最寄り駅に着くと、駅前のスーパーで、パウンドケーキ作りに必要な物を買い揃えた。
帰宅した後は、夕食を手早く済ませ、パウンドケーキ作りを始める。
お菓子作りは社会人になってからするようになったが、パウンドケーキを作るのが、一番得意だった。ということで念のためでデパートで焼き菓子を購入していたが……。
失敗することなく、完璧に焼くことができた!
あとは冷まして、寝る前にきちんと包装しよう。
ということで青山悠真にメッセージを送ることにする。
ラスクの御礼。そして私から渡したいものがあること。渡せるタイミングはあるかしら?という相談だ。
仕事中ならスマホの電源はオフだろうから、時間を気にせずメッセージは送った。
青山悠真からの返事は、すぐに来ないと思ったので、入浴し、洗濯機を回す。その後は女友達とメッセージのやりとりをし、猫動画を見て……。
ちゃんと冷めたパウンドケーキをラッピングする。
「できた!」
部屋の中は、パウンドケーキの甘い香りが漂っている。
私はその甘い香りを存分に堪能しながら、眠りについた。
***
いつも通り。
スマホのアラーム音で目が覚める。
そして通知画面を見て、一気に覚醒する。
心臓がドキドキしている。
ベッドから起き上がり、正座して、メッセージアプリを起動した。
「鈴宮さん、おはようございます!
ようやく撮影終わりましたよ。
いい現場でした。完成が待ち遠しい!」
青山悠真からメッセージが来ていた!
メッセージは短い文章がいくつかにわかれて送られてきている。
「ラスク、喜んでもらえて良かったです。
それで渡したい物があるんですよね。
そんな気を使っていただかなくても大丈夫なのに」
「大丈夫にゃん」という文字がついたシュガーの写真に、悶絶しそうになる。それは青山悠真の愛猫であるシュガーが実に可愛らしい顔をしていることに加え、「にゃん」という言葉を彼が使っていることに対し、萌えてしまったからだ。
「明日、何時まで部屋にいますか?
取りに行きます。時間、気にせず返信送ってください」
青山悠真からメッセージが送られてきた時間は、夜中の1時半過ぎ。
帰宅し、きっと今は寝ている。
多分、メッセージの通知音で起きるつもりだ。
そう推理した。
もしこれが正解であるならば。
ギリギリまで寝かせてあげるといいよね……?
私は8時に家を出るから、7時半に返事のメッセージを送ろう。
そう決め、準備を始め、7時半までに身支度を整えた。
白と黒のストライプのシャツにワイン色のウールのカーディガン、Aラインの黒のロングスカート。
ちゃんとお化粧も終わっている。
よし。
メッセージを送ろう。
送信し、すぐに既読になり驚く。
もしかして、寝ずに待っていたのかしら!?
ドキドキしながら画面を見ていると、30秒後ぐらいに返事のメッセージが届いた。
「おはようございますー。
寝起きで髪ぼっさかもしれないのですが
許してください!
5分後に伺います 」
あ、良かった。寝ていたのね。
安堵すると共に、自分で作ったパウンドケーキと、昨日購入したパウンドケーキを、一つの紙袋にまとめる。
冷静に考えると、手作りのお菓子なんて、親しい者同士で贈り合う物だと気づいた。
さらに。
タレントの事務所は、ファンから手作りのお菓子は受け取らないはずだ。
だって何が入っているか分からないから。
つまり、一度会ったぐらいのよく知らない相手が作ったお菓子なんて……迷惑である可能性が高いと、後から気づいたのだ。
中村先輩の言葉にホイホイのってしまった私は、きっと浮かれていたのだろう。
何せ御礼をしたい相手が、今をときめく人気タレントの青山悠真だったから。
ここは本人に確認し、手作りのお菓子はちょっと……となったら、パティスリー専門店で購入した焼き菓子を渡そう。そして手作りパウンドケーキは、会社に持参しよう――そう思っていた。
「!」
ピンポーンと呼び出し音がなり、心臓が喜びと驚きで飛び跳ねる。
紙袋を持って玄関へと向かう。
「おはようございますー」
「おはようございます」
青山悠真は寝起きで髪がぼさぼさ……と匂合わせていたが、そんなこと全然ない。手櫛で整えただけかもしれないが、ちゃんと様になっていた。トレーナーにチノパンとラフだけど、もうそういうファッションに見えてしまう。
私の知っている青山悠真そのままで、整った端整な顔立ちで、ちゃんと涼やかな眼差しだ。
寝起きだなんて、言われないと気付かないと思う。
「昨日遅かったのに、起こしてしまってごめんなさい」
「いえ、どのみち今日、大学で授業があるんで。あと30分したら、起きるつもりでしたから」
そうだった。
大人っぽい雰囲気だし、仕事をバリバリしているので、彼が学生であることを忘れてしまう。
「大学……二足の草鞋、大変ですね」
「バイト代わりだったんですよ。のんびり雑誌のモデルをやるつもりだったのに。こんなに忙しくなるとは思わなくて、自分でビックリしていますよ」
「それは大変」と顔を見合わせて笑い合い、そこで私は紙袋を見せ、説明する。
「え、鈴宮さんが作ってくれたんですよね?」
「はい。ただお仕事柄、手作りのお菓子は受け取りませんよね? ですからこちらのお店でちゃんと購入したもの、この焼き菓子を受け取ってもらうのでいいのかなと思っています。手作りしたパウンドケーキは、私が会社に持っていくので」
紙袋から、自分が作ったパウンドケーキを取り出そうとすると……。
「僕、もう鈴宮さんの手料理食べていますから。それに猫好きに悪い人は、いませんよね?」
そう言って微笑む青山悠真の顔は……。
朝から清々しい笑顔を見せていただけた。
ありがたやと拝みたくなってしまう。
思わず見惚れる私の手から、青山悠真は紙袋を受け取った。
「図々しいかもしれませんが、両方、ありがたく受け取らせていただきます」
そこで彼は、さらに朝日のように眩しい笑顔を浮かべる。
私はその眩しさに、もう目を開けているのが困難になってしまう。
「鈴宮さんのチャーハン、絶品でした。何度もあの味を思い出してしまいます。だからきっとこのパウンドケーキも、美味しいと思うんです。楽しみだな。ありがとうございます!」
「こちらこそ美味しいラスクを沢山、ありがとうございました」
「本当はこのパウンドケーキ、一緒に食べられたら良かったのですが、これからお仕事ですよね?」
この発言にはもう、腰が抜けそうになる。
リップサービスで言ってくれたのだと思うけど。
調子に乗って「いえ、では今日、会社、有給使っちゃいます!」と言いそうになったが、それは飲み込む。
「そうですね。今日も仕事です。それにそのパウンドケーキは青山くんのために焼いたものなので、独り占めしてください」
「それは……嬉しいな。独り占め……。そういえば鈴宮さんは僕より年上ですよね。青山くん、ではなく、青山でいいですよ。なんなら悠真って呼んでくれても」
これは思わず「えっ!」と声が出てしまう。
そんな、年上だとそんな特権を与えてもらえるの!?
で、でも……。
青山!? 悠真 !?
ど、どっちも呼ぶにはハードルが高い!
「確かに私の方が年上です。でも……よ、呼び捨てはハードルが高いですね」
「そうですか。先輩だから、気にしなくていいのに。では……悠真くん、でどうですか?」
「それで手を打ちましょう」
神妙に答える私を見て、青山悠真……悠真くんは、楽しそうに笑った。
「鈴宮さん、面白いですね」
「そ、そうですか、悠真……くん」
「あ、早速、呼んでくれましたね。ありがとうございます」
悠真くんは爽やかな笑顔を残し、自身の部屋と戻っていく。
一方の私は。
一仕事終えた気分で、ホッとしてしまったが。
これからが本番、お仕事開始!
部屋の中に戻り、鞄を手に取り、コートを羽織る。
ショートブーツを履いて、部屋を出た。
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