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スマホのアラーム音がなる。
火曜日の朝だ。
スマホの画面にいくつかの通知が出ていた。
その中で驚いたこと。
それは青山悠真からのメッセージ。
「さっき撮影終わって帰ってきました!
ドアノブに紙袋ぶらさがっていますが
それ、ぼくです。
ラスクがはいっていますから
良かったらどうぞ。
今日は夕方からMVの撮影に出ちゃうんで
お休みなさい!」
シュガーの顔のアップの写真も添えられており「あ~、可愛い」と思わず声が漏れてしまう。
メッセージが送られた時間を見ると4時半過ぎ。
芸能界のお仕事って、大変ね……。
まずは玄関に行き、ドアを開けると、11月の朝の冷たさに「さむっ」と思わず声が出てしまう。紙袋に入った有名店のラスクは箱ごと入っている。しかも未開封。
これ、全部もらっていいってことだよね?
それなりに値段がするものなので、なんだか恐縮してしまう。
しかも沢山あるので、会社に持っていこうと思いながら、部屋の中に戻り、御礼のメッセージを送ろうとして考える。
今頃きっと寝ているよね。
お昼ぐらいに御礼のメッセージを送った方がいいかもしれない。
メッセージの着信音、どうしているか分からないし。
そこで一旦、スマホを置くと会社へ行くための準備をする。
グレーのカットソーに黒のワイドパンツをあわせ、ワイン色のカーディガンを羽織り、オーブンで焼いたクロワッサンとコーヒーをテーブルに運ぶ。
「ヤバイ! 遅刻しちゃう!」
慌てて私は椅子から立ち上がった。
***
営業同行があるので外出していた中村先輩が、15時というベストタイミングで会社に戻って来た。そこで私は青山悠真からもらったラスクを営業企画部のメンバーに「いただきものですが、よかったら」と配ることにした。
ちなみに青山悠真には、昼休みにラスクの御礼のメッセージを送ると「喜んでもらえてよかったにゃー」とシュガーの写真と共に返事がきて、これにはもう鼻血が出そうになってしまう。
あの青山悠真が「にゃー」って!
ファンだったら瞬殺、一般人の私でも悶絶案件だった。
そんなことを思い出しながら、ラスクを配った。
「中村先輩、これ、いただきものなんですが、一人では食べきれないので、よかったらどうぞ」
「おっ、サンキュー。歩き回ったから、これで糖分補給ができる」
中村先輩はグレーに白の縦ストライプのジャケット脱ぎ、私からラスクを受け取る。
「森山さんも、はい」
「わーい、先輩、これ有名なお店のラスク、しかも限定味。これくれるって超イイ人ですねー」
新卒採用で私のいる営業企画部に配属された森山美紀……森山さんは、小顔でパッチリ二重、キャラメル色の髪も毎日綺麗にカールして、オシャレに余念がない。
森山さんは私の隣の席。中村先輩は私と背中合わせで座っている。三人で椅子の向きをかえ、コーヒーを飲みながらラスクを食べ、少しだけおしゃべりタイムとなる。同じしまのみんなもラスクを食べ、隣の席の人とおしゃべりをしているので、注意されることもない。5分ぐらいの休憩だしね。
「いただきものだけど、これ、御礼するなら何を贈るといいかしら?」
私がラスクを食べながら尋ねると、森山さんが即答した。
「こういう有名店のお菓子へのお返しは、同じぐらい有名なお店がいいと思います! あ、勿論、味も美味しいのは大前提ですけど」
一方の中村先輩は、真逆の意見。
「お返しする相手が女性なら、森山の意見に賛成だな。女性はブランドに弱いから。でももし相手が男性なら……。市販品より手作りの方がグッとくると思う」
「え、鈴宮先輩、男性なんですか、お返しする相手!?」
「ち、違うわよ、女子、女性よ!」
相手が青山悠真であるなんて絶対に言えない。でも相手は男性ということぐらいは、明かしてもいいのに。つい「女性」と言ってしまった。なんだろう、照れ隠し? 自分でも分析できない。
ひとまずラスクを食べ終えると仕事を再開し、パソコンのモニターを見ながら考えてしまう。
手作り……か。
チャーハンであれだけ喜んでくれた。
それなら手作りのお菓子を渡したら……。
確かに彼は甘党のはず。
……パウンドケーキでも焼こうかな。
あ、でも失敗するかもしれないから、念のため、パティスリー専門店の焼き菓子も用意しておこう。
東京駅のデパートの営業時間は、食品売り場が20時までだから……。間に合うよう、仕事を片付けよう!
気合いを入れ、頑張ったおかげか、残業は1時間で済み、18時過ぎには会社を出ることができた。
「お先に失礼しまーす」
「あ、鈴宮、帰るのか? 俺も帰る」
中村先輩と並んで歩き出す。
「ラスク食べた後の鈴宮はすごい集中力だったな。俺、何度か声かけたけど、スルーされた」
「え、そうだったのですか! すみませんでした。時々、集中し過ぎると、周りの声が耳にはいらなくて」
「いや、それでいいよ。数字扱っている時は集中していないと、ミスが起きるから。それに俺が聞きたかったことは、他の奴に聞いて解決したからさ」
やっぱり中村先輩は優しい!
「でもあの集中力の源は、何だったんだ?」
「あ、実はこの後、東京駅に寄ってデパートに行くつもりなんです。食品フロアは20時までなんで」
「……もしかしてラスクの御礼を買うのか?」
私が「そうです!」と返事をすると、中村先輩は「そうか」と何だか安堵の表情を浮かべている。
「俺も……デパート寄ろうかな。デパ地下の料理は美味しいものが多いんだよな?」
「そうですね。あとこの時間に行けば、割引もしているかもしれないです」
「それは耳寄りな話だ」
中村先輩と東京駅まで移動し、そのままデパートへと向かう。
私がパティスリー専門店へ向かい、焼き菓子の詰め合わせを購入している間、中村先輩は総菜売り場をじっくり見ている。そしていくつかの商品を購入していた。
あれはきっと今晩、奥さんと食べるためよね。
でもローストビーフサラダ、米沢牛コロッケ、サーモンのマリネってワインのおつまみみたい。
あ、もしかして奥様とワインを開けるのかしら。
素敵だな。
中村先輩は気が利くし、優しいから、奥様は幸せだろう。
奥様は噂では、元キャビンアテンダントと聞いている。
美人で語学も堪能な、確か2歳年上だったかしら。
その姿を見たことはないが、窓辺で夜景を眺めながら、ワインで乾杯をする二人の後ろ姿が想像できる。
私も……そんな未来を思い浮かべていた。
義和のバカが浮気なんてしなければ……。
いや、もうアイツに未練はない。
二人で使っていたベッドに、他の女を連れ込んだような下種野郎なのだから。
「鈴宮、お待たせ」
「いえ、大丈夫ですよ。美味しそうな物を買えたようですね」
「こんなに買うつもりはなかったけど、店員さんが味見をさせてくれるから、つい買ってしまったよ」
「営業企画の達人の中村先輩が、こんなに買わされちゃうなんて」
「そうだよな」
そこで二人、顔を見合わせて笑ってしまう。
「JRだよな、鈴宮も」
「はい」
「じゃあ、改札まで行くか」
「はい!」
再び歩き出し、私は人生の先輩でもある彼に尋ねていた。「男性は女性から結婚を迫られると、嫌なものなのですか」と。
「それは一概に嫌だとは言えないと思うけどな。本当に心から愛する女性がいれば、結ばれたいと思うだろう。ただ、どんなに愛していても、仕事が安定しない、収入面に不安があると言った理由で、結婚を思いとどまる場合もあるだろうし……。あとは自身の周りにいる友人がまったく結婚していないとなると、結婚願望も高まらないだろうからな」
なるほど。それは一理ある。
「鈴宮のその別れた恋人とは、付き合いが長かったのか?」
「……そうですね」
「そうなると面倒になった、マンネリというのもあるかもしれないな。本当はもっと早いタイミングで、二人が結婚するといい時期があったのかもしれない。そこを逃し、だらだら続いて、夫婦も同然の生活を続けていると、腰が重くなってしまう。結婚しなくても一緒にいられるならそれでいいのでは、って」
そう言われるとその通りだと思えてしまう。
義和は入社25歳ぐらいの時、結婚を話題に出してくれた気がする。
「でも浮気をする相手は別だ。浮気は……ダメだよ、絶対。一度でも浮気をした奴は繰り返す。だから鈴宮は別れて正解。次へ向かった方がいい。なんなら俺が面倒を見る」
!?
それは誰か素敵なメンズを紹介してくれるということ!?
中村先輩が紹介してくれる男性なら、きっと素敵な人だと思う……!
なんだか恋活疲れしていた私のハートに、炎が灯った気がした。
「ありがとうございます、中村先輩! 結婚うんぬん以前に、浮気はダメだと私も思います! 無理せずマイペースで次へ向かおうと思います」
私の言葉に中村先輩は笑顔になる。そこで改札についた。
「じゃあ、また明日」
「はい、お疲れさまでした!」