テラーノベル
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家に帰って、ベッドに倒れ込む。
目を閉じる。
浮かぶのは、
名前のない声。
名前のない笑顔。
名前のない――
後ろ姿。
思い出せそうで、
思い出せない。
スマホが震えた。
通知じゃない。
下書き。
新しい一行が、
勝手に追加されている。
【名前を呼ばなければ、 まだ、間に合う。】
間に合う、
って何に。
俺は、
その文の続きを
打とうとして――
やめた。
ヒヤシンスが、
頭に浮かんだから。
ちゃんと、
見ていないと。
その意味を、
俺はもう、
知り始めている。
____
次の日。
午後の授業は、
何事もなかったみたいに進んだ。
ノートを取る。
板書を見る。
当てられたら答える。
全部、できてしまう。
それが、
一番おかしかった。
間違えない。
迷わない。
説明される前に、答えが分かる。
――前にも、やった。
そんな感覚が、
ずっと指の裏に貼りついている。
休み時間。
スマホが震えた。
今度は、
はっきりした通知音。
【新しいダイレクトメッセージ】
心臓が、嫌な跳ね方をする。
送り主の名前。
アリウム
見覚えはない。
フォローもしていない。
アイコンは、
紫色の花。
丸くて、
放射状に咲いている。
ヒヤシンスじゃない。
でも、
似た色だった。
開く。
アリウム「見ないふり、上手くなったね。」
指が止まる。
「誰だ。 何の話だ。」
アリウム「今日はまだ、 花、落ちてないでしょ。」
画面から、
一気に音が消えた気がした。
周りの話し声が、
水の中みたいに遠くなる。
俺は、
ヒヤシンスのある窓際を見た。
まだ、
咲いている。
「誰?」
短く返す。
既読が、
すぐについた。
アリウム「今は、 俺でいいよ。」
胸の奥が、
冷える。
「意味分かんない。」
アリウム「分からない方が、
今回は長く持つ。」
長く、
持つ?
「何の話だよ。」
少し間があって、
次のメッセージ。
アリウム「名前、
呼びそうになったでしょ。」
息が詰まる。
あの時。
窓際で、
喉まで出かかった音。
アリウム「あれ、 呼んだら終わりだった。」
俺は、
スマホを伏せた。
偶然だ。
誰かの悪趣味な冗談だ。
そう思おうとした。
でも、
次の一文が来る。
アリウム「今回は、
ちゃんと見送れって
書いてあったはずなんだけど。」
――プリントの裏。
アリウム「それ、 もう見た?」
俺は、
返事をしなかった。
代わりに、
机の中に手を入れる。
さっき戻したはずのプリント。
裏を見る。
文字が、
増えている。
俺の字。
【連絡が来たら、 信じるな。】
頭の奥で、
何かが軋んだ。
スマホが、
また震える。
アリウム「その文、 俺が書いた。」
アリウム「正確には、 書かされてる。」
アリウムのアイコンが、
一瞬だけ、
滲んだ気がした。
紫色が、
濃くなる。
アリウム「お前さ。」
アリウム「もう気づいてると思うけど、
少しずつ 世界、ズレてる。」
俺は、
教室を見渡した。
笑っているミオ。
ノートを覗き込むユウ。
そして――
あの、名前のない席。
さっきより、
机が壁に寄っている。
誰も、
それを気にしていない。
アリウム「それ、
戻ってるんじゃない。」
アリウム「削れてる。」
喉が、
ひくりと鳴る。
「誰だよ、お前。」
しばらくして、
最後のメッセージ。
アリウム「アリウム。」
アリウム「紫の花。 ヒヤシンスより、 ずっと後に咲く。 咲く時期を、 間違えたやつ。」
画面を閉じた。
心臓の音が、
うるさい。
窓際を見る。
ヒヤシンスの茎に、
小さな亀裂が入っていた。
折れてはいない。
でも、
確実に弱っている。
その瞬間、
分かってしまった。
このDMは、
警告じゃない。
経過報告だ。
そして多分、
俺はもう、
その報告を
何度も受け取っている。
思い出せないだけで___
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