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#溺愛
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夏休みを間近に控えた、魔法学院の正門前。終業式を終えた学生たちの帰省馬車が列をなし、御者たちが忙しく荷物を運びこんでいる。初夏の陽光が降り注ぐ中、私たちはしばしの別れを惜しんでいた。
「お気をつけて、お姉さま。……本当は、一秒たりとも離れたくないですっ」
フローラが私の手を両手で包み込み、今にも泣き出しそうな瞳で見つめてくる。
「私もよフローラ。寂しいけど、元気でね」
(もう、泣き顔すら可愛い……推しにここまで純粋に想われるなんて、幸せすぎるわ!)
「僕たちは王都側だから、方向は逆だね。でも何かあればすぐに君のもとに駆け付けるよ」
レオンが私の手を取り、指先に軽く唇を寄せた。
そんな二人を余所に、アレクは何も言わず、ただ一度だけ、じっと私を見つめた。その瞳は、これまでにないほど深く、寂しげに揺れているように見えた――。
(……なによ、その捨てられた大型犬みたいな顔。なんだか、後ろ髪引かれるじゃないの……!)
私は動揺を隠すように、逃げるように馬車へ乗り込んだ。扉が閉まり、風景が窓の外へと流れ始める。
胸元には、レオンから贈られた宝石の魔導具の中で眠るルナ(ピボット)がいる。 正直、実家へ帰るのは気が進まない。
正直、実家へ帰るのは気が進まない。バイオレッタの実家――ウィステリア伯爵家。そこには、数年前から病に伏し、今では意識もおぼつかない父と、彼女を疎む継母、そして異母弟がいる。安らぎなどひとかけらもない、冷え切った場所だ。
(まあいいわ。一ヶ月の間、離れで本でも読んで、誰の目にも触れずに過ごせばいいわ)
馬車の揺れに身を任せていた、その時だった。
「……お嬢様」
御者の声が、妙にざらついて聞こえた。
(あら。いつもの御者じゃない……? 今日は急な用事でもあったのかしら?)
「……み、道を、変えます。先が工事の影響で、迂回せねばなりませんので……」
その言葉に、私は違和感を覚えた。
(……嘘だわ。だって、学院で配布された周辺地域の魔法地図には、このルートに工事中の印はなかったもの)
嫌な予感が背筋を駆け抜け、脳内に警報を鳴らす。
「なにかしら? このにおい……?」
突如、馬車の中に独特な、甘ったるい香りが立ち込め始めた。
「酔い止めの香草(ハーブ)のお香でございます」
御者は短く答えたが、それを吸い込んだ瞬間に襲ってきたのは、抗いようのない泥のような眠気だった。慌てて窓を開けようとするが、取っ手はびくともしない。
(これは……仕組まれた罠だわ……!)
ハンカチで口元を押さえ、必死に意識を繋ぎ止めようとする。しかし、視界は急速に暗転し、私は深い闇の底へと沈んでいった。
***
一方、バイオレッタの乗る馬車と正反対、王都へと続く街道。 そこには、「地獄のような空気」が漂う一台の馬車があった。
本来別々の馬車で帰るはずだったアレク、フローラ、そしてレオンの三人が、なぜかレオンの王室専用馬車に同乗している。
ことの発端は、梅雨の長雨による「道路のぬかるみ」だった。最初にアレクの馬車がぬかるみにハマって脱輪。
そこを通りかかったフローラが馬車の窓を開けあざ笑った直後、彼女の馬車も同様に泥に呑まれたのだ。
見かねたレオンが王室仕様の全天候型タイヤ(特殊魔法加工)の馬車へと、二人を招き入れたのである。
「……っ、妙だ」
沈黙を破ったのは、アレクだった。
彼は自分の胸板を強く押さえ、顔を歪めた。
「……不安と、恐怖。……誰が、バイオレッタにこんな感情を抱かせている……!?」
「アレク? どうかしたの?」
レオンが訝しげに尋ね、フローラが身を乗り出した。
「お姉さまに、何かあったのですか……!?」
「……バイオレッタが、何らかの事件に巻き込まれた可能性がある。……俺は、彼女の魔獣(ルピ)と『契約』した。その繋がりを通じて、彼女の感情が流れ込んできた」
「…………はぁ!?」
フローラの顔から、血の気が引くと同時に、凄まじい怒りと殺気が溢れ出した。
「……なんてことを! 今すぐ私がその繋がりを、あなたごと切り捨てて差し上げましょうか!?」
「勝手にしろ。だが、今は彼女を助けるのが先だ」
レオンが深い溜息をついた。
「……禁忌魔法だってことは知ってるよね? 言いたいことは山ほどあるけど──」
レオンがパチン、と指を鳴らした。
虚空から現れたのは、眩い光を放つ黄金の移動スクロールだった。
「王族専用の超高速移動用の魔法スクロールを使うよ。緊急時しか使用できない決まりだけどね……」
レオンが指先で、魔法文字を空中に描き込み、行き先を書き記した。行先は、バイオレッタの実家――『ウィステリア伯爵領』。
黄金の光が馬車を包み込み、三人の姿は馬車からかき消えた。