由樹はウーロンハイを口に含みつつ、自分以上に酒に弱い紫雨と、顔色一つ変えない牧村を交互に見つめた。
『言いやしないって。付き合ってんでしょ?』
天賀谷展示場のリビングで発せられた牧村の問いに返答を迷っていると、
「楽しそうな話題だね。俺も混ぜてよ」
足音もなく紫雨が乱入してきた。
「おお……べっぴん。セゾンさんはイケメンが多いな……」
笑った牧村の肩に馴れ馴れしく腕を回し、
「こんなとこでそんな話題も何だから、飲みに行こうぜ!」
提案したのは、紫雨の方だった。
牧村は、
「ちょうどよかった。俺もセゾン君を誘いに来たところだったんですよ」
と笑った。
それから――。
由樹は腕をクロスさせながら日本酒を飲む2人を見て、目を細めた。
「とても初対面には見えないですね」
どちらにでもなく言うと、2人は同時に振り返った。
「俺も、他人のような気がしないんだよなー」
「すよねー、不思議」
並んでニコニコ笑っている。
一歩間違えれば火花が飛びそうな主張の激しい二人なのに―――。
「まるで凹と凸みたいですね」
由樹が呟くと、二人は顔を見合わせた。
「おいおい新谷。それは重要な問題なんだけど」
「そうすね。はっきりさせてよ、セゾン君」
「……は?」
「それってどっちがタチかってことだろ?」
紫雨が牧村を睨む。
「俺、悪いけど、年下に股開く趣味はないから」
「え。じゃあ、林さんはどうなるんで――――」
新谷の口に紫雨が手を拭いたおしぼりが押し込まれる。
「俺も自分以上のサイズないと、チンコと認めてないんで」
紫雨の金色の目が光る。
「……おい。誰がお前より小さいって?」
「え?違いました?俺、そうとう自信ありますよ」
「通常時じゃわかんねえだろ、一旦勃たせろ」
「いいですよ、若いからすぐマックスいけるんで」
2人が睨み合いながら立ち上がる。
由樹はトイレに立つ彼らに道を譲りながらため息をついた。
「……俺、帰ってていいすか?」
「ダメ」
「殺すぞ」
2人は同時に叫び、同時に出て行った。
「……今、“殺すぞ”って言ったの、どっちだろ」
由樹は何やら言い合いながら遠ざかる声を聴きながら、ため息をついた。
◇◇◇◇◇
篠崎からかかってきた電話を紫雨が勝手にかわり、勝手に切った。
「あ、話し終わってなかったのに!」
口を尖らせると、
「はいはい、ナンセンス―。仲間内で飲んでるときに恋人と電話することほど興醒めなことってねーんだよなー」
紫雨が由樹の携帯電話を取り上げて、自分の胸ポケットに入れた。
「あーそう。やっぱり付き合ってんだ」
牧村がニヤニヤと笑うと、紫雨が立ち上がった。
「いいこと思いついた!新谷、上着貸せよ」
「え」
「ほら、早く」
悪ノリした紫雨が新谷の上着を着て、牧村にキスをし、写真を撮っている。
「ちょ……誤解させるようなことやめてくださいよ!」
必死に抗議するが、
「大丈夫。すぐネタばらししてやるってー」
言いながら紫雨は今度はカメラに向かってピースサインを作った。牧村もこの傍若無人なライバルメーカーのマネージャーに乗ってあげているあたり、人間が出来ているらしい。
「さむっ」
上着を盗られて身震いをしながら由樹がため息をつくと、牧村はふっと笑った。
「付き合ってんなら付き合ってるでいいじゃん。君たち隠したりしてないんでしょ。どうしてさっきそう言わなかったんだよ?」
紫雨からやっと戻ってきた上着を受け取りながら、由樹は牧村を見つめた。
「いや、牧村さんもゲイだなんて知らなかったし」
「あー、ね」
牧村は熱燗を水のように飲みほした。
「俺は気づいてたけどねー」
紫雨がテーブルにピンク色の頬をつけながら言う。
「は?初対面で?」
牧村がさすがに驚いた顔をする。
「うーん。てかこの前に八尾首で見たときに」
「……あー。天賀谷ナンバーのキャデラックって紫雨さんのかー」
「なんで気づいたんですか?」
由樹も目を丸くする。
「篠崎さんにもこの間説明したけどさ。ゲイってのは男を見るときの眼球の動きでわかるんだよ」
紫雨は得意そうに鼻を鳴らした。
「へー。初めて聞いた」
牧村が頷く。
「俺、全然分かんなかったけどな」
由樹は牧村を見つめた。
ゲイだと言われた今でもピンとこない。
「こんなに男らしくて、女性からモテそうな牧村さんが、男を抱いたり抱かれたりするなんて―――」
そこまで言ったところで、紫雨に軽く頭をはたかれた。
「おい。その理論から言うと、俺は男らしくなくて、女からモテなそうなわけ?」
紫雨が顔を寄せて睨んでくる。
「やだなあ、絡まないでくださいよ。あなた初対面で林さんとやってたの俺に見せつけたの忘れたんですか?」
「林って誰ですか?」
牧村が紫雨に聞く。
「んー。うちの万年ペナルティのうだつの上がらない営業マン」
「へー。それ刺激的―。部下とヤッてんすか?」
牧村が目を丸くする。
「でもなんかいいすね。セゾンは」
牧村は紫雨の手でよろけたグラスを代わりに持ち、それを飲み込んだ。
「そこまでカミングアウトできる職場ってなかなかないんじゃないですか?現に俺、会社では隠してますから」
「へえ、そうなの?」
驚いた紫雨に牧村が頷く。
「だからしょっちゅう聞かれるっす。結婚しないのかって」
「まあ、当然だよね」
「あー。俺も言えたら楽なのにな…」
由樹は数時間前とは印象がまるで変わったライバルメーカーの男を見つめた。
「ゲイの多い職場に入ればよかった」
項垂れた牧村の後頭部を紫雨が人差し指でつつく。
「おい。セゾンをゲイの巣窟のように呼ぶなよ。ゲイは俺とこいつだけだぞ」
「やっぱり」
牧村は顔を上げ、由樹を見た。
「店長の彼氏、ストレートでしょ。そうだと思ったんだよね」
その言葉にズキンと胸が痛くなる。
「辛くない?付き合うの」
言いながら牧村は、皿に余った刺身のつまを箸でつつきながら言った。
「ゲイ同士で気ままに付き合うのとは違うよな。リスクが高すぎる」
「リスク?」
由樹が眉間に皺を寄せる。
「だって、もしかしたら目が覚めちゃうかもしれないでしょ」
「それって―――」
牧村が鋭い目でこちらを睨み上げた。
「戻るかもしれないでしょ。女に」
「………」
紫雨は頬をテーブルにつけたまま、牧村と由樹を交互に見ている。
「そうなったら100パー負けるから男は。だって女を愛し、結婚して家庭を持つ方が、ノンケの男にとってはバリバリのイージーモードでしょ。
ゲイでもないのに、家族も友人も犠牲にして一人の男を愛し抜くなんざ、ハードモード通り過ぎてムリゲーだから」
由樹は思わず持っていたグラスをテーブルに置いた。
「それは………」
「んなの、そうなったとき考えたらいーだろ」
紫雨が新谷の頭を軽く叩く。
「未来のことなんて誰にもわかんねーんだから、そうなったとき悩んでそうなったとき泣けばいーんだよ。今大事なのは互いの気持ちだろ」
「紫雨さん……!兄貴って呼ばせてください…!」
由樹は潤んだ目で紫雨を見つめた。
「おい新谷。油断してかわいい顔してっと、犯すぞ」
「……前言撤回していいすか」
「ふはっ」
牧村が吹き出した。
「いいすね、君たちの関係…!」
“ミシェルの営業マン”の仮面を外したその笑顔があまりにも素直で、由樹はしばしその顔から目が離せなくなった。
「…………」
彼を見つめる由樹の瞳を、紫雨はすっかり冷燗になったグラスの中身を飲み干しながら睨んだ。
◇◇◇◇◇
「ミシェルの牧村、ね」
篠崎との約束通り、タクシーで新谷を実家に送ってから、紫雨は隣に座る男を見上げた。
「なんすか、セゾンの紫雨さん」
言いながら牧村がこちらを見下ろす。
「背、何センチ?」
「俺すか?178です」
「………生意気」
「大して変わんないでしょー」
少しだけ声が掠れている。
うるさい大衆居酒屋だったから、大声を出しすぎたのかもしれない。
紫雨もネクタイを緩め、痛む喉を撫でた。
「……ッ!?」
その瞬間、グイと肩を抱かれ唇を奪われた。
「っ……!」
潤いを含んだ舌が、滑り込んでくる。
「んっ……!」
慌てて牧村の喉辺りを腕で押しのけた。
「おい……!」
「なんすか、今更。さっきキスしたでしょ」
「…………!」
顎を掴まれる。
鋭い目がこちらを睨み落とす。
「さっきの大きさ勝負、俺の勝ちでしたよね?約束通り、あんたがネコでいいですか?」
(こいつ……!)
思えば真正のゲイと接するのは、林と付き合って以来初めてのことだった。
(そうだ。忘れてた。ゲイってこういう生き物だった……。ノンケの林とドネコの新谷に毒されて、完全油断した……!)
「約束なんか、して…ねえ!」
焦って引いた腰をグイと掴まれる。
顎を掴んでいた手が頬に移動する。
「へえ。あんた、目が金色なんすね……」
唇が近づいてくる。
腰に回っていた手が太腿を滑り、股間に忍び寄ってくる。
「……っ!運転手さん!」
紫雨は、牧村を突き飛ばして運転席に縋りついた。
「俺のマンションすぐそこだから、俺から先に送って!」
「え、あ、はい」
「そこ右!」
「はい」
紫雨は運転席にまだしがみ付きながら牧村を振り返った。彼は楽しそうに窓に肘をつきながら笑った。
「慌てちゃって可愛いな。やっぱりあんた、ネコが似合うよ」
逃げるようにタクシーから降りると、彼がちゃんと後部座席に乗って大人しく去っていくのを見送って、座り込むほどのため息をついた。
「……オスだわ。あいつ」
やっとのことで立ち上がり、ふらふら歩き出す。エントランスにカードキーを通し、エレベーターに乗る。
「……これはさすがに篠崎さんに報告出来ねえな」
一人、エレベーターの中でぼやく。
「こんなの知ったら、あの人新谷のことを心配しすぎて、禿げるわ……」
自分の階に着き、よろけながら歩き出す。
「オス全開できやがって……!チッ。ちょっと勃ったじゃねぇかよ」
言いながら右へ左へ無駄に広がりながら歩いていく。
「――なんで勃ったんですか?」
「なんでってそりゃあ。あんな激しいキスされたら誰でも………」
紫雨は立ち止まった。
「激しいキスってこの画像みたいな?」
背後から伸びてきた手が翳した携帯電話の画面には、居酒屋で牧村とキスをしている自分が写っていた。
(……あの人……恩を仇で返しやがって……!)
「それとも」
冷静な声が言葉を続ける。
「もっと激しいの、された?」
「………」
「この男は例の牧村さんですか?」
アルコールが冬の冷気に飛んでいく。
それなのに視界が恐怖でユラユラと揺れる。
「……教えてくれないんですね」
紫雨はゆっくり振り返った。
「それなら身体に聞いてみましょうか」
にこやかに笑った恋人は、紫雨の腕をつかみつつ、預かっているスペアキーでドアを開けた。
(……真正のゲイより怖い男が、ここにいたわ……)
紫雨は諦めて目を閉じながら、開いたドアの中にものすごい力で引き込まれていった。
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