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中華人民共和国、北京。
かつての皇帝たちが天下を睥睨した紫禁城の西側、中南海。
朱色の壁と瑠璃色の瓦に囲まれたこの広大な敷地は、現代中国における共産党指導部の中枢であり、14億の民と世界第二位の経済・軍事大国を動かす巨大な脳髄である。
その一角にある会議室『西花庁』。
窓の外には、人工湖の穏やかな水面と、PM2.5に霞む北京の灰色の空が広がっている。
室内の空気は、最高級の龍井茶(ロンジンチャ)の香りと、重苦しい紫煙、そして張り詰めた緊張感によって支配されていた。
円卓を囲むのは、国家の舵取りを担う最高幹部たちだ。
党中央軍事委員会副主席の劉(リュウ)将軍。
国家安全部(MSS)部長の張(チャン)。
外交部トップの王(ワン)。
そして上座には、国務院総理の李(リー)が沈痛な面持ちで座っていた。
彼らの視線は、壁面の巨大スクリーンに釘付けになっている。
映し出されているのは、日本の東富士演習場で撮影された『26式多目的装甲戦闘服』——通称ヘビーアーマーの演習映像だ。
米軍将校ですら「青い目の悪魔」と恐れたその銀色の巨人が、戦車の砲撃を耐え、鉄扉を引きちぎる様が、高精細な映像で繰り返されている。
「……怪物だな」
沈黙を破ったのは、軍服に身を包んだ劉将軍だった。
歴戦の軍人である彼をして、その声には隠しきれない畏怖が滲んでいる。
「装甲の材質、動力源、アクチュエータの出力……。
我が軍の技術局が総力を挙げて解析したが、結論は『再現不能』だ。
現行の科学技術の延長線上にはない。
西側のプロパガンダかと思ったが、物理挙動に嘘はない。これは本物だ」
「たった一兵士が、戦車小隊を壊滅させるか……」
安全部の張が、指でテーブルを叩いた。
「これでは人海戦術も意味をなさん。
100万の人民解放軍といえど、この『鉄人』を量産されたら、地上戦での優位性は崩壊する」
李総理が、ゆっくりと口を開いた。
「軍事バランスの崩壊。
それは認めよう。
だが、同志諸君、冷静になりたまえ。
問題は『能力』ではない。『意図』だ」
総理は手元の資料——日本国内の世論調査や、政治動向の分析レポート——を指差した。
「日本がこの兵器を使って、大陸(こちら)へ攻め込んでくると思うかね?」
その問いに出席者たちは一瞬顔を見合わせ、そして鼻で笑った。
「あり得ませんな」
外交部の王が即答した。
「彼らには『平和憲法』という足枷がある。
それに何より、国民性が軟弱だ。
少子高齢化で若者の命を惜しむあまり、侵略戦争などというリスクを冒す度胸はない。
彼らが望んでいるのは『現状維持』と『経済的繁栄』だけです」
「左様。
日本は『盾』を強化したに過ぎない」
劉将軍も同意する。
「あの装甲服は、あくまで専守防衛のための道具だ。
尖閣(釣魚島)や沖縄に配備されれば厄介極まりないが、北京まで飛んでくるミサイルではない。
我々が手を出さなければ、向こうから撃ってくることはない。
……少なくとも、今のところはな」
「そう、今のところはだ」
李総理は目を細めた。
「だが日本は変わった。
あの『資源』を手に入れてから、彼らの背骨には鉄が入ったようだ」
話題はもう一つの懸案事項——『レアメタル』へと移った。
これこそが中国にとって、真に痛恨の一撃だった。
スクリーンに、南鳥島沖で操業する日本の採掘船団(もちろんダミーだが、中国側は真実を知らない)の映像が映し出される。
「……憎々しい光景だ」
経産担当の幹部が呻く。
「日本の『深海採掘』成功の発表以来、我が国のレアアース産業は壊滅的打撃を受けている。
国際価格は暴落。
対日輸出カードとしての価値はゼロになった。
それどころか、逆に日本から高品質で安価なインゴットが世界中にばら撒かれ、市場を独占されつつある」
「技術的特異点(シンギュラリティ)だ」
安全部の張が呟いた。
「深海から無尽蔵に資源を吸い上げ、謎の技術でナノマシン装甲を作る。
……日本の説明通りなら『技術革新』で済む話だが、あまりにも出来すぎている。
まるで魔法だ」
「魔法だろうが何だろうが、現実に我々は首を絞められている」
李総理が冷徹に告げる。
「経済的な損失は許容できる。我々には巨大な内需がある。
だが地政学的な損失は別だ。
日本が資源と武力で自立し、アメリカへの依存度を下げつつ、独自の影響力を持ち始めた。
これは悪夢だ」
「アメリカは、どう動いていますか?」
「焦っていますよ」
外交部の王が、CIAの動向レポートを開いた。
「ワシントンも、日本の急成長を制御できていない。
表向きは『同盟の強化』を謳っているが、裏では技術の開示を求めて猛烈な圧力をかけている。
……日本政府がアメリカと喧嘩別れしてくれれば、我々にとっては最高の展開なのだが」
「それは期待薄だな」
劉将軍が首を振る。
「日本はアメリカの犬だ。
いや、今は『チタンの牙を持った狂犬』になりつつあるが、首輪はついたままだ。
彼らは賢い。
アメリカの庇護下にあるという立場を利用しつつ、アメリカすら手を出せない技術的優位性を確立しようとしている。
……実に、いやらしい戦略だ」
会議室に苦い沈黙が流れる。
中国にとって日本は長年のライバルであり、歴史的な因縁の相手だ。
その日本が、理解不能な「何か」を手に入れ、急速に強大化している。
侵略の意図がないとしても、隣に「無敵の巨人」が座っているだけで、枕を高くして眠ることはできない。
「では、どうする?
実力行使に出るか?」
過激派の若手将校が発言した。
「特殊部隊を送り込み、新木場の施設を破壊する。
あるいは海上封鎖を行い、南鳥島の操業を妨害する。
今ならまだ叩けるはずです」
「馬鹿者ッ!!」
李総理が一喝した。
若手将校が縮み上がる。
「短絡的な思考は捨てろ。
日本に実力行使? 100%ない。断言できる。
そんなことをすれば日米同盟が発動し、全面戦争になる。
それに……あちらには『26式』がいるのだぞ?
生半可な特殊部隊など、返り討ちに遭うだけだ」
総理は深呼吸をし、言葉を続けた。
「むしろ日本側は、我々が暴発することを待っている節がある。
『中国が攻撃してきた』という既成事実ができれば、彼らは堂々と再軍備を加速させ、あの装甲服を数千、数万と量産する大義名分を得るだろう。
……相手の土俵に乗るな」
「では、静観すると?」
「いいや。
『寸止め』だ」
総理の目が老獪な光を帯びた。
「現場には厳命しろ。
『暴発手前の動きはしていいが、暴発だけは絶対にするな』と。
領海侵犯ギリギリの航行、ドローンによる偵察、サイバー攻撃……。
あらゆる手段でプレッシャーをかけ続けろ。
日本の神経を逆撫でし、疲弊させ、ボロを出させるのだ」
「グレーゾーン事態の継続ですね」
「そうだ。
そして我々は、その隙に『魔法のタネ』を探る」
ここで安全部の張が、一枚の新しい資料を提示した。
そこには一見すると軍事とは無関係なデータが並んでいた。
「……ナノマシン。
アメリカの情報機関も、日本の技術の根幹はこれだと推測しています。
物質を自在に構築する極小の機械。
もしそれが本当なら……軍事や資源以外にも、応用できる分野があるはずです」
張は資料のページをめくった。
そこに現れたのは、人体解剖図と、DNAの二重螺旋構造。
「医療です」
その言葉に会議室の空気が変わった。
それまでの殺伐とした軍事的な緊張感とは違う、もっと根源的な人間の欲望に根ざした熱気が漂い始めた。
「医療用ナノマシン……か」
年配の幹部たちが身を乗り出した。
中華の歴史において、権力者が最後に求めるものは常に一つだ。
始皇帝の時代から変わらない。
富でも領土でもない。
『長寿』である。
「張部長。
日本がその分野でも実用化していると思うか?」
李総理の声が、わずかに震えた。
「可能性は極めて高いと分析します」
張は淡々と、しかし確信を持って答えた。
「考えてもみてください。
植物を数分で巨木に育てる技術があるなら、人体の細胞分裂を制御することなど造作もないはずです。
傷を瞬時に治す。
老化した細胞を修復する。
……あるいは寿命そのものを延ばす」
ゴクリと、誰かが唾を飲み込む音がした。
「もしそれが実現していたら……。
日本との関係は、対立だけでは済まされませんな」
外交部の王が目を輝かせた。
「交渉の余地があります。
もし『不老長寿の薬』が手に入るなら、レアメタルの利権など安いものです。
我々の指導部、ひいては党の長老たちにとって、これ以上の福音はない」
「だが日本政府は、それを隠している」
張が指摘する。
「公式には『木材』と『装甲』しか発表していない。
なぜだ?
医療技術なら人道的な貢献として発表すれば、日本の国際的地位は盤石になるはずだ。
それを隠す理由は?」
「……数が少ないからか?」
劉将軍が推測する。
「あるいは副作用があるか。
もしくは……『日本人以外には渡したくない』という排他的な選民思想か」
「いずれにせよ、そこに日本の『アキレス腱』がある」
張は断言した。
「新木場の施設は要塞化されており、物理的な潜入は不可能です。
これ以上あそこを掘っても、コンクリートと警備兵しか出てきません。
ですが……『人間』は違います」
張はスクリーンに数枚の写真を映し出した。
日本の政財界の大物たちの写真だ。
「我々の工作員(スパイ)が日本の病院ネットワークのデータを洗いました。
奇妙なデータが見つかっています。
末期癌だったはずの元公安警察官。
再起不能の重傷を負った自衛官。
そして……」
最後に表示されたのは、車椅子に乗った少女の写真と、その隣で微笑む老人の写真だった。
「海道重工会長、海道龍之介。
彼の孫娘サクラ。
彼女は重篤な心臓疾患で余命いくばくもない状態でしたが、ここ数ヶ月で劇的な回復を見せています。
今では元気に学校に通っているとか」
「……海道重工か」
李総理が唸った。
あの『26式』の開発元であり、深海採掘の主役でもある企業だ。
点と点が繋がる。
「孫娘の命と引き換えに、政府に協力している……という図式か」
「その可能性は高いです。
つまり日本政府は、すでに『医療用ナノマシン』を実用化し、身内(インナーサークル)だけで密かに使用している。
これは、その証拠です」
張の言葉に幹部たちは確信を得た。
そこにあるのは単なる兵器以上の価値を持つ「宝」だ。
「方針を変更する」
李総理が決断を下した。
「新木場への物理的な偵察は縮小せよ。アメリカに任せておけばいい。
我々の主戦場は『人間』だ。
日本国内の不自然な症例、特に政財界のVIPやその親族における『奇跡的な回復』を徹底的に調査しろ」
「はっ!」
「そして、もし『現物』を持っている者がいれば……。
金、ハニートラップ、脅迫、何を使ってもいい。
その『薬』のサンプルを手に入れろ。
もしそれが本物なら、日本に対する最強の外交カードになる」
総理は窓の外、北京の空を見上げた。
汚染された空の下で、多くの老人たちが呼吸器疾患に苦しんでいる。
そして何より、自分たち自身も老いからは逃れられない。
「日本は『装甲』で体を守り、『薬』で命を守ろうとしている。
……独り占めは良くないな。
隣人として、その幸福を分かち合おうではないか」
その言葉は慈愛に満ちているようでいて、底知れぬ貪欲さを秘めていた。
中国という龍は爪を立てるのをやめ、舌なめずりを始めたのだ。
力づくで奪うのではなく、搦め手で、そして人間の根源的な欲望を利用して、日本の懐に入り込む。
それこそが数千年の歴史を持つこの国の真骨頂だった。
「工場は成長しなければならない」——その日本のスローガンの裏で、
「龍は長生きしなければならない」という新たな欲望の方程式が、動き出そうとしていた。
北京の夜は深い。
だが、その闇の中で光る無数の目は、東京の灯りを虎視眈々と見つめていた。