ジュリエットの視界に、意識を失った様子で皇帝の腕に抱かれているミレイユの姿が映る。
(そんな……まさかミレイユ様まで……?)
不都合なことを知られた皇帝が、口封じのために実の妹さえも手にかけたのだろうか。
ミレイユの腕の中で目を開けることなく力尽きたエドガールの姿と重なり、ジュリエットの心臓がどくんと大きな音を立てる。
(ミレイユ様も失ってしまったら、わたしは……)
エドガールに続いて、ミレイユまでも死なせるわけにはいかない。
ジュリエットのいる場所からでは、ミレイユが息をしているのかどうかがよく分からないが、もし気を失っているだけなら、一刻も早く救出したい。
(でも、わたしひとりで立ち向かうには相手が悪すぎるわ……)
最悪、自分も皇帝の手にかかり、ミレイユを助けられずに殺されてしまうかもしれない。
(……まずは外に出て助けを求めよう。騎士や貴族の方が一緒だったら、皇帝も好き勝手にはできないはずよ)
ジュリエットは足音を立てないよう、そうっと柱の陰から身を移した。
しかし、焦っていたせいか、手にしていたストールが扉の取っ手に引っ掛かったことに気づかなかった。
ギイッ……
ストールで引っ張られて動いた扉が、礼拝堂に大きな音を響かせる。
しまった、と思った瞬間、背後から麗しくも嫌悪を感じる声が聞こえた。
「まさか、鼠が入り込んでいたとはな」
皇帝がミレイユを抱いたまま、ジュリエットのほうへと歩き出す。
「そなたはミレイユの侍女だったかな? 名前までは覚えていないが……」
コツ、コツ、と規則正しい靴音が近づいてくる。
逃げなくてはと思うのに、足がすくんで動けない。
恐怖で俯きながら、最後の審判を待つかのように立ち尽くしていると、数歩先で靴音が止まり、物憂げな溜息が聞こえた。
「……もっと美人だったら殺すのを躊躇ったかもしれないが──すまない、地味な女は好みじゃないんだ」
そう言い終わると同時に、皇帝の手から赤い短剣の形をした魔法が放たれ、ジュリエットの胸に鋭い痛みが走った。
口から生温い血が溢れ、黒いドレスの上に濃いシミを作る。
「あ……」
全身からみるみる力が抜け、ジュリエットは冷たい床の上に倒れ込んだ。
(今、こんなところで死ぬわけにはいかないのに……)
生きて、ミレイユを助けなければならないのに──。
(ミレイユ、さま……)
必死に伸ばした手は、ミレイユに届くことなく、血塗れの床に落ちて動かなくなった。
「邪魔な鼠を駆除するのは当然のことだろう? あの世で辺境伯によろしく伝えてくれ」
なんの感慨もないような皇帝の言葉を聞いた直後、ジュリエットの意識は完全に途絶えたのだった。
◇◇◇
「──これが、今の私に思い出せるすべてです」
ジュリエットが静かに回想を終える。
アルベリクは考えを整理するためか、しばらく無言のまま俯いたあと、顔を上げ低い声で呟いた。
「……つまり、皇帝が計画の邪魔になる父上を不慮の事故として魔物に殺させ、母上の意識も奪ったということか」
ジュリエットが首肯する。
「アルベリク様は、これからどうなさるのですか?」
エドガール亡き今、おそらくアルベリクが跡を継ぎ、オリヴィエ辺境伯家の当主となっているのだろう。
皇家には及ばないまでも、一介の侍女には持ち得ない権力をアルベリクは持っている。
ジュリエットは意を決してアルベリクに告げた。
「わたしはミレイユ様をお救いしたいと思っています。もしアルベリク様もまだ諦めていないのでしたら、わたしにもミレイユ様の救出を手伝わせていただけませんか?」
アルベリクの青く暗い瞳がジュリエットを真っ直ぐに見据える。
互いに絡んだ視線を外すことなく、アルベリクが口を開いた。
「元々そのつもりだった。君こそ、いいのか? 俺は父を殺した皇帝に復讐するつもりだ。君に皇帝を殺す覚悟はあるか?」
皇帝を殺す覚悟──。
ジュリエットの脳裏に、決して消えない悪夢のような光景が再び浮かび上がる。
魔物に身体を貫かれ、苦しそうに顔を歪めるエドガール。
真っ白な顔で目を伏せ、死んだように動かなくなったミレイユ。
覚悟なら、自分が息絶え、魂だけの存在となったときに決まっていた。
「エドガール様とミレイユ様のためなら、この手を汚すことも厭いません」
ジュリエットの返事に、アルベリクは満足したようにわずかに口角を上げた。
「では、これから俺たちは運命共同体だ。途中で逃げることは許さない」
「私は一度死んだ身です。命など惜しくありません。必ずミレイユ様をお救いして、皇帝への復讐を果たします」
「そうか。今の言葉を忘れるな」
「はい」
神妙な面持ちでうなずくと、アルベリクがジュリエットのすぐ目の前に近づき、銀色の髪の毛を掬い取った。
「それから、君はもうジュリエット・エベールではない。イネス・コルネーユと名乗れ」
「イネス・コルネーユ……」
たしかに、ジュリエットはすでに死亡しているし、姿も変わってしまったから名前も変える必要があるだろう。
(素性を変えて、また辺境伯家の侍女として雇っていただくことになるのかしら?)
そんな風に考えたジュリエット改めイネスは、続くアルベリクの言葉を聞いて耳を疑った。
「では、イネス。今日から君には、俺の恋人になってもらう」
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