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テラーノベル(Teller Novel)
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そして、名前に春の字を持つ僕達は、四月に出会ってから、夏の水泳の授業が始まる頃には所謂親友という関係になった。一緒に遊ぶ仲になった二人は、ギラギラと太陽の照りつける中、よくお互いの家に遊びに行っては、ゲームをしたり、課題をしたり、一緒にアイスを食べたりする様になった。春一君は、出会った頃より日に焼けて黒くなった肌に透明な汗を流しながら、シャツの襟口に指を差し込んでパタパタとシャツを動かして熱を逃していた。不純な僕は、時折覗くしなやかな鎖骨や、汗でしっとり濡れたまつ毛、襟から溢れる熱気に、一つ一つウットリとした気持ちになった。その頃は、僕の心は春一君に向けた感情について、「推し」だとか、「憧れ」だとか、恋以外の名前を無理矢理に付けて、どうにか自分の純真さを証明しようと足掻いていた。


しかし、僕の春一君への感情が、性愛以外の何物でもないという事を白状しなければいけない状況は、すぐにやってきた。それは水泳の授業である。日に焼けると皮膚が赤くなりがちな僕は、それを口実にこの貧弱な体を隠そうとラッシュガード着用を申し出ていた。着替えの際、春一君にやーいガリガリと面白半分に言われた時は、うるせえやいと返しながらも、内心裸を見られている事がなんだか恥ずかしくて、この状況をふざけ合う「友達」として処理してくれた春一君に感謝する気持ちにすらなっていた。そして事件は起こったのである。着替えが終わり、自然光だけで薄暗かった更衣室から出て、入道雲のモクモクとした日本晴れの青空の下で初めて春一君を見たのが事件の発端だった。受験勉強が始まる前の中二頃までサッカーをやっていたという春一君の体は、今も何かスポーツをやっている様に引き締まっていて、鍛えられた筋肉の凹凸が、胴の部分に濃淡様々の影を作り出していた。強い日光の下で目の窪みの影が一層暗くなった春一君は、高い身長も相まってハーフのモデルの様にも見えた。僕の目線は春一君の頭から、徐々に下に下がっていった。腹筋の下端の方から、太い血管がウネウネと水着の下に潜る様に這っている。その先を見るのは親友としておかしな目線だと判断したため、僕はそこで観察をやめた。


いざ授業が始まっても、暫くは暇だった。生徒数に見合わないレーンの異常に少ないプールは、生徒を退屈させた。自分の順が回ってくるまでは相当な時間がある様だ。当たり前の様に僕の隣に移動してきた春一君は、適当な替え歌を歌いながら、シャワーで濡れた僕のラッシュガードを暇そうに摘んだり引っ張ったりしている。特に何も考えていない時の、目線の合わない時の春一君の顔が好きだ。伏せがちになった長いまつ毛は、圧倒的な密度で僕の視線を遮り、栗色の水晶体を優雅に守っている様だった。


その時だった。僕の水着をいじるのに飽きた春一君は、突然僕に掴みかかってきたのだ。ギュウギュウに並べられた生徒の中で倒れ込むわけにもいかず、僕らは抱き合った様な体勢になった。お互いの息をする音が聞こえる程顔が近づいて、僕はこのままキスされるんじゃないかと思った。慌てて周りの生徒に目を向けたが、誰一人として僕らを気にかけている人はいない。確かに、この程度のじゃれつきは他の男子も当たり前にする。普通じゃないのは、僕だった。友達として、何も変わった事はしていないはずなのに、僕の恋心はこの時、言い訳の出来ないほど、どうしようもなくいっぱいになってしまったのだ。しかし、この切ない想いに浸る暇は与えられなかった。正直、ここから書く事は忘れてしまいたい。ただ、この出来事が今の気持ちに目覚めるきっかけとなったのはまがいもない事実だ。だから書くのだ。僕は、春一君の逞しい腕に抱かれて、身体まで素直に反応してしまったのである。体育座りにした太腿の間に、何かしらの違和感を感じ、その違和感の正体に気付いた瞬間、僕は泣いてしまった。それを見て、ギョッとした春一君の顔もやっぱり大好きで、酷く情けなかった。春一君は優しかった。大丈夫か、お腹でも痛いのか、と僕を心配してくれた。僕は、春一君がこんなにも友人として芯からの純粋なる心配、優しさを僕に投げかけてくれているのに、それに対してこんなにも不純極まりない、汚らしい反応をしてしまう僕自身を、酷く恥じて、今すぐ死んで詫びたいほどの情けない気持ちになってしまった。泣き止む気配のない僕を、周りの生徒が不審そうに覗き始めた。春一君はそれらを睨む様な顔をしたかと思うと、僕の顔を見て、今度は泣き出しそうな顔をした。

「春夫、春夫、ごめん。本当にごめん。まさか泣かれるとは思わなくて……春夫、ごめん、嫌だったよね……」

僕は、心から謝っている人の声特有の、しんみりとした響きにやられて、更に悲しくなってしまった。僕は慌てて、暑い、気分悪い、泳げない、と、声が震えるのを必死に抑えながら二言三言喉から絞り出すと、心配してバスタオルを持って来てくれた先生からタオルを受け取って、それをマントみたいにして体を隠し、未だ僕の手を心配そうに握っていた春一君の手を振り解いて日陰の下に逃げてしまった。


僕は、僕は春一君が好きです。同性が好きです。かっこよくて、何より優しい春一君が大好きです。あんなに心配した顔を見せるのは、きっと僕だけだろうと思ったら、嬉しく思ってしまいました。あんなに僕に構うという事は、もしかしたら好かれてるんじゃないかなんて思ってしまいました。


僕の隣に座った先生は、僕の気分が悪いという嘘を信じた様で、神妙な面持ちでずっと背中をさすってくれている。僕は、この、春一君の友情を踏みにじるような不義の喜びと、それに対する罪悪感で、結局水泳の授業が終わるまで泣き通しだった。


帰り際、春一君は例の泣き出しそうな顔を僕に向けて、聞いた事がないほど小さな声でそっと謝った。

「春夫」

最後に僕の名前を呼んで、暫くは僕の返事を待っている様だったが、僕が顔を上げそうにないと気付くと、無理するなよ、とまた僕を苦しめる様な言葉を投げかけて去って行った。後にも先にも、あんなに弱った春一君を僕は見たことがない。

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