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小競り合いなどなかった。つまりレモニカが到着した時点ですべての決着がついていた。救済機構の僧兵は全滅し、僅かな非戦闘員が捕虜となっていた。よほど酷い目に遭ったのか僧侶たちは焦燥し、仮に拘束されていなくても逃げ出す気力さえ無さそうだった。
かつてシュカー領を治めた貴い一族の居城もまた連なる尖塔や摩天楼と折り重なる空中回廊や索道で構成されている。街と違って計画的に設計され、どの角度から見上げても美しい幾何学模様を描いている。
戦闘の大部分が行われた地上の庭園は赤黒く染まっている。元は草木で覆われていたのかもしれない土色の広場や、かつては白く輝いていたのだろう四阿が、血と臓物に彩られ、てらてらと輝いている。金気臭い血の匂いが羽虫のように纏わりつく。痩せ細った鴉やぎょろ目の魔性が屍肉を漁っている。滴り落ちているのは空中回廊での戦闘の敗者の一部だ。時折、魚の跳ねるような水音が地面を叩く。
古城のあちこちに倒れる死体の中にサイスやモディーハンナがいるかどうかは分からない。しかし鉄仮面の焚書官は一人も見当たらなかった。
知人の遺体がないことを慰みにすべきではない、とレモニカは自己を諫める。
戦が終わってなお屍使いたちと使われる屍が戦場を行き来していることに気づき、レモニカはその指揮を執るフシュネアルテを探し出す。いつもよりさらに溌溂とし、加えて長らしい威厳を示して命令を発している。
「フシュネアルテさま。救済機構の僧侶たちの遺体をどうなさるおつもりですか?」
もはや手遅れかもしれないが、死者を侮辱したとなればただでさえ危うい大王国、機構、教団間の均衡が崩れかねない。
「私どもの戦利品です。レモニカ様。ラーガ様にも許可を得ておりますので口出し御無用にございます」
「大王国の戦利品でもあるのでは?」
「今回大王国の戦士たちは参戦していません。全ては故郷を奪われた我々と救済機構の生臭坊主の戦いです」
ライゼンの気質を知るレモニカには、俄かには信じがたい話だ。目の前で争いが起きていて、血と誉れに飢えた大王国の戦士が参戦しないことなどあるのだろうか。
「正確には屍使いも手出ししていませんね」とソラマリアが誰かに聞いたらしいことを報告する。
レモニカは言葉の意味をつかみかねる。「どういうことですか? 屍使いの戦いだとフシュネアルテさまは仰っていましたが、それでは救済機構は何と戦っていたのですか?」
「このムローの都に今なお死に生きる市民ですよ、レモニカ様」フシュネアルテがはっきりと、どこか誇らしげに答える。「彼らが侵略者を打ち破ったのです。クヴラフワ衝突より積年の恨みを今、晴らしたのです」
レモニカは再度庭園を見渡すが、そこで立ち働く屍たちが屍使いの力によるものなのか、『年輪師の殉礼』の呪いによるものなのか、区別できない。
「どうして、今になって?」
「さて、それは私どもにも分かりません。何かきっかけがあったのか、あるいは呪いの力が弱まったのか、もしくは恨みが呪いを凌駕したのか」
珍しく、いつもと反対に、姉フシュネアルテの後ろに妹イシュロッテが控えていることにレモニカは気づく。屍使いの長として譲れない時なのだろう。
「恨み、ですか。そもそも彼らに思考と呼べるものがあったのですか? ただ屍が生前と同じ振舞いをしているだけなのでは?」
「詳しくは何とも分かりませんね。それを知る救済機構の連中はもうこの街にはいないので」フシュネアルテの幼さの残る唇に浮かべる笑みは純粋に歓びを示している。「ですが私もクヴラフワ衝突については幼い頃から何度も聞かされてきました。末期には戦いに使える屍すらなくなり、自ら勇猛果敢に戦いつつ、倒れた仲間を操って挑み続ける、それは悲惨な結果となったそうです。彼らの無念が、とうとう復讐を結実させたのです」
レモニカは冷静に状況を分析する。救済機構の僧兵たちは、かつて救済機構が残した呪いによって二度目の生を営んでいた屍たちと戦い、敗北した。ということは、少なくとも表面的には救済機構の呪い、『年輪師の殉礼』によって救済機構は自滅したことになる。客観的には戦いとさえいえない、魔術による事故と言うべきなのかもしれない。
とはいえレモニカは死体漁りを許可したという兄ラーガに問い詰めたくて仕方がなかった。死を厭わぬ大王国の戦士とて死者を悼み、尊重し、冥福を祈るものだ。
そのラーガ王子は簡易的な天幕で部下たちと顔を寄せ合って報告を受け取っているところだった。どうやら調査の成果があったらしい。小声で言葉をかわしながら、満足げな笑みを口の端に浮かべている。
レモニカとソラマリアは静かに待つが、会話の内容までは聞こえない。
「待たせたな。我が妹よ。お前たちの方は何か見つけたか?」
巨人の遺跡に関するものは何も見つけていない。ハーミュラーの幻については報告する必要はない。
「いいえ、特に何も見つけられませんでしたわ。他の班では何か見つけられたようですね」
「ああ、現時点では何も分からないが、巨人の遺跡に似た何かを発見したらしい。詳しく調べなくてはな。調査状況を知りたかったのか? 魔導書のために」
「いいえ、屍使いたちに死体漁りを許可したというのは本当ですか? 救済機構に対して無意味な挑発になると思うのですが」
そんなことか、とでも言いたげにラーガは足の低い柔らかな長椅子に寝そべるように腰かける。
「死者の弔い方は土地によって千差万別だろう。あれが彼らなりの死者への敬意ではないか?」
「死者が救済機構の僧侶だと分かっていながら、遺体を引き渡せる相手がすぐそばにいると分かっていながら、別の作法を用いることに敬意があるとは思えません。救済機構とことを構えたいのですか?」
「ことを構えたいかって?」ラーガはソラマリアの方を一瞥し、レモニカに視線を戻すと、愚か者を小馬鹿にするように笑う。「戦争はもう起きているぞ、レモニカ。クヴラフワを挟んだシグニカと直接戦っていないだけで、南のヴィリア海や北のガレイン半島では陣取り合戦の真っ最中だ。もちろんどちらの背後にもシグニカ、救済機構がついている。ビアーミナ市で不戦の契りを結んでいるからといって他もそうだという訳じゃない」
レモニカは不明を恥じ入る。全体の戦況を知る機会などなかったが、知ろうともしていなかった。家出する前も後も。
「……火種を増やす理由はなんですか?」
ラーガはうんざりした様子でさらに溜息をつく。
「火種を増やすも何もグリシアン大陸は今東西に二分されている。ライゼン大王国とそれ以外の全て、すなわち十都市連盟だ。とはいえシグニカを除いて、大王国に接していない都市連盟は消極的で、前線への支援も渋っているようだが。大王国にとっては願ったり叶ったりだな。家畜が屠殺場の前に整列しているようなものだ。端から順に蹂躙し、いずれ大陸全土を治めよう」
「それは父上の、大王の望みですよね?」
「俺もまた望むところだ」
ラーガはまるで余興でも眺めるように長椅子に身を預け、レモニカの応答を待つ。
「ラーガ派はヴェガネラ派を引き継いだものと仰っていましたね。母上もそのようなことを望んでいたというのですか?」
「これは面白いことを言う。言葉を交わしたこともない相手の思想を語れるというのか? なあ、ソラマリアよ? 随分と我が妹に綺麗ごとを吹き込んできたようだ。まあ、文句はないさ。貴様に全て押し付ける決定がなされたのだからな」
「母上もまた、望むところだ、と?」
「そうさ。お袋は誰よりも大王国の発展を望んでいた。大王と違ってな」