「ねえ、今日、水原さんと会ったんだ」
食事とシャワーを済ませて、ゆったりとした時間。
私はソファでビールを飲んで寛いでいた雪斗に今日の衝撃的な出来事を報告した。
「どこで?」
雪斗は不審そうに眉をひそめる。
「会社まで来たの、驚いちゃった」
「度胸有るな。出入り禁止だから問題になったかもしれないのに」
「うん、取り次いでくれたのが真壁さんだったから、気付かれなかったみたい」
彼女は来客の一次対応なんて滅多にしないから、水原さんのことも知らなかったのだろう。
雪斗が嫌そうに顔をしかめる。
「真壁が?……まあいい、それで?」
「一階で会ったんだけど、用件は湊のことだった」
「あーだから様子が変だったのか」
「気付いてたの?」
「当たり前だろ?」
さすが雪斗、変わらない洞察力。
「湊の様子が変だからって相談されたの」
「余計なことを……まあ、予想通りではあるが……」
雪斗は一人で文句を言い、一人で納得している。
「……雪斗?」
「美月、浮気するなよ?」
雪斗はジロリと私を睨みながら言う。
「し、しないよ! 何言ってるの?」
「結構、揺れてんだろ? 湊どうしたのかな、大丈夫かなって」
雪斗は私の口調を真似て言う。
ちょっと気持ち悪い……でも図星でもありドキリとした。
どうしたのかな……大丈夫かなってさっきから思ってたから。
「本当に油断出来ないな」
雪斗は大真面目に言う。
「そんなこと無いよ、私が浮気なんてする訳ないでしょ? どっちかって言うと雪斗のが心配だよ!」
「は? 何で俺が心配なんだよ?」
「だって……」
一緒に住んで一緒にいる時間が増えて更に実感したけど、雪斗って本当にもてる。
しょっちゅう電話はかかって来るしメッセージも。
雪斗は相手にしてないみたいだけど、でも声がかかっているのは確か。
真壁さんや他の社内の女の子も相変わらず雪斗を狙ってるし。
それに比べたら、私の異性問題なんて湊しか無いんだから、雪斗からしたらかなり安心出来る恋人だと思うけど。
私はいつもハラハラしてるというのに。
「とにかく、あいつの事は考えるな。水原にも会うなよ」
「うん」
「俺は美月一筋だから安心しろよ」
「え……う、うん……」
サラリと言われた嬉しい言葉。
一緒に住んでから雪斗はさり気無く、言葉をくれる様になった。
その度、照れるけど嬉しくなって安心して……幸せを感じる。
「私も雪斗しかいないから」
心からの想いだった。
私には雪斗がいる。
思いがけない水原さんの訪問で心乱れたけど、惑わされてる場合じゃない。
仕事もそれなりに頑張ってるし、恋も上手くいってるし。
今の幸せを失いたくない――。
「真壁、突然訪ねて来た相手を簡単に取り次ぐな」
次の日、真壁さんと目が合った瞬間、雪斗は冷たい口調で言った。
しかも私の前で。一気に凍り付く空気に私の方がビクビクしてしまう。
「秋野さん宛てのお客さんのこと? 聞いたことが有る名前だったから大丈夫かと思ったんだけど」
真壁さんは明らかにムッとした顔で答える。
「真壁が知ってても意味無いだろ。次からは正式に受付を通す様に言え」
こんな新人が注意される様な基本的なことを指摘されて、真壁さんの苛立ちは相当なものだろう。
でも雪斗はそれ以上に怒ってるみたいで、少しも譲る様子は見えない。
「わかりました」
真壁さんが不機嫌な返事をしてから全身に怒りを纏いフロアから出て行ってしまっても、気にする素振りも無い。。
「ねえ、まずくない?」
彼に近づきこっそり聞く。
「いいんだよ。あいつは分かっていてわざと取り次いだ。釘を刺しておかないとまたやるからな」
「……悪気有りだと思ってるの?」
「無いと思ってんのか?」
……真壁さんって実は雪斗からの信用が無いのかもしれない。
そんなこんなで気まずい思いをしつつ仕事をこなし、あっと言う間の昼休み。
成美と中華の店に行き、五目焼きそばを食べつつ昨日の件を簡単に話した。
「湊君の彼女って凄いね」
成美はかなり驚きながら言う。
「美月が藤原さんと付き合ってるってのも信じられないけど、湊君の彼女も信じられない」
前半は微妙だけど、後半は同意。
私だって信じられない。
「変わってるよね。何考えてるのか分からない」
「うん。で、どうするの?」
「どうもしないよ。正直気になるけどどうしようもないし、出来る事も無いし」
「まあ、そうだよね」
「それにしても別れた湊君の女関係で悩まされるなんて面倒だよね」
「本当に……」
「美月は藤原さんのことで大変なのにね」
「大変って……」
「最近社内でも噂になってるよ、美月と藤原さんの事」
確かにそんな視線は感じていた。隠し切ってる訳じゃ無いから、段々と気付かれるのは仕方ないけど。
少し視線が痛いのが、辛いところ。
「藤原さん、もてるもんね、嫉妬されるのは仕方ないよ」
「……」
「美月の話聞いてると、実は一途な感じだし……私も羨ましいもん」
確かに視線が痛いくらいは我慢するしかない。
嫌がらせされたりしている訳じゃ無いんだし。
それ以上に幸せなんだし。
「ねえ、この先どうするの?」
「この先って?」
突然変わった話題に戸惑った。
「だから、結婚とか」
「結婚?」
「何驚いてるの、当然考えるでしょ? 湊君とは結婚考えてたんだし」
「……確かに湊とは結婚の話が出てたけど」
でも雪斗とはまだ気持ちを伝え合ったばかりだし、結婚を考える時期じゃない。
それに雪斗は一度結婚していて、しかも一瞬で離婚してるんだし。
……雪斗は結婚についてどんな考えを持ってるんだろう。
そんな話、二人の間でした事がない。
本当の恋人になれて嬉しくて、現実的な先の事を深く考える余裕は無かった。
でも一度気付いてしまうと気になって仕方ない。
雪斗は先の事をどう思ってるのか。結婚についても。
考えれば考える程大切なことに思える。
もし、一度目の結婚で懲りて独身主義者だったとして。
「結婚って形に拘らないで付き合っていきたい」
なんて、真面目に言われたらかなり困る。
私は今でも恋愛のゴールは結婚って考えてるし。
それに……雪斗の元奥さんってどんな人なんだろう。
なぜか真壁さんは知っていたみたいで、私とは全く違うタイプの女性だって言っていた。
でもそれじゃあ漠然とし過ぎていてピンと来ない。
私と違う……もの凄いキャリアウーマンってこと?
または凄い家庭的で女らしい人?
どっちなんだろう。
こう考えると私って、仕事も家事もどっちも微妙で中途半端だと思う。
自分では普通だと、問題無いと思っていたけど。それって可もなく不可もないってことで……とにかくひとりでうじうじ考えているより、近い内に雪斗と話し合った方がいいかもしれない。
食事の続きをしながらそう決心したのだった。
近い内に聞こうと思っていたのに、私はその日の夕食の後に切り出してしまった。
「ねえ、雪斗の奥さんってどんな人なの?」
「……は?」
あたりめをおつまみにビールを飲んでいた雪斗は、何言ってんだ?って顔をした。
雪斗にとっては突然の話題なのかもしれないけど。
「ちょっと気になちゃって……あんまり聞いちゃ悪いかなとは思うんだけど」
最近は遠慮しつつも、結構言いたい事を言える様になっている。
雪斗が受け入れてくれるって思えるからだけど、それでも奥さんの話は一番聞きづらい話題だった。
「悪くなんて無い。それから奥さんじゃないだろ?」
「……元奥さんってどんな人だったの?」
言い直してみると、雪斗は少し考えた様子を見せた後、さらっと言った。
「これといって特徴は無いよな」
「そうなの?」
私とは違う凄い女性なんじゃ……真壁さん情報だけど。
「美月みたいに悲惨な過去の恋愛経験も無い奴だったし」
悲惨って。
「誰かに似てるとか、どんな仕事してたとか」
そういった情報を聞きたかったんだけど。
「誰かに似てるとかは言われてたな」
「誰?」
そこはかなり重要だと思う。
「忘れた」
自分の奥さんのことなのに!
いつもの記憶力はどうしたの?
呆れる私に、雪斗はとんでも無い事をサラリと言った。
「今度の展示会で会えるかもな」
「ど、どうして?」
信じられない発言に、私は高い声で雪斗に詰め寄った。
「どうしてって同業者だし。大掛かりな展示会だから来るんじゃないか?」
来るんじゃないかって……何でそう簡単に言えるの?
展示会は私と一緒に周るって言ってたのに。
元奥さんの話なんてちっとも話題にしなかったのに。
それにまさか同業者だったなんて。
「そんなに騒ぐなよ。個人的に会う訳じゃないんだからな」
そうかもしれないけど。
「……どうしてそんな普通でいられるの?」
だって雪斗って、結婚して直ぐ元奥さんに捨てられて傷ついたんだよね?
自棄になった時期も有るって。
私のイメージでは、奥さんは簡単には会えないような遠くに居るのかと思っていた。
それにもっと悲壮感漂う関係のイメージだった。
「美月って本当に嫉妬深いよな」
ことりとビールの缶を置く音がした直後、ふわりと身体を抱き締められた。
「ゆ、雪斗?」
「そんなに心配するなよ、俺には美月だけだって言ってるだろ?」
「でも、元奥さんは別格でしょ?」
雪斗は抱き締める腕に力を入れる。
まるで暴れる子をあやす様に。
そうやって抱き締められてると安心する。
「別格なのは美月」
「他の女になんて興味ない」
耳元に低い声で囁かれると頬が熱くなる。
少し前まで気持ちを全然見せてくれなかった雪斗なのに、こんなストレートな言葉をくれるなんて。
……本当に信じていいのかな。
雪斗はもう元奥さんの事はふっきれていて、心配する事なんて無い?
雪斗にソファーに押し倒されて、身体の重みを受ける。
この感覚を失いたくない。
離れない様に背中に腕を回す。
「美月……」
触れられる手が熱い。
もっと触れて欲しいと思う。
私はもうこの人がいないと駄目な気がする。
心も身体も虜になってしまってもう戻れない――。
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