テラーノベル
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毎日更新したかったんですけど、気づいたら昨日は泥のように寝ていました。
病院に留まって誰かの目に触れることで大事にもしたくないし、ただの過労と睡眠不足だと分かっていたから、入院するほどのことではないとさっさと引き上げてチーフの運転で大学病院に向かった。
やっと見つけた、チーフが差し出してくれた手掛かりだ。必ずものにしなければならない。
とはいえ、いきなり行ったところで関係者が俺たちに話してくれるのだろうか。個人情報にうるさい時代だ、いくらメンバーだとしても門前払いの可能性だってあるだろう。それに、夕方からのスケジュールに穴を開けることになってしまう。俺にとって最優先にすべきは涼ちゃんだけれど、自分のせいで俺たちが仕事を後回しにしたと知ったらやさしい涼ちゃんはきっと傷ついてしまう。
そんな不安を込めてチーフを見ると、ルームミラー越しに涙の浮かぶ目と視線が合った。やさしく穏やかで、だけどどこか焦っているような眼差しだった。
「……大丈夫です。私がこうするだろうことを恐らく社長は分かっていると思うので」
確かにあのたぬき親父なら予測していそうだ。頭の中の盤上のコマが動いたくらいの感覚だろう。社長が描いた最適で最善な結末に至るまでのシナリオに狂いは起きていないだろう。
だけど社長は、直談判をしたあの日から今まで、絶対に涼ちゃんの情報に関してだけは口を割らなかった。チーフだって今日まで、俺たちの邪魔をするようなことはなかったけれど助け舟を出すこともなかった。それなのにどうして急に、と考えた俺の脳裏に先ほどのチーフの言葉が蘇る。
何もかもが手遅れになる前に――そして今、向かっているのは病院だ。
ゾッとする答えに行き着いて、ふっと力が抜けた。
あの日、涼ちゃんは無事なのかと訊いた俺に、事件や事故には巻き込まれていない、社長は確かにそう言った。無事なのかと訊いた俺にそう答えた。
だけど、病魔に侵されているとは口にしなかった。敢えて口にしなかったのだ、あのひとは。それがきっと、涼ちゃんがいなくなった理由の要因になっているから。
糸が切れたようにシートに沈み込んだ俺を、若井が心配そうに覗き込んだ。指先から冷え込んでいく感覚に、小さくカタカタと震え出す。自分で自分を抱きしめるように肩を抱き締め、若井に視線を合わせた。
「元貴? どうした?」
震える俺の肩をさすりながら若井が訊く。言葉にするのもおぞましいが、確認しなければならない。
「生きて、る……?」
「え?」
涼ちゃんは無事だと、その言葉にだけ安心していた。事件や事故に巻き込まれたわけじゃないなら、少なくとも社長が居場所を知っているなら安全だと、安易にそう考えていた。
「りょ、ちゃん、……生き、てる……?」
俺が辿り着いた最悪な答えを若井も察したのだろう、目を見開いて運転席を見た。チーフは前を見たまま、言葉を選ぶように少しだけ間を置いて答えた。
「……入院を必要とするものではありません」
最低限の情報しか与えられないのだろう。病院でもう少し詳しい話は聞けるだろうが、それでも最悪の事態ではないことに安心する。若井が俺の肩を抱いたまま、よかった、と息を吐いた。
居場所だけはどうあっても吐くつもりはないと見えて、それ以上チーフは何も言わなかった。
「……でも、なんだか嫌な予感がするんです」
それはまるで独り言だった。俺たちに答えを求めているものではない呟きだった。
チーフの指がハンドルを強く握り締める。俺たちのことを、涼ちゃんのことを心から案じてくれるチーフの予感はよく当たる。虫の知らせというのか胸騒ぎがするというのか、とにかく楽観視できない状況なのだろう。
行き先が病院である以上、涼ちゃんはなんらかの病に罹患していると考えるべきだ。脳裏を過った最悪な結論を迎えるようなものならば、流石に社長も俺たちに告げただろう。それならその線はないと考えていい。だけど、チーフの態度を見ると、悠長なことは言っていられない事態であることも間違いない。
居場所は教えてくれないだろうけれど涼ちゃんの現状について詳しく聞こうと口を開いたそのとき、チーフの電話が着信知らせ、耳につけたインカムを操作してチーフが話し始めた。
「……分かりました。はい、申し訳ありません」
タイミングを見計らったかのようにかけてきた相手は恐らく社長だ。盗聴でもしてるのかと思うくらいの間の悪さだが、恐らくこの車についているGPSか何かを確認しただけだろう。
仕方がなく押し黙るとこちらの行動を把握しているとしか思えない社長からなんらかの指示を受け、チーフは通話を切って俺たちに告げた。
「午後からのスケジュールは全て社長が調整してくださいました。正面玄関ではなく裏口から入りますが、マスクと帽子をお願いします」
チーフに言われた通り車に常備してあるマスクを若井と2人でつける。帽子も常備してあるからそれぞれかぶり、来客者用の駐車場ではなく関係者の駐車場に停めた車から降りた。
迷うことなく関係者のエレベータに乗り込み、これまた迷うことなく足を進めるチーフについて行く。構造を把握している人間の足取りだった。しばらく進むと会議室と書かれた部屋をノックする。静かに扉を開けたのは社長だった。
予想はしていたものの、俺たちが来ることをわかっていたとしか思えない登場に舌を打つ。スケジュールを調整してもらった負い目から文句も言えない。
「入りなさい」
中には1人の医師が複雑そうな顔をして座っていた。
本来なら許されないことなのだ。本人の許可なく他人に診療情報を話すことなどあってはならない。それをさせられる医師にはわずかばかり同情するが、唯一の手掛かりをみすみす逃すことなどできない。だから何も口にはせずに机を挟んで向かい合う椅子に座り、帽子を取ってマスクを外す。
俺たちの顔を見た医師は困ったように社長を見た。社長が小さく頷くと、逃れられないことを悟ったのか、諦めたように肩をすくめて一枚の紙を差し出した。
「……こちらを」
若井と2人で腰を浮かせてその紙を見る。氏名の欄には涼ちゃんの名前が記載されており、生年月日も性別も、この診断書が涼ちゃんのものであることを指し示していた。
病名の欄には見たことがない、聞いたことがない漢字が記載されている。読めないわけではないが、文字だけを見てもなんの病気なのか見当もつかない俺たちに、医師は静かに口を開いた。
「……その病気は、徐々に視力を失っていくものです。特に夜目がきかなくなります」
「――――っ!」
医師の言葉に息を呑んで絶句した。目を見開いて医師を見ると、医師は目を診断書に逸らしながら続けた。
「失明に至る症例もありますが、その可能性はあまり高くありません。ただ、完治の例もありません。進行するにつれて視力が失われていき、視野狭窄などを引き起こします。現状の医療では薬物療法で進行を遅らせるのが唯一の手段ですが、幸いにも命を脅かすものではありません」
言葉をひとつひとつ理解した脳が、2週間程前の、最後に涼ちゃんと過ごした日を思い起こした。
家に入るとき、いつもなら少し距離を取って歩くのに俺がべったり引っ付いても何も言わなかったのはよく見えなかったから?
いくら不器用とはいえパスタの湯切りを失敗したのは距離感が掴めなかったから?
ご飯をぽろぽろとこぼしていたのはお皿が見えてなかったから?
お風呂に入ったときのアザは見えないせいでどこかにぶつけたから?
ヒントはいくらでもあった。俺はそれら全てを見落としてきたのだ。涼ちゃんはおっちょこちょいだからって片付けていたのだ。目の前に答えがあったのに。俺の目の前にいくつも転がっていたのに。
愕然とする俺の横に座っていた若井が、叫ぶように声を上げた。
「でもっ! レックはちゃんと!」
そうだ、レコーディングもライブも、涼ちゃんはしっかりとこなしていた。見えていないなんて、その可能性さえ俺たちが気付かないほど完璧に。レコーディングは明るい空間で行われたが、ライブステージは演出の都合上薄暗いものが多い。それでも涼ちゃんはしっかりと全てを弾きこなした。俺の求める音を、Mrs.の音楽を奏でていた。なんの違和感すら与えなかった。
「……薬の効きが良かったんだと思います」
口を挟んだのはチーフだった。泣きそうに顔を歪めて、いや、堪えきれずに涙を流しながら、苦しそうに。
この1ヶ月、チーフはチーム全体をまとめながらことあるごとに涼ちゃんに付いていた。今思えばそれも、涼ちゃんの体調が悪いときにフォローを入れるためだったのだろう。
「そのあと体調を崩されていました。恐らく副作用が強かったんだと」
「チーフ」
社長が鋭い声でチーフを止めた。それ以上は話すなという圧力に、チーフは唇を噛んで俯いた。
薬物療法しかないのに、副作用が強い? 飲まなかったら進行を遅らせることもできないのに?
自分が難聴に罹ったとき、薬の素晴らしさと副作用の辛さを味わった。
ただただ気力だけで俺はライブを敢行した。
涼ちゃんもそうだったの? 新曲のレコーディングが終わるまでは、って、どれだけ辛くても苦しくても気持ち悪くても、この曲まではって耐えてきたの?
そんなの、ひとこと相談してくれれば良かったじゃないか。
「……見えなくたって、いくらでも……ッ」
方法はあったはずだ。演出を変えればいい。奏法を考えればいい。涼ちゃんが辞める必要なんて、どこにもない。俺がなんとかできる範疇だ。完全に失明する可能性が低いなら、辛いかもしれないけれど薬とうまく付き合いながらやっていくことはできたはずだ。
俺がそうしてみせた。方法を見つけてみせた。涼ちゃんにMrs.の音楽を続けさせてみせた。だってその音楽は全て俺が作るのだから。
俺の呟きには誰も何も答えず、沈黙が走る。俺は手をぎゅっと握り締めて診断書を睨みつけるように見つめた。
「……きみの」
溜息を吐くように社長が言った。弾かれるように顔を上げた俺をまっすぐに見て、社長は感情を殺した表情で続けた。
「きみの音楽の足枷にはなりたくない、きみの求める音が出せないなら、きみの音楽を制限してしまうなら、生きている価値がない。いつか弾けなくなるなら、きみに要らないと言われるなら、生きている意味がない」
まるで俺の胸中を読んでいたかのような言葉の数々が、ひとつひとつ俺を刺していった。俺の独り善がりな考えが、涼ちゃんの想いと覚悟を踏み躙るものであることを思い知らされる。
誰よりも知っていたはずだ。誰よりもそばで見てきたのだから。誰よりもそれを受け取ってきたのだから。
涼ちゃんがどれほどMrs.を大切にし、どれほど俺の制作する楽曲と向き合い、どれほど俺という存在を愛しているのかを、俺だけは見誤ってはいけなかった。
「……もう、よろしいですか?」
控えめな医師の声に社長がありがとうと答えた。そそくさと涼ちゃんの診断書を持って医師が退室する。再び訪れた沈黙は重苦しかった。
「それで、どうする? 先に断っておくが、あの子の居場所を伝えるつもりはない」
社長の硬い声は、この事態も予測はしていたが不本意だと言わんばかりのものだった。涼ちゃんの覚悟を直接打ち明けられた存在として、これ以上涼ちゃんを傷つけたくはないということだろう。
考えろ。考えろ、考えろ……!
俺にとって涼ちゃんはその存在自体に価値がある。
だけど涼ちゃんにとって、俺がMrs.である以上、俺が大森元貴である以上、俺が紡ぎ出す音楽を誰よりも愛してくれている以上、音を奏でることができない自分に意味を見出せない。
分かる、分かるよ。
耳が聞こえなくなったとき、歌を歌えなくなったら、音を生み出せなくなったら、詞を書けなくなったら、俺に生きている意味なんてないって恐怖を知っているから。
だけど、それでも。
俺はただ、涼ちゃんと一緒にいたいんだよ。
我儘だって怒ってくれていいから、最低だって怒鳴ってくれていかから、俺の傍にいて欲しかった。
ただ、一緒に生きて欲しかった。
「……涼ちゃんを、護ってくれますか」
ぽつりと落とした呟きに、社長は僅かに眉を上げた。
「虫がいい話だって分かっています。退所したっていうのに留学したってことにしてくれたのも感謝しています。今日のスケジュール調整も。だけど、これからも、涼ちゃんを護ってくれますか」
涼ちゃんがどれだけ拒もうと、俺は絶対に諦めない。絶対に見限らない。絶対に見捨てない。絶対に手放してなんてやらない。
「……もちろん。最初からそのつもりだよ」
社長は穏やかに笑って言った。
それなら、俺のやることはひとつだけだ。
そらなら、俺たちにできることはひとつしかない。
「若井、帰ろう」
「え?」
「今日は目一杯休む。もう倒れるようなことにならないように気をつける」
「元貴……?」
清々しく言い放った俺に、若井が困惑しているのが分かる。俺はにっこりと微笑んだ。
涼ちゃんを諦めたわけじゃない。諦めないために、今まで通り、やりたいことをやって、Mrs.を続けていく。
涼ちゃんが護ろうとしているMrs.を、愛してくれた俺の音楽を、ただ、今まで通りに続けていく。
そうやって、涼ちゃんの帰る場所を護り続けていく。
涼ちゃんが生きている限り、希望はあるから。
たとえ暗闇に支配されようと、俺は探し続けるから。だからどうか、生きていて。
涼ちゃん、あなたという希望を、俺は。
続。
昨日のお話で、あとがきなども含めて100話めだったみたいです。たくさん書いたなぁ。
ふたつ前くらいのお話であと3話とか言ってたけど嘘です。次で最終話にはならない、絶対終わらない笑
でもあと2話くらいだと思います。いや、3話……?
コメント
8件
100話目おめでとうございます㊗️ 最近多忙であんまり見れていないのですが、かくれんぼが更新されていて本当に嬉しいです✨ 音楽界は大変ですよね、目が見えなくなったら演奏できなくなるし、腕や足を怪我したらステージに立てなくなってしまう。そんな中大森さんについて行って、不必要にされたくない藤澤さんに涙が出そうになりました...。書きすぎました、すみません、本当に更新ありがとうございます....!!!
100話目、おめでとうございます🎉凄すぎます✨ もう、創作だとはわかっていても、なぜこんなにも切なく、悲しくなってしまうのでしょう😭 でも、病気も、事故も、以前❤️くんが実際に心が疲れてしまった過去があるからこそ、ありえない、と言い切れないところが、🍏の儚さであり、魅力の一つでもあると思うのです、私は。 なんの話をしてるのか笑 とにかく、この『かくれんぼ』が、とても好きです、という事です🙇🏻♀️
100話おめでとうございます✨昨日読み返しをしててこっそり思ってました☺️ 毎度うまくまとめられませんが、楽曲に対してとても大事で難しい問題ですよね。今は失いたくなくて妥協した楽曲を作っても、いつかそこに苦悩と葛藤が生まれるだろうし、妥協された楽曲を作られてもアーティストとしてのプライドも傷つくし大森Pに対して申し訳なくなるだろうし、側で苦悩と葛藤を見るのも辛いだろうし…。