コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「榊原さんは依頼者の調査を手掛けている関係で、いろいろ思うことがありますよね」
私が訊ねると、前を見据えたまま静かに頷く。
「俺は誰かを好きになったら、その人だけを好きでい続けなきゃっていう考えなんで、ご主人のように、ほかの方に愛情を均等に注ぐことはできません。なので不器用って言われちゃうと、そうなのかもしれませんが」
「不器用って、それは違うわ。あの人がおかしいのよ。既婚者なのに、愛人を何人も作るなんて……」
膝の上に置いてる両手に、拳を作った。そんなことをしても、内なる怒りは収まらないけれど、作らずにはいられない。少しだけ尖った物言いをした私を気遣うように、榊原さんは言葉を続ける。
「好きになったその人と結婚する。一生を共にすることを、神様の前で誓うんだから、嘘をついちゃダメですよね」
「そうよ。榊原さんはしっかりしているから、きっと大丈夫ね」
「俺はご主人のようなことをしないと誓いますが、結婚生活を維持していくのは、やっぱり大変かなって思うことがあります。ずっと一緒にいれば、嫌な部分が見えて、魅力が半減することが多々あるでしょうし」
「不思議ね、そんなことを考えたことはなかったわ。確かに一緒にいれば、合わない部分は出てくるものだけれど、それを含めても、この人が好きっていう気持ちが大きかったから、全然気にならなかった……」
目を閉じて、これまで一緒に過ごした年月を思い出す。
「榊原さんがこれを聞いたら、笑うかもですけど」
「なんですか?」
「私ね、夫にプロポーズをされたときに、こう言われたんです。『上司に結婚するように促されたタイミングで、貴女に出逢った。人にとってそれは偶然だと言われるだろうが、俺は運命だと強く思ったんだ』って。本当に口がうまい人……」
私が苦笑いを浮かべたら、榊原さんは「俺はそんなふうに言えないから、逆に羨ましいです」と言って、笑うことをしなかった。
「榊原さん、ありがとう。しっかりしたアナタなら、岡本さんも好きになってくれるかもしれないわね」
「ぅ、うえっ? いっいきなりなにを!」
「傍で見ていたら、誰だって気づくわ。好きだっていう気持ちが、雰囲気に溢れているもの」
くすくす笑って指摘すると、榊原さんの横顔が見る間に真っ赤に染まった。
「俺のことは、どうでもいいんですって。口のうまいご主人を、これから言い負かさなきゃいけないんですから、頑張ってくださいね。応援してます」
こうして彼となんの気なしに会話をかわしていく内に、実家にたどり着いた。車のエンジン音を聞いた家族たちが、揃って外に出てくる。
「明美、お疲れ様」
助手席から降りた私に、母が駆け寄ってぎゅっと抱きついた。
「お母さん……」
いたわる感じで母に背中を撫でられる私の周りに、父と輝明さんの両親が立ち竦む。
「明美ちゃん、ウチのバカ息子が本当に悪かった」
「こんなことまでアナタにさせて、なんと言っていいのか」
「私は大丈夫です。とりあえず車から輝明さんを降ろすのを、手伝ってもらえませんか?」
小さく頭を下げると、後部座席に移動した榊原さんから、輝明さんのお義父さんと私の父が輝明さんの体を受け取り、そのまま地面に横たわらせる。
「それでは私たちは、これで失礼します」
岡本さんが帰ることを告げたら、榊原さんが運転席に颯爽と乗り込み、長居は無用という感じで、アクセルをふかして去って行った。不倫相手になる斎藤さんを乗せている手前、慌ただしく帰るしかなかったのだろう。
遠ざかって行く車を見ながら、お世話になった皆に頭を下げて見送ってから跪き、輝明さんからアイマスクと耳栓を外した。反対側にお義父さんが腰を下ろして、彼の頬を強く叩く。
すると輝明さんは顔を歪ませながら目を擦って起きあがり、辺りを見渡した。森の中から移動したことがわかっただろう。
「輝明、自分のしたことがわかっているよな?」
両手を握りしめて怒りを押し殺したお義父さんが、静かな声で問いかけた。
「俺のしたこと……?」
「実況生中継で全部見させてもらった」
「!!」
驚く彼の目の前に、私は持っていたスマホの画面を見せつける。森で撮影した動画を、自身のスマホにも転送していた。
『確かに不倫したのは認める。でも俺は妻や華代が望んでいることをしたまでなんだ』
画面を食い入るように見つめて驚く輝明さんに、直接訊ねた。
「輝明さん、私が子どもを望んだから、不妊治療を勧めたの?」
私からの問いかけに、輝明さんは愛想笑いを浮かべながら、何度も首を縦に振る。
「そ、そうだ。子どもがいれば、俺がいなくても寂しさが紛れるだろうって」
なにかを言い終える前に、私の背後から太い二の腕が伸びてきて、輝明さんの胸ぐらを掴む。そして、強烈な往復ビンタをぶちかました。
「くっ!」
「明美の寂しさが、そんなもんで埋まるわけがないだろ。しかも俺がいなくてもだと? 子どもは、ひとりで育てるもんじゃねぇ、両親がそろって育てるもんだ!」
往復ビンタの音よりも、父の怒号が辺りに響き渡る。私の隣にいる父は、見たことのないくらいに怒った顔だった。普段はとても穏やかな人で大きな声を出したことはなく、私に対しても怒ったことがない人が、ここまで怒りを見せたことに、悲しくなってしまう。
「だって俺は仕事が忙しいし」
しどろもどろに答えた輝明さんの頭を、目の前にいるお義父さんが振りかぶって叩いた。
「なにが仕事が忙しいだ。女ふたりを相手にするので、忙しいだけだろ。高田さん、本当に申し訳ございません。ウチのバカ息子のせいで、大切な娘さんを深く傷つけてしまって」
お義父さんは隣にいるお義母さんと一緒に、私たちに頭を下げた。自分の両親がおこなった謝罪を目の当たりにして、やっと状況を飲み込んだのか、輝明さんは慌てて起き上がり、正座をしてから地面に頭を擦りつけて頭を下げる。
「あのぅ俺は木に縛られて、いろいろ脅されたせいで、本当のことを言えてないところも……結構あるんですが」
コチラに顔を向けずに、やっとという感じで口を開く輝明さんに、お義父が不機嫌を凝縮した声で返事をする。
「ぁあ? 本当のことってなんだ、言ってみろ」
「俺からその……女性に手を出したりしていないんです。みんな勝手に俺を好きになって、モーションをかけられまして、断っているのに、それでも食いついてきたというか」
たどたどしい輝明さんの自分モテセリフに、誰も答えようとしなかった。むしろ、答える気になれなかったというのが、本音かもしれない。
私は森の中で直接、両親たちは実況中継で彼の本音を見聞きしていた故に、今更感が拭えなかった。
「俺が拒否れば拒否るだけ、相手がムキになって迫ってきて、結果襲われたみたいな形から脅されて、仕方なく付き合うことになってしまったんです」
さっきまでのたどたどしい物言いから変化した、ハキハキした口調で理由を述べて顔をあげる彼に、すべてお見通しですよと言わんばかりに、私たちは揃って笑顔を見せた。きっとこのタイミングで、どうして皆が笑っているのか、輝明さんは不思議に思っているだろう。
「輝明さん、言いたいことはそれだけかしら?」
「えっ?」
私は喫茶店で録音したものを、スマホを操作してこの場に流す。
『確かに部長とそういう関係になっちゃったのは、いけないことだし悪いと思ってる。だけどね、いきなり私を襲って、そういう関係に無理やりもちこんだ部長のほうが、もっと悪いんだから』
「ちょっと待ってくれ。これは遠藤という、支店にいる女子社員の嘘なんだ、信じてくれ! 俺は襲ってなんていない。俺はこの女に脅されていたんだ!」
「だったらアナタ、脅されたという証拠を見せて」
無様に私に縋ろうとする彼の顔面に、榊原さんからいただいた写真を投げつけた。驚いた輝明さんは両手で顔を守ったあとに、地面に散らばった写真に視線を注ぐ。
それは高級レストランの店先で、輝明さんと支店の女子社員が腕を組んでいるところや、事後のあとに、ホテルから仲睦まじく出てくるところなど、ほかにもイチャイチャしている写真ばかりで、脅されて付き合っているとは言えないものばかりだった。
「な、んでこんな、ものが……」
目を瞬かせて固まる輝明さんに追い打ちをかけるべく、森での出来事を映像付きで流してやる。
『華代、俺が悪かった! 妻と離婚して絶対に結婚するから、見捨てないでくれ! お願いだ‼』
輝明さんはここぞとばかりに慌てふためいて、私や両親たちに弁解を続ける。
「これも違うんだ。俺は命の危機に陥っていて、それを回避するために嘘を」
「平気で噓をつく人の話を信じろっていうほうが、無理な話じゃないのかしら?」
「本当に俺は危なかったんだって。以前蜂に刺された話を部下にしていたのを使われて、スズメバチを使って脅されたんだ。アナフィラキシーショックなんて出たら、それこそいつ死んでもおかしくないだろ」
「その部下とアナタは、不倫していたのでしょう? しかも結婚を前提のお付き合い。わざわざ式場まで、足を運んでいたみたいじゃない」
「それはアイツに強請られて、仕方なく行っただけ……」
弁解するたびに嘘を重ねることになり、輝明さんの告げるセリフが次第に力がなくなり、声が小さくなっていく。弱っている彼の心を抉るであろう例のシーンを流すために、少しだけ早送りしてからそれを流した。
『ああ、本当さ。妻とは別れて、華代と結婚しようと考えてる。だからこの間一緒に、式場巡りをしたじゃないか』
「輝明さん、この発言はみずから式場に行ったように聞こえるけど、訂正する気持ちはある?」
見る間に顔色が青ざめていく彼は、唇をぶるぶる振るわせて言葉を失った。
あえて誰も問いかけないことが、輝明さんの不安を煽ったに違いない。唇だけじゃなく、体も次第に震えていく。
「明美、おまえは華代とつながっているのか? アイツは俺の愛人だぞ!」
動画から導き出した事実に驚愕しながら、私を怒鳴った輝明さんに、思い切り平手打ちを繰り出した。
パーン!
振りかぶって平手打ちした反動で、彼の顔が真横を向く。そのせいで、叩いた私のてのひらがじんじん痛んだ。だけどそれ以上に私の心がもっと痛んで、膿んでいる状態だった。
「私にだって、悪いところがあるのは認めるわ。アナタときちんと向き合って、話し合いを重ねていたら、こんなことにはならなかったと思うの」
「こんな……こと?」
横に向いてる顔を恐るおそるもとに戻して、私に対峙した輝明さんと目が合った。その瞬間、悲しい思いが見る間にこみあげてきて、泣き出しそうになる。
「私のさびしい気持ちを輝明さんにきちんと打ち明けていたら、家にいる時間を増やしてくれたかしら?」
「それは――」
「輝明さんが家庭のために、仕事を頑張っていたから、あえてそのことを言わずにいたのよ。余計なことを言って、アナタの負担になりたくなかったもの」
「明美……」
好きだった人に、絞り出すように告げられる自分の名前を聞いただけで、涙が溢れて止まらない。号泣する私を見ていられないのか、輝明さんはバツが悪そうに深く俯く。
そんな彼に文句を言っても、無駄なことがわかっていたけれど、言わずにはいられなかった。
「なのに実際はあちこちに愛人を作って、忙しくしていたなんて。不妊治療でつらい思いをしてる私を尻目に、アナタは楽しんでいたのよね?」
「…………」
頬に流れた涙がそのまま零れ落ち、輝明さんが見つめているアスファルトに染み込んでいく。
「私だけじゃなく、不倫相手の気持ちを弄んだ結果がこれよ。快楽を得るために身勝手をした輝明さんには、これから罰を受けてもらいます」
ポケットからハンカチを取り出して、涙をぐいぐい拭ってから、彼に背を向けた。それは私だけじゃなく、私の両親と輝明さんの両親も同じことをして、彼から離れていった。
「華代だけじゃなく、明美にまで俺は復讐されるのか?」
「復讐なんて、生ぬるい言葉を使わないでください」
言いながら立ち止まり、少しだけ振り返る。利き手を伸ばして私を引き留めようとしているのがわかり、ゾワッと悪寒が走った。
「輝明さん、自宅に離婚届が記入済みで置いてありますので、あとはご自分のところを記入して捺印したあと、役場に提出してください。それと慰謝料のこともあるから今後の連絡は、テーブルに置いた弁護士さんの名刺の番号でお願いね」
「あ……」
伸ばした利き手が、力なく下ろされていく。すると輝明さんのお義父さんも、仕方なさそうな感じで彼に声をかけた。
「おまえ、高田さん家はもちろん、津久野の家にも金輪際近づくなよ。おまえなんて息子じゃない! 縁を切る、勘当だ!」
こうして輝明さんを置き去りにした私たちは、それぞれの家に帰ったのだった。