触れたら切れそうな鋭い岩壁と、古く頼りないガードレールの向こうに抜け落ちる絶壁の間を、時速300キロで走り抜ける。
今日、俺が操るのは、ヤマハのVーMAXだ。
エンジンは水冷V型4気筒、馬力は151。311㎏の巨体だが、圧倒的なパワーで、信じられない加速をする。
左右交互に現れるタイトなカーブを抜けると、約2キロメートルに渡る直線コースに入る。
一気に加速したことで、フロントがわずかに浮き上がる。
全体重を前方にかけ、なんとか路面に着地するが、その隙に追尾していたバイクが、すぐ後ろまで迫ってきてしまった。
「させるかよ!」
グリップを握り直し、迫り来るヘアピンカーブに備える。
スピードは100キロを保ったまま、車体を横に倒しバンクさせ、一気に曲線に入る。
肘が路面に触れるすれすれの角度で、自分の体重をタイヤと路面の僅かな設置面に乗せる。
慎重にバランスを取りながらカーブを曲がる。
と、てっきり突き放したと思っていたバイクが、自分を透き通って前に出た。
「あ、くそ!」
しまったと思ったときには遅かった。一瞬バランスがくずれ、思わずアクセルを開いてしまった。たちまち後輪のグリップが戻り、車体を内側に吹っ飛ばしながら、転倒した。
岩壁に身体を強く打ち付けられ、路上に転がる。
目の前には真っ赤な文字で“再起不能”と表示された。
「また負けた!あのくそ兄貴!!」
言いながらプレイキューブを投げ捨てるように外すと、辺りは山間のレースコースから、古びた小屋に戻った。
「……意外と元気そうだな」
小屋の片隅に膝を抱いてしゃがんでいる男に、悲鳴を上げる。
「アホ!脅かすな!」
卓巳はにやにや笑いながら立ち上がった。
「なんだよー。学校サボって、プレイキューブでエッチなゲームでもやってたのかあ?」
アルミボトルのジュースを投げて寄越す。
「ちげーよっ!わかってんだろ。公的機関に入場禁止期間なんだよ。学校も然り!」
「冗談だって。怒るなよ。んで、何のゲームしてたの?」
「……バイクレース」
「よくやるねー。俺、ゲームでも絶対無理だわ」卓巳が目の前で手を振る。
「手動で運転して、安全機能もついてないなんて、想像するだけで、ふくらはぎがそわそわしてくるわ」
「これだから素人は」
「へえ?じゃあ、今日こそ勝てたんだろうな?お兄さんには」
「うるせー」
母親が元気だった幼少の時分に買ってもらったプレイキューブゲームで、よく兄と競争をして遊んだ。
今も、肩を並べてやることこそないが、それぞれが自分がやりたいときにレースをして、互いに速さを競っている。
兄の記録を少し上回れば、すぐ越され、やっと追いつけば、二日と開けずに記録が更新される。
いたちごっこと言うよりは、俺のレベルに合わせて、その上すれすれを提示してくる兄に、うまく踊らされている気分だ。
「それはそうと」
居心地悪そうに座り直しながら卓巳が目をそらして言う。
「大変だったな。お袋さん」
不器用な奴だが、ここにきた理由は、俺のことを気遣ってのことなのだろう。
その気持ちがくすぐったくも嬉しい。
「まあ、な。でもまあ、ずっと具合悪かったし」
お袋が死んだのはつい昨日のことだった。正確に言えば、気がついたのが昨日だった。朝、いつもより遅めに起きた俺が、寝室を覗くとすでに冷たくなっていた。
「近いうちにこうなるとわかってたから覚悟はできてた。ほんと、寝てるみたいでさ。最後に痛がったり、苦んだりしなかっただけで、よしとしてる」
「そうか。そうだよな」
目を伏せたまま卓巳が言う。
「それで?お前の方は大丈夫なのかよ」
「何が?
「体調。なんか最近、具合悪かっただろ?遅刻してきたり、保健室で寝てたりさ」
「あー。なんか、だるかったり眠かったりな。季節の変わり目だからじゃね?」
「年寄かよ!お兄さんは?どうしてる?」
「あー。たぶん知ってるだろうけど、まだ会ってない。もともと家にそんなに寄り付かないし」
「ふーん?でもこんなときくらい……」
「兄貴のことはよくわかんねー」
受け取ったジュースの蓋を開くと、フワッとピンク色の蒸気がハートの形になり弾けた。
「……おい。これ、あげる相手間違ってないか?」
「何を言う!俺の純粋なる気持ちだよ!」
嬉しそうにケラケラ笑いながら自分のも開けている。そっちは花火が飛び出していた。
「全く」
言いながら乾杯よろしく二人でボトルを合わせると、透明の液体がたちまち黄緑色になる。
「何味?これ」
「えーとね、キウイとメロンのミックス」
口に入れて噛み締めるように咀嚼する。
「あー!するするキウイなー!メロンなー!」
大袈裟に言うと卓巳も乗ってくる。
「気持ち、メロン強めでもいいのになー!」
「言えてる!」
拳を合わせる。
3秒後、
「ばからし」いいながら俺は脱力した。
「メロンもキウイも、夢でさえ食ったことねーわ」
「右に同じく」
「……ひたすら甘いな。本当に果物ってこんなくそ甘いわけ?」
「なー」
2人で蓋を閉めてため息をつき、窓の外を見た。
「それよりもさ、俺のプリンセスは通った?心咲(みさき)ちゃんだよ!心咲ちゃん!」
「あー。見てなかったけど。多分まだなんじゃね?」
「マジかー!見とけよー」
校舎裏の高台に位置するこの小屋は、幼い頃、兄と二人で見つけた廃屋で、以来十年間、勝手に隠れ家にしている。最近はこの卓巳も出入りするようになった。
ここからは都立ゴールドポンド高校を登下校する生徒がほぼ全員見える。正門は真逆なのだが、それぞれの家へ続くエアバスのターミナルが裏側にあるのだ。
この隠れ家に入り浸りたいがために、この高校に入学したようなものだ。
「来た~!!」
しばらくすると、長い髪の色をパープルに染めた、心咲が姿を表した。女友達と談笑しながら歩いている。
「あー。マジ天使」
頬杖をつき、うっとりしている横顔を見る。
「ほんと、好きな。お前」
「いや、好きじゃない。愛してる」
「“無謀”って漢字、辞書なく書ける?」
言うと、卓巳はやっと天使から目をそらしてこちらに向き直った。
「そんな言葉、俺の辞書にはない!」
持っていたボトルの蓋を開け、思いっきり傾けて一気飲みしている。
「意気込みはいいんだけどね」
くいくいと外を指差す。
後ろから心咲のもとに走り寄ってくる男が見える。
振り向いた顔は華やいでいて、その男性に好意を抱いているのがわかる。確か隣のクラスの大滝とかいう奴だ。
「賢明な判断をしたまえよ。傷つくのはお前だ」
「……何をえらそうに」
「二人ともナシオン同士、お似合いだろ」
舌打ちをしている親友を見ながら足を上げてテーブルに仰向けになる。
「ナシオンなんか、滅びればいいのに。男だけ!」
「そしたら俺たちだって生きていけないだろ」
言いながら胸ポケットから使用済みの注射器を取り出す。
「お前、今日の分、打った?」
「ふん」
「なんか臭うぞ」
「嘘つけ!朝、打ったよ!」
不機嫌そうに隣に寝っ転がった親友に諭すように言う。
「そろそろ諦めろよ。俺たちポブレに選択権はないんだって」
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