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#先生と生徒
「ていうか! なんなんその顔!」
「ちょっと見せてみ」と青くなった頬に触れた途端、もとちゃんが痛そうに顔を歪めた。
「……彼女の元カレ、中学までボクシングやっててん」
「はぁ?!」
俺が帰った後に何が起きたん?さっぱり状況が飲み込めへん。
「……昼間のあれ、空の前で彼女に振られようと思って、元カレのこと煽ってん。元カレが彼女を取り返しに来て、俺のこと殴って……上手いこと行ったと思って周り見たら、空がおらんなってたから。……やられ損やった」
え、何その顔。拗ねてんの?俺のせいじゃないやろ。
「ほんまアホちゃう? そんなことせんでも、話し合いでなんとかできたやろ」
「……みんな素直になれへんアホばっかりやから、ここまでしたんやろ!!」
逆ギレするもとちゃんを見て、ようやく全貌が見えてきた。結局、こいつは元カレに焼きもちを焼かせたい彼女に利用されていただけ。それを分かった上で、わざと泥沼に飛び込んだんか。
「……で、彼女に振られるのが分かったから、俺のこと好きって? お母さんの件といい、お前、同情が過ぎるやろ」
「お母さんのことは同情ちゃうって言うたやろ。それに、空のこと好きかもって思ったんは、ほんまや」
一歩、もとちゃんが距離を詰めてくる。夜の静寂の中で、彼の熱量が伝わってくる。
「それが『付き合いたい』とか『キスしたい』とか、そういうのにはまだ結びついては無かったんやけど……さっき本気で腹が立ったんは事実や。俺以外の誰かが空の部屋におるって考えただけで、ここは俺と空の場所やのにって、心臓が締め付けられるみたいに痛かった。……やから、俺、空のこと好きなんやと思う」
まっすぐな言葉が、俺の胸に突き刺さる。
……そうや、新先生。部屋に閉じ込めたままやった。話し込みながら、随分遠くまで来てしもたな。これはまずい。
「と、とりあえず、今日言われてすぐやから、俺も自分の気持ちが整理できてへん。やから、もとちゃんも一回帰って、落ち着いて考えてみて。また明日、ちゃんと話そう」
今のもとちゃんは、騒動の直後で興奮しているだけかもしれん。
今ここで「実は俺も」なんて付き合い始めたら、新先生との約束もあるし、収拾がつかなくなる。好きな人との未来だからこそ、安売りはしたくない。ゆっくり、確実に進めたい。
「……わかった。もう遅いし、今日は帰るわ。明日、ちゃんと話そう」
ようやくもとちゃんが頷いて、俺は密かに胸を撫で下ろした。
新先生に何かお詫びの弁当でも買って帰らな。……でも。
「……今日来てるの、ほんまに友達……やんな?」
不意に投げかけられた、重い問い。
なにそれ。もう、彼氏面してるってこと?
「……うん。友達」
あぁ、もう。
心臓がゾクッとした。
もとちゃん、ほんまに俺のことが好きなん?どんな奇跡やねん。
さっきの「男」の顔に、不覚にもめちゃくちゃ興奮してしまった。顔、今めちゃくちゃニヤけてないか?
「……ごめん。付き合ってもないのに。ほんま、一回冷静になるわ。じゃあ、おやすみ」
「うん……おやすみ」
遠ざかっていく背中を見送りながら、俺は熱を持った頬を両手で押さえた。
いつもと違う、独占欲を剥き出しにしたもとちゃんの横顔は、俺の心のど真ん中にクリーンヒットして離れない。
♢♢♢
「空の分は? 買ってきてへんの?」
「大盛り買ってきたから、余ったらちょうだい」
玄関で待っていた新先生に、ビニール袋に入った弁当をそのまま手渡す。すると「一緒に食べよ」と手を引かれ、リビングへと連行された。
「……ごめんな、今日押しかけて」
いただきます、と小さく手を合わせた後、俺の顔を見ずに先生が言った。
「いや、俺の方が悪いから。先生のこと放っておいて。来てええよって言うたん、俺やし」
「……さっきの元宮やろ? 俺、帰ろうか迷ったんやけど、鍵持ってへんし。どうしてええか思いつかんくて」
ほんまごめん、と一度持った箸を置く。その弱気な姿に、胸の奥がチリリと疼いた。
「まぁ、もうええやん。それより食べよ。冷めたら美味しくないし」
あーん、と唐揚げを一つ、先生の口元へ運ぶ。少し照れたように笑って口を開く姿は、本当に年上なのだろうかと思うほど愛らしい。
「……美味しい? 前から気になってた新しく出来た弁当屋やねん。帰りに列ができてることもあるし、ずっと食べたかったんよな」
自分も大きな口を開けて、唐揚げを放り込む。あかん、欲張りすぎて顎が外れそうや。
「絶対入れすぎたやろ、今の」
顔をクシャクシャにして大袈裟に笑う新先生に、俺は必死に首を振って否定する。もぐもぐと口を動かすだけで、もう何も喋れへん。
食事を終え、のんびりとテレビを眺める。
このまま泊まっていくのかと思いきや、先生は帰るという。また一人になるのかと思うと、不意に寂しさが込み上げた。
ふいに玄関先で抱きしめられると、「めっちゃ唐揚げの匂いする」と先生が笑う。ムードも何もあったもんじゃないな。
「……おやすみ」
「うん、おやすみ。気をつけてな」
手を振ると、その指先に先生の手が触れ、ぎゅっと握られた。名残惜しさが透けて見えて、たまらなく愛おしくなる。
「いつか、さ……空が俺のこと、ちょっとでも好きになってくれたら。その時は、泊まってええ?」
「もちろん。……でも、新先生は苦しくない? 俺に、先生以外に好きな人がおっても」
平気なわけがない。大好きな人が他の誰かを想い、触れ合う。そんなん、正気でいられるはずがない。
「……ほんまは、今でも苦しい。元宮とまだ何もないって分かってても、空を見てたらわかる。……元宮が消えれば、空は俺のものになるのにって、嫌なこと考えてまう」
再び激しく抱きしめられ、腕に力がこもる。
ええな。この、逃げ場のないほどの重い愛。最高や。俺が求めていたのは、これやったんや。
「……もとちゃんのこと消したくなったら、代わりに俺のこと消して。そしたら、俺はずっと、新先生のもんやから」
新先生の唇に、誓うようにキスを落とす。
「……からあげ」
どちらからともなく呟いて、二人は同時に吹き出した。
鼻を突く揚げ物の匂いと、背筋を凍らせるような愛の言葉。
その歪な混ざり合いが、今の俺には何よりも心地よかった。
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