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白い部屋、眩しいLEDの蛍光灯、注射台の上に肘を着けた睡蓮は思わず顔を背けた。その苦々しい面持ちに注射針を腕に刺しながら看護師が笑った。


「睡蓮ちゃんは本当に採血が苦手なのね」

「血を見たく無いんです」

「ほーら、どんどん採っちゃうわよ」

「やめて下さい」

「ほーら」

「やめて下さい」


 睡蓮と看護師が遠慮なく遣り取り出来るのは、睡蓮が如何に長期間この呼吸器内科に通院しているかを物語っていた。物心ついた頃にはこの部屋で吸入器を口に当て、レントゲン室の待合の椅子に座り、泣きながら採血を受けた。


「あれ?おじいちゃん先生は?」


 高齢の主治医は大学の教授になり目の前の椅子には幼馴染の《伊月ちゃん》が座り聴診器を胸に当てていた。


「睡蓮さん、今日から私が睡蓮ちゃんの主治医ですよ」


 伊月は喘息を患う睡蓮を助けたいが為に金沢大学医学部を目指し医師の資格を取得した。睡蓮が高等学校を卒業して以来の6年間を伊月は睡蓮の主治医、家庭医として寄り添って来た。


「でも睡蓮ちゃん、残念よね」

「……え、なにが残念なんですか」

「田上先生、九州の大学に転勤になるんですよ」

「…..転勤、転勤ですか!?」

「そう、九州大学、栄転ね」


 睡蓮は隣室で診察をしている伊月に向き直り、カーテンを思い切り開けてそれが事実なのかと問いただしたい感情に駆られた。


「あっ!」


 気が付けば椅子から立ち上がり、血管の壁を注射針が突いていた。


「イタっ!」

「あっ!駄目ですよ!動かないで!」

「ごめんなさい」

「痛かった?ごめんね、内出血するかもしれないわ、ごめんね」

「いえ、私が悪いんです」





 そしてこの突然の転勤については叶家でも頭痛の種となっていた。


「まさかこんな早くに転勤になるなんて」

「木蓮、伊月くんからなにか聞いていたのか?」

「…….聞いて、ない」


 木蓮も予想外の出来事に戸惑った。


(なんでこのタイミングで?)


 ふと雅樹との一夜が頭を過ぎった。まさか知っていた、いや、あのマンションに木蓮と雅樹が入る現場を伊月が見ていたとは考え難い。木蓮も伊月にそんな素振りを見せた事はない。


(まさか睡蓮が伊月に話したの?)


 西念の家から突然飛び出した睡蓮。その原因が雅樹との逢瀬だとして訪ねた先が伊月の部屋だったら。


(810号室の事を伊月が知ったとしたら)


 木蓮の手のひらに汗が滲んだ。

「ごめん……….お待たしました」

「いつ……..き先生」


 睡蓮と伊月の姿は金沢大学病院の展望台にあった。断崖絶壁の竹林から見下ろす浅野川、向こう岸の丘陵地には睡蓮の実家がある太陽が丘、伊月のマンションが建つ田上新町が見える。


「おもちゃ箱みたいね」

「そうですね」


 2人の手には湯気が立つココアとブラックコーヒー、街を眺める木製のベンチに並んで座った。両手で包む温かさは伊月の背中の温もりを思い起こさせた。伊月は無言で白い紙コップのコーヒーを飲み干している。


「あの…」「あのね…」


 2人同時に口から言葉が転がり出た。気不味さに無言の時間がすぎて行く。伊月の昼休憩もあと残り僅かだった。唇を動かしたのは伊月だった。


「睡蓮さん」

「なに」

「私、転勤する事になりました」

「看護師さんからお聞きしました九州だそうですね」

「医局から九州大学病院への転勤の打診があって、迷っていました。」

「それが、なんで急に」


 伊月は睡蓮を凝視した。


「睡蓮さんが結婚したからです」

「私が、ですか。そんな事より木蓮はどうするの!」

「木蓮との婚約はお断りする事にしました。両親とも話し合いました」

「………..そんな」

「なんとなく流れで見合いした様なものですから」


(なんとなく)


 睡蓮はココアに視線を落とした。自身も親に頼まれてなんとなく見合いの席に着いた。そして雅樹の性格や気質を知る以前に一目惚れをしてその後は木蓮への対抗心に囚われて半ば強引に結婚した。


(なんとなく)


 木蓮が雅樹に選ばれたと知った時は悲しさよりも怒りが先に沸々と煮えたぎり、まるで幼い子どもの様に焦茶のティディベアを木蓮に叩き付けていた。


(なんとなくじゃない)


 それがどうだろう。


(なんとなくなんかじゃない)


 伊月が自分から遠く離れて九州に行ってしまうと聞いた今、睡蓮の胸の内には遠浅の海が凪ぐ、そんな静かな悲しみが広がっていた。鼻の奥がつんと萎み、目頭が熱くなるのが分かった。堪えられない涙が一筋流れた。


(………..先生がいなくなる)


 然し乍ら伊月はその涙を拭う事もなく、優しい言葉を掛ける事もなかった。そしてただ一言だけを残し席を立った。


「明後日………….この前と同じ時間に待っています」


 睡蓮が驚いた面持ちで振り返るとその背中は振り返る事なくエスカレーターを降りて行った。

赦されない私たち あなたは私 私はあなた

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