テラーノベル
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時代は大きく流れた。幕府は倒れ、残党は北へと向かい、函館で散ったという。江戸は東京へと名を改め、本当の意味で江戸がこの世から消えた。四宿の品川とは話したが、明らかに取り繕った笑顔と雑な相槌に、きっと暫くの間は何を言っても彼の中には残らないだろうと察した。そのくらい、無気力になっていた。
幕府は政府へと移り変わり、薩摩、長州、肥前鍋島、土佐の出身人物、それから京の貴族や帝を中心とした世界になった。そしてついに、その時が来た。ある秋の日だった。天気は、覚えてない。周りを気にする余裕もその時はなかった気がした。
「…廃藩置県」
それを伝えてくれたのは武蔵さんではなく武蔵さんの国府さんだった。国府さんが言うには、今後武蔵国及びその国府はどうなるか分からないという。少なくとも、おれの立場は保証された。県、と言う形で。
同年、冬から新年にかけて、政府は統廃合を繰り返して3府72県を作り出した。
その結果、おれが知ったのは武蔵国の消滅と言う最悪の結末だった。
最近会ってないと思った。前回会ったのはいつだっけ、思い出すのも大変なくらいの年月が経っていたのだろう。前に政府の文言を伝えてくれたのは国府さんで、それ以降は全て人間から俺に直接言伝がされていた。
少し気になって自身の県域となった武蔵国国府まで赴く。大抵、武蔵さんは国府さんを頼ってここにいるから。
俺が声を掛けようとした時、内部から慌てたような足音が聞こえる。そして、飛び出てばったりと出会った。
国府さんは普段の落ち着きも無くなってて、俺を見て目を見開いた。
「…神奈川、来てたの」
もしかしたらお忙しいところだったのかもしれないと思い、謝罪をすると国府さんも俺を探していたと言う。
「単刀直入だけど、武蔵は、たぶんダメみたい」
廃藩置県のあたりから既に不調は出始めてらしい。おれは国府さんから見て武蔵さんと仲が良いと思ったようだから、呼びに行こうとしていたらしい。
「今は国分寺が見てくれてる。けど、武蔵が消えるのも時間の問題」
国府さんも…と紡ごうとした言葉はただの空気が抜ける音となる。国府さんは今、自分のことなんか考えてない。武蔵国が消える、その事実だけが昔から武蔵さんを支え続けた国府さんと国分寺さんに刺さっているのだろう。
国府さんから武蔵さんが寝込んでいる場に連れて行ってもらう。容体を見ると、全体的に薄く透けてきているような気がした。これが、土地精霊としての消滅…。
国が消えれば国府が消えるのも時間の問題になってしまう。これから国府さんは消滅の危機に怯えながら日々を過ごすことになってしまうのではないか。言えなかった。
こんなことになるなら、数年前に一緒に横浜に行けばよかった。おれはまだ、横浜に会いに行けていない。理由はいろいろある。けど、大体は劣等感だとか、そんなくだらない自分勝手な感情が理由。そんなことなら、早く行けばよかった。貴方がいる間に、行けばよかった。
「…今日は、ありがとうございました」
武蔵さんへの付き添いは国府さんに代わり、おれが挨拶をしたのは国分寺さんだった。
「こちらこそ、来てくれてありがとう。こんな衝撃的なことを見せて、ごめんね」
おれが県にならなければ、武蔵さんが県になっていたのだろうか。そんなことを考えてしまう。お二方にこんな思いをさせるべきではなかった筈なのに。そう思っていると、国分寺さんから声をかけられた。そんなに暗い顔をしていたのか、と思ってしまう。武蔵がこんなことに陥っちゃったのは神奈川のせいじゃないからさ、そして誰のせいでもない。おれに慰めるように、そして自分たちに言い聞かせるように、彼はそう呟いた。
その日、武蔵国が消えた。
武蔵さんが消えて、県というものを自覚した気がした。だから、もう逃げない。神奈川宿から少し南へ歩く。そうすれば、横浜だから。
神奈川湊から見える景色とそう変わらないはずの湾を眺める。ゆらゆらと水面が揺れる。しかし、そこに映るのはおれの見慣れた船ではなく、黒と赤の錆色が目立つ大型の船。それらが噴煙を上げながら往来する姿に目を見張る。
そのまま役所を目指して歩いていくと、一度見たことのある人影に出会った。
彼もおれに気がついたのか、こちらを向くと驚いたような顔をした。
「お久しぶりです、神奈川。…あ、今は神奈川県、でしたっけ」
「…うん、久しぶり。浦賀…じゃなくて」
「今は横須賀と」
そう呼んでください、と言ったのは黒船来航時に浦賀奉行所の土地精霊だった彼。今は横須賀と言う土地の精霊となっているそうだ。
見知った顔がいるならば話が早いと思った。横浜は何処にいるかと聞くと、彼は顎に手を当てて思案する素振りを見せた。これは知らなそうな気配がある。
「恐らく役所にいるかと。今日は僕も彼に用事があるので、一緒に行きますか」
移動中に神奈川は何故横浜に会いに来たのですか?と問われて少しギクリとする。後ろめたい感情は少しだけある。悪いことをした気がする、ただそれだけだけど。
「…今まで横浜に会いに来なかったから」
「あぁ、横浜が言ってましたね。…一応彼が神奈川県の県庁なんでしょう?」
そう。と相槌を打てば横須賀は納得したようにふんふんと頷いていた。
それからは少しばかり雑談をした。横須賀が浦賀奉行所から横須賀に越した後、浦賀には新たに土地精霊が生まれたらしく、その子が可愛いとか何とか。横須賀は早く内陸の、それこそ武蔵の国府さんや八王子たちと言った武蔵国の皆に会いたいと言っていた。そう言えば、横須賀は相模国だったか。これから同じ県で過ごすことになるのに、対面式みたいなのはないのか、と彼は言った。考えてみても良いかもしれない。そう思った時にはおれたちは役所に着いていた。
「横浜はいる?」
神奈川が会いに来たから顔を出して欲しいのですが、と横須賀が声を張ってそう言うと、目の前の扉の奥から今行く、と少し幼いが落ち着きのある声が聞こえた。
扉の先から現れたのは人で言うところの20に満たない子供のような青年。
「…ずっと会いに来なくて、ごめん。おれが神奈川…神奈川県です」
そう言うと、横浜は少し居心地が悪そうに肩をすくめた。
「横浜、です。その、武蔵国からある程度話は聞いていましたので、謝らなくて…」
いい、です、と声が小さくなっていく。既に嫌われてたかもしれない。遅かったのかな。そう思ったのも束の間、横須賀からの一言が入る。
「敬語に慣れていないだけですよ。全く」
下手な敬語を使うくらいなら会えるのを待ってた!ぐらいは言ったらどう?と彼はクスリと笑う。
横須賀のそうした言動を見て、横浜は反発するようにガバッと顔を上げ反論を始めた。
「ち、違う!そんなことない!俺だって1人でも外国の要人だって案内できるし、経済だって頑張った!でも、神奈川には嫌われてると思ってたから、その」
会いに来てくれるとは、思ってなくて。その言葉を聞いて申し訳なくなった。確かに少し前までのおれは幼稚だったから意地を張って会わなかっただけ。おれから奪われたという劣等感に苛まれただけ。申し訳なく思う。
「…会ったこともないのに、嫌いになるわけないよ」
少しだけ、間に出来ていた見えない壁が溶けたような気がした。横浜が何かを決めたようにおれを見据える。彼の紡ぐ言葉を待つことにした。
「俺、元は一介の漁港だったんだよ。県庁として相応しくなるように頑張ったんだよ。慣れない社交もしたし、経済に関して勉強したりもした、お前に迷惑かけないように頑張った。褒めてくれたってよくない?」
武蔵さんが言っていたことを思い出す。…コイツがおれに似てるとか、嘘じゃないですか。おれって武蔵さんから見たおれってこんなに図々しかったんですか。そんな悪態を心の中でつく。自然と笑顔が零れる。嫌な気分になんて、なりやしない。手は勝手に彼の頭を撫でていた。
どの道、今後彼は成長する。おれが生まれて100年以上経って大切なものを失った結果成長したように。
こうして可愛がれるのも、今のうちかもしれない。