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油断すれば肩からずり落ちる蓮のジャケットを気にしつつ、彼は散らばった冊子を拾ってやる。
本格的に講座が始まってまだ数回なのだが、モブ子らの言うとおりすっかり世話焼きの従者と化してしまった様相だ。
「小野ちん、蓮ちんを部屋まで送ってあげるのだよ」
「リアル主従、マジ尊いじゃねぇか」
「蓮ちんのワンコ! ワンコ!」
モブ子らの歓声につられて薄っすら微笑む蓮は、もちろんよくわかっていない。
「放っておいて行きましょう」という梗一郎の言葉に、大慌てでうんうんと頷いた。
「いつもすまないねぇ、小野くん」
「先生の役に立てるなら僕は嬉しいですよ」
「何ていい子なんだろう、君は……っ!」
若さゆえか、元々の顔面偏差値の高さゆえか。
キラキラと輝く薄茶の瞳に、蓮はその場でのけぞった。
「君、眩しすぎるよ……っ!」
仰け反りかたが大袈裟で、フィギュアの決めポーズのような格好になったためか、梗一郎は苦笑いを返す。
「おお、小野ちんが蓮ちんをヨコシマな目で見ておるよ」
「ふふふ、教員棟で何が起こるやら」
「隣りの部屋から、壁に穴開けて覗きてぇ」
モブ子らのギラギラした視線に気付くと、梗一郎はその笑顔を引きつらせた。
「い、行きましょうか、先生」
「うん」
追われるように大教室を出たふたり。
モブ子らのレポートが異様に分厚いため、連ひとりでは運べないのだ。
「いつもすまないねぇ」なんて言いながら、教室唯一の男子学生に荷物持ちを頼むのが習慣のようになってしまった。
渡り廊下を通らず、近道の裏庭を横切るのはいつものコースだ。
甘くさわやかな花の香が辺りにただよっており、二人が我知らず大きく息を吸い込むのもいつもの行動である。
「ね、小野くん、知ってるかい? この花はネモフィラっていうんだよ」
蓮が歩む速度を緩めたのは、裏庭にひっそりと咲く花々を踏んでしまわないためだ。
つられたように梗一郎も視線を落とした。
彼らの足元で、そよそよと揺れるのは小さな青い花である。
きれいだねという言葉に、初夏の空を思わせる澄んだ色合いの花弁が、お礼を言うようにヒラリとこちらを振り仰いだ。
「花ことばがあって。たしか結構いい言葉で……ええと、何だっけ」
梗一郎の前で完全に立ち止まって、蓮がうんうん唸りだした。
知ってるのに! ここまで出かかってるのにと喉元をトントン叩いてみせる。
「最近、老化が著しいんだよ。まいったなぁ。二十九歳と三十歳はやっぱり違うんだ。めっきり衰えを感じる今日このごろ」
「……ははっ」
何と返事したものか困ったように愛想笑いを返す梗一郎に、蓮はしたり顔で首を振ってみせる。
「分かんないよね。そりゃ分かんないよねぇ。大学一回生だもん。ぴっちぴちの若者だもん。えっ、てことは十八歳? ひぇぇ……」
なにが「ひぇぇ」だ、なにが「ぴっちぴち」だと、愛想笑いを引きつらせる梗一郎は、青の花から空へと一瞬視線をさ迷わせた。
「君はどこにいたって成功する、です」
「えっ、なにが?」
「ネモフィラの花ことばです」
「あ、ああ、そう! それそれ!」
実に気楽に返事をする講師を、梗一郎は優しげに見やった。
「ちなみに僕の名前の梗は『誠実』で、先生の蓮は『清らかな心』ですよ」
清らかだなんて、そんな……と、満更でもなさそうに蓮は間抜けな笑みを晒した。
「それにしても小野くん、随分と花ことばに詳しいんだね。ご実家はお花屋さん?」
「……いえ」
「じゃあ、植物園?」
違いますよと返して、梗一郎は整った目元をわずかに顰めた。
「もしかして先生、覚えてないんですか?」
生徒の表情が、実に真剣なものに見えたのだろう。
蓮が小首をかしげる。
「ご、ごめん。ここまで出かかってたんだけど……」
心なしか、梗一郎の視線が強く感じられたのだ。