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鼓膜を突き破るような叫びとともに、アスファルトを叩く激しい足音が目の前で止まった。膝をつく服が擦れた音がして、すぐに大きな掌が僕の肩を強く掴み、がくがくと揺さぶる。
「はっ、ひゅ、はぁっ、ぅ、ぁ」
「元貴、寒かったね。ごめんね。もう大丈夫だから」
吸い込もうとしても空気が肺を素通りしていく。指先は完全に硬直して、自分の意思ではもう動かせない。視界は白く霞んでよく見えなかった。
大きな手が肩から背中へと回り、強引に引き起こされて抱きしめられる。伝わってくる鼓動は、僕と同じくらい速くて、荒かった。
「元貴、ゆーっくり息吐こう。吸わなくていいから、ふー、って」
耳元に、手本を示すような大きく息があたる。
でも、今の頭では、その単純な指示さえ上手く処理できない。喉の奥がひきつって、ただ乾いた音を立てるだけだった。
「っ、はぁ、…ぅ、はぁっ、はぁっ、ひゅ」
喉の奥で、空気がひきつる音が鳴り止まない。腕の中で、自分の体が細かく震えているのがわかる。
背中がゆっくりと、リズムを刻むように叩かれ始める。
「元貴、大丈夫。俺がいるから。一回、しんどいの全部吐き出しちゃおう」
耳元で繰り返される、落ち着いていて、でもどこか必死なあいつの声。
「…っ、う、…はぁ、っ、ふぅ…っ、はぁ、」
「そう、上手。もう一回。俺に合わせて」
トクトクと、鼓動が伝わる。
耳元にあたる、胸が上下する動きで、僕に分かりやすいように深く、長く息を吐いてくれているのが伝わった。
僕のために、こんなに必死になって。
こんなに、震える手で抱きしめてくれている。
その暖かさが、凍りついていた思考を、ゆっくりと溶かしていく。
そして、気がついた。
(……あぁ、そっか)
僕、若井に会いたかったんだ。
曲を書くうえでの、自分の価値とか、焦燥感とか、そんな高尚な芸術論じゃない。
ただ、寂しい。
ただ、誰かにこの寂しさを見つけてほしかった。
ステージの上で数万人の視線を浴びる「大森元貴」としてじゃなく、ただの、一人の人間として。
推敲した歌詞も、綺麗なメロディも、そんな装飾を全部剥ぎ取ったあとに残る、ちっぽけで、情けない「僕」を、誰かに見つけてほしかった。
若井の体温が、ジャケット越しに伝わってくる。
若井の心臓の音が、身体全体に響いている。
複雑に絡まった糸を解こうともがけばもがくほど、本当に自分が求めていたものが見えなくなっていた。それが、この圧倒的な「生」の熱に触れた瞬間、するするとほどけていく。
だけど、それで寂しさは消えることはないし、現実が急に変わってくれるわけでもない。それでも。
ただ、全部を背負ったままの僕を、まるごと抱きしめてくれる温もりが欲しかった。
その熱が、硬直していた指先を少しずつ解かしていく。
肺の奥に溜まっていた淀んだ空気が、ゆっくりと外へ押し出される。
「いいよ、その調子。ゆっくり、ゆっくり……」
呼吸の音が、少しずつ夜の静寂に馴染んでいく。
重たい瞼を、粘りつくような眠気から剥がし取るようにして押し上げる。ぼやけた視界の中に、歪んだ輪郭が浮かび上がった。それは、見間違えるはずのない、ずっと、ずっと、会いたかった彼の顔。
毎日顔を合わせ、言葉を交わし、音を重ねている。それなのに、今目の前にいる若井は、まるで数年ぶりに再会したかのような、懐かしさと切なさを伴って胸を締め付けた。
「……わかいだぁー……」
自分でも驚くほど、掠れて、幼い声が漏れた。
心の底から溢れ出した、混じり気のない安心だった。
そのままじっと見つめると、若井の大きな瞳に、溢れんばかりの涙が溜まっているのが見えた。街灯の白色の光を反射して、今にもこぼれ落ちそうな、重たい雫。
「……なんだよ、それ……」
その声は、呆れているようにも、泣いているようにも聞こえた。
会えたことで霧が晴れたような安心感。自分の中でもやとなっていた孤独や焦燥を、「若井に会いたかった」という単純な答えで解決できた解放感。そんな、憑き物が落ちたみたいにすっきりした気分の僕とは対照的に、目の前の若井はまだ真っ青な顔をしてこちらを見ている。
その温度差が、なんだか無性に可笑しかった。あんなに自分を追い詰めて、橋の下を覗き込んでいた自分が馬鹿みたいで。そして、そんな僕のために、世界で一番かっこ悪い顔をして泣きそうになっているあいつが、あまりにも愛おしくて。
胸の奥から、得体の知れない感情が込み上げてきて、自然と口角が上がった。
「んふふ……あははっ……」
小さくくすくすと笑い声を漏らす。けれど、僕が笑えば笑うほど、若井の表情はどんどん悲痛なものへと歪んでいった。
「……笑うなよ。……笑い事じゃないだろ、マジで」
声を震わせながら、僕の肩を掴む手に力を込める。その指先の強さが、僕がさっきまでどれほど危うい場所にいたのかを、皮肉にも教えてくれた。
「…ごめん。だって、若井の顔、凄いひどいから」
「……誰のせいだと思ってんだよ…」
若井はそう吐き捨てると、耐えきれなくなったみたいに、そのまま僕を力一杯抱きしめた。首筋に触れた頬が、驚くほど熱い。さっきまで冬の冷たさに馴染もうとしていた僕の体温が、強引に書き換えられていく。
「……ねえ、わかい」
「なに、もう……」
「……あったかいね」
酔った頭で、思ったままを口にする。
呟いた声は、情けないくらい震えていた。
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それを聞いた若井は、一瞬だけ息を止めたように感じた。でも、すぐに空いている方の手で僕の頭をゆっくりと撫で始める。
「……ん。あったかいね」
静かに、噛みしめるように、そう言った。
そして、何度も、何度も、存在を確かめるように頭を撫で続ける。その大きな掌から伝わってくる熱が、さっきまで僕を支配していた死の冷たさを、一滴残らず追い出していく。
「大森元貴」として、音を紡ぐために自分を削る必要なんて、今この瞬間だけはどこにもない。
ただ、冷え切った体を若井に温めてもらっている、一人のわがままな僕がいるだけだ。
こうして少しの間、互いの体温を確かめ合うように抱き合ったあと、ゆっくりと体が離れた。
「元貴」
名前を呼ばれて、視線を向ける。若井の瞳は赤く潤んでいて、でもそこには迷いのない強い光が宿っていた。
「……ん」
「今日、一緒に寝よ。俺の家で」
「……いいの……?」
「もちろん。ほら、行こ」
根掘り葉掘り聞かないのは、若井なりの配慮なんだろう。僕が自分で言葉にできるようになるまで、ただ隣にいてくれる。その不器用で静かな肯定が、心にやんわりと染み込んでいく。
ふらつく体を支えてもらいながら立ち上がろうとすると、若井が大きな手で、僕の右手を包み込むように繋いできた。
橋の下を走る車のライトは、さっきまでの冷酷さはなくなり、帰り道を照らしてくれているかのように穏やかだった。
「……明日さ、起きたら美味しいもの食べようね」
若井が前を見据えたまま、独り言のように呟く。
「……うん。お腹すいたかも」
嘘をついた。本当はまだお酒で胃が重たいけれど、若井と一緒に迎える明日があるという事実に、少しだけ期待してみたくなった。
冬の、刺すような冷たい空気の中。
二人の足音だけが、静かな夜の街に重なって響いていく。
繋いだ手は、どちらからともなく力を込めたまま、一度も解かれることはなかった。
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リクエストありがとうございました!
フェーズ1の大森さんをどう書き表そうかと考えた時に、当時の生き急いでいる感じを出せたらと思ったのと、フェーズ2になった後、インタビューで大森さんが言った「二人を頼もしく思えるようになった」「安心して今に浸っていられる場所にミセスを作ってくれている」という言葉が、フェーズ1と2の大きな違いだと考え、独白の内容を決めました。解釈違いがあったら申し訳ないです。
そして今回も変わらずフィクションなので、ご本人様がこの話の通りに考えていたわけではありません。認識のほど、よろしくお願いします。
それと、初めて一人称視点で小説を書いたので、それも込みで楽しんでもらえていたら嬉しいです。
また是非見に来てください♬