テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
(ナギSIDE)
「ゆきりーん、ちょっと飲みに行かない?」
全ての撮影が終わった後、ナギは蓮ではなく雪之丞にそう声を掛けた。
勿論、蓮が側に居るのもわかっているし、わざと聞こえるように言ってやったのだ。
案の定、彼の眉間にはみるみるとシワが寄っていく。
だが、ナギはそれに気付かない振りをしてニッコリと満面の笑みを浮かべながら、雪之丞の肩に腕を掛け何も気付いていない風を装いながら言葉を続けた。
「一度サシ飲みしたかったんだ。積もる話もあるし……ね? いいでしょう?」
「で、でも……蓮君はいいの? ……付き合ってるんでしょう?」
「フハッ、いいんだよ。気にしなくて」
不安そうな雪之丞に思わず吹き出してしまう。すると、蓮がギロリとこちらを睨んできたのがわかった。
自分は嫉妬する癖に、こっちのヤキモチには気付かないなんてどんだけ鈍いんだ。
「あのニブチンには少しお灸を据えなきゃわかんないんだよ。きっと」
そっと唇を寄せ耳元で囁くように言った。すると、雪之丞も思うところがあったのかプッと小さく噴き出し、クスクスと笑い始める。
「確かに? 蓮君鈍いんだよね……」
「だろ?」
「うん、いいよ。行こうか」
雪之丞はにっこりと笑って承諾してくれた。
「よし。決まり♪ 実はさ、すっごい面白いオーナーが居るバーがあるんだ。ちょっとインパクトあるけど、いい人だから。そこでいい?」
「へぇ、僕あんまり外で飲む事無いからな……。お任せで」
「了解♪」
蓮を挑発するようにわざとチラリと流し見て、雪之丞の腕に自分の腕を絡める。途端に、蓮の顔が歪んだのが見えた。
(ほんっと、わかりやす!)
内心ほくそ笑んでいると、雪之丞が困ったような表情を浮かべながら小声で話しかけてきた。
「あの、蓮君が凄い形相で見て来てるんだけど……」
「大丈夫だよ。ほら、早く」
「う、うん……。なんか怖いなぁ」
「平気、平気。多分、こうでもしないとわからないんだよ。気にしなくていいってば」
ヒソヒソと会話をしながら、雪之丞を引きずるようにして歩き出す。
そして、後ろから追いかけて来る気配を感じてニヤリと口角を上げた。
「やべ、ストーカーかよ」
「……一緒に連れて行ってあげたら?」
「ゆきりん、優しすぎ! それじゃぁあの人の為になんないんだから! あー、でもそれなら、飲みに行った後3人でホテルにでも行っちゃう?」
「んなっ!? はっ!? な、なっ……な、何言って……っ」
「あははっ、冗談だって。本気にしちゃダメじゃん」
「なっ、そ、そっか……冗談……。びっくりさせないでよナギ君」
「でもちょっと期待したでしょ、ゆきりん」
「……それは……っ」
真っ赤になって慌てる雪之丞に、ナギは思わず盛大に噴き出してしまった。
ホントに、こっちはコッチでいい反応をしてくれるし、こう言う面では凄く初心で可愛い。
蓮が虐めたくなるのも少しはわかる。
ナギは楽しそうにクツクツ笑いながら、雪之丞の肩を抱いて店へと向かって行った。
雪之丞を連れてやって来たのは、路地裏にある小さなBARだった。
『BLACK CAT』と店名が書かれたイーゼルには、黒猫のイラストが描かれている。
半年ほど前、当時出演していた現場監督の紹介で連れて来られた店がここだった。
マスターの強烈な個性と、何よりその美味しいカクテルにすっかり魅了されてしまい、今では行きつけの店の1つになっている。
「……ここ?」
「そ。この店のマスターが、超個性的で面白いんだよ」
「へ、へぇ……」
「入ってみればわかるよ」
悪戯っぽく笑いながら、ナギがドアを開くとカランコロンと涼し気なベルが鳴り響きゆったりとしたBGMと暖かな空気が二人を包み込んだ。
12月間近の外気に晒されて冷え切っていた身体が、じんわりと温かくなっていく。
「あー、暖かい。 やっほ、ナオミさん。久しぶり~!」
「いらっしゃーい。って、アラ!? ナギ君じゃないの久しぶり~!!」
野太いキンキン声が響き渡り、店内にいた数人の客達が一斉にこちらを振り向いた。カウンターにいた男は身長は170を超えているだろうか? どう見ても男性と思われる大柄なドレス姿の女性が器用に野太い声をあげた。
「相変わらず元気そうだね、ナオミさん」
「あったりまえよぉ! あたしはいつでもパワフルよ! で、そちらは? もしかして……新しい彼?」
「違うよ。俺の仕事仲間!」
ナギが否定すると、ナオミと呼ばれた女性はおいでおいでと、手招きをする。
「そうなの? アタシはナオミ。この店のオーナーよ」
「ボ、ボクは……棗、雪之丞です。こう言うお店初めてで……よくわかって無くって……」
「ちょっと! いい身体してるじゃない!? 程よく引き締まった筋肉、ムッチムチの二の腕……。たまんないわぁ~!」
「ひっ……!」
いきなりナオミに抱き着かれそうになり、雪之丞は怯えた表情を見せた。その様子にナギは苦笑しながら彼女を宥めると丁度空いていたカウンター席へと腰を降ろした。
「だめだよナオミさん。ゆきりん怖がらせちゃ」
「あら、ごめんなさい。アタシったらつい……」
ナギに諭され、ナオミは悪戯っぽくペロリと舌を出した。
「そう言えば、動画見たわよ。まさか、蓮君が一緒だとは思わなかったけど……」
「えっ!? ナオミさん、お兄さんの事知ってるの? 話した事あったっけ?」
ナギは驚いて目を見開いた。話しぶりからしてどうやら、彼女は蓮の事を知っているらしい。
ナオミは片眉を上げて、意味ありげに笑った。
「ふふっ、まぁ〜あたしの口からは言えないわねぇ。ご縁ってのは、いつだって突然やって来るもんよ」
軽くウインクして、カクテルグラスを布で磨きながら話題を切り替える。
「はいはい、そんな詮索よりまずは一杯よ。二人とも可愛いからサービスしちゃう」
「えっ? いいの? ラッキー。じゃぁ俺はカルアミルクにしよっかな。ゆきりんは?」
「えっ、ボ、ボク? ボクは……ジントニックを」
メニューを見ることなく雪之丞が選んだカクテルの名を聞いて、ナオミの眉がピクリと動いた。
「あらぁ、最初からジントニック? 見た目に似合わずやるわね」
「……え?」と首を傾げる雪之丞に、ナオミはニヤリ。
「基本がしっかりしてるバーは、ジントニックがちゃんと美味しいのよ。あたしも腕が鳴るわぁ」
「ゆきりんってば、可愛い顔して最初にジントニックを選ぶなんていい度胸してるわね。いいわ、とびっきり美味しいヤツ作ってあげる」
ふふんっと鼻を鳴らした彼女に、ナギは眉を顰めた。何か急にナオミのやる気に火が付いた気がする。
「ゆきりん、なんでジントニックなんて頼んだの? ナオミさんの目の色が変わったんだけど」
「え? そりゃそうだよ。ナオミさんが言ってたでしょう? ジントニックが美味しいお店は、全部の酒が美味いって言う位、基本中の基本のお酒なんだ」
そう言って雪之丞は得意げに微笑む。確かに、ジントニックはアルコール初心者にも飲みやすいと言われているが、それでもお酒をあまり飲まない人間にはハードルが高いはずだ。
「……もしかして、お酒強いの?」
「あー、まぁ……そこそこ」
「じゃぁ、この間飲んだ時のアレって演技とか言わないよね?」
もしもアレが演技だとしたら、目の前にいる男は相当な食わせ者だ。
そんな事を思いながら尋ねると、雪之丞はキョトンと首を傾げた。
「あー、あれは……ちょっと色んなのちゃんぽんし過ぎちゃって悪酔いしちゃったんだ。年甲斐もなく、みっともないヤキモチ妬いちゃっただけ」
そう言って気恥ずかしそうに笑う彼は、とても嘘を吐いているようには見えない。
「お待たせ―。ジントニックとカルアミルクよ」
コトリと置かれた二つのグラスとナオミを見比べ、それを受け取ると雪之丞はゴクリと喉を鳴らすとゆっくりと口を付けた。
「あ、美味しい……。甘くてさっぱりしていて……飲みやすい、ですね」
雪之丞は目を丸くさせて驚いた表情を浮かべると、そのまま一気に半分ほど飲み干す。その様子を見て、ナオミがホッと息を吐いたのがわかった。
此処の酒は大抵ハズレがない。酒だけじゃなく出てくるものは何でも美味しい。
ちょっとばかりクセ強めのマスターではあるが、常連客も多いし、何より料理が美味いのだ。
あっという間に飲み干して二杯目を注文しだした雪之丞に、ナギは内心焦る。
「ちょっと! ペース速くない!?」
「え? そう? この位普通でしょ」
「あら、もしかして顔に似合わず|蟒蛇《うわばみ》かしら? いい飲みっぷりじゃない」
クスクスと笑いながらナオミが空いたグラスを下げて、新しいものをカウンターに置く。
雪之丞はそれを嬉しそうに受け取ると、またすぐにグイッと煽った。
「本当に強いんだ……」
水でも飲むような感覚で顔色一つ変えずに次々と飲んでいく雪之丞を見て、ナギは呆れた表情を浮かべながら溜息を零した。
暫くは楽しく、撮影の事や雪之丞の作っているゲームの事、CGの事などをつまみを食べながら他愛もない話をしていたが、次第に雪之丞の口数が減り始めた。
「ゆきりん?」
「ねぇ、蓮君と付き合い始めたって本当?」
いきなり核心を突いた質問を投げかけられぎくりと身体が強張る。だが、今更誤魔化してもいずれバレるだけだと思い、ナギはゆっくりと首を縦に振った。
「そっか。……あーぁ。蓮君は誰とも付き合わないと思ってたのに」
「……」
少し大きな独り言のように呟かれた言葉に、ナギが何も返せずにいると、雪之丞は自嘲気味に笑ってカウンターへと身体を預けた。
「……ずっと、好きだったんだけどな……。でも、言えなくって……。友達として側にいれるだけでいいって割り切ろうって思ってたんだけど……」
おつまみにと差し出されたポッキーを口に咥えながら、泣き笑いのような表情で苦し気に思いを吐露する雪之丞。その姿を見て、ナギの心臓はズキリと痛んだ。
彼が蓮の事を好きなのは知っていた。みてれば大体わかる。だけど、こんな風に本人の口から直接聞かされると複雑だし、罪悪感のようなものが込み上げてきて思わず視線を落とした。
「こんな事なら、もっと早くに思いを伝えておけばよかった……」
雪之丞はそう言うと、グラスに残っていたカクテルを飲み干し、小さく溜息を漏らすとカウンターへと突っ伏してしまった。
(悪い事しちゃったかな……)
でも、自分だって蓮の事が好きなのだ。初めて会った時から――いや、雑誌に載っていた姿を見たあの瞬間から彼の事は気になっていた。
だから、譲る気はない。でも、イマイチ蓮の気持ちが掴めない。
恐らく両思いであると思ってはいるものの、はっきりと言われたわけでは無いし、そもそも、恋愛対象として見られてるのかさえ疑問に感じる時がある。
「あらあら、暗いわねぇ。お酒はもう少し楽しそうに飲むものよ?」
「ナオミさん……。ねぇ、お兄さ……蓮さんって高校時代って、どんな感じだったの?」
ナギは、目の前に置かれたカクテルを一口含むと、思い切って尋ねてみた。すぐ隣で雪之丞がピクリと反応しゆっくりと此方に視線を向けるのがわかった。
「うーん、そうねぇ……。一言で言えば絶対君主って感じ?」
「絶対……君主?」
「あの人、あのルックスでしょ? 昔はもう少しイキっててね~。自分の事「俺」って言ってたし、眼鏡掛けてて……、物凄く冷たくって俺の言う事は絶対だ。みたいな?」
ナオミの言葉に思わず言葉を失う。今の物腰穏やかそうな彼からはとてもじゃないが想像できない。
「すっごい虐めっ子でね、ちょっと気に入らないことがあると弱みを握って、道具みたいに扱うの。力づくで屈服させて、快楽に溺れさせて飽きたらポイ。 裏表が激しいから、裏の顔を知ってるのはごく一部で女の子は皆、彼に惚れ込んでたけど……。彼、男しか興味なかったから」
「へ、へぇ……」
なんとも言えない気分になりつつ、ナオミの話に耳を傾ける。快楽に溺れさせて、飽きたらポイ……?
もしかして、今はいいけど飽きたらいつか自分も捨てられたりするのだろうか?
そんなのは嫌だ。と急に不安が押し寄せて来る。
「好きな人とか……いなかったの?」
「そうねぇ、そもそも自分以外の人間は全員見下してるような奴だったし、あぁ、でも好きな人って言えば……、一人だけいたわよ。最近までずっと片思い拗らせてた人」
その答えにナギは目を見開いた。そう言えば、初めて会ったあの日、フラれて傷心旅行中だとかなんだと言っていたような気がする。
「人の気持ちなんて考えたことがない人だから、あれこれ裏で画策して強引に手に入れようとしてたみたいだけど、結局失敗しちゃったのよねぇ」
そう言って苦笑しながらナオミは肩をすくめた。
蓮が強引にでも手に入れたがるほど好きだった相手とは一体どんな人なんだろう?
会った事もない相手を想像してモヤモヤするなんて馬鹿げてる。
そう頭ではわかってはいるけれど、どうしても気になってしまう。
チラリと隣の席を見ると、いつの間にやら起き上がっていた雪之丞と目が合った。
「気になる?」
「そりゃ、まぁ……」
曖昧に言葉を濁すが、内心はめちゃくちゃ気になっている。
もしも、未だにその人のことを好きだとしたら……?
無理矢理にでも手に入れたかった相手だ。考えたくは無いが可能性は0じゃ無い。
いっそ直接本人に聞いてみようか?
いや、でももし、触れてほしくない話題だったり、まだ未練が残ってたりしたら?
ぐるぐるとそんな考えが頭の中を駆け巡るが、どうにも結論が出ず、ナギは大きな溜息を吐き出した。
その時、突然カランコロンっと来客を告げるドアベルの軽快な音が静かな室内に鳴り響いた。
なんとなく視線を向けると30代と思われる少しチャラそうな男性が店内に入って来るのが見える。
「あら、東雲くんじゃない。久しぶりね。今日は誰かと待ち合わせ?」
常連さんだろうか? 親しげにナオミが声を掛けると、男性は少し困ったように頬をかいた。
「いやぁ、店の前で珍しい人が立ってたから声掛けただけなんです」
「珍しい人?」
「そうそう、ほら、前に僕に紹介してくれた人ですよ。御堂さんって言う……」
その名前を聞いた瞬間、ナギは思わず身を乗り出した。
――まさか、蓮?
心臓が妙に早くなる。もしそうなら、どうしてここに?
慌てて入口の方へ目を向けると、そこには何処か気まずそうに視線を泳がせる蓮の姿があった。
「あら、ちょうど蓮君の話をしてた所だったのよ。さ、入って」
「い、いや……僕は、たまたま通りかかっただけで……」
「何言ってるんです? さっきからソワソワしながら店の前を彷徨ってたじゃないですか」
東雲の言葉に、蓮は鋭い視線を向け、チッと小さく舌打ちをした。
その一瞬の仕草を、ナギは見逃さなかった。
「余計な事言わなくていいから」
怒ったような口調で言いながら。ふいっと視線を逸らす。
これはもしかしなくても、自分たちの事が気になって店の前まで来たけど、入るきっかけが無くってウロウロしてただけなのでは?
何それ……可愛い、かも。
口に出したら怒られるだろうが、蓮の事をそんな風に思ってしまった自分にびっくりだ。
「もー、一緒に来たかったんなら早く言えばよかったのに。寒かったでしょう?」
「……邪魔しちゃ悪いかと思ったんだ」
「あらあら、随分可愛らしいこと言っちゃって。とりあず座ったら?」
クスクスと笑うナオミに、蓮はバツが悪そうに顔を背ける。その仕草がなんだかとても愛しく思えて、口元に自然と笑みが浮かんだ。
「お兄さん、こっち来て」
「え? でも……」
「いいから、ほら、此処に座ってよ」
戸惑いを見せる蓮の腕を掴むと、半ば無理やり雪之丞と自分の間に座らせる。
ふわりと香る蓮のフレグランスの匂いが鼻腔をくすぐり、なんだか嬉しくなって笑いながら彼の腕にギュッと抱きついた。
「ちょ、ちょっと……」
「いーじゃん、別に」
慌てふためく蓮に悪戯っぽく微笑むと、ナギは満足そうに身体を寄せる。ずっと外に居たせいか服も肌も冷たくて、ひやりとして気持ちがいい。
「あらっ? ラブラブね」
「……ほんっとラブラブ。……羨ましいなぁ」
べったりとくっつくナギを見て、雪之丞がボソリと呟く。その表情はナギとは対照的で少し悲しそうで……。
「ねぇ、ゆきりん。……彼の事、好きなんでしょ?」
三人の様子を見比べて、ナオミが確信したように小声で彼に尋ねると、雪之丞は一瞬驚いた表情を浮かべたが、すぐに観念したかのようにゆっくりと首を縦に振った。
「……そっか。蓮君ってば相変わらずモテるのねぇ。性格は最悪だけど顔だけはいいから」
「おい、聞こえてるんだけど?」
二人の会話が耳に届いていたのか、蓮が不機嫌そうな表情で口を挟んだ。雪之丞はバツが悪そうに俯き、ナオミはニヤリと口角を上げると空いたグラスを下げて、蓮と東雲それぞれにメニュー表を差し出してくる。
「だって、事実でしょう?」
「……五月蠅いな。性格悪くて悪かったね」
ふいっと視線を逸らして拗ねたように口を尖らせる彼の姿を見るのは初めてで、ナギは小さく息を呑んだ。
「ナオミさんにかかれば、御堂さんもなんだか子供みたいに見えちゃいますね」
苦笑しながら東雲に言われ、蓮はさらにムッとした様子で押し黙った。こんな一面もあるのかと思うと同時に、もっと色んな表情を引き出してみたいという欲求が生まれてくる。
「ガキ扱いされるのは心外だな。……ケンジ。スクリュードライバー一つ頼むよ」
「もー、本名で呼ばないでって言ってるのに……。東雲君は? 何か飲むでしょう?」
「あー、じゃぁ……姐さんのおススメで」
「またアバウトな注文ね。ちょっと待っててちょうだい」
呆れたような溜息を漏らしつつ、ナオミはカウンターの中へと入っていく。その様子をぼんやりと眺めながら、ナギは東雲と呼ばれた男と蓮をそっと見比べた。
顔見知りっぽいが、一体どういう関係なのだろうか?
先輩後輩と言うには少し年齢が離れている気がするし、芸能関係者でないことはナギにだってわかる。
「……俺が何者か知りたいって顔してるね」
「えっ、いや……あの……」
不意にかけられた言葉にギクリとする。確かに気になるけど……。でも……。ナギは視線を泳がせながらもごもごと言葉を濁した。
「君みたいな可愛い子に見つめられるのは嬉しいけど……。ちょっと複雑だなぁ」
「えっ?」
苦笑しながら手を握られ、思わず間の抜けた声が洩れた。予想どうりの反応だったのだろう。彼は可笑しそうにクスリと笑って見せる。
「安心しなよ。彼と俺はそう言う関係じゃないから。ただのクライアントさん。と言うか俺、タチなんだよね」
「へぇ、そうなんだ……って、クライアント?」
「っ、東雲君。余計な事吹き込むのは止めてくれないかな? そして、何時まで手を握っているんだ」
一体何の事だろう?と思ったら、いきなり手を強く引かれて、間に割り込んできた。
「えー? 俺は聞かれた事に答えただけじゃないですか。てかなに? その子が今の新しいセフレの子?」
「……ち、ちがっ……この子は僕の……っ」
そこまで言って蓮はハッとしたように言葉を止めた。なんではっきり言ってくれないんだ!? と不満を覚えたが、もしかしたら恋人だと公言することに抵抗があるのかもしれないと気付く。
それに、直ぐ側にいる雪之丞に配慮したのかもしれない。 自分の事が好きだと言ってくれている相手の目の前で、他の人間とそういう仲だなんて実際に聞かされるのは雪之丞にとって地獄以外の何物でもないだろう。
「……セフレなんかじゃないよ」
蓮はそれだけ言うと、掴んでいたナギの手を解放した。
「あら、駄目よ東雲君。彼、これから超有名になる予定のスーパーヒーローなんだから。蓮君も仕事柄、そういう事はナイショなの。プライベートは聞かないであげて」
「えっ? そうなんですか!? 」
目の前にそれぞれのグラスをことりと置きながらナオミが東雲と呼ばれた男に告げると、東雲は目を丸くして蓮達を見やった。
「あ、何処かで見たことあると思ったら、キミ、小鳥遊君? そっか! 芸能人だったのか……不躾な事聞いて悪かったね」
ナギの顔をまじまじと見ながら東雲が納得したようにポンっと掌を叩く。
「え、あー……いや。まだまだ駆け出しなので。これからもっともっと活躍して一発でわかるように頑張ります!」
そう答えると、ナギは営業スマイルを東雲に向け、グラスに注がれた水をクイッと一気に飲み干した。
欲を言えば、蓮にハッキリ言って欲しかった。でもまぁ、今は仕方ないか。
「俺、探偵をやってるんだ。もし、何か用があるなら此処に連絡して。浮気調査から人、物探し、暗号の解読、どんな依頼でも引き受けるよ」
東雲は名刺入れから一枚の名刺を取り出すと、ナギに差し出した。
「へぇ、探偵さんかぁ」
「ねぇ、暗号の解読が出来るって本当? それに、人探しも」
雪之丞がゆっくりと起き上がり、東雲を見る。
「そうか! 東雲君が居たね。すっかり忘れてたよ」
「って! 御堂さーん! 酷いなぁ。色々と手伝ってあげたじゃないですか」
蓮がハッとしたように声を上げると、東雲は情けない声を上げながら蓮の肩を掴んだ。
「ごめんごめん。今、ちょっと色々とごたごたしてて。手詰まり状態だったんだ。いくつか頼みたいことがあるんだけど引き受けてくれないか?」
「なんですか? 芸能界の闇でも暴くんです?」
「ハハッ、あー、まぁ。色々あるんだよ。今日は奢るからさ、お願いできない?」
蓮の言葉に東雲は少し考え込んだ後、ニヤリと口角を上げた。
「うーん、そうですね。御堂さんの頼みなら人肌脱ぎますよ。丁度今は大きな案件も入ってないし」
「そっか良かった。ありがとう! これで、暗号の謎も解けるな! 雪之丞」
蓮が嬉しそうな表情で雪之丞に向き合うと、雪之丞はコクンと大きく首を縦に振った。
暗号って何の事だろう? CGさん失踪以外にも何かあったのだろうか。
嬉しそうにグラスを乾杯している二人を眺めながら、ナギはなんだか疎外感を感じて、蓮の袖口をクイっと引っ張った。
「ねぇ、暗号って何の話?」
「え? あー、えっと……それは帰ったら詳しく話すよ」
「いまじゃ、駄目なんだ……」
こんなの、ただの独占欲だ。わかっているけれど、やっぱり面白くない。言ってしまってからしまった。と思った。
面倒くさいヤツだと思われたりしただろうか?
ナギは不安げに蓮の顔色を窺ったが、彼は特に気にした様子もなく、いつもの穏やかな笑顔を向けてくれた。
「そんな顔するなって。ちゃんと説明するし。こ、恋人には……隠し事、出来ないんだろう?」
やはり恋人だと口に出すのが恥かしいのか、ボソボソと小声で蓮は言うと、少し頬を赤らめつつ視線を逸らす。
その仕草がなんだか可愛くて、愛しくて、でもそんな顔を蓮がしているという事実が可笑しくて、ナギは思わずクスリと笑いを零した。
「ふぅん、蓮君でもそんな顔するのねぇ……」
「なっ、見るなよ……っ」
「やぁよ。面白いもん。写真撮っていい?」
「絶対ダメ。無理」
スマホを取り出したナオミに、蓮は必死の形相で首を横に振ると、プイっとそっぽを向いてグラスに残った酒を一気に煽った。
「ねぇ、蓮君」
不意に、雪之丞が蓮の名を呼んだ。
その声に、蓮もナギも顔を向ける。
雪之丞はしばし無言で蓮を見つめていた。
揺るがない瞳。そこには、先程までのどこか頼りなげな色はもうなかった。
「ボク、キミのことが好きだよ」
「……えっ、えっと……」
「答えなくていいよ。……ただ、言いたくなっただけだから」
それだけ言うと、雪之丞はカタンと席を立った。
「ボク、帰るね。ナオミさん。美味しいお酒ありがとうございました。 あと、東雲さん……詳しくは蓮君に聞いてください。それじゃ」
「えっ、ちょ……ゆきりん!?」
突然の告白と共にお金を置いて帰ろうとする雪之丞を見て、ナギは慌てて立ち上がった。が、蓮に腕を掴まれてそのまま引き戻される。
「待て、ナギ。……僕が行く」
「えっ!? ?」
「大丈夫だから」
蓮はそれだけ言うと、急いで雪之丞の後を追って店を出て行った。