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冷や汗が首筋を伝うのが、はっきり分かった。
「沈黙はイエス、だよね……」
仁は、野崎の正体に気が付いている。
いつからだ? いつから、気が付いていた?
今思えば、事件の後の病院で聞いた仁たちの話には違和感があった。
あれだけ印象的な場面で、異様な全身包帯テロリストのことを、誰も覚えていないだなんて。
特に、仁はオレがロビンソンと対峙したその瞬間を見ているはずだ。パーテーションが邪魔でよく見えなかっただとか、忘れているだなんて、おかしな話だったんだ。
そして、仁がロビンソンのビジュアルを覚えているとなると、どんな事態が引き起こされてしまうか、幾つもの恐ろしい展開が想像できてしまう。
あれだけ自身の正体や権能の存在が表に出ることを隠したがっていた野崎だ。もしも仁がそれに気づいているとわかれば、すぐに口止めをするだろう。
もし仁が他の奴に喋ってしまっていたら?
その場合、殺戮の波は肥大化する。オレと野崎の間に締結された交渉は砕け、彼女は権能を振るう。
「仁……、今の話……」
「わかってる。きっと本人にはバレちゃいけないんだよね、それくらいは任せてよ」
仁はそう言って、オレの耳元から離れた。
その発言から、情報拡散は抑えてくれているということが判り、一旦の安心が訪れる。
でも、それだけだ。これから仁は、奴らの事情に巻き込まれることになる。
それは、危険すぎる。オレはどうしてか、『少数派』の監視対象とされていることで処理されずに済んでいるが、このままでは、仁は、いつか…………、
さきほどまで感じていた気まずさは一蹴され、心中はより混色を極めた。
「煌っ、下の階にいるぞ」
後ろから飛んできた野崎の声に、体がびくりと震える。
「何をしてる、下にゾンビがいるから気をつけてくれって言ったんだよ」
「ああ、わかった……」
下階を覗くと、そこには血みどろの男子生徒。
唸り声をあげながら壁に向かって、頭を擦り当て続けていた。
「この階段を降りていけりゃあ、あとは体育館まで一直線だってのに……」
「走り抜けるには邪魔な位置だ。 ひとつ上の階まで誘導して、階段から蹴り落としてやろう」
「そんな危ねえ真似、遥夏もいるのに出来るかよ!」
「じゃあまた遠回りする気か? 二階の窓から校庭にでも飛び降りる気か? 外から響くあの銃声が君には聞こえていないのか?」
野崎に諭されて気がついた。
学校中を逃げ回る中で、そこら中から不定期的に重低音が聞こえてくることがあったが、あれはディオか、職員室に現れたテロリストたちのような、武装した奴らの銃声だったんだ。
「奴らが校内を徘徊している限り、出会すのは時間の問題。もし体育館が安全かもしれないなら、少しの危険を耐えてでもさっさとそこへ向かう方が良いと思わないか?」
「わかってんだよ冷静馬鹿! それでも、怪我した仁と遥夏がいる限りは……」
「……ハア。 君ってやつは、本当に友達が大切なんだな」
そんなの当然だ。
だが目の前の問題を早急にどうにかしなくちゃいけないのも事実だ。
「仕方ないな、私がやるよ」
「いいや、オレがやる。 野崎は遥夏と、後ろを見ててくれ」
要は、こいつを退かせればいいんだ。
手元のものを使ってどうにかするしかないが、オレには仁から受け取った箒しかないし、後ろの三人も素手だ。
このままじゃ危険だが、あのゾンビをぶっ飛ばすしかない。それくらいしか、スピーディにこの場を攻略する手立てがない。
「ねえ煌、これ、使えないかな……?」
そう声をかけてきたのは、遥夏だった。
遥夏は両手でこちらへ、がま口の桃色財布を差し出している。
「財布……?」
「私、算数苦手で、いつもコンビニとか千円札で払っちゃうんだよね。 そのせいでたくさん小銭入ってて……、じゃなくて! 小銭ってさ、落としちゃった時、結構おっきい音鳴るじゃん? これだけあったらさ、神社のお賽銭みたいに投げたら、すごい音になるんじゃないかなって」
「……もしかして、音を出してゾンビの注意を引こうってことか?」
「そゆこと! 上手くいかないかもだけど、試さないよりはいいかなって」
遥夏から受け取った財布の中には、数十枚もの小銭がひしめき合っていた。
彼女の言う通り、これだけの量を投げれば、ゾンビの注意を引くことができるかもしれない。
職員室から出る時、再びゾンビに襲われかけた。 ディオによって辺りのゾンビは撃ち倒されたはずだったが、きっと奴らはディオと、テロリスト達の銃声に反応して、校庭などから集まってきたんだ。
そう、あいつらは、音に反応する。 映画なんで見た通りの生態を持っているんだ。
作戦はすぐに行動フェーズへ移った。
オレは階段の踊り場、ゾンビの視界に映らないギリギリを位置取り、片手いっぱいに掴んだ小銭を思いきり下階へ投げつけた。
硬貨たちは思い思いの曲線を描いたのちに廊下を乱反射し、一斉に期待通りの大きな叫び声を掻き立てる。
それに呼応するように、階下にいたゾンビは奇妙な呻き声をあげながら、ぶらさげた腸を尻尾みたいに振るって向きを変え、音源に釣られていく。
遥夏の作戦は成功だった。
男子生徒のゾンビは硬貨の散らばった音の方へ、ゆらゆらと彷徨っていく。 その歩行は硬貨の散らばった辺りへ到達しても止まらず、そのまま奥へと姿を消していった。
「……行ったな」
「いや、まだみたいだ」
ゾンビを退かした後に向かうはずだった体育館方向の廊下から、ぬちゃりぬちゃりと気味の悪い音が聞こえてくる。
しばらくその場で様子見していると、その音の正体が現れた。
どこかで高いところから落ちでもしたのか、首の折れ曲がった、下顎のないゾンビ。 内蔵が空っぽでへこんだ腹部から大量の出血をしたまま、廊下を彷徨っていた。
どうやら彼も、投げられた小銭の音に釣られて引っ張られてきたらしい。
「……ゾンビはオレたちの見えない位置に、もう一体いたんだ。 遥夏の作戦勝ちだな、別の手段を取っていたら、危険な状況だったろう」
「フン、結果論だと言いたいけれど、これには負けた。 さあ、今のうちに行くよ」
酷い状況だが、四人というのやはり心強い。
オレと野崎だけなら力づくで攻略していた場面に、新しい選択肢が増える。
しかもそのメンバーは、気の知れた二人に、嫌な奴だが頼れる野崎だ。
もしこんな状況、こんな関係じゃなければ、野崎も一緒に青春の1ページを飾っていたかも知れないとすら感じる。
注意を払いながら階段を降りていき、ゾンビの敷いていったレッドカーペットを踏んで、体育館へ向かっていく。
遥夏だけは終始青い顔をしていたが、皆もうこの状況に感覚が麻痺しているみたいだった。
そうでもなければ普通、血痕なんて踏みたくない。避けて通ろうとするはずだ。
いや……、麻痺というより、妥協かもしれない。オレたちは目の前の危険、体育館へ辿り着くという目標のために、無意識に心の中で線引きをしていたんだ。
血で汚れるなんて最悪どうでもいいから、この状況からいち早く脱出を。そんな無意識が、この非日常的な空間に放り込まれていることを、宥めていた。
体育館には、きっと救いがある。
そこはきっと、全校生徒が集まっていて。
そこはきっと、ゾンビのいない安全な空間で。
そこはきっと、既に警察や特殊部隊も到着していて。
そこには、きっと、勝人も待っているんだ。
仁の出血状態をチェックしながら、四人でアイコンタクトを取って廊下を進んでいく。
意外にも、あの顎無し腹無しのゾンビ以降、ゾンビと出会うことはなかった。
そして遂にオレたちは、体育館へ繋がる外庭、屋根付きの通路に到着したのだった。
外庭から体育館の中の様子を見ようと試みるが、不安にも、入口すぐの下足場までしか太陽光は届いておらず、奥は黒いカーテンで隠されており、おまけに中からは何の音も聞こえない。
「……煌」
「野崎、わかってる。 罠かもって言いてえんだろ?」
「私が先に行く」
オレたちは靴を履き替えもせず、青プラスチックの簀子へ音を立てないようにあがり、黒カーテンの隙間から中を伺った。
「暗いな。 体育館の中には明かりがついてないのか……?」
「……いや、舞台側から光が射し込んでる。 中に誰かいるのは間違いないみたいだ」
耳をすませば、微かだがコツコツとブーツのような足音が聞こえることに気がついたが、生き残った生徒たちが皆集まっているって雰囲気ではない。
罠と決めつけてまず間違いないと言えるほどの不信感が漂う中、その沈黙を突如切り裂いたのは、背後からの野太い男声だった。
「おい、君たち」
振り向き、身構える。
体育館下足場の入口に立つ人影。
劣化のマフラーに、汚れた灰色の旧制服。
そして、二つ角がアイコニックなヒーローマスク。
太陽光を背にシルエット化したディオが、そこに立っていた。