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瑠璃マリコ
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苡 咒 。
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ゆっくりと振り返るとビルの壁に背を預け、こちらを見据える『橘真紘』と目が合った。
時折り見せる獲物を狩る時のような強い視線が私を落ち着かなくさせる。
「橘君こそ、此処にいたら会場が大騒ぎになっているんじゃない? 貴方目当ての女の子が、きっと大騒ぎよ。早く行ってあげたら」
「大丈夫ですよ。彼女達も馬鹿じゃありませんから。見込みのない賭けには乗らない。今頃、別の男と楽しく話していると思いますよ」
そうですか。モテる男は言うこともひと味違うわね。
そんなやさぐれた気持ちになるくらいには、目の前の男に苦労させられた。間接的にだが。
「そんな事より、俺は冬野先輩と話したかったんです。今日で俺の教育係も終わる。そうしたら、貴方は俺に近づいてもくれなくなりそうなんでね。俺の事、本当は嫌いでしょ?」
「そりゃぁ、数々の嫌がらせを受けていれば誰だって嫌になるでしょ。橘君が悪い訳じゃないけど……」
そう、私は彼が苦手だった。
誰に対しても人当たりが良く、話し上手。あれだけのイケメンなら男からのやっかみを受けそうなモノなのに、いつの間にか同性の先輩からも可愛がられている。相手の懐に入るのが実に上手いのだ。天性の才能と言っても良い。
その才能を遺憾なく発揮し、営業部に配属され、一ヶ月足らずで大口の取引先との契約を勝ち取って来た。有り得ない成果だ。
期待の新人として営業部でも一目置かれる存在へとあっという間に変貌を遂げた彼のたまに見せるわずかな違和感が、私を落ち着かなくさせる。
きっと気づいているのは私だけ。
笑顔の下に隠した残忍な本性を垣間見せる一瞬が心を落ち着かなくさせる。あの強い瞳が私を不安にさせるのだ。
「確かに先輩には申し訳ないことをしました。嫌がらせがエスカレートするとは思ってもいませんで。それもあって謝りたかった。すみませんでした。辛い思いをさせましたね」
「別にあれくらいどうって事ないわよ。まぁ流石に、仕事に直結する嫌がらせは勘弁だったけどね。貴方も独り立ちね。明日からは、新しい子がサポートに就くと思うから、その子への嫌がらせは自分で何とかしなさいよ。私みたいな女の方が珍しいから」
「ご忠告ありがとうございます。最後に握手しませんか? 仲直りのしるしに」
別に喧嘩をしていたつもりもないけど……
差し出された手を見つめ、そんな可愛げのないことを思いつつ手を重ねた瞬間、引き寄せられた。
「――っ!? ちょっ……」
「騒がない方が良いですよ。こんなところ同僚に見られたくないでしょ、経験豊富なお姉さん。クリスマスイブ……」
彼の言葉に衝撃を受けた。
まさかと思い見上げると、笑みを浮かべた瞳に囚われ、息をのむ。
「貴方の誕生日でしたっけ? それも三十歳の節目の誕生日だった。プロポーズしてくれると信じていた彼氏に振られ、小洒落たBARでヤケ酒をして、哀れな失恋男を襲った記念すべき誕生日でしたっけ」
頭の中でガンガンと警鐘が鳴り響く。
「な、なんで知って……」
見上げた先の奴の唇が弧を描き、鋭い視線に身動きが取れない。
あの日の事をなんで知っているの?
初めて『橘真紘』に会った時の既視感を思い出す。
目の前の男とクリスマスイブに一夜を共にした名前も知らない男は同一人物。そんな偶然って……
彼は私を恨んでいる。だますように彼を襲ったのだから当然だ。
「冬野先輩……、そんな怯えた目で見ないでください。別に取って喰おうってわけじゃない。今はね。せっかく再会出来たことですし、一緒に昔話に花を咲かせるのも良いかなって。付き合ってくれますよね?」
喉元を迫り上がる恐怖に首を横に振ることしか出来ない。そんな私に、橘は笑みを浮かべ残酷な言葉を告げた。
「貴方に拒否権がないのは分かりますよね?」
彼はいったい私に何を要求するつもりなのか?
暗澹たる気持ちのまま、橘の言葉にただ頷くことしか出来なかった。
♢
橘に指定された場所は、最悪な誕生日に出会った名も知らぬ男と飲んだBARだった。
二次会の誘いを断り、帰る振りをして電車に乗り二つ先の駅で降りる。記憶を頼りに右に左に路地を進めば、指定されたBARの看板が見えた。
着いてしまった。
ネオン輝くこの街にあの日を境に近づくことはなかった。あえて避けていたと言ってもいい。それなのに、迷わずにこの場所に辿り着いてしまった。自分の記憶の良さを呪いたくもなる。
いいえ、違うわね……
彼との出会いは消し去る事の出来ない痛みを私の心に残していたのだろう。罪悪感という罪の意識を植えつけた。だからこそ、橘の脅迫に頷くしか出来なかったのだ。
自分の欲望を満たすためだけに彼を弄んだ。寂しかった心を満たすためだけに。
償わなければならないのだろう。
重厚な扉を開ければ、地下へと螺旋階段が続く。奈落の底へと続く階段。いいえ、地獄へと続く階段か。
カツカツと響く靴音が死刑執行へのカウントダウンのようで、憂鬱な足取りをさらに重くした。
「レディ、お一人ですか? テーブル席にいたしますか? カウンター席にいたしますか?」
「一人ではないわ。連れが先に来ていると思うの」
「……左様ですか。では、こちらへ」
連れの名前も告げぬまま連れて行かれたのは、店内の一番奥に設えられた個室だった。
扉を開けたボーイに促され入った室内には案の定というか、長い脚を組みソファに深く腰掛けた奴が待っていた。
「冬野先輩、そんな所に突っ立っていないで座ったらどうですか?」
背後から聞こえた扉を閉める音にもビクッと震えてしまい、緊張がピークに達しているとわかる。震える脚を叱咤し、一番遠いソファ席に座った私を見て、橘はクツクツと笑い出した。
「くくっ、そんなに緊張しないで下さいよ。俺はただ貴方と二人だけで話したかっただけなんですから。何か飲みますか? 大抵のカクテルは作れますよ。お好きなモノをリクエストしてくださいな」
彼の言葉に慌てて顔を上げれば、ミニバーへと彼が向かって行くのが見えた。
奴がお酒を作るって言うの?
じゃあ、この部屋には誰も来ないってこと?
そんな私の動揺を察したのか、先手を打つように橘が言葉を続けた。
「あぁ、そうそう。この部屋には誰も来ませんから、安心して込み入った話も出来ますよ。で、なに飲みますか?」
奴の本気を感じ、背を嫌な汗が流れていく。
「だんまりですか? じゃあ、適当に作りますから文句を言わないで下さいね」
シャカシャカとシェイカーを振る音にも顔を上げる勇気はない。震えそうになる手を強く握り、緊張を抑え込むのに躍起になっていれば、目の前のテーブルにオレンジ色も鮮やかな液体のショートグラスが置かれた。
コメント
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もう、第9話、すごかったです……! 橘くんの“脅迫”の仕方が、優しくて怖くて、でもどこか切なくて。クリスマスイブの出来事が繋がった瞬間、背筋がゾッとしました。冬野先輩が逃げ場を失っていく心理描写が細かくて、ページをめくる手が止まらなかったです。湊未来さんの人間の“弱み”の描き方、本当に巧いなあ……。次が気になりすぎます!