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朝の合宿所には、
いつもより早い時間に、やけにうるさい声が響き渡っていた。
「……はぁ!? ちょ、ちょっと待て!!!」
岩泉さんの怒鳴り声。
それに続く部員達の引きつった声と、
花巻さんの「おいおいおいおい」という半笑い。
俺は、その騒ぎの中心で目を覚ました。
目の前には寝癖全開で目を剥いた岩泉さん。
その背後から顔を覗かせる部員たち。
そして——
俺の腕には、
まるで毛布にしがみつくみたいに抱きついて眠る、
三年の主将・及川徹。
その状況を理解した瞬間、
花巻さんが爆発したように叫んだ。
「いやいやいやいや!!
なんで国見の布団に及川が入ってんの!?
ていうか抱きついてんじゃん!!」
他の部員は固まったまま、
「……国見先輩……すげぇ……」
と言い、
岩泉さんはこめかみをぴくつかせながら怒鳴る。
「おいクソ川ッッ!!てめぇ何やってんだ、朝っぱらから!!」
その怒声にもかかわらず、
及川さんは俺の肩に顔をすり寄せたまま、
まだ夢の中にいるらしい。
——ひどい状況だった。
まだ俺の腕の中で眠る及川さんを見つめながら
昨日何があったっけと考える。
ぁ、思い出した
________________________
合宿所の夜は、不自然なくらい静かだった。
昼間、あれほど騒がしく、汗と声が入り混じっていた空間とは思えないほど、
廊下には音がなかった。
正確には、寝息や布団の擦れる気配が極めて遠くから伝わってくるだけで、
ほとんど無音と変わらない。
布団の中で目を閉じてから、もうどれくらい経っただろう。
時計を見るのも面倒になってきて、時間の感覚が霧の中で揺らいでいる。
寝れない。
それだけははっきりしていた。
合宿は好きでも嫌いでもない。
でも“生活リズム”というやつにおいては、完全に相性が悪い。
いつも夜遅くまで起きている国見が、
消灯時間の23時にすんなり眠れるわけがない。
そんな生活リズムの悪さを監督に隠すことはできても、
体内時計には嘘がつけない。
周りはみんな規律正しい寝息を立てているのに、
自分だけが目の奥が熱を帯び、脳だけが覚醒していた。
布団の中で何度目かの寝返りを打つ。
消灯してか何時間経っただろうか,
目はちっとも重くならなかった。
「はあ……」
吐息がやけに大きく響く。
隣の布団の金田一が静かに寝息を立てている。
その音を聞くほど、余計に眠れない。
布団から足を出して、冷たい空気に触れる。
一瞬だけ気持ちよかったが、眠気は来ない。
(トイレ……行くか)
誰にも気づかれないようにそっと布団を抜け、
スリッパを履いて廊下へ出た。
月明かりと常夜灯の薄い光が交錯し、
廊下には淡い影が伸びている。
夜の合宿所は、昼とは別世界で、
静寂が空気の中に一層濃く漂っていた。
用を済ませ、手を洗っても
眠気が襲ってくることも無く
全くと言って良いほど眠くない
状況にいらいらしてくる。
ふと外に視線を向ける。
校舎と体育館の間の芝生には、夜露がつき、
月の光が細い銀色の筋を描いていた。
少し歩きたくなった。
外に出ると、
夜風が緩やかに肌を撫でる。
夏の匂いを含む湿った風。
しかし深夜の静けさのせいか、
いつもより冷んやりと感じられた。
俺の足は自然と体育館の方へ向かっていた。
月は大きく、輪郭がくっきりしていた。
薄く霞がかかった空を、
白い光が滑るように照らしている。
夜の散歩は悪くない。
何だか今なら眠れる気がする
明日に備えて部屋に戻ろう。
体育館の影に入りかけた瞬間——
——バンッ!!!
乾いた音が夜を裂いた。
瞬時に足を止め、
音の方向へ顔を向けた。
誰もいないはずの体育館から、
明らかにボールが壁にぶつかった音。
(……夜練? この時間に?)
一度立ち止まったが、
耳が音の方向を捉えて離さない。
無視するという選択肢はなかった。
体育館の重たい扉に手をかけ、
ゆっくりと開ける。
隙間から漏れた光とともに、
中から冷んやりした空気が流れ出した。
中から漂う、
昼間の名残のような気配。
だが体育館は基本的に暗く、
奥の1灯だけがぽつんと灯っていた。
その下で——
及川さんが、
一人でサーブを打っていた__。
________________________
(……は?)
思わず素の反応が漏れた。
カラダを傾けながら、
及川さんはサーブを打ち続けていた。
ボールは力強い音を響かせるが、
軌道は乱れている。
そして俺が気付いたのは、
打ち終えた後、及川さんの足がふらつく瞬間だった。
(今日の練習の後半……やっぱ、だいぶ調子悪かったんじゃん)
昼間、監督に顔色が悪いからと
練習に参加させてもらえて居なかった。
普段クソ川と及川さんに罵声を浴びせている
岩泉さんでさえも心配そうに見ていた。
だからと言ってまさか深夜にこっそり練習しているとは思わなかった。
ボールが壁に当たり、
床に転がる。
それを拾う気力もなさそうに、
及川さんはゆっくりと膝に手を置いた。
思わず溜息が出た。
そして俺は飛んでいったボールを指先で弾いた。
「……何してるんですか」
その声に、及川さんはゆっくりと顔を上げた。
どうやら堂々と入ってきた俺に気付いていなかったらしい。
眠いせいか、瞳に焦点が合っていない。
普段の、鋭く計算された視線とはまったく違う。
「あ……国見ちゃ……?え、なんで……こんな時間に……?」
俺は及川さんに歩み寄り、
ボールを拾い軽く回転させる。
「こっちのセリフなんですけど。
さっき岩泉さんにも寝ろって言われてたでしょう」
「眠れなかったの……」
「……子どもですか」
「だってだって…眠れなかったんだも〜ん……」
「返事になって無いです…」
いつもの及川さんで無い事くらいすぐ分かった。
青葉城西の及川徹で無く,普通の,ごく普通の
青年がそこには立っていた
まあごく普通の青年にしちゃ,少しエロすぎる気もすぎる気もするが
そのギャップに不覚にもきゅんとしてしまう。
(……何これ。ずるい)
しかしそれを顔には出さず、
淡々とした口調で続けた。
「足元ふらふらですよ,辛いんでしょう?」
「ん〜〜……練習したかったの…」
「だからってこんな時間に…俺片付けするので及川さんは部屋に戻ってください。」
「やだ」
やだ、じゃないんですよ及川さん…。
俺は深く息を吐いた。
普段ならあり得ない。
及川さんが「やだ」と駄々をこねるなど、
昼間の彼を知っている人間からすると想像できないだろう。
「それでも早く寝て明日に備えた方が…」
「……」
「…及川さん??」
急に反応しなくなったので名前を呼ぶ。
髪の毛が少し揺れた。
「……やなの…練習するの…国見ちゃんっ…」
及川さんの目元に水滴が溜まる。
(……こんな顔、するんだ)
はぁ
そんな甘ったるい声で
俺の名前を呼ばないでほしい
甘い物は嫌いじゃないが流石にこれは甘すぎる。
自分でも理解できない。
180超えの男への“可愛い”という感情に胸を刺されてしまう。
(……なんだこれ)
たぶん今でなければ一生知らなかっただろう。
主将の、弱い部分。
恋とかじゃない。
けど、心臓が一瞬だけ跳ねた。
________________________
腕を組んで何度目か分からないため息をつく。
「…30分だけ。付き合います。その代わり、終わったら寝てください」
「えっ……いいのっ……?」
「……どうせこのまま戻っても眠れ無いでしょうし」
「ばれてる…笑」
ふにゃっと笑う及川さん。
眠いのか恥ずかしいのか頬が少し赤い。
夜の体育館は外よりも温度が低く、
湿度だけが少し残っている。
ボールの音だけが響き、
二人の影がゆっくりと床に揺れた。
トスを上げる俺。
打つたびに息を吐く及川さん。
フォームはやや乱れているが、
それでも主将の技量は健在で、ボールは思ったより鋭く飛んだ。
時間が経つほどに呼吸が重くなり、
眠気と疲労のためか、及川さんは膝に手を置いて前髪を揺らした。
「やっぱ、調子悪いんじゃ……」
「いや…大丈夫……あと何分……?」
「…10分です」
「え〜〜〜やだぁ……」
ここで俺は初めて時計を見た
3時12分,もちろん午前
及川さんに会ったのが大体2時50分くらいで
消灯は23時。
俺は何時間布団の上で睡魔と戦っていたのかと
自分でもびっくりする。
しばらくすると、
及川さんのボールを拾いに行く足取りがさらに重くなった。
俺が代わりに拾いに行くと、
及川さんが小さく言った。
「国見ちゃんもしかして結構やる気?笑」
「違います。早く寝て欲しいだけです。」
「ふふ……知ってる……」
又だ,さっきから及川さんはたまに、
こうして照れたように笑う。
それが、やけに愛おしくて胸に響いた。
30分が過ぎた頃には、
及川さんは膝に手をついて呼吸を整えていた。
「ぁ……終わりです。帰りましょう」
「え~~……あと10分……」
「駄目です。」
「…国見ちゃんバレー上手くなったね」
「褒めてもダメです」
「む…国見ちゃんのいじわる…」
「うるさいです。早く帰りますよ。」
「うぅ……帰る……」
相当眠いのだろう。
及川さんは何度もふらついた。
その度に俺が支える。
本当に生まれたての子鹿のようだった。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫…じゃない……眠い……」
「知ってます」
「国見ちゃあ……」
回らない滑舌を必死に使って名前を呼ぶ声が可愛くて、
そのたびに俺の心臓が少しだけ跳ねた。
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体育館を出た途端、
夜の空気が一気に肌をなでた。
昼の名残の熱が完全に逃げたその風は、
汗をかくほど練習したわけでもない俺の体には
ひやりと感じられる。
及川さんはその冷気のせいか,きゅっと肩をすくめた。
「さむ……」
横からふらふらと小さくつぶやく声。
いつもの色気と自信はまるで残っていない
最初の方は及川さんも俺も同じスピードで歩いていたが
どんどん進むにつれて及川さんの歩幅が短くなっていく。
少し進んで振り返ると、及川さんがぼんやり立ち尽くしていた。
目は半分閉じていて、
眠いのか疲れなのかわからないほど。
「……歩けます?」
「歩ける……けど……なんか…………ふら……」
言い終わる前に、
体がぐらりと揺れた。
俺は及川さんの腕を軽く掴んで引き寄せた。
「ほら、しっかり」
「ん……ありがと……」
近い。
近い近い近い近い近い…。
距離が近い。
眠気で無意識なのか、
及川さんの肩が腕に当たる。
その重さが妙に体温を伝えてきて、
一瞬だけ呼吸が乱れそうになった。
離れようとしても、
逆に身体を預けてくる。
意識しての甘えではない。
ほとんど寝ながら歩いているような状態だ。
「ねむ……い」
「寝ないでください。ここ廊下ですよ」
「国見ちゃん……」
名前だけを呼ぶ声が弱々しくて、
くぐもっていて、
無防備で。
俺は少しだけ眉を寄せた。
(こんな顔……誰にも見せないでくださいよ…)
そんな気持ちが胸に広がる。
及川さん達の部屋の前で足を止めたとき、
及川さんは扉に触れるだけで動かなくなった。
まるで扉が開くのを待つ気力も残っていないよう
に。
「……及川さん」
「ねむい……でも……ねれない」
「寝ればいいでしょ」
「……ひとりじゃ……なんか……ちょっと……こわい……」
意外な言葉だった。
胸がゆっくり締めつけられる。
焦りのせいか、疲労のせいか。
あるいは合宿という環境のせいか。
普段の明るさと強さが消えた時、
及川さんは思った以上に脆いらしい。
数秒考えたが、
またまたため息をひとつ。
「……僕んとこ来ます?」
及川さんは、ほぼ条件反射で頷いた。
「……うん」
嬉しそうというより、
安心したような、力の抜けた頷き。
これもまた心臓が少しだけ跳ねた。
部屋に入ると、
及川さんはふらふらしながら布団に近づき、
そのまま吸い寄せられるように滑り込んだ
が、すぐに顔を出した。
「国見ちゃん……」
「なんですか」
「いっしょ……きて……?」
その“お願い”は思いのほか素直で、
俺の中の良くは無いな気持ちを
やわらかく溶かしていった。
布団に入ると、
及川さんはためらいもなく、
俺の服の裾を指でつまんだ。
ひっそりと。
無意識の、弱い仕草。
「……これしてないと……寝れない……」
「僕は掛け布団じゃないんですけど」
「……ん……でも……あったかい……」
顔が熱くなるのを自覚しながらも
その裾をほどくことはしなかった。
布団の中は、
やけに静かで、やけに近い。
呼吸の間隔、まぶたの動き、体温。
そのすべてが伝わる距離。
及川さんが寄り添うように頭を俺の肩に置き、
深い息を吐いた。
「……国見ちゃん、ありがと……」
小さな声。
その声が耳に落ちた瞬間、
胸の奥がわずかに疼いた。
(……なんなんだ、ほんと)
でも悪くなかった。
布団の中のぬくもりは
夜風の冷たさとはまるで違って、
気を抜けばすぐに眠りに落ちそうなほど、
心地よかった。
それを自覚した瞬間、
俺のまぶたにも重さが降りてきた。
静かな呼吸の音が二つ、
ゆっくりと重なる。
深夜二時の空気に、
ふたりは静かに沈んだ。
——そして翌朝、あの大騒ぎに繋がるわけだが。
それはまた別の話。
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