テラーノベル
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とうとう8,000字を超えました。
でも途中で切りたくなかったんです。
お薬を飲まなくなってから副作用に苦しむことはなくなったけれど、朝目覚めることが怖くなった。見えなかったらどうしようって気持ちが焦る。 僕のどうしようもなく醜悪で独善的な欲望のせいで元貴に無茶をさせてしまったから、未練もろとも捨てたつもりだけど、それでもやっぱり、元貴たちの活躍する姿をこの目で見たいと願ってしまう気持ちを捨て切ることはできないんだなって自嘲する日々だ。もう見えなくなったって、誰も困らないのに。
そんな弱い自分を嫌悪しながら、今まで通りの生活を送っている。朝起きて、英語の勉強をして、暇な時間はなんとなくテレビを観たり、サブスクで映画を観たりして過ごした。
テレビでもネットニュース元貴たちの姿を見ない日はなくて、Mrs.の音楽を聴かない日はなくて、それだけが救いだった。僕の記憶にある病室で眠る元貴の姿とは打って変わって、元気そうに若井と楽しそうにステージで歌う姿を観ることができるのが、唯一の楽しみだった。
やっぱり、僕がいなくてもMrs.は進み続ける。歩みを止めることはない。元貴の歌も、若井のギターも、世界を彩り続ける。
それがたまらなく寂しいと思わないわけじゃない。自分勝手な感傷は尽きない。本当ならそこに僕もいたかった。僕もキーボード重ねたかった。元貴たちが見ている景色を、僕も一緒に見たかった。
だけど、僕が願ってやまなかったMrs.の姿がそこにはあった。僕が護りたかった2人の笑顔がそこにはあった。
それだけで僕の行為が正当化されることはないが、僕の選択は間違っていなかったのだと自分を慰める材料にはなった。
できる限り自炊をしているから料理のスキルは少しだけ上がった気がする。指に怪我をする頻度も高くなっちゃったけど、チーフは何も言わずに絆創膏をたくさん買ってきてくれた。もう指に気を使う必要もない。
夜になると途端に見えなくなって、電気がついているな、そこに何かがあるな、っていうくらいの視界になってしまったから、今までは夜にお庭に出ていたのをやめて、明るいうちにお庭に出るようにした。視野狭窄も進行しているようだったけれど、少しずつ慣れていくしかないだろう。
あれだけ大好きだったゲームもやらなくなった。家にあったものを全部運び込んでくれていたから当然全て揃っていたけれど、見えづらさからクリアができなくなったこともあったし、ただやる気が起きなかったのもある。
今までとひとつだけ変わったのは、チーフがほぼ毎日、一日中一緒にいてくれるようになったことだ。最初は僕が家から出ないように監視するためかなとも思ったけれど、なんというか、そう言った窮屈さを感じさせるものではなくて、事務所の決定としてここにいるという感じだった。
リモートワークでお仕事をしているし、必要であれば外にもいく。夜になれば帰っていくけれど、朝になるとまたやって来る。その都度僕のためにお買い物をしてきてくれる。僕に気を遣わせないギリギリのラインを攻めているから、何も言えなかった。
やがて僕の視力が失われるであろうその日までは留学という嘘をつき通さなければならないし、今のMrs.を護るために必要な措置なんだろうなと、今では他人事のように考えている。いつになるか分からないのに気の長い話だ。
気になることはお金の面だった。お金を下ろしにいけないから僕の口座に直結するクレジットカードをチーフに渡してあるが、ちゃんと使ってくれているだろうか。そもそも僕宛に届くはずの郵便物や税金なんかの支払いの通知なんかはどうなっているのだろうか。それとなく社長に訊いてみたけど、何も心配しなくていい、と、それだけしか返されなかった。海外に行っていることになっているし、宛先を事務所に変えてくれているのかもしれない。
事務所の温情に助けられているのは間違いないが、これじゃぁまるで飼われているみたいだななんて卑屈なことを思ってしまう。そのうち本格的に1人で生きていけなくなるかもしれないというのに、そのときにはまた力を借りなければならないというのに。
感謝すべきなのにね。人はどうしようもなく脆くて弱くて自分勝手だ。
そんな生活を2ヶ月程送った頃、唯一の救いだった元貴たちの姿を観ることもしなくなり、朝が来るたびまだ見えることに辟易し始め、ただ日々を生きているだけの僕にチーフが意を決した声で言った。
「藤澤さん、お出かけしませんか?」
美容院に行っていないから随分と伸びた髪をひとつに括りながら、苦笑する。先月も今月も調子がいいからと病院に行くのを拒んでいるから、そう言って病院に連れて行きたいんだろうなと考えた僕に、病院には行きませんから、と先回りして告げた。
「……いいの?」
思わず期待した声を上げてしまう。だって、2ヶ月近く家の中にしかいなかったのだ。テレビとタブレットで世の中の情勢くらいは追うことができるが、隔絶された世界から束の間でも抜け出せるって言われたら嬉しくないわけがない。ストレスフリーで快適な生活を送らせてもらっている身で言うことではないけれど、初めて差し出された機会だった。
「社長の許可はとってあります。夕方からになりますし、行ける場所は限られていますが」
「社長が許可を出したの? ほんと?」
不安がる僕にチーフは穏やかに笑って、社長に確認をとりましょうかと電話をしてくれた。
『出かけてくれてかまわないよ。ただ、ひとつチーフに頼み事をしていてね、それに付き合ってあげてほしい』
そんなことでいいのなら、と了解を返すと、薬、と社長が呟くように言った。
『無理に飲めとは言わないが、捨てるのは良くない』
ヒュッと息を呑んだ。なんで知ってんの。隠しカメラでも仕掛けてある?
電話口で社長が、何も仕掛けてないよ、と笑った。心読まないでよ……。
『今日は必ず飲みなさい。いいね?』
「……はい」
確かにいつ見えなくなるかはわからないし、急にそうなったとあっては騒ぎになってしまうかもしれないし、チーフにも余計な手間をかけさせてしまうだろう。副作用で体調が悪くなるのは仕方がないが、家に帰ってから寝込む分にはまぁ問題はない。
渋々と返事をして通話を切ると、チーフが鞄から僕のお薬を取り出した。
「誤って捨ててしまったと言って新たにもらってきたものです。……飲まなくてもいいですから、捨てないでください」
「……ごめん」
眉を下げて受け取り、謝罪をする。
なんで分かったの? と訊くと、社長が、とチーフが苦笑した。
「……あの日、嫌な予感がすると社長に相談したら、これを渡されたんです。藤澤さんの覚悟が、嫌な方に進む気がするとおっしゃって」
あの日、というのは僕が元貴の病室に行った日のことだろう。スケジュール調整があると言って出て行った後、再びもらってきてくれたということか。行動が読まれすぎてて嫌になる。
それにしても、社長が僕に元貴の件を伝えたことはチーフも聞き及んでいるだろうけど、僕が訪れたという事実は知らないはずなのになんで分かってしまうんだろう。
社長もそうだけどチーフもすごい。それだけ僕のことを見てくれているってことなんだけど、ここまで来るとちょっとこわいんだけど。そんなに分かりやすいのかな。
「……少し休んでくるね」
「はい。時間になったら呼びますね」
「うん」
チーフを安心させるために目の前で薬を飲み込み、あからさまにホッとするチーフにそう告げて寝室に引っ込んだ。
ベッドに横になり目を閉じる。
捨てるな、ね。飲まなくてもいいならあっても仕方がないじゃない。
見えなくなればいいと思ったんだよ。
薬で進行を遅らせてもいずれほぼ見ることができなくなるなら、そうするのがいちばんいいと思ったんだよ。
元貴に諦めてもらうためにはそれしか方法がないと思ったんだよ。
どうしようもなく見えなくなることが怖いのに、見えなくならないと事態が変わらないと思ったんだよ。
停滞する日々を打ち壊すには、もう事務所にも迷惑をかけないようにするには、これしかないと思ったんだよ。
目を閉じているから何も見えないのは当たり前で、でもいつか、目を開けても何も見えなくなるのだろう。それならいっそ、小さな希望さえ断ち切ってしまいたかった。
矛盾しまくっている感情を持て余しながら、するすると意識が沈んでいき、ノックの音で起こされるまで眠っていた。
起きると夕方の5時になっていたが、外はまだまだ明るかった。夏だなぁなんて思いながら、こめかみを揉んで少しだけ痛みを訴える頭の筋肉をやわらげる。
チーフが心配そうに僕を見るが、せっかくのお出かけの機会だ、大丈夫と笑って準備に取り掛かった。
Tシャツにジーンズを着込んでキャップをかぶってマスクをつける。どこにでもいる人、という印象しかない格好だ。アクセサリー類をつけたいなと思わなくもないけれど、落としてしまったら見つけることも難しいし、何か特別なことをするわけでもない。これで十分だ。
簡単に身支度は終わってしまい、リビングに戻ってソファに座っていると、お忘れですよ、と背後からチーフが僕の首にチェーンを通した。
なんだろうと指で引っ掛けて見下ろしてチーフを振り返った。
「っ、これ!」
「お薬と一緒に捨てられていましたのでこちらだけは拾っておきました」
「な……」
チェーンの先端できらめいたのは指輪だった。元貴がくれた、元貴の元から去る決意をしてもどうしても捨てることができなかった想いの証だった。
思い出の塊であるこの指輪を、元貴の病室から帰ってきて薬を捨てたとき、元貴との思い出も、未練も、全部断ち切るつもりで、少なくとも元貴の横に立つのは僕じゃないと自戒を込めてゴミ箱に入れたのだ。
どうして捨てさせてくれないの。
やっと、元貴たちの姿を見なくても生きていけるようになったのに。
文句を言おうと口を開いた僕の言葉に被せるように、
「捨てないでください」
願うような、祈るような声で言った。
何を勝手なことを、と怒鳴りそうになった。
見えなくなることの恐怖を知らないくせに、何もできなくなることの苦痛を知らないくせに、なんでこんなことをするんだ!
「……ッ」
でも、そんなこと言えるわけがない。誰のおかげで今日まで生きてこれたと思っているんだって話だ。
ぎゅっと唇を噛み、チェーンに通された指輪を握りしめた。
「……行きましょう」
元貴の傍から離れたあの夜と同じように泣きそうに笑ったチーフが、僕の手を取った。
車に乗り込んで暫く走らせると、どこに行きたいですか、とチーフが訊いた。行きたいところなんて思いつかない。人目に触れるわけにはいかないのだから、ショッピングモールなんて行けないし、美容院なんてもってのほかだ。
どこでもいいよ、とだけ返し、窓を半分ほど開ける許可をもらう。
今のお家の周りには何もなく自然の匂いしかしなかったけれど、たくさんの車と人が行き交う場所に出ると街の匂いがした。
静かなところで過ごしていたせいでひどくうるさく感じるが、なんだかこれも懐かしかった。行きたいところは思いつかないから、チーフの用事までドライブしてほしいとお願いすると、わかりました、とただ目的もなく車を走らせてくれた。
「そろそろ時間なので向かいますね」
「うん、ありがと」
空が暗くなってきた頃、数ヶ月前まで毎日のように見ていた街並みを僕の目が認識しにくくなってきた時間帯に差し掛かると、チーフは車を目的地に向けた。
幸いにも薬の副作用はあまり出ていない。多少の気持ち悪さはあるが、動けなくなるほどのものじゃない。窓を閉めて目を閉じる。いい気分転換になった。社長にもチーフにも感謝しなければならない。
またこうして外に連れ出してくれることはあるのだろうか。本当に稀にでいいからドライブしてくれないかなぁとぼんやり思っていると車が停車した。
「……え?」
目を開けて見えにくい中でも辿り着いた場所を認識し、目を見開いた。あまりにも見知った場所だったからだ。
ぶわっと押し寄せる感情の波に暑くないのに汗が滲み、心臓が大きく跳ねた。
シートベルトを外してドアを開けたチーフを見て、そりゃチーフだって仕事があるか、むしろこっちが本業だよね、とバクバクとうるさい心臓を落ち着かせるように深呼吸をする。
「行きましょう」
「え?」
僕が座る助手席のドアを開けたチーフが、身を乗り出して僕のシートベルトを外して僕の腕を引っ張った。
車を施錠する音と光が響き、困惑していて反応が遅れた僕は、引っ張られるままにチーフについて行くしかなかった。
振り解いて叫んでも良かったが、それをするにはあまりに人目が多すぎる。
「ちょ、ねぇ! 何考えてるの!」
すれ違う人に変に思われない程度の声量でずんずんと進むチーフの背中に問い掛ける。ピタッと足を止めたチーフが振り返り、強い意志を宿した眼差しで僕を見た。負けじと僕もチーフを睨みつける。
指輪のことといい、なんのつもりなんだ。何がしたくてこんなことをするんだよ……!
「消さないでください」
「なにを!?」
「あなたの中にある、あの2人への、大森さんへの想いを」
ぎり、と奥歯を噛み締める。力の抜けた僕の腕を再び引っ張るようにチーフは歩き出した。
ここから1人で帰れるわけがない。外に出れば暗くて見えないだろうし、家に戻ろうにも住所すら分からない。誰かに見つかって騒ぎになることだけは避けたい。ここにいるはずのない僕が誰かに見つかるわけにはいかない。
大勢の人がひしめく中に僕らは立った。最後列だから帽子を取る必要はないことに安堵する。そうじゃなくても誰も周りのことなど気にしないで、今から訪れる夢のような時間に心を馳せ、今か今かと始まりを待ち侘びている。
「……ほんと、なんなの……」
僕の恨みがましい呟きにチーフは平然とした顔で言った。
「社長からの頼まれごとです」
「……これが?」
「はい。あなたが目を背けようとしている世界を見せるように、と」
たまらず舌を打った。
あの人は一体何を考えているんだ。溜息を吐く僕に目を向けないまま、チーフは小声で言った。
「あなたが捨てようとしたものは私たちが拾い上げます。あなたが諦めようとしたものをあの2人は絶対に諦めない。だからあなたも、諦めないでください」
会場の照明が落とされた。真っ暗で何も見えなくなりぎゅっと自分の腕を強く掴んだ。やがてイントロが鳴り始め、会場が眩い光に包まれる。みんなが持つライトスティックが一斉に輝いたのだ。目がチカチカとするが、その光のおかげで再び僕の目も世界を取り戻す。
大きな歓声が沸き起こり、幻想的に演出された空間に焦がれてやまない2人が姿を現した。
いくら眩しくても薄暗いから見ることができなくてもおかしくないのに、僕の目は確かに“僕の世界”を視認した。まるであの2人だけが輝いているように。
「……元貴」
始まりを告げる音楽に合わせ、元貴が高らかに声を発した。僕の生きる意味である歌声がドームの中に響き渡る。
「……若井」
元貴の歌声に合わせて、若井がギターを爪弾いた。誰よりも近くで聴いてきた、カッコいい旋律がドームを満たしていく。
僕が立っていた場所には僕が使っていたキーボードと、僕の等身大パネルが置いてあった。いつかのステージでもあったように。
「……なん、で……っ」
涙が込み上げてきてぼろぼろとこぼれた。僕以外にも感極まって泣いてしまう人もいたし、だいたいは元貴と若井の姿に釘付けで、立ち尽くす僕のことなんて目に入らないようだった。
今まで僕が、あちらから見ていた世界だ。
元貴と若井と一緒に、見続けたかった世界だ。
僕が何よりも愛した人たちの過ごしたかった世界だ。
――――あぁ、世界はこんなにもうつくしかったんだ。
それからは他のお客さんと同じように、夢の中にいるような気分でただただ音楽に酔いしれた。
数曲の披露を終えMCの時間になると、あんなにも真面目な顔をしていた2人が一気に子どものようにはしゃぎ始めた。
最近食べたものの話、リハーサル中のトラブルの話、お客さんの反応を見ながらトークを展開する。
『……え?』
広いドームをぐるっと見渡した元貴が動きを止め、小さな呟きをマイクが拾う。元貴と目が合ったような気がするが、いくら1階席とはいえこちらから見て元貴の姿が親指くらいのサイズにしか見えないということは、元貴から見てもそうであるはずだ。横に立つチーフを見ても特段何もしていないし、気のせいだろう。
モニターに映し出された元貴の唇がかすかにわなないた。
動きを止めてしまった元貴を若井が不思議そうに呼ぶ。ハッとなった元貴が、かくれんぼってしたことある? と急に話題を振った。急ハンドルすぎ、と笑う若井に元貴が話を続けた。
『隠れる方苦手でさぁ』
『元貴じっとできないもんね』
『そう、そうなのよ。でも、鬼は得意だったんだよね』
『そうなの? なんで?』
『諦めが悪いから。見つけるまで絶対やめない』
会場が笑いに包まれる。
『うわ、いちばんこわいやつじゃん。それで言うと涼ちゃん弱そうだよね』
『いやっ、どうかな、意外と強かったりするんじゃない?』
元貴の目がこちらを向いた。もちろん、僕の周りには数えきれないほどのお客さんがいる。僕を見たというのはいささか自意識過剰だろう。花道からもずれているし、これ以上近づいてくることはないはずだ。
だけどドキッとした。
まさか、まさかね、と思いながら俯く。ステージでは話が続けられ、笑いが起きたりツッコミが起こったりしている。そしてそのまま次の曲へと入っていった。
ステージでキラキラと輝く2人を見て、どうしようもなく寂しさを覚える反面、2人の楽しそうな笑顔を見られてたまらなく嬉しくなった。なんでこんなことをするんだってさっきは腹が立ったけれど、これが最後かもしれないと思うと今は感謝しかなかった。
届ける側の立場ではなくて届けられる側に立ったことで、やっぱり元貴は、若井は、Mrs.は、最高のグループだと再確認できた。音楽を通して奇跡を生み出すことのできるチームだと誇らしくなった。
僕が見たかった景色は、護りたかった世界は、きっとこれだったんだと思うことができた。
これを見ることができたから逆に、気持ちの整理ができてしまった。なんというか、満たされてしまったのだ。
捨てるなと拾ってくれたことに、消すなと護ってくれたことに、諦めないでいてくれた2人に感謝しよう。
やっと決心がついた。俺がいなくても世界は変わらずに動き続けることがよく分かったから、俺は安心して、捨てて、消して、諦めることができる。
この想い出だけを抱いて、生きていくことができる。
だからね、元貴、それから若井。
拾わなくていいよ、護らなくていいよ、諦めていいよ。
もう……、じゅうぶんだよ。
もしも目が見えなくなるなら今日がいい。
最高の景色を目に焼き付けることができた今がいい。
元貴のやわらかで力強い歌声と若井の努力の決勝でであるギターの音色に心が満たされる。しあわせで、胸がいっぱいになる。
『次は涼ちゃんと3人で皆さんの前に立ちたいと思います。本日はありがとうございました! また会いましょう!』
アンコールも終わり、挨拶も終わり、ドーム内が心地よい余韻と冷めやらぬ熱気に包まれる中、ざわめきと共に人々が帰っていく。
人波に紛れて帰りたかったけれど、今になって気持ち悪さがやってきてしまい、少し離れた場所で吐き気がおさまるのを待つことになった。チーフの権限で関係者席や医務室に行くともできたが、知り合いに会う可能性もあるからそれは断り、吐き気の波が去るのを壁に背を預けてやり過ごすしかなかった。
チーフが事情を近くのスタッフに説明し、お客さんの中で体調を悪くした人がいるから自分が付き添う旨を伝えている。僕の方を何人かのスタッフがチラリと見るが、片付けで忙しいし、どう見ても一般人にしか見えない僕が藤澤涼架だと結び付かなかったのだろう、チーフの言葉を疑問に思う人はいなかった。
どうにか動けるようになって、チーフに支えられながら駐車場へと向かう。関係者が多くいるけれど、チーフがいることと、僕にもスタッフパスをつけてくれたおかげで変な目で見られることはなかった。新人がチーフに付いて世話になってる、みたいな感じかな?
「……チーフ」
「はい」
「最高の思い出になった。さっきは怒ってごめんなさい」
お礼を言ったのにチーフが眉間にしわを寄せた。ねぇ、素直にお礼言って謝ってるんだからそんな顔しないでよ。
「藤澤さん……?」
「うん?」
「……いえ……なんでも、ありません」
へんなの、と小さく笑うが、チーフの表情は晴れなかった。
地下の駐車場に辿り着くと、バタバタと背後から足音が聞こえてきた。何事だろうかと振り返り、音の正体を目にして弾かれたようにチーフを突き飛ばして駆け出した。
「涼ちゃん!!」
元貴の声が地下の駐車場に響く。身体はだるかったし苦しかったし、走って逃げてどこに行くんだって話なんだけれど、頭の中はとにかく逃げなきゃってことでいっぱいだった。
なんで? なんで!?
「待って! 涼ちゃん!!」
社長が何かを言った? チーフが手引きした? だから俺をここに連れてきた?
可能性はゼロじゃないけれどおそらく違う。そうするならさっさと俺を元貴たちに突き出せばいいだけだ。こんな回りくどいことをせず、2ヶ月も時間を無駄にせずに動いたはずだ。
そうしなかったのは俺の気持ちを尊重してくれていたから。だから、俺を今日ここに連れてきたのは、日々をただ“生きているだけ”の俺に喝を入れるためだと思う。俺が見ようとしなくなった世界を、改めて見せるためだと思う。
席の位置を考えても元貴に見つけさせることを目的としているとは思えない。もしそれが目的ならもっとやりようがあっただろうから。偶然を装うにしたって、こんなの奇跡に近いだろう。
それなのに、どうして? なんであの人数の中から、数万人の中から、俺のことを見つけられるんだよ……!
「涼ちゃん! ねぇ、待ってってば!」
元貴の声と靴音が響き渡る。
あのとき目が合ったのは気のせいじゃなかったの?
なんで見つけるの? なんで来るの?
もう、捨てるって決めたの、消すって決めたの、諦めるって決めたんだよ俺は!
無我夢中で走り続ける。息が苦しく 視野が狭く視界は不明瞭だけど、かろうじて車があるかどうかくらいは判別がついた。
「涼ちゃん!!」
一際大きな元貴の悲鳴のような叫びと車のタイヤが床をこすりつける音が重なり、僕の視界は真っ白に染まった。
続。
コメント
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更新ありがとうございます。 ❤️君、💛ちゃんのこと見つけちゃうよね💕 ほんとに良かった〜って思いました。 お互いに愛が深いばっかりに、離れなきゃって思ってる💛ちゃんと、どんな時も一緒にいて欲しい❤️君のの思いが切なすぎて、毎回泣いてます…。 もう、💛ちゃん諦めて❤️くんに捕まえられておいてよ…って思った矢先の展開💦 めっちゃドキドキしながら次回を楽しみに待ちたいとおもいます✨
魔王の「見つけるまで、絶対やめない」が好きです🫶 💛ちゃん、お薬飲んで〜とチーフマネさんの次に願いました😭💦 どうなるんだろう😇と毎回ドキドキしながら、読ませて貰ってます🙌 今日も更新ありがとうございました🍏
❤️くんが💛ちゃんを見つけた時、やったーーー!!と心から嬉しくなりました😭✨ 💛ちゃんが逃げるのも、❤️くんが絶対に追いかけるのをやめないのも、どちらの気持ちもわかって、心臓がギュッとなりました😖💦 最後のは、もう、ダメです、あの展開だけは絶対にダメだぞ!とだけ、お伝えさせて頂きます笑 心臓が保ちません…🥹💦