田中があの日言った言葉の意味はどれだけ考えても分からずじまいで、答えを導き出せないストレスに悩まされ、貴重な休日はあっという間に終わってしまった。
当の本人は、俺と顔を合わせても至って普通で、あの日のことを気にしている素振りはない。
会議を真面目に聞いている田中を盗み見て、些細なヒントでも得られたらと期待するが「先輩、俺のことそんなに好きなんですか?見過ぎ」とからかわれる始末。
もうここははっきりと「三園さんと何があったんだ?」と聞いてしまえば早いかもしれない。
だけど、それを聞いてしまうには俺にも大きな覚悟が必要になるに違いない。こうなった原因の発端は俺が田中に三園美和子を送るようにお願いしたことだ。
俺は可愛い後輩が、ひとりの男であることを忘れてしまっていたようだ。
田中も結構な量の酒を飲んだことを知っていたのに、女性を送ってくれなんてお願いした俺のミス……ッ!
だから……ッ。
「田中!」
会議が終わり、部屋を出ていこうとしていた田中を呼び止める。
そして心からの謝罪の意を込めて、田中の左手を両手で握りしめる。
「……悪かったッ!俺も一緒に謝るから――」
「先輩」
言葉が遮られ、片方の空いている田中の手が俺の手に添えられた。
「協力してもらっていいですか?」
「……」
職場で見てはいけないものを見てしまった。
私はただ、会議室に忘れてしまった自分の手帳を取りに来ただけだ。
それなのに――
太一くんと田中が手を握って見つめ合っている。
太一くんのことが好きだという気持ちを自覚した瞬間に失恋を経験した私にとって、これからの職場環境に気まずいと感じることもあるだろうと予測はしていたが、これはあまりにも斜め上すぎる展開で思考が追い付かない。
見て見ぬフリをしてきた道を引き返すべき?
いや、でもこんなところでイチャついていては誰がに見られる危険性も十分にある。
そもそも、美和子という恋人がいるのに、他の男とイチャイチャするなんて、何を考えているんだー、中条太一!!
混乱した頭が全ての責任を中条太一へと押し付けたところでやっと私の意識はハッと現実へと戻って来る。
「(あ、マズいッ!!こっちに向かって来た……ッ!!」
慌てて逃げようと回れ右して踏み出した一歩が失敗に終わった。
「あ」
ヒールは脱げ、会議資料を舞い上がらせて盛大にこけてしまった。
「…………」
「…………」
背中に視線を感じて、私は何事もなかったように資料を拾い立ち上がった。
何も声を掛けてこないことをいいことにそのまま立ち去ろうとした私の背後に急に気配がしたと思ったら、険しい表情の太一くんと、不機嫌な顔の田中君に両腕を捕まれ、そのまま連行されたのだった。
「覗いてません、何も聞いていません!私は誰にも言いませんから、お助けをーッ!!」
連れてこられたのは、今は誰も使っていない薄暗い部屋――
ではなく、社員がよく休憩で使用する風通しの良い中庭だった。
ベンチが2つと自動販売機が設置されている休憩所には、植木やプランターなども置かれていて、今の時期はパンジーやケイトウなどの花が咲いている、私もお気に入りの場所のひとつだけど、ジリジリと私に迫る2人を前に、そうのん気なことは言ってられなかった。
きっと口封じをされるのだと悪い想像をしていた私に向かって、太一くんの手が伸びる。不安に押しつぶされそうになった私は強く目を閉じた。
「……ッ…………、?」
「一花ちゃん」
肩にポンと手が置かれ、名前を呼ばれる。
恐る恐る目を開けると、真剣な表情の太一くんが私の顔を見ながら言った。
「三園さんから、仕事のことで何か相談とか受けてないか?些細なことでも気になったことがあったなら教えてほしい」
「へ?美和子……?」
どうして今、美和子の名前が……?
「田中、あの日のこと、もう一度話してくれないか?」
そう言われた田中君が話したのは、私と美和子がBARで飲んでいたあの日のことだ。
酔って寝てしまった私を送ってくれたのは太一くんで美和子は田中君に送ってもらったと話していたっけ。
「家まで送ろうとしましたよ。でもあの人、タクシーに乗ってからすぐに寝てしまって、しょうがないから俺の家に運びました」
あれ!?思っていたのと違う!!
そんなこと一言も聞いてませんけど!?
「た、田中君!いくら相手が寝てたからって家に持ち帰るのは、お母さんどうかと思うよ!!」
いまどきのわかいもんは!と思わず言ってしまいそうなほど、サラリと言う田中君のお母さんの気持ちになって注意をしたら、ものすごい形相で嫌な顔をされた。私がお母さんじゃあそんなに嫌か。
「じゃあ、ホテルに連れ込んだ方が良かったですか?」
田中君のその言葉に吐こうと思っていた息がひゅっと喉の奥へと戻る。
そして、視線を上げると静かに話を聞いていた太一くんとバチリと目が合うとお互いの顔が一気に赤く染まった。
まさに私たちがホテルに連れ込んだ男と連れ込まれた女……。
人のこと言えない……ッ!!
「んんッ!……続けて」
気を取り直しての咳払いをして、話すように促す。
「それからまぁ、そういう雰囲気になって――」
「たーなーかーぁ!!」
「その時あの人、「助けて」って言ったんです」
田中君の強い視線が私を射抜く。
それがどんな感情を秘めているのか、私には分からなかったけど彼がどうしたいのか伝わってきて、私はこの生意気な後輩をやっぱり嫌いにはなれないと思った。
「……この前の懇親会でハッキリしました。三園美和子は上司から嫌がらせを受けていると思います」
あくまで秘書はサポートだから
寂しそうにそう言った美和子の言葉を思い出していた。