テラーノベル
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病室は静かだった。
機械音と、カーテン越しの足音だけが、時間を刻んでいる。
りつはベッドの上で、天井を見つめていた。
胸の奥はまだ重い。だが、呼吸は落ち着いている。――医者として、それだけは自分でわかった。
ドアが開く音がした。
「……」
先に入ってきたのは葛葉だった。
表情は、怒っている、というよりも――張りつめている。
少し遅れて、叶が続く。
こちらは静かだが、目が笑っていなかった。
「……よ」
葛葉が低い声で言う。
「目、覚めてんだな」
りつはゆっくりと視線を向ける。
「……はい」
その一言で、何かが切れた。
「“はい”じゃねぇよ!」
葛葉の声が、病室に響いた。
思わず、りつの肩が小さく跳ねる。
「配信中に倒れるまで無理して! 黙って! 俺らが行かなかったらどうなるかわかってんのか?」
一つひとつ、叩きつけるような言葉。
葛葉は一歩、ベッドに近づく。
「それ全部、普通じゃねぇからな?」
りつは何も言えなかった。
視線を落とし、シーツの端をぎゅっと握る。
叶が、静かに口を開いた。
「……ねえ、りつ」
優しい声ではなかった。
落ち着いている分、余計に刺さる。
「自分の体のこと、ちゃんとわかってたよね」
答えられない。
それが、答えだった。
「わかってて、やったんでしょ」
叶はため息をつく。
「それ、一番怒られるやつだから」
葛葉が舌打ちする。
「医者なんだろ。……なんで、自分にはそれやらねぇんだよ」
その言葉に、りつの肩が、今度は大きく揺れた。
「……っ」
声が、詰まる。
「だって……」
はじめてだった。
言い返すでもなく、説明でもなく――感情のまま、言葉が漏れたのは。
「だって、配信、休みたくなかった…」
二人が、同時に黙った。
「ここで止まったら、全部、途切れる気がして……新人で、何も安定してなくて……」
声が、少し高くなる。
りつは、子どもみたいに早口だった。
「医者のほうも、現場抜けたら迷惑かかるし……自分がやらなきゃって……」
葛葉が、強く眉をひそめる。
「それで倒れたら、もっと迷惑だろ」
「……わかってます」
「わかってねぇよ!」
再び、声が荒くなる。
「わかってたら、あんなになるまでやらねぇ!」
叶が一歩前に出る。
視線を合わせるように、少し腰を落とした。
「りつ。怖かったよ」
その一言で、りつの目が揺れた。
「画面が切れて、連絡つかなくて……“もし”って考えた」
“もし”。
その言葉が、胸に落ちる。
「先輩ってさ、怒る役でもあるけど……守る役でもあるんだよ」
りつの目に、溜まっていたものが、ついに零れた。
「……ごめんなさい」
小さな声。
でも、それは、ちゃんとした謝罪だった。
「……怖かったです」
失うことが。
「配信も、仕事も……全部、失うのが」
葛葉は、しばらく黙っていたが、やがて深く息を吐いた。
「……ガキかよ」
そう言いながら、声は少し、丸くなっていた。
「でもな」
ベッドの脇に立ち、視線を落とす。
「失う前に、守れ。体を」
叶も、うなずく。
「それができない人に、続ける資格はない」
きつい言葉だった。
でも、否定ではなかった。
活動休止の告知は、短く、簡潔だった。
にじさんじ公式アカウントから出された文面は、必要最低限の情報だけを伝えている。
――体調不良のため、しばらく活動を休止します。
――回復次第、改めてお知らせします。
それだけだった。
理由も、詳細もない。
だが、リスナーたちは察していた。
あの日の配信。途中で切れた画面。
そして、突然の沈黙。
りつ自身からの言葉は、少し遅れて届いた。
文章だけの、短いメッセージ。
「心配をかけてしまって、すみません。
今はちゃんと休んでいます。
戻るときは、また配信で話します」
医療的な説明も、事情も、そこにはなかった。
それでもコメント欄は、応援の言葉で埋まった。
〈待ってる〉
〈無理しないで〉
〈生きててくれればそれでいい〉
りつはスマートフォンを置き、目を閉じた。
胸の奥が、少しだけ温かくなる。
入院生活は、思ったよりも静かではなかった。
最初に来たのは、健屋花那だった。
果物と書類を抱えて、いつも通りの落ち着いた顔。
「ちゃんと検査、全部通すよ。拒否権なし」
「……はい」
それから、ぽつぽつと先輩ライバーたちが顔を出す。
短時間だけ覗いて帰る人。
軽口を叩いていく人。
真剣に説教していく人。
「無茶しすぎ」
「倒れるまでやるな」
「新人ほど、休め」
言葉は違っても、根っこは同じだった。
そして――
一番頻繁に現れたのは、葛葉と叶だった。
「また来たの?」
りつがそう言うと、葛葉は鼻で笑う。
「毎日来るって言っただろ」
叶も当然のように椅子を引く。
「経過観察。先輩の仕事」
二人は、優しくはなかった。
毎回、必ず何かしら言われる。
「倒れた時の状況、覚えてる?」
「自分の体、過信しすぎ」
「次やったら、ほんとに許さないから」
それでも、来なくなる日はなかった。
活動休止中。
葛葉と叶は、配信でもりつの話をした。
「りつ? あー、あいつな」
葛葉はいつも通りの口調で、でも少しだけ慎重に言う。
「今はちゃんと休ませてる。俺らが」
コメント欄がざわつく。
叶も続ける。
「無理するタイプだからね。今回は本気で怒った」
それ以上、詳しい話はしない。
だが、“放っていない”ことだけは、はっきり伝えていた。
病室でその切り抜きを見たとき、
りつは思わず苦笑した。
「……勝手に保護者みたいなことして」
そう言いながら、画面を閉じる指先は、少し震えていた。
夜。
病室に静寂が戻る。
りつは、胸に手を当てる。
一定のリズムで刻まれる鼓動。
「……休むって、難しいなぁ、」
独り言のように呟く。
だが、今は一人ではなかった。
待っている人がいる。
怒ってくれる先輩がいる。
名前を呼んでくれるリスナーがいる。
止まった時間は、無駄ではなかった。
この休止は、“終わり”ではなく、“準備”だ。
りつは、ゆっくりと息を吸った。
「……戻る時は」
ちゃんと、自分の言葉で。
ちゃんと、生きたままで。
そう、心に決めて目を閉じた。
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