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雪之丞side
外に出ると、肌を刺すような冷たい風が頬を掠めた。
街中には色とりどりにライトアップされた街路樹が並び、道ゆく人は皆寒そうに身を縮めて足早に帰宅の途についている。
雪之丞はそんな街の様子をぼんやりと見つめながら、バーの近くの公園で立ち尽くしていた。
月は無く、空は分厚い雲で覆われているせいで星一つ見えやしない。
まるで今の自分の心を映し出しているようだと自嘲気味に笑う。
ナギが彼の事を狙っているのは初めて会った時からわかっていた。でも、蓮は絶対に誰とも付き合ったりはしないと心の何処かで安心しきってもいたのだ。
だからこそ、今回の件は予想外過ぎた。ナギから付き合っていると聞かされても俄かには信じられなかった。
信じたくなかった。と言ってもいいだろう。
一体いつから? 自分が酔い潰れて蓮の家に3人で泊まることになった時には既に二人はデキていたのだろうか?
それとも、その後? わからない。蓮はそんな素振り一度も見せてはくれなかった。
ずっと心に秘めているつもりだったのに、ナギと楽しそうに笑いあう蓮の姿を見て、必死に抑え込んでいた思いが溢れ出して止まらなくなった。
「馬鹿だな、ボク……」
ナギのように積極的にアタックしてみればもしかしたら自分にもチャンスはあるんじゃないか? なんて浅ましい考えが一瞬脳裏を過った。
あわよくばセフレの一人でもいい。なんて少しでも思ってしまった自分が酷く汚らしい人間に思える。
自分にもし、ナギみたいな積極性や社交性、魅力があったら蓮は振り向いてくれたのだろうか?
あぁ、自己嫌悪だ。そんなことばかり考えてしまう自分が嫌で嫌で仕方がないのに。
考えたくないのに腹の底から湧き上がってくる醜い感情を抑えられない。
ナギがもう少し、性格の悪い男なら良かったのに。そうすれば、この醜い想いを吐き出してしまえるのに。
項垂れたままベンチに腰掛け、幾度とない溜息をついて、手にしていたビールの缶を軽く揺する。まだほとんど口を付けていないそれは重い。 もう一度ため息を吐いて、雪之丞は一口だけ飲んだ。
こういう時、酒に強いというのは損だとつくづく思う。
酔って全てを忘れてしまいたいのに、いくら飲んだ所で思考は冴え渡っていくばかり。
缶を傾けても、苦味が喉を流れていくだけで意識は鮮明なまま。
(忘れられないなら……いっそ、この気持ちをぶつけてしまえたら楽なのに)
唇を噛みしめながら空を仰ぐと、雲に覆われた夜空はやはり真っ暗で、どこにも出口は見えなかった。
「……っはぁ、こんな所に居た」
不意に声をかけられて顔を上げるとそこには少し慌てた様子の蓮が立っていた。肩を上下させ、白い息を吐いているところを見ると随分探し回ってくれていたのかもしれない。
申し訳なく思う反面、探してくれた事が少し嬉しかったりする。
「……どうしたの? ボク、何か忘れ物でもした?」
「そんなんじゃないよ。お前と話がしたくて……」
それだけ言うと、蓮は雪之丞の隣に腰を降ろした。
自分でケジメを付けるために店を出たのに、わざわざ追いかけて来てくれたことが嬉しくて、そう感じてしまう自分が嫌で、雪之丞は視線を缶へと落とした。
「ごめんね。ナオミさんのお店で。急に変なこと言っちゃって……空気悪くしちゃったよね」
「別にそれは構わないんだ。それより……ごめん。僕、どうやら人より鈍いらしくて……。お前の気持ちに全然気づいてやれてなかった。いや、違うな。……多分本当はわかってたんだ。だけど、今の関係を壊したく無くって敢えて気付かない振りしてた」
「……」
「最低だよな。本当に……ごめん」
「謝らないでよ。謝られたら、もっと惨めになる」
「そう……だな。うん、ごめん」
「だから……! いや、もういいよ。ボクが勝手に好きになっただけだから。蓮君は何も気にする必要ないし」
雪之丞は苦笑いを浮かべると、プルタブを引いて残っていた中身を全て飲み干した。
生ぬるくなった液体は喉を伝って胃の中へ落ちていく。その感覚が気持ち悪い。ふぅっと深く息を吐くと、雪之丞は立ち上がり空き缶を近くにあったゴミ箱へと投げ入れ、蓮に背中を向けた。
このままここに居れば、きっとまたみっともなく泣いてしまう。それくらいはわかる。
「ごめん、話はそれだけ? 今は一人にして欲しいんだ」
そう言って背を向けた途端、強い力だ腕を引かれあっという間に身体が反転し、背中が温かいものに包まれる。
それが何なのかはすぐにわかったが、雪之丞は動揺を隠すように唇を噛んで俯いた。
「……どうして」
「……ごめん。でも、助けてって言ってるように見えたから」
「っ、何それ。意味わかんないんだけど」
雪之丞はクスリと笑って見せたつもりだったが、声は震えていて上手く笑えなかった。
いけないと思いながらも彼の手を振りほどくことが出来ず心臓が激しく脈打つ。
蓮の腕の中に居るというだけで、切なさと同時に嬉しいなんて感じてしまっている自分はきっと救いようのないバカだ。
いっそ二人の事を嫌いになれたら楽なのに。それか、蓮がどうしようもないクズだったらどんなにいいか。
ナオミの言う冷酷さは微塵も感じられなくて、中途半端な優しさが今は辛い。
突き放してくれればいいのに。
それなのに蓮は、背中ごと優しく抱きしめてくる。
(こんなの、残酷だよ……)
喉の奥が熱くなり、視界が滲む。
それでも彼の手を振り払えない自分の弱さが、どうしようもなく憎かった。
「確かに僕は、人よりもずっと鈍いんだと思う。今までずっと、欲しいと思ったものは全て手に入ったし、中学入った位からずっと、誰かと付き合ったりしなくてもヤる相手は沢山居たから。だから、多分……恋愛っていうのがどういう事か未だによくわかっていないんだと思う」
蓮はそう言って自嘲気味に笑うと、真っ直ぐに雪之丞を見つめた。
月明かりの無い暗い夜道では表情までは良く見えないし、言っている事は、はっきり言えば最低だが真剣な眼差しをしているのだけはなんとなく伝わって来る。
「――でも、好きだったやつにフラれる辛さはわかってるつもりなんだ」
「なに、言って……?」
雪之丞は困惑した。なぜ今、そんな話をしだしたのか蓮の意図が読み取れなくて、眉を寄せて怪しむような目を向ける。
思わず顔を上げた雪之丞の瞳に映ったのは、苦しげに顔を歪める蓮の姿だった。
「高校の時に初めて好きになった子が居たんだけど、その時はその得体のしれない感情が怖くて僕は一度逃げたんだ。……でも、やっぱり好きで、高校卒業してからもずっとアイツの事が忘れられなくて…。大人になって、随分経ってから偶然再会した彼を見た時、どうしても彼を手に入れたいと思ってしまった。その時、彼には既に恋人がいたんだけど、それでも諦めきれなくって……それであの手、この手を尽くして手に入れようとしてたんだけど、結果的に僕はソイツを傷付けただけだった」
何処か寂しげに笑う蓮の表情はいつになく真剣で、嘘を言っているようにはとても見えない。
「結局疎遠になってしまってね、色々と後悔しているんだ。まぁ、とても酷い事をしたし、会わせる顔が無いだけなんだけど。だから、かな……。今の状態の雪之丞を放ってはおけなくて」
そう言って蓮は切なげに眉を寄せると、雪之丞の頬にそっと優しく触れてきた。
もしかしたら、蓮は未だに過去を引きずって居るのかもしれない。
そんな思いが頭をよぎったが敢えて口には出さず、そっと蓮の指先から距離を取る。
「……大丈夫、だよ。ボクは、蓮君とは違うから」
「え?」
「蓮君にそんな過去があったなんて知らなかった。話してくれて嬉しいけど、でも……、後悔してるって言うなら、尚更こんな事しちゃダメだ」
雪之丞はそう言うと、自分の胸をギュッと押さえて、無理矢理笑顔を作った。これ以上触れられたらきっとこの想いが溢れてしまう。
「あのね、ボクは蓮君もナギ君もどっちも大事で、どっちも大好きなんだ。だから、二人が悲しむ姿は出来れば見たくない。……わかるよね?」
諭すように言って聞かせたが、蓮は黙ったまま何も言わない。
ただじっと何かを考えるように雪之丞の顔を見てくる。
「ボクは逃げないよ。今はまだ頭が混乱してるし、胸は痛いし感情が上手くコントロールできないけど……。でも、誰かを傷付けてまで自分の思いを貫きたいとは思えないんだ」
そう言いながら雪之丞は、胸を押さえた手に力を込めた。
苦しくて、呼吸すらうまくできない。
それでも必死に笑顔を作り、蓮を見上げる。
蓮は黙ったまま、その顔をじっと見つめていた。
まるで何かを言いかけているような――けれど言葉にはならない。
その沈黙が、かえって雪之丞の胸を締め付けた。
「だから、お願い。これ以上ボクを困らせないで。期待させるような事しないで。キミはナギ君の所に戻ってあげて? 今話した事全部、言うべきは僕じゃないだろ」
そこまで言うと、雪之丞は小さく息を吐いた。
これでいい。今はこれが一番正しい選択なのだと言い聞かせながら、必死に込み上げてくる涙を堪えて、もう一度微笑んで見せる。
「強いな、雪之丞は」
「……ボクもう行くから。暗号の件、ちゃんと東雲さんに依頼してね」
蓮の呟きには答えず、また明日。 と精いっぱいの笑顔を向けて蓮に背を向け歩き出した。
自分は強いわけでも、諦めがいいわけでもない。 この行き場のない思いを蓮にぶつけられたら、少し心は軽くなっただろうか?
否、恐らく答えはノーだ。
きっと、余計に苦しくなるだけ。自分が惨めになるだけだろう。
足早に曲がり角を曲がり、蓮の姿が見えなくなってから雪之丞は足を止めた。
「……強くなんて……全然ない」
ポタリポタリとアスファルトに染みが出来ていく。顔を上げると暗い雲の隙間から糸のような雨が静かに降り注いでいた。
まるで、雪之丞の心を表すかのような冷たい雫が頬を伝い、全身を包み込むように濡らしていく。
蓮はちゃんとナギの元へと帰っただろうか? 自分を追って来ないという事はつまりそういうことなのだろう。
本当はまた追いかけてきて欲しかった。一緒に居て欲しいと泣きつきたかった。
だけど、そんな事をしたらきっと蓮は困ってしまうだろうし、ナギを傷付けることになってしまう。
誰にも傷付いて欲しくないという気持ちは単なる自分のエゴかもしれない。……そんなのは所詮ただの綺麗ごとだ。頭ではわかっているのに、自分の気持ちを抑えることが出来ない。
「蓮……君……っ」
求めても得られない。手を伸ばしてみても届かない。どうしようもない焦燥感と喪失感が押し寄せてくる。
いっそ、全て忘れられたらどんなに楽だろう。溜息と共に吐き出された息は、強くなり始めた雨の中で白く煙って消えていった。
「ほんっと、何やってるんだろ……ボク」
降りしきる雨の中、ポツリと呟いた言葉だけが虚しく響き渡る。
込み上げてくる思いは涙となって今にも溢れてしまいそうだった。必死に堪えて、それでも堪えきれなさそうで、拳で無理やり目頭を押さえつけた。
「……っ、ぅ……っく……」
嗚咽を必死に押し殺していると、不意に雨音が柔らいだ。頭上に広がったのは、雨粒を弾く紺色の傘。
「やっぱり、棗さんだった。何やってるんですか、こんな所で」
低く落ち着いた声と共に視線を上げると、そこには整った顔立ちの男が心配そうに自分を見下ろしていた。
「弓弦君……どうしてここに?」
「それはこっちのセリフです。こんな寒空の中傘もささずに雨に打たれるなんて、何を考えてるんですか。風邪ひきますよ」
弓弦は呆れたようにため息をつくと、躊躇いもなく自分の傘を雪之丞に差し出して来る。
「え、いや……これじゃあ弓弦君が濡れちゃうよ」
「私は大丈夫です。そんなヤワな身体してませんよ。……それに……」
「それに?」
「……いえ、何でもありません。とにかく、行きましょう。送っていきますから」
雪之丞が首を傾げると、弓弦は苦笑いを浮かべて誤魔化す様に視線を逸らした。
「え、いや……でも、流石に悪いよ」
今をときめく有名人に傘を貸して貰った上に家まで送ってもらうなんて、そんな贅沢、彼のファンから怒られたらブーイングの嵐だろう。
それに、今日は出来れば一人にして欲しいというのが正直なところだった。
「遠慮しないで。マネージャーの車、すぐそこなので」
指さす先には路肩にハザードをたいて停車している黒塗りの車が見えた。
もしかして、一人でいる自分に気付いてわざわざ車を停めてまで声を掛けてくれたのだろうか?
だとすれば、これ以上断るのは逆に失礼かもしれない。
「ごめん、ありがとう」
雪之丞は申し訳なく思いながらも素直に好意に甘える事にした。
「別に謝る必要はありませんよ。それより、ほら、乗って下さい」
恭しく後部座席を開けて促され、観念した雪之丞は恐る恐る車に乗り込んだ。
車内は意外に広くて、シートはふかふかしているし、座席も広い。イケメンは車の中までなんだかいい香りがする。
しかも何故か、車の中に可愛らしいウサギや熊のぬいぐるみが積まれているのが意外だった。
車の中は暖房がきいているのかとても暖かくて、冷えきっていた雪之丞の身体をじんわりと温めてくれる。
「気休め程度にしかなりませんが被ってて下さい」
ふわりと頭から温かいブランケットを被せられて、思わず雪之丞は顔を上げた。隣に乗り込んで来た弓弦は自然な動きでぬいぐるみを膝に置き、視線に気付くとハッと我に返った様子で慌ててそれを後ろの荷物置きに放り投げた。
もしかして、ぬいぐるみが好きなのだろうか? それともこのキャラクター?
どちらにせよ、イケメン俳優のなんだか可愛らしい一面が見れた気がして、なんだかほっこりする。
「……勘違いしないでくださいね。ここにあるものは全てファンの子が持ってきたものであって、けっして私の趣味じゃ無いですから」
「え、あ……そう、なんだ……」
まだ何も言っていないのに、わざわざ申告しなくても。ふいっと視線を逸らし、窓の外を眺める弓弦の言葉を聞いて、運転席にいるマネージャーさんがくすっと小さく笑うのが見えた。
「でも、可愛いよね。特にこの黒っぽいウサギ。垂れてる耳が凄くいいと思う」
静かな車内でずっと黙っているのもなんとなく気まずくて、取り敢えず目に付いたぬいぐるみを指さすと、弓弦がハッとしたように顔を上げた。
「もしかして、アニマルフレンズ知ってるんですか?」
身を乗り出すようにして聞いてくる弓弦の顔はどこか嬉しそうで、見た目のクールなイメージとは随分かけ離れている。
普段の彼は何処か一線を引いていて、あまり感情を表に出したりしないのに、こういう時は随分と幼く見えるから不思議だ。
「うん、友達が好きでよく見せてくれてたから」
「そうだったんですね。じゃぁ、あげます」
「えっ、いやいいよ。だってこれはキミが貰ったものなんだろう?」
「大丈夫です。沢山ありますから」
「でも……」
そう言われても、やはり簡単に貰っていいものではないし、ましてや彼程有名な芸能人が持っているものを譲ってもらうなんて……。
「私がいいと言ってるんです。それに……ろっぷちゃんがいれば少しは気が紛れるかもしれないでしょう?」
「――え?」
「すみません。さっき、貴方が暗闇で泣いているところを見てしまって。……あのままほおって置いたらどこかに消えてしまいそうな気がしたんです――」
「……」
そう言えばさっき、蓮にも似たようなことを言われた。自分はそんな風に見えていたんだろうか?……確かに今は酷く心が不安定になっているけれど……。
何も言わずに黙り込んでいると、弓弦が黒ウサギを雪之丞の膝に押し付けて来た。
「……受け取ってください。きっと何かの役に立ってくれると思うので」
「……わかった。大事にするよ」
流石に此処まで言われてしまっては、無下に断るわけにもいかなくて雪之丞は苦笑しつつそれを受け取ることにした。
貰ったぬいぐるみを抱きながらふと窓の外に視線を移せばいつの間にか雨は止み、雲間から綺麗な星たちと月明かりが見え隠れしていた。