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「チヒロ君今日甘いもんとか作った?」
「?、作ってませんよ」
「やんなぁ」
六平家の居間で日向ぼっこをしていた柴は日光をたっぷり浴びたほかほかの洗濯物を畳む千鉱に唐突に尋ねた。
甘い物が苦手で作れはするが年に数回、父やその友人達の誕生日を祝う際に作る程度で特別な行事がある訳でもない今日は菓子どこか砂糖すら使ってなかってない千鉱はその質問の意図を掴めず困惑しつつも否定すると予想通りといった感じの返事を返された。
「甘ったるい、あれに似た香りがしたんやけど」
「あれってなんですか」
「オメガのフェロモン。チヒロ君もこの前適性検査受けた時説明書みたいなん貰ったやろ?」
「確か発情期に体から発せられるとかいうあの」
「それもあるけどさっきのは体質臭に近いフェロモンやね。千鉱君はまだ会った事ないから知らんけどオメガって普段から甘い匂いがすんのよ。やからすぐにあ、この人オメガやって分かる。けどここにはアルファしかおらんし、絶対気のせいよなぁ。変な事聞いてごめんな!」
部屋に響くマシンガントークを終え鼻を何度か啜った柴はもう香りの事など忘れたように畳の上に置かれた洗濯物を一緒に畳みだす。
若干の蟠りが残った千鉱もやがてそれは薄れていき、晩御飯を考える頃にはすっかり消えていた。
しかしそれは千鉱に起きる不幸の兆候に過ぎなかった。
見るからに明らかな不審者が目の前に現れた。
しかしここは楽座市、屑と変態が集い競売に勤しむこの場においては最低限の倫理観を持ち合わせた上で楽座市をぶっ潰そうと画策して懸賞金まで掛けられ追われている千鉱の方が不審者と呼ばれるに相応しい。
でもやはり千鉱から見たこの男は圧倒的不審者でしかなかった。
「なんだオメガじゃなかったのか」
「なにし、て」
「だが何故こんなオメガに近いフェロモンが出ているんだ。発情期は来るのか?」
「黙れ!」
不審者から性犯罪にシフトチェンジした父の仇だと自称する余罪だらけのこの男から首の肉に歯を立てられ無防備な痛みに襲われ自尊心が削られる。
この男、幽は千鉱から漂う香りをオメガが日常的に放つフェロモンと同じと断定しちょっとした悪戯心で項に噛み付いたがその暴挙は失敗に終わった。
千鉱は幽の言う通りオメガ特有のフェロモンに似通った香を日常的に纏っているせいでよく勘違いされるが実態はアルファであり、発情期も来なければ番契約もされる側ではなくする側である。
いわば社会的強者の立ち位置にいるはずの自分がこんな屈辱を受けねばならないのか。
己の不幸要因の全てを担う性犯罪者であり仇である幽は明確な復讐相手に他ならない。
「絶対いつか殺してやるからな」
今すぐに雷をぶつけたい殺意が沸き上がりながらもなんとか壁向こうにいる伯理を優先すると決めた理性の堅い千鉱は怨念のこもった眼光で睨みその場から去った。
「ち、チヒロ君、それ…」
「あ」
色んなイレギュラーが起きつつもなんとか終幕となった楽座市会場の跡地で幾つもの傷を負った千鉱に駆け寄る柴は破れたり燃えたりでボロボロになったロングコートの端から見える血が滲む項の噛み傷を見つけてしまった。
「やっぱお前オメガだったのか!」
「ここでしたのか」
「ほんとに!?」
「違う」
項に噛み傷というピンポイントなそれがアルファがオメガに施す番契約の証のあれにしか見えずしかもこれが真新しい傷ときたものだから何となく千鉱をオメガだと思い込んでいた面々はまさかこんな場所と状況で番契約したのかと周囲が混乱と驚愕が伴って騒ぎ立てようとした所で千鉱は即座に否定する。
「俺はアルファだ、オメガじゃない。」
「嘘つくな、匂いがオメガそのものだろ」
「嘘じゃない。特殊だがアルファには変わりない」
「ほんまにその子はアルファやで」
「え、じゃあその傷は」
「………知らん男にやられた」
「犯罪者じゃん!!!!」
「お前らもだろ」
「あ、そっか、ってそうじゃない!!!」
「…あいつか?」
「ああ」
千鉱程の実力者にそんな不埒な行為を出来る奴がいたかと考えた緋雪は千鉱と交戦した後逃走したあの不気味な男を思い出す。
気色の悪い野郎だと感じてはいたがまさか性犯罪までしでかしていたとは。
一般人の救出に尽力してくれた根が真っ直ぐな千鉱をなんだかんだで嫌っていない緋雪は酷く不愉快な気分になった。
「あのクソ野郎に次会ったらうちが思っいきりぶん殴ってやるよ」
「是非宜しくお願いします」
「あの子ら物騒やな」
「柴さんは意外と冷静ですね。1番怒ると思ってたんですけど」
「俺もめっちゃブチ切れよう思たけどあのチヒロ君みたら一周まわってもうたんよなぁ」
「…うわぁ」
伯理の視線の先にいた千鉱は鬼の形相どころではなく正に鬼そのものだった。
淵天の鞘を強く握り表情をいつも以上に変えない千鉱の周りには3匹の金魚が宙を泳いでいる。
まるで契約者の激情が溢れてしまっているかのように普段よりも力強く尾鰭を動かしている。
「柴さん」
「あ、はい」
「人の歯を折ったことありますか」
「無いことはないけど…なんで?」
「勿論二度とこんな真似が出来ないようあいつの歯を全部折るからですよ。何事も準備が大切ですから」
「うん、そっか」
「次会ったら絶対殺します」
「そうやね」
もはや何も言えなくなった柴は全てを肯定した。
千鉱の隣で此方をじっと見つめてくる金魚の目も大層怖い事になっているのに契約者本人は果たして気づいているのかは定かではない。
もしこれが淵天の意思によるものだとしたら……
寄り添うように輪郭へ頬擦りをする金魚達を擽ったそうに顔を綻ばした千鉱はもう鬼ではなかった。
「似合いますか柴さん」
「…どしたんそれ」
神奈備に連れていかれる前に少しの猶予を貰った千鉱は退院したその足でオメガ用チョーカーを買った。
決して安い買い物ではなかったが迷いは全くなく店に入って手に取った物を即決した。
柄や色等どうでもいい。
「不名誉の傷を晒すくらいならあらぬ誤解をされた方がマシです」
「…………際ですか」
シャルに触れても見ても欲しくないこの噛み傷を自然治癒で治すと言った時からこうなる事は大体予想はしていたが実際に目の当たりにするとなんて痛々しい姿か。
柴は心の中で国重に平謝りし、まだこの現状を知らない薊からは何発入れられるんだろうなと遠い目をした。