いきなりクレーン?」
「ターゲットはあれ」
透明なケースの中、ふわふわのイルカのぬいぐるみ。水色の背びれがゆらゆら揺れている。
「イルカ、かわいい」
「水族館の前菜。……見とけよ」
亮くんは千円札を入れ、無言でレバーを握る。
一回目、アームが甘くてぬいぐるみを撫でて終わり。
「……くそ」
「ドンマイ!」
二回目、角度は完璧に見えるのに、出口前でつるっと滑り落ちる。
「惜しい!今の、惜しすぎ!」
「“惜しい”は負けだ」
三回目、四回目——アームのタイミングを変え、位置をミリ単位で調整していく亮くん。横顔が真剣すぎて、ゲームじゃないみたい。
「ねえ、そんなに頑張らなくても……!」
「頑張る価値がある」
「え?」
「……お前が欲しそうだったから」
言い終わるより早く、アームがイルカの首元をがっちり掴んで、そのままストン、と落とし口へ。
「っしゃ」
「すごい!亮くん!天才!」
私が思わず拍手すると、亮くんは少しだけ口角を上げて、ぬいぐるみを差し出した。
「ほら」
「え、くれるの?」
「当たり前」
受け取ったぬいぐるみは、思ったよりやわらかい。胸の前にぎゅっと抱きしめると、亮くんがわざとらしく咳払いした。
「……抱きしめられてんの、俺じゃないの、なんか嫉妬するんだけど」
「え、なにその理不尽」
「いいだろ、理不尽くらい」
「……ふふ。ありがと、大切にする」
「俺が取ったって、毎回思い出せよ」
「もちろん!」
私が笑うと、亮くんは目をそらした。耳が、ほんのり赤い。
「次、プリクラ行くぞ」
「了解!」
プリクラ機の中は想像以上に狭くて、ライトがやさしく顔を照らす。
「近い」
「文句ある?」
「ない。……むしろ嬉しい、」
「え、今なんて」
「なんでもねぇ。ほら始まる」
画面に表示——《最初は“笑顔でピース”!》
「はい、ピース!」
「お前、笑うの上手いな」
「亮くんも笑って!」
「……こう?」
カシャッ。
モニターに並ぶ二人の笑顔。亮くんの笑顔はレアで、見てるだけで幸せになる。
次の表示——《ほっぺ近づけて!》
「ほ、ほっぺ!?」
「ほら、急げ。」
「わっ、近い……!」
カシャッ。
ほっぺが触れたか触れないか、くらい。熱がいっきに顔に集まる。
そして三枚目の指示がやってくる。
《ぎゅっとハグして!》
「——は?」
「は?」
二人して固まる。秒数カウントが容赦なく進む。
「ど、どうする?」
「……ルールには従う主義」
「ルール……!」
カウント《三》の数字が表示された瞬間、私は勢いで「えいっ」と亮くんの腰に腕を回した。
「っ!」
亮くんの体温が一気に近づく。胸の鼓動が、耳のすぐそこまで響く。
「な、なに急に……」
「し、指示だもん……!」
「……お前、ほんっとずるい」
亮くんの声が低く落ちて、次の瞬間、彼の腕が私の背中にまわってぐっと引き寄せられる。
「——っ!」
世界が狭くなる。ライトの熱、シャッターの音、近すぎる呼吸。
カシャッ。
静かな間。
画面に映った二人は、予想以上に“恋人っぽくて”、思わず同時に目を逸らした。
「……これ、俺の顔、真っ赤」
「私も……」
「削除、なしな」
「もちろん!」
落書きタイム。ペンで“イルカの日”って書き込みながら、私はこっそりハートを小さく描く。
「なに描いた?」
「ひ、秘密」
「ずる」
「ずる合戦だよ」
印刷が出てくる。シールを半分に分けながら、亮くんがぽつり。
「……さっきの、忘れんなよ」
「忘れない。何回でも思い出す」
「ん。俺も」
亮くんは一枚をスマホケースに挟み、もう一枚を私に渡す。
「それ、見えるところに入れとけよ。俺のメンタルのために」
「メンタルのためってなに」
「なんでも」
笑い合いながら、ゲーセンを出る。外の風が少しひんやりして、さっきの体温が恋しくなる。
「次、水族館」
「イルカ、さっき取ったから相性いいかも」
「今日の主役はイルカだな」
「主役は……」
私は言いかけて、やめた。主役はたぶん、隣の人だ。
水族館のエントランス。
天井に波のような光が揺れて、足音まで水音に変わった気がする。
「うわ……」
亮くんが小さく感嘆の声を漏らす。
「ね、綺麗」
「うん。……手、貸せ」
差し出された手に自分の手を重ねると、指をからめて強く握ってくれる。
「さっきのプリクラより、落ち着く」
「わ、私も」
大水槽の前に立つ。大きなエイが滑るように泳ぎ、群れの魚が光の帯になって流れていく。
「ねぇ、あの魚、ずっと笑ってるみたい」
「フグな。……お前が見てるから笑ってんだろ」
「むりやりすぎ」
「事実」
「もう……」
私がつつくと、亮くんが小さく笑う。その笑い声が、水の中に溶けていく。
横顔を見上げていたら、視線が合った。
「魚じゃなくて俺を見ろ」
「え、ずるい。さっきの仕返し?」
「仕返し。……それと、確認」
「なにを?」
「今日、楽しいって顔してるかどうか」
「してる?」
「——うん。最高」
それだけ言って、亮くんは繋いだ手に力を込める。胸が、ぱちっと火花みたいに跳ねた。
通路を進むと、クラゲのゾーン。青白い光の中で、半透明の傘がふわふわ浮かんでいる。
「すご……時間止まってるみたい」
「お前、こういうとき静かになるよな」
「見惚れると喋れなくなる」
「俺の前でも、たまにそうなれよ」
「え?」
「……冗談。半分は」
「半分は本気?」
「さあな」
わざと濁した声が、やけに優しい。
私がイルカのぬいぐるみを抱え直すと、亮くんの親指が私の手の甲を一度だけなぞった。
「イルカショー、行くか」
「行く!」
ベンチに並んで座る。水しぶきが飛ぶかも、ってスタッフが注意を呼びかける。
「濡れたらごめん」
「私が濡れたら、責任取って?」
「どうすればいい?」
「ハンカチ貸して」
「それだけ?」
「……それだけじゃ足りないかも」
言った瞬間、自分で自分の爆弾に驚く。亮くんは一瞬ぽかんとして、それから目尻を下げた。
「——検討しとく」
イルカが高く跳んで、会場に歓声が上がる。
水しぶきが、ほんの少しだけ飛んできた。亮くんが反射的に私の肩を抱き寄せる。
「わっ!」
「悪い。……クセ」
「守ってくれた?」
「たまたま。……でも、守る」
「今の“でも”いる?」
「必要」
短い会話のリズムがやけに心地いい。
ショーが終わるころ、私の肩は亮くんの肩にずっと触れていた。
帰り道。
駅までの坂道を並んで歩きながら、私はぬいぐるみを抱えて、プリクラのシールをスマホケースに入れ直す。
「……今日のこと、日記に書く?」
「もちろん。ページ、足りるかな」
「足りなくなったら、増やせばいい」
「増やす?」
「“交換日記”じゃなくて、“交換ラブレター”。ページはいくらでも増やせる」
「言ったね、今」
「言った。取り消さない」
「……ずるい」
「どのへんが」
「全部」
私がむくれると、亮くんは笑って、信号待ちで私の頭にぽん、と手を置いた。
「じゃ、今日は“特別”にしておく」
「特別?」
「お前が、な」
信号が青に変わる。
歩き出しながら、私は胸の中で今日の見出しを書いた。
——『イルカとハグと、君の手。全部、ウソじゃない。』
繋いだ手のぬくもりは、帰り着くまで一度も離れなかった。