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20時からの間取り打ち合せが終わり、展示場のクローズが済むと、篠崎は事務所のドアを開けた。
「お疲れ様でーす」
コートを羽織った渡辺が帰り支度をしている。
「篠崎さん、まだやっていきますか?」
「ああ。打ち合わせ議事録だけまとめていくよ」
「じゃあお先に失礼しますね」
「あ、悪い」
言いながら篠崎はデスクに置いてあった、ハウジングプラザ内の回覧板を手にした。
「ミシェルに置いてきて。誰もいなかったら事務所前の郵便受けでいいから」
「わかりました。じゃお疲れ様でーす」
渡辺が出ていくと事務所は一人になった。壁時計を見上げる。もう22時だ。
「……てか、あいつ…」
携帯電話を見る。
何も来ていない。
今夜から実家に泊まるなら、母親に一言挨拶したいから電話しろとメールしたのに。
試しにかけてみるが、コールが8回鳴った後、留守番電話になってしまった。
イスに凭れかかり、新谷の母親のことを思う。
2年前。
新谷を八尾首展示場に引き抜く際に一度挨拶に行った。
初めこそ社内的な異動で上司が挨拶に来る異常な状況になんの疑いもなく、ニコニコと迎えてくれたが、一緒に住むことを了承してもらうときは、さすがに新谷と同じ大きな目をキョトンと見開いていた。
正式に恋人として挨拶したいと再三新谷には言っているのだが、なかなか首を縦に振らない。
「あの、実はまだ、千晶と別れたことに母親はショックを受けてるので……」
新谷の話は半分が本当で半分は嘘だと思う。
2年も前のことを、あの明るい母親が今も立ち直っていないはずがない。
しかし、そのタイミングは自分が決めることではなく、新谷が決めることだ。
篠崎が母親に恋人として挨拶するということ、それはイコール、新谷の母親が一人息子の結婚を諦めるということ。
そして、楽しみにしていないはずがない孫の存在も、一生諦めなければいけないということなのだから。
自分の親は他界している。
新谷に自分と同じ罪悪感を与えずに済んだことは、せめてもの救いかもしれない。
親指と人差し指で強く目頭を押さえたところで、事務所のドアが大きく開け放たれた。
先程帰ったはずの渡辺が肩で息をしている。
「ナベ?どーした」
「……篠崎さん!あの、俺の考えすぎならいいんですけど!」
「はぁ?」
篠崎は携帯電話を耳に当てたままため息をついた。
すぐ横では渡辺が暑苦しいほどぴったり顔を寄せている。
渡辺がファミリーシェルターの事務所へ行くと、さすがは今急成長しているメーカーだけあって、まだ数名の従業員が残っていた。
回覧板をスタッフに渡しふと見上げると、予定表の牧村の欄に『天賀谷宿泊展示場』と書かれていたらしい。
「見間違いじゃねぇだろうな」
横目で渡辺を見る。
「間違いないっす」
渡辺もこちらを見て頷く。
朝、喫煙所で新谷の話題をしたときにはそんなことは言っていなかった。
つまり篠崎の口から新谷が天賀谷に行っていると聞いて、わざわざ予定に入れたのだろう。
「…………」
電話はまた留守番電話になった。
すかさずもう一度かける。
trrrrrrr
trrrrrrr
(……出ろよ)
trrrrrrr
trrrrrrr
(新谷………!)
『……あ、はい!』
耳をつんざくような声と、思わず眉間に皺を寄せたくなるような後ろの雑音に、篠崎は眉を潜めた。
『すみません!お疲れ様です!』
新谷の声だ。
「おい、お前、今どこだ?」
『あ、えっと………』
言い淀んでいる。
「正直に言わねぇと後がひどいぞ」
凄むと新谷は諦めたようにため息をついた。
『居酒屋、です』
「……ミシェルの牧村も一緒か?」
聞いてみる。
――いえ、母親と久しぶりに飲みたくなって!
――また紫雨さんに強引に誘われて……
――千晶と偶然駅で会ったんで…
何でもいいから、
(「違う」と言え……!)
『えっ!何で知ってるんですか?』
全身の血が凍結する。
「新谷、よく聞け。そいつに近……」
『遅いですよ、もう』
受話口からは、聞き覚えのない低い声が聞こえてきた。
『俺、今夜、新谷君を美味しくいただきますね??』
篠崎は携帯電話を耳に当てたまま、目の前にある壁を睨んだ。
「……おい」
『はい?』
「今度会ったら殺すぞ。……紫雨!」
『っ!?え――?』
途端にふざけた声に変わる。
『なーんでわかったんすかー?アカデミー賞級の演技だったのにー!だろ?牧村!』
『全然似てないっす』
後ろから本物の牧村の声が聞こえてくる。
(……なんだ、こいつも一緒か……)
ホッとする自分に呆れる。
野獣が1匹からに2匹に増えただけなのに。
『ま、そーいうことなんで』
紫雨が声を潜める。
『ちゃんと実家までタクシーで送りますんで、安心して新谷オカズにマスかいて寝てくださいよ。あとでズリネタ画像送りますネ』
「……お前もお前で“ムキマラ”の餌食になんなよ?」
『はは。遠慮しときます。こんな俺でもまだ殺されたくはないんでね』
後ろから談笑している牧村と新谷の声が聞こえてくる。
『篠崎さん』
一層声を潜めた紫雨の声が響く。
『牧村のことですけど。気を付けた方がいいですよ』
「……危険だとわかってんならさっさと新谷連れて帰れよ」
『いえ、そーいうんじゃなくて』
「…………?」
『俺も新谷狙いで近寄ってきてんのかなって思ったんですよ。でもそういうわけでもないんですよね』
「はっきり言えよ、はっきり!」
『うーん。うまく言えねぇなぁ、酔っ払ってるし。まあ、とりあえず俺から言えるとしたら』
「ああ?」
『油断して、新谷を盗られんなよ?ってとこですかね』
「…………」
『では、ズリネタ楽しみにしててください!じゃ!』
電話は唐突に切れた。
渡辺が眉間に皺を寄せたま立ち上がる。
「なんなんでしょうね?牧村も紫雨さんも」
「……知るか!」
篠崎はデスクに放置していた打ち合わせノートの上に携帯電話を放り投げた。
「じゃ、どうやら新谷君も大丈夫そうなので、俺は今度こそ帰ります。お疲れ様でした!」
事務所を出ていく渡辺に手を上げると、篠崎は再びイスに凭れた。
――新谷を盗られんなよ?
「何言ってんだ、あいつは……」
考えても考えても腹が立つばかりだ。
と、携帯電話の通知音が鳴った。
開いてみると、紫雨からのメールに画像が添付されている。
「――――」
牧村と新谷がキスしている画像だった。
「チッ」
思わず舌打ちをするとすかさず次の画像が送られてきた。
それは実は新谷ではなく、新谷のスーツを着た紫雨だった。2人でこちらを向いてピースをして笑っている。
後ろに上着をとられ、寒そうに腕を組みながら呆れている新谷も写っていた。
「チッ」
先程と全く同じ舌打ちをすると、篠崎はその2枚の画像を躊躇せずに林に転送した。
すぐさま携帯が鳴り出した。
パニックになった林からだと思いきや、相手は意外な人物からだった。
時計を見上げる。もう23時になろうとしている。
(こんな遅くに……?)
篠崎は嫌な予感しかしないその着信に、小さくため息をついた。