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◇◇◇◇
ノクスグラートの防衛線は、確実に崩れかけていた。
毎夜のように魔物が群れを成して森を越え、村の外れを蹂躙していく。
衛兵の数は日に日に減り、鉄靴の響きはかつての勇ましさを失い、魔物を前にしておよび腰になっていた。
フェンはまだ意識を取り戻していない。
仲間の衛兵たちは疲弊し、怪我を抱え、それでも剣を握り続けるしかない。
それが、現実だった。
バリスハリス王国からの増援はまだ届かない。
連絡の遅延。王国は悪意を持って遅らせているわけではない。ただ、ここは辺境で、助けを呼んでも、すぐには来ない。
距離と森の障壁が王国の助けを遅らせている。
ノクスグラート領の衛兵は屈強な戦士で固められているが、連戦続きで、もう限界はとうに超えていた。
日が沈む頃には、森はまた遠吠えを響かせるだろう。
次に襲ってくる群れは、今まで以上に大きいかもしれない。
領民が、餌になるのも時間の問題だった。
その現状をノクスグラート領で知らない者はいない。セレナは人々の顔を見るたび、胸が重くなる。
みんなは、いつだって穏やかで、笑顔が溢れていた。
だが今は、誰も笑わない。
不安の影が、深く、濃く、街を覆っている。
彼らはセレナを見ても、以前のように微笑まない。
「白の魔女と名乗らなければ?」
そうセレナは自身に問いかけて首を振る。
「あの時と同じになるかもしれない」
呟いた声は、確実に心の奥を抉る。
「今魔女の力を使えば、殺されるかもしれないって怖さもあるけど。一番怖いのは、助けてきた人たちの、私に向けてくる敵意の目」
その言葉は、セレナの胸の奥に、冷たい震えとして残った。
敵意の目。
救ってきたはずの人々が、いつのまにか石を投げてくる。身体よりも心が痛かったことをセレナは知っている。
セレナは助け続けた。
病を、怪我を治し、呪いを解いた。
人々は喜んだ。微笑んだ。感謝した。
そして裏切った。
誰もセレナを信じてくれなかった。
その苦い記憶。
それは消えない。
「もう、助ける必要なんて、ない」
セレナは、自分の心にそう言い聞かせた。
もう白の魔女じゃない。何もかも忘れていいはずだった。
でも……。
目の前で泣き出した子どもの声を聞くと、足が震えた。
母親が抱きしめる腕を見て、胸が締め付けられる。
殺気立った若者が、大声で罵声を飛ばしていて、息が詰まる。
衛兵を助けるべきか、見捨てるべきか。
その答えは、いくつの夜も考えてきた。
セレナは、その度に見捨てる選択をしてきた。
そして、今日も最も苦しい問いが浮かぶ。
今回も助けるべきなのか。見捨てるべきなのか。
助けても、また裏切られる。
その問いを前に、セレナの足は止まる。
夜の闇は深く、街の灯りは弱い。
彼女の胸の中の重さは、痛みになって襲ってきた。
「私はみんなが笑顔になる魔法を使っていたはずなのに」
これが白の魔女セレナの魔法を使う根源だった。
「助けにいきたい。本当は助けにいきたいよ」
助ければ、また傷つく。
それでも、助けたいと思ってしまうセレナは、まだ、人の笑顔を嫌いになれなかった。