すっかり世界が冬支度を始めた頃、寒いと文句を垂れながらも毎日元気に仕事に精を出すリオンを誉めたり宥め賺したりしていたウーヴェは、今年のクリスマスプレゼントをどうしようかとぼんやりと考え始めていた。
付き合いだしてからの行事になったクリスマスプレゼントは時計であったりブーツであったりリオンの身体を飾るものを選んでいて、今年も同じように身に着けるものにするべきかどうかと考えていたが、なかなか良いものと巡り会うことが出来ないでいた。
クリニックで仕事の合間にリアと話をしてもどうしてもその話題になってしまい、彼女は彼女で弟へのプレゼントをどうするか悩んでいたようだった。
そんな悩みを相談しあい、互いに面白そうなものを見つけたら教えあうことで手を打った時、何気なくつけていたテレビから昼にはあまり相応しくないトーク番組が始まり、女性達の歓声が流れ出す。
「……暇を持て余しているおば様達に大人気だそうよ」
「……」
トーク番組の内容を示すテロップが流れ、目で文字を追いかけたウーヴェとリアが微妙に気まずい空気を醸し出したその時、診察室のドアが破られる勢いでノックされてどちらも椅子から飛び上がりそうになり、ウーヴェが慌ててリモコンでテレビの電源をオフにし、リアがそれを見計らってどうぞと上擦った声で入室を許可する。
「ハロ、オーヴェ、リア……ってどうしたんだ?」
「な、何がだ?」
「別に何もないわよ?」
やって来たのは昼の休憩だと満面の笑みで教えてくれるリオンで、何かを感じ取ったのか入って来るなり二人を見て首を傾げた為、ウーヴェはメガネのフレームを指先で撫でながら何もないと告げ、リアも少し上擦った声で何でもないと答えるものの、人の嘘を見抜くのが本職のリオンにそれが通用するかどうかは分からなかった。
「ふぅん…」
訝る気配全開で二人を睥睨したリオンは、ウーヴェの手がリモコンの角を何度も撫でていることに気付き、さり気ない動作で近寄ってその頬にキスをしながらウーヴェの手からリモコンを奪い取り、スイッチオンと呟いてボタンを押す。
「………」
その瞬間、画面に映し出されたのはピンクを基調にしたベッドルームの光景で、聞こえた言葉から何を示しているのかをリオンが察したようにちらりとウーヴェの様子を窺えば、額を押さえて真っ青な顔を俯かせてしまうが、画面に映し出されるものをじっと見つめるリオンに気付き、様子を窺うようにウーヴェが声を掛けると画面の中に愛し合っているかいという単語が大きく映し出される。
「………愛し合ってねぇ…っ」
「!!」
リオンの地を這うような呟きに過敏に反応したのはウーヴェで、先程の慌てっぷりとは比べられないほど深刻な慌てぶりを発揮し、項垂れたように見えるリオンの口を手で覆いついでに鼻の穴まで隠してしまう。
「え?どういうこと?」
ウーヴェのその尋常ではない様子にリアが首を傾げ、苦しそうに藻掻くリオンにどういうことだと更に問い掛けると、ようやくウーヴェの手を口から剥がしたリオンが奇跡の生還を果たした人間のような顔で深呼吸を繰り返す。
「オーヴェ、鼻まで塞ぐことねぇだろ!?」
危うく窒息してノーラに再会する所だったと目を吊り上げるリオンにウーヴェが何のことだとしらばっくれるが、じろりと睨まれて視線を彷徨わせる。
「リオン、さっきの言葉はどういう意味?」
まさかとは思うが愛し合ってないと言ったのはそう言うことなのかと、控え目ながらも好奇心を少しだけ滲ませたリアの言葉にウーヴェが絶句し、リオンが今にも泣きべそを掻きそうな顔でキスしかしてねぇと最近の自分たちのベッド事情を暴露した為、ウーヴェが青かった顔を赤くしたりと大忙しになってしまう。
「キスしてハグして寝るだけ…!」
ここの所ずっとオーヴェと愛し合ってないと叫ぶリオンに最早ウーヴェは何も言えずに溜息を零し、リアが意外そうな顔で二人を交互に見つめるものの、己のボスであり友人でもあるウーヴェの心を思えば何も言えなかった。
「どーして一緒に寝てるのにハグするだけなんだよ?俺とやるの、飽きちゃった?」
「やるのとか言うな、バカタレ!」
リオンの恨みがましい目つきに気圧されながらも、そこだけは譲れない言葉遣いにウーヴェがリオンの頭に平手を落とすと、急に開き直ったような顔でリオンがデスクに腰を下ろす。
「倦怠期って訳じゃなさそうだし…。あ、普通のが飽きたんだったらまた買って来るぜ?」
「買ってこなくて良いっ!!」
リオンが買おうとしているものが何であるのかを素早く察したウーヴェが蒼白になりながら手を振って断固拒否を示すと、だったらどうして何もしないしさせてくれないんだと詰め寄られて辟易してしまう。
「なぁ、オーヴェぇ…!」
「…それは…そ、の…」
ウーヴェが少し前に経験した心身に深い傷を与えられた時からリオンとはキスをし、互いの背中や腰に腕を回して同じベッドで寝るだけで、泣きそうな顔で暴露したように互いの愛情を確かめる為のセックスはしていなかった。
だが、リオンが告げたように飽きた訳でも無ければ倦怠期というわけでもなく、ちゃんとした理由が存在していたが、それを伝えるべきかずっと密かにウーヴェは悩んでいたのだ。
リオンにも伝えることを悩むほどなのに、リアの前でそれを言えと言われたところで素直に告白出来るはずもなく、視線を逸らして口の中で言葉をもごもごと転がしていると、リオンが諦めの溜息を吐いてウーヴェを横目で睨む。
「…仕方ねぇか…何処かで女でも買ってこようっと」
「!!」
「だってさ、オーヴェが相手してくれねぇんだから仕方ないだろ?」
こう見えても健康な成年男子なのだ、3日も出さなかったら体に悪いと胸を張られて絶句し、じゃあと手を挙げて部屋を出て行くリオンをただ呆然と見送るしか出来なかったウーヴェは、気遣いながら声を掛けてくれるリアに即座に反応出来ず、ただ捨て台詞のように吐き捨てられた言葉の意味を考えて気分が沈んでいくのを止められないのだった。
今日も今日とて大繁盛しているゲートルートの勝手口が尋常ではない勢いで開け放たれて人が入り込んできたのは、そろそろ今日の料理として提供する材料が無くなりつつある頃だった。
蝶番が外れるような勢いでドアが開き、厨房と店の賑やかさにも負けないその音に厨房にいた者すべてが勝手口へと視線を向け、ある者は驚きに動きを止め、ある者は珍しいこともあると口笛を吹きながら闖入者に親しげに声を掛ける。
その時、ちょうど奥の休憩所にもなる事務所に行っていた店のオーナーシェフであるベルトランが戻ってきたが、勝手口に最も近い作業台に手を付く幼馴染みを発見し、驚きつつもどうしたと声を掛けるが、その声が幼馴染みに届くか早いか、大股にベルトラン目掛けてやって来るウーヴェに気付いて身体を仰け反らせる。
「何だ何だ、どうしたんだ、ウーヴェ?」
「うるさい、ぽよっ腹!」
「はぁ!?」
ここの所何やら忙しいようであまり顔を出さなかったウーヴェが来たことへの素直な感激を顔に出しただけなのに、何故いつものように罵倒されるのかが分からなかったベルトランは、ウーヴェの目元がうっすらと赤いことから何かに気付いて腕を組む。
「お前、キングとケンカでもしたのか?」
「…何処かで女を買ってくると言われた」
「は!?」
堂々の浮気宣言かとベルトランが目を剥くと不機嫌そうにウーヴェが幼馴染みを睨み付けたため、俺を睨んでも仕方がないと溜息混じりに呟いてカウンター向こうのテーブルを顎で指し示す。
その席は店内からはパーテーションで隠されていて見ることは出来ないが厨房からはよく見える為、店員が休憩をしたり一日の売り上げを計算したりするときによく使っていた。
だがウーヴェが一人で店にやってきたときにはここはウーヴェ専用の席になる為、今もそこを指し示したベルトランが見守る前で大人しくウーヴェがテーブルに着いて手を組む。
「晩飯は食ったのか?」
「…まだだ」
「サーモンとほうれん草、卵にチーズにハム。どれが良い?」
ウーヴェの食が細いことに関しては友人一同の誰もが思っていても特に注意をすることは無かったが、ベルトランだけはウーヴェに食べさせることこそが己の天職だと思っている節があるようで、食べていないと知れば他の人たちととは少し違う心配をすることがあった。
その心配ぶりを今も遺憾なく発揮する幼馴染みに空腹ではないとウーヴェが呟くが、駄目だの一点張りで仕方なくほうれん草と卵と答えてようやく納得して貰える。
「車か?」
「ああ」
「じゃあビールだな…チーフ、グラスとビールを頼む」
ウーヴェの向かいの椅子を引いて腰を下ろし、チーフと呼ばれた青年がビールとグラスを二つ運んできてくれたことに礼を言い、溜息を吐くウーヴェの前にグラスを差し出す。
「どうして浮気宣言なんだ?」
「最近俺が避けているから、だろうな」
「避ける?お前が!?」
キングの為ならば火の中水の中のお前があいつを避けるのかと、それはそれは盛大に驚く幼馴染みを睨み付け、何なんだそれはと言い返すものの、事実だろうがと断言されて絶句してしまう。
「まあ、火の中水の中はともかく、どうして避けているんだ?」
ウーヴェの様子から冗談ではないことを察し、頬杖を着いてグラスを手にしたベルトランは、イェニーを覚えているかと言われて考え込むように腕を組むが、程なくして名前と脳裏に浮かんだ顔が一致したのか、ギムナジウムで一番仲良くしていた山好きの男だろうと頷くと、彼に暴行されたことを聞き取りにくい声で告白されて今度はベルトランが絶句してしまう。
「な…!?」
「…俺がリオンと付き合うのが気にくわなかったそうだ」
だが、もうそれについては解決済みのことだと肩を竦めたウーヴェは、間近で突如聞こえた歯軋りに気付いて瞬きをし、その歯軋りがベルトランの口から流れ出していることに気付いて首を傾げる。
「バート?」
「…そいつの家はどこだ?」
日頃怒ることがあるのかと周囲の誰もが口にするほど穏やかだと同級生達の間では通っているベルトランの口から流れ出す低い声が恫喝じみていて、背筋を震わせたウーヴェがベルトランの握りしめられた拳に手を重ねてもう良いんだと告げる。
「何が良いんだ?」
「もう良い、バート。イェニーは…もう、いないんだ」
「何だって?」
「アイガーで遭難した」
その連絡を受けて数日前に仲間達とお別れ会を開いたばかりだと目を伏せ、だからもうお前が怒る必要はないと告げて小さく笑みを浮かべると、ベルトランの顔にようやく日頃の穏やかさが戻ってくる。
「山に逃げたってことか?」
「リオンと同じことを言うんだな、お前も」
リオンも同じように逃げたと評した事を伝えると、誰でも同じことを思うと返されてしまって口を閉ざし、とにかくその件に関しては本当にもう腹の中の納める場所に納めたことを伝え、それがあったからつい避けてしまうと肩を竦めると、ベルトランが興奮した頭を冷やす為にビールを一気に飲み干す。
「傷はもう良いのか?」
「ああ。その日のうちにリオンが医者に診せてくれたようだ」
自分自身失神していて覚えていないが、ちゃんと傷の手当てがなされていたこと、その後リオンがバザーの手伝いがあったはずなのに、それを断ってつきっきりで看病し、気が狂ったような自分をしっかりと受け止めてくれたことを告げ、リオンで良かったとも告白すると幼馴染みの顔に呆れた様な表情が浮かび上がる。
「良かったと思っているのに避けているのか?」
「………」
「お前、避けてるのはあいつと会うことか?それともベッドの中か?」
ビールをウーヴェのグラスに注ぎながら問いかけたベルトランの言葉にウーヴェが息を飲んでどんな言葉も返せずにいると、本当に傷が治っているのかと問われてそれは間違いがないと頷く。
「だったら何で避けてるんだ?…傷が治っていないから避けてるんじゃないのか?」
「…それ、は……」
傷というのは目に見えるものだけではないと言いたげにベルトランが眉を寄せるが、周囲から聞こえるのは酒を飲んで大いに騒ぐ声で、そんな場所で一体何の相談なんだとおかしさを感じるものの、この気の良い幼馴染みには包み隠さず全てを話してしまえるウーヴェは、結局躊躇いつつもリオンとセックスをするとオイゲンとの行為が無意識に思い出されてしまうかもしれない恐怖からなかなか踏ん切りがつかないことを告白する。
「ちょっと待てよ、思い出すかも知れない?」
「…ああ」
「じゃあ、実際には思い出してないのか?」
「…避けてる、から…分からない」
今日クリニックにやってきたリオンが喚いたように、あの事件の夜以降、同じベッドに入ってもただキスしてハグをするだけで、最近はリオンがそれとなく様子を窺っていることに気付いていたが、気付かないふりをしてやり過ごしたり、今日は疲れていて眠いからと言い訳をしてキスで宥め賺していたのだ。
何日も結果的に無視されてしまっているリオンの心身を思えば確かに申し訳ないが、それ以上にどうしても拭い去れない恐怖が胸の中にあり、以前のように抱き合うことを躊躇わせていたのだ。
ビールを飲みながらテーブルに告白したウーヴェにベルトランが腕を組み替えるが、肺の中を空っぽにするような溜息を吐いて天井を仰ぐ。
「…あいつも浮気宣言したくもなるぞ、それは」
「………」
同じ男として恋人と同じベッドで寝ながら何も出来ない心身の辛さは理解できるし、もしかすると自分は愛されていないのではないのかとの疑念すら抱いてしまうことをベルトランが告げると、ウーヴェの顔から血の気が失せてしまう。
「お前は…まあ淡泊だからなぁ…」
どちらかといえば手を繋いでキスをし、ハグをすれば安心して眠れる、大人より子供を連想させる関係で落ち着けるかも知れないが、血気盛んな男にとってはある意味拷問だぞと苦笑しながら頭を掻く。
「なあ、ウー、お前、あいつのことが嫌いじゃないだろう?」
「当たり前だ。嫌っているヤツに…あんな姿を見せるか」
日頃の冷静さなど微塵も伺えない、まるで気が触れた人のように泣き喚く姿など、ウーヴェの性格からすれば誰にも見せたくないものだった。
それを見せていることからどれだけリオンを信頼し、愛しているのかが分かるだろうとベルトランを睨むと、俺は分かるがあいつはちゃんと分かっているのかと問われて口を閉ざす。
二人の間で何かがあれば己の思いは伝えているし、日頃の態度でも伝えてきたつもりだったが、伝わっていなかったのだろうか。
その不安に口を閉ざした幼馴染みを前にベルトランがもう一度溜息を吐き、何かを決意したように手を組んでじっとウーヴェを見つめる。
「……あいつに今思ったことを素直に言えよ」
「何を…言えと言うんだ?」
「セックスして思い出してしまうかもしれないのが怖い、そう言えよ」
お前の心の奥底にある恐怖を伝えてみろと促されるが、そんなことは言えないとウーヴェが首を左右に振った為、どうして言えないんだとベルトランが少しだけ声を大きくする。
「お前の過去もある程度は知ってる。今回のことも全部受け止めてくれたんだろう?だったら言えるじゃないか」
そこで黙ってしまってあいつが女を買いに行くことを許してしまえば、いずれお前達は別れてしまうことになるぞと睨むと、同じ強さで睨み返されてベルトランが内心で息を飲む。
こんなにも強い感情を表に出すウーヴェを見るのは久しぶりで、それを思えばこの幼馴染みがどれ程恋人を愛し信頼しているかが分かるが、本人が素直になってその思いを伝えなければならないと気付き、俺を睨んでも仕方がないだろうと肩を竦める。
「素直になって言ってみろよ」
「………」
「それともなんだ、言わないままであいつが女遊びをするようになるのを傍観するのか?商売女に手を出してる間は良いが、いずれ素人に手を出すようになるぞ」
キングにとっては身体の寂寥感を埋めるために商売女を利用しようがその辺の一般女性を相手にするのも大差ないはずだし、お前と違って健康優良成人男性相応の性的欲求を持っているのだと言われて唇を噛んだウーヴェは、拳を握ってテーブルに押し当てる。
「お前が火遊びをさせる下地を作ってどうする」
「…で、も…」
「あいつに女遊びをさせたくないんだろう?だったら素直になれ!」
幼馴染みの一喝にはさすがにウーヴェも堪えたらしく、視線を彷徨わせた後で大きく溜息を吐いて前髪を掻き上げる。
「あいつなら、お前がたとえ何を言っても絶対に手を離したりしない」
そんなことは俺よりもお前が一番分かっているだろう、そういう男だと分かっているからこそお前の最も触れられたくない過去を教えたんじゃないのかと、一転して優しい声で問われて躊躇った後に頷いたウーヴェは、素直になれの言葉に従ってみようと決めるものの、この気の良い幼馴染みに見抜かれたように恐怖を感じる心を口に出せるとは思えず、重苦しい溜息をついてしまう。
「…言えるか、自信がない」
「…まあな、分からなくもないけどなぁ」
きっと今まで恐怖を感じても怖いと口に出したことは無いだろうし、初めての経験はどうしても力が必要になることを理解しているベルトランを上目遣いに見たウーヴェだったが、気分を切り替えるように溜息を吐いた幼馴染が立ち上がったことにつられるように顔を上げ、ほうれん草と卵のガレットを焼くからそれを食って帰れと片目を閉じられて少し考え込んだ後一つ頷く。
「バート、ほうれん草とサーモンにしてくれないか?」
「ん?分かった。卵はどうする?」
「今は要らない」
あまり食べたくはなかったが、このまま帰ると言えば二度と店に顔を出せないような気がしたウーヴェがオーダーをすると、ベルトランの顔がにこやかな見慣れたものになった為、内心でそっと溜息をついてお代わりの一本を棚から勝手に取り出し、美味しそうに焼かれたガレットが出されるまでの時間に幼馴染みの言葉を真剣に考え込むのだった。
リオンが浮気宣言とも取れる言葉をウーヴェに残した数日後、閉店間際のゲートルートのドアを壊す勢いで開け放ったのは肩で息をしているリオンだった。
客も疎らで後は片付けるだけのリラックスした時間に突然飛び込んできた金色の嵐に従業員が一斉にドアへと顔を振り向け、数日前の驚き方とはまた違うそれでリオンを出迎える。
「どうした、キング?」
厨房で明日の仕込みをしていたベルトランが肩越しに振り返って笑みを浮かべるが、ずかずかと駆け寄ってくるリオンに何事だと目を丸くする。
「ベルトラン」
「何だ何だ!?」
厨房にまでやってきてベルトランの襟首を鷲掴みにして客が帰った後のテーブルにまで引きずっていったリオンは、一体何だと憤慨の声を挙げるベルトランをじっと見つめ、話を聞いてくれと開口一番捲し立てると、チーフがそっと水を差しだした為に有り難く受け取って一息に飲み干す。
「話?」
「そう!ベルトランの幼馴染みの話だ!」
リオンが言う幼馴染みは当然ながらウーヴェの事を示しているが、一体何の話だ今度は何が原因でケンカをしたんだと腕を組むと、リオンが顎を引いて上目遣いにベルトランを睨む。
「オーヴェがセックスさせてくれねぇ」
「!!」
その明け透けな言い方にベルトランよりも少し離れた場所にいたスタッフ達の方が驚いてしまい、手にしていたトレイを落とす音やモップを倒してしまう音などが響き渡る。
「お前ね、もう少し言い方ってものが…」
「ベルトランに言い方を繕っても仕方ねぇだろ?────オーヴェ、俺とヤるのが嫌になったのかな」
テーブルにべったりと身体を載せて嘆く様はただただ鬱陶しいだけだったが、先日ウーヴェから立場を変えた同じ話を聞かされていた為、盛大な溜息をついてチーフにあの日と同じようにビールの用意をしてもらい、落ち着いて話をする為に何か食えと言い放つ。
「チーズとチーズとチーズの入ったガレットが食いたい」
「いっその事チーズだけを焼いてやろうか?」
リオンの言葉に呆れたベルトランが提案するとぎらりと蒼い瞳が不気味に光った為、ほうれん草と卵にチーズを載せたものを作ってやると改める。
「おい、キング」
「ん?何だ?」
厨房に戻るベルトランの後を追いかけるリオンが首を傾げ、何だと前をゆく頼もしい背中を見れば、あいつが避けている理由は聞いたのかと問いかけられて軽く目を瞠る。
「……ベルトラン、オーヴェから何か聞いたのか?」
「ああ。お前がこの間堂々と浮気宣言をしたことは聞いたぞ」
「げー。よりによってアレを言うか、オーヴェ」
幼馴染み同士どんな話をしたとしても気にはならないが、あの浮気宣言とも取れる一言を告げるかと呟いて天井を仰いだリオンは、そう取られても仕方がないと肩を竦めて苦笑する。
「本気じゃないのか?」
「うん?ああ、オーヴェ次第で本気になるかな」
ただ、本当に女を抱きたいのであればウーヴェと付き合う以前から関係のあった女の所に転がり込んでさっさと抱いてウーヴェの家に帰ると、一仕事終えたら帰る人のように告げられてさすがにベルトランが絶句すると、自分にセフレがいてもウーヴェは驚かないと肩を竦める。
「セフレがいるからって嫉妬されたこともねぇし…」
ただ今回、商売女を買いに行く事を告げた途端に顔色が変わったから、もしかするとウーヴェの中で今までとは違って何某かの変化が起こっているのかも知れないとも呟き、疑惑の目を向けてくるベルトランにもう一度肩を竦める。
「────お前、女を買いに行ったのか?」
「残念ながら仕事が忙しくて行ってねぇ。それに……」
ベルトランの追求するような視線に苦笑し、作業台に忘れ去られたように残っているジャガイモを宙に浮かせて掌で受け止める。
「最近セックスしたいって思わねぇし」
「どういうことだ?」
「んー、何だろうな、俺も初めてだから良く分からねぇけど、オーヴェ以外の誰かとセックスしても気持ちよくなれないんじゃないかなって思う」
だから特にセフレに連絡を取ったり商売女を買ったりする必要がないと自嘲気味に呟き、それなのにウーヴェがやらせてくれないからどうすればいいのか分からないと肩を落とされて呆気に取られたベルトランは、数日前のウーヴェの横顔を思い出して重苦しい溜息をつく。
今まで誉められた付き合い方をしてこなかったリオンだが、ウーヴェが変化をしたと思っているのと同じようにリオン自身も変化をしていた。
それが、以前ならば一人きりになりたくないとの理由で何人ものセフレと関係を持っていたが、今はそんな気持ちにならないと告白されてしまい、これほどまでにリオンが己を思っていることをウーヴェは本当に理解しているのだろうかと不意に疑問に感じ、当然だとは思うが好きだと意思表示はしているのかとリオンを見れば、今までの彼女に対してはしてこなかったが、ウーヴェに対しては自分史上最高に意思表示をしているし、その最たる証として合鍵も渡したことを捲し立てられて思わず素っ頓狂な声を挙げたベルトランは、驚くリオンに合鍵だとと詰め寄る。
「うん。あれ、話聞いてないか?」
「ああ。あいつに合鍵を渡した?」
「渡した。俺がいてもいなくても、いつでもあの家に帰ってくればいいって言って…」
何をそんなに驚くんだと目を丸くするリオンに、正直な話、お前がそんな風にあいつを思って合鍵を渡すことがあるなんて思わなかったと告白したベルトランは、それと相まってウーヴェが抱いていた思いが見当違いである事にも気付くと、全くあのバカはと呟いてしまう。
「ベルトラン?」
「おい、キング」
「ん?」
「あのバカに言ってやれ」
ベルトランの瞳が瞼に半ば隠されて異様な雰囲気を漂わせ始めたことに気付いたリオンが目を剥いて彼を見ると、いい加減に素直になれと吐き捨てられて瞬きを繰り返す。
「なあ…バカってさ、もしかしてオーヴェのことか?」
「あいつ以外にいるか?」
ベルトランの強い視線に首を竦めたリオンだったが、さすがに幼馴染みは容赦がないと苦笑し、ウーヴェの事をバカと罵った人を初めて見たことに驚いてしまうが、自分が合鍵を渡しただけでウーヴェをバカと言い放つまでには何某かの心の動きがあることに思い至り、ウーヴェからどんな話を聞いたのかと問いかけると、ベルトランが盛大な溜息をついて作業台に手をつく。
「あいつがお前を避けている理由、だな」
「…何て言ってたんだ?」
「…あいつが山男にされたことは?」
リオンが恐る恐る問いかけると謎かけのような答えがあり、アイガーで遭難した山男かと答えるとベルトランの頭が上下する。
「もちろん、…その夜にホームに来たから、ほぼ事情は飲み込めた」
「お前に全部さらけ出してるってことにまだ気付いてないのか」
ベルトランの一言に込められている雑多な思いの一端を感じ取り、髪を掻きむしる彼を凝視したリオンは、何度目かの溜息をつきながら見つめられてそっと頷き、気付いて欲しいよなぁと暢気に笑う。
「そろそろ気付いて欲しいんだけどな」
「まったく、あいつは本当に自分のこととなると鈍いからな」
本当に仕方がない幼馴染みだと苦笑し、山男にされたことがあるから避けていると呟くベルトランにリオンが目を細め、やはりそれが引っ掛かっていたのかと呟いて作業台に尻を乗せる。
「もしかしてそうかもとは思ってたんだけどな」
「……直接の原因はそれだが、まだ他にもあるらしい」
「へ?」
そのほかの理由とは何だ教えてくれとベルトランを見るリオンだったが、不意に表情を切り替えたベルトランが顔を近づけてきた為に仰け反って衝突を避ける。
「それはお前が直接あいつから聞き出せ」
「……教えてくれても良いじゃねぇか」
「あいつが好きなんだろ?離したくないんだろう?」
リオンが拗ねた子どもの顔でベルトランを見れば、見られた方は総ての事情を知っている大人の顔でふふんと笑い、離れたくなければ自分から探ってみろと言い放って腰に手を宛がう。
「もう分かっていると思うが、あいつに話をさせろ」
例えウーヴェと向き合って話しているうちに悩みを察したとしても、絶対にウーヴェの口からその悩みを吐き出させろと強い口調で告げてリオンの胸に人差し指を突きつけたベルトランは、ただ驚いたように見つめてくるリオンに太い笑みを浮かべ、キーワードは素直になれだと告げて上体を起こす。
「それってさ、ベルトランが何か忠告をしてくれたってことか?」
「────俺が忠告したことに嫉妬する暇があるのならあいつから聞き出してみせろ」
リオンが目を光らせたのを軽くいなすだけではなく、逆に嗾けるように目を光らせたベルトランは、至近距離でリオンと睨み合うように顔を突きつけるが、一歩下がって目元を和らげ、お前ならば絶対に出来ると太鼓判を押す。
「出来るかな?」
「お前になら出来るというか…お前にしか出来ないだろうよ」
俺が傍にいてどれだけ説得しようが怒鳴ろうが意見を変えることはないが、お前ならばあいつが閉ざした心の扉を開けるはずだと、友人とその恋人を心から心配している優しい穏やかな目で見つめられて腹に力が沸き起こってくる。
「……応援してくれよ、ベルトラン!」
「おう。────本当に…お前にしか出来ないだろうよ」
自信満々の笑みを浮かべて頷くリオンに苦笑し、幼馴染みの顔を脳裏に浮かべながら本当にお前にしか出来ないと小さく呟いたベルトランは、腹拵えをしてしっかりと戦いに挑んでこいとリオンの背中を叩く。
そんなベルトランの応援を受け、必ずウーヴェの口から本音を吐き出させると決意をし、程なくして出来上がったガレットをがっつくように食べ尽くすのだった。
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