ねむ視点
「……似合う、かな。」
鏡に映る自分を見ながら、ぽつりと呟いた。
今日はもう、三つ編みをしていない。
いつも左側に垂らしていた髪は短く切り揃えられ、結び目にあった黒いリボンは、今、机の上に置かれている。
リボンは、小さく、黒く、何の変哲もないもの。
けれど、ボクにとっては”檻”のようなものだった。
母が選んだ可愛い服。
母が決めた口調。
母が作った”お姫様”の人格。
ボクはずっと、その中で息をしてきた。
“ねむ”という名の箱の中で。
けれど……あめの姿を見た時、何かが変わった。
あの子は、ボクとは違って、誰かのために立ち向かえた。
自分が傷つくことよりも、誰かが傷つくことを怖がる子だった。
それがどんなに愚かでも、どんなに報われなくても、
“自分で決めた勇気”を貫いていた。
その姿を見て、思った。
……ボクも、変わりたい。
その夜、ボクは鏡の前に立って、髪を切った。
ハサミの音が響くたびに、心の奥の何かが剥がれていく。
軽くなった髪と一緒に、幼い頃からまとわりついていた”可愛い”が落ちていく音がした。
切り終えた時、鏡の中に立っていたのは、
「可愛いお姫様」ではなく、
ただの”ボク”だった。
初めて、”ボク”として息をしている気がした。
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翌朝、空は澄んだ水のような青さをしていた。
あめが最高魔法使いになったという知らせが届き、
学校は久しぶりに明るい雰囲気に包まれていた。
その中で、誰かがボクを呼んだ。
「あれ、ねむ、髪切った?」
あまの声だった。
ボクは少し恥ずかしくなって、目線を逸らした。
「まあね。似合わない?」
「似合ってる。すごく、かっこいいと思う」
その言葉に、思わず息が詰まる。
“可愛い”じゃなく、”かっこいい”。
それはボクがずっと、誰にも言われたくて言われなかった言葉だった。
ボクは小さく笑って、答えた。
「……ありがと。」
その瞬間、心の中のリボンが静かにほどけた気がした。
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家に帰ると、母がリビングで待っていた。
相変わらず綺麗に整えられた髪、整然と並ぶティーカップ。
その隣に座るボクは、もうあの”お姫様”ではない。
「ねえ、髪……どうしたの?」
母の声が静かに響いた。
ボクは、ゆっくりと息を吸った。
怖くないわけじゃない。
けれど、もう逃げたくはなかった。
「ボクは……。可愛いお姫様じゃない。」
「……え?」
「ボクは”ねむ”で、”男”だ。 これからは、自分の好きな服を着て、自分の言葉で生きる。」
母は何も言わなかった。
けれど、僕はそれでも構わなかった。
ようやく自分の声で話せたのだから。
部屋に戻ると、机の上の黒いリボンを手に取った。
もう、髪には結ばない。
でも、捨てたりはしない。
これは僕が”可愛い”に縛られていた証であり、
“かっこよく”なりたいと願った始まりだから。
リボンをポケットにしまい、
新しいシャツの襟を整える。
窓の外は、春の匂いがしていた。
僕はもう、”可愛い”じゃなくていい。
誰かのために、ちゃんと立てる“かっこいい”ボクでいたい。
そう心の中で誓った時、
外の光が、僕の短い髪に反射して、きらりと光った。
それはまるで、”新しい僕”の魔法のように。







