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#風見裕也
緑茶は飲めないが紅茶は飲める
その後、ユキはアリアの支えもあって――
無事に、新しいプロジェクトのシステム設計を任されることになった。
慣れない業務のせいで、かなりの疲労が蓄積するが……ユキは可能な限り、アリアには悟られないように気を付けていた。
「ねぇ、東雲さん」
「はい、何でしょう」
「この書類、記入してくれない?」
「何ですか、これ」
ユキから渡された紙を見て、アリアは疑問に思う。
「グローバルの仕事を円滑にするため、みんなにニックネームを付ける試みを始めました!」
「また、余計なことを……。
新しいプロジェクトで、仕事が忙しいのでは?」
「あたしたちは日本資本だけど、他のAI開発は軒並み海外企業でしょう?
だからそれを念頭に、我が研究所でもこういう取り組みをですねぇ」
「話、聞いてます?」
ユキの笑顔に、アリアは微妙な思いを抱いた。
重要な開発を任せている人材に、こんな仕事までやらせるのか……と。
――ただ、恐らくはユキの発案なのだろう。
それなら自業自得ということになり、つまりは……ユキ以外の誰かを、責めることはできなかった。
「……まぁ、『Evol』は国内開発を推進していますからね」
「うん、本当に珍しいんだよね!」
ユキは、アリアから責められないことに安心した。
少なからず、自分では良いことをしているつもりなのだ。
「まったくです。こんな、春でも真夏日の国で、よくやると思いますよ。
『ORBIS』なんて、極寒の地にデータセンターを構えていますからね。本来は、そうあるべきなんです」
「そんな可愛い『Evol』を選んだのは、あたしたち自身なんだけどねぇ。
……それで、アリアちゃんは? ニックネームはどうする?」
「名前で呼ばないでください」
「海外の猛者たちとやり合うとき、自分を守る仮面にもなるよ~っ!」
ユキは引き続き、ぐいぐいとアリアに迫る。
日頃は感じない圧に、アリアは嫌気が差してしまう。
「……どうでもいいです」
「ちゃんと決めてよーっ!!」
「では、イースト・クラウドで」
「苗字を訳しただけじゃん!? そんなのは許しません!」
「時間の無駄なので、適当に決めておいてください。絶対に使いませんので」
「えー……。でも、了解! あたしが素敵なのを考えておくね!
アリアちゃんに相応しくて、可愛くて、キラキラしてて、壮大なやつ……!!」
「よろしくお願いします。絶対に使いませんので」
アリアはそう言いつつ、ユキを改めて見ていると――
……彼女の手の甲に、引っかき傷のようなものを見つけた。
「先輩。その傷、どうしたんですか?」
「ああ、これ? これはねぇ。新しいプロジェクトの方でねぇ」
「キャットファイトでもやったんですか?」
「そんなの、やらないよ!?
……っていうか、どちらかと言うと犬なんだけど」
「新しいプロジェクトって、『ORBIS』の分析研究……ですよね?
何でそこで、犬が出てくるんですか?」
「ああぁー。教えたいけど、極秘情報なんだよぉ」
「ふむ、それなら仕方が無いですね」
「あ、いや……確かにそうなんだけど。
……あ、そうだ。アリアちゃんって、犬は苦手?」
「得意かは知りませんが、飼ったことは無いです」
ユキは天井を仰いで、少し考え事をした。
そしてそのまま、アリアをユキの研究室に連れていく。
「――ワンワン!」
「え?」
先日来たときにはいなかった、犬がいた。
「――先輩。
研究室って、ペットは飼って良かったんでしたっけ?」
「違う違う、ペットじゃないの。この犬は、実験用の動物……ってこと」
「はぁ……。
何で『ORBIS』の分析研究で――って、極秘情報なんですよね」
「うん。役目が終わって、本当は殺処分って話だったんだけど……可哀想になっちゃって。
病気とかの実験じゃないから、しっかり健康なんだよ? ただ――」
「ワンワンッ! ガルルルル……ッ!」
その犬は、明らかにユキを警戒していた。
「――いろいろストレスを掛けさせちゃったからさ。
あたし、嫌われてるんだよぉ……」
「はぁ……。他の人に、引き取ってもらっては?」
「いやぁ……。みんな、殺処分に賛成だったんだよね……」
「……この研究所の人間は、その辺りが淡泊ですからね。
生命を扱う部署もあるのに――……いえ、だからかもしれませんが」
「とりあえず里親を探してるところなんだけどさ……。
アリアちゃん、少し面倒見てもらっても良い?」
ユキの頼みに、アリアは溜息をついた。
「先輩は忙しいんですから、もっと無駄な仕事を減らしてください。
……いえ。里親探しは、無駄ではないですけど」
「ふふっ、アリアちゃんは優しいねぇ」
「最低でも、さっきのニックネーム云々の仕事は減らしてください」
「アリアちゃんは厳しいねぇ……」
……ただ、それでもユキは嬉しく思っていた。
研究所にいる人々は、生命というものを研究対象にしているから……どうしても逆に、扱いが軽くなってしまう。
そんな中、言い方は多少厳しくても、肯定してくれる後輩がいる――
「……どうかしましたか?」
「ううん。やっぱりあたし、アリアちゃんのことが好きだなぁ♪」
「そんなこと言っても、何も出ませんよ」
「飴玉、くれないの?」
「そうですね、今日は出ないみたいです」
「ちぇーっ」
このあと、他の職員と共に、犬のケージをアリアの研究室に移した。
ユキは寂しそうにしていたが、当の犬は……ユキを威嚇するのみだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
――1週間もすると、その犬はアリアにとても懐いていた。
ユキはそれを目にして、どうにも複雑な思いを抱いてしまう。
「アリアちゃん、犬の扱いが上手いねぇ……」
「名前で呼ばないでください」
犬はユキを威嚇しようとするが、アリアによって未遂に終わる。
「ダメだよ、あの人は敵じゃないよ。
ワンを守ろうとしてくれた人なんだから」
アリアはユキの姿が見えないように、犬の前にしゃがみ込んで、落ち着かせるように――
……頭から身体を撫でまわしていく。
そんなアリアに対して、犬も嬉しそうに彼女を舐めまわす。
「素直に言うことを聞いてくれるんだねぇ……。それに、凄く……好かれてる………」
「最初こそ噛まれましたが、今はもう大丈夫です。
見知らぬ場所に連れてこられるのは、不安だったでしょう」
「……うん。研究のためとはいえ、それは申し訳ないんだけど……。
ところで、その子のこと……『ワン』、って呼んでた?」
「はい。名前が無いようでしたので、私が付けました」
「いやいや!
アリアちゃんともあろうお方が、鳴き声から取ったの? 安直~っ!!」
「ワンワン!」
「先輩じゃあるまいし、そんな安直な理由じゃないです」
「えー? それじゃ、どういう理由で?」
「私が世話をする1匹目の動物なので、『ワン』です」
「安直~っ!!」
「安直じゃないです」
「ワンワン!」
アリアとワンを見て、ユキはとても微笑ましく思った。
アリアはこの研究所で、仲の良い人が自分以外にいないから――
「……でも、仲良くなってくれて、良かったよ」
「はぁ。その分、仕事が遅れているんですけどね」
「そ、それは申し訳ない……」
「ちなみに、お手、おかわり、伏せ、その他諸々……しつけも完璧です」
「それが原因じゃないっ!?」
そう言いながら、ユキはアリアの机にある資料を盗み見る。
本来はダメな行為ではあるが、何かしらを手伝いたくなったのだ。
「――そういえば、アリアちゃんの作るシステムってさ。
何で、入力と出力が日本語なの? 普通に、英語の方がやり易くない?」
「それは日本語が、不完全を扱える自然言語だからです」
「ふむ? 不完全な言語より、少しでも完全な言語の方が良くない?」
「完全な言語は、完全に扱わなければいけないじゃないですか。
日本語は、空白部分が大きいので採用したんです」
「ほぉ……? というと……?」
「例えば、『私はボールペン』です」
「ん? えーっと、『あたしは鉛筆』だよ!」
ふたりはお互い、持っている筆記用具を見せ合った。
「ほら、いろいろ省略したけど、通じましたよね?」
「まぁ、確かにアリアちゃんはボールペンじゃないからねぇ。人間だからねぇ」
「先輩は鉛筆ですけどね」
「……え、どういうこと?」
「その辺りも、空白部分なんです」
「えぇー、教えてよぉーっ!?」
「とにかく、完全だから必ずしも良い……とは限りません。
不完全にも良さがある――『Evol』の研究者なんですから、先輩も分かると信じています」
「ま、まぁ……ね? それくらいは分かるよ……!!」
――『完全』というのはある意味、終着を意味する。
閉じた未来、管理された変化、進化の果ての最適化。
……それを否定するのであれば、『不完全』を掲げるしかない。
開いた未来、許容される変化、進化し続ける最適化。
しかし、そんな価値観の違いが――
これからの未来を、大きく動かしていくことを……まだ誰も知らなかった。
コメント
1件
ユキとアリアのコンビ、良いですね。特に「日本語は不完全だからこそ扱いやすい」っていうシステム設計の話、めちゃくちゃ刺さりました。完全なものって確かに終着というか、閉じてる感じがしますもんね。伏線っぽい犬の話も気になるし、アリアがワンを懐かせてる姿にほっこりしました。次が楽しみです!