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#異能力バトル
聖杯
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第七話、読み終えたわ! めっちゃ良かった。 まず、衛二がちゃんと約束を守ろうとしてるのがグッときたよ。アストルフォが「ぎゅーで止める」とか「エイジ甘やかし予約」とか言ってるの、めっちゃ可愛いし、その温かさが物語の重さを和らげてて、丁度いいバランスだった。 返事の庭の描写も綺麗で、でも「返らぬ声」っていう切なさが胸に響いたな。ラストの「返事はいらない」にはゾクッとした。続きが気になる!
第七話 柳洞寺の鐘は、返事を拒む
朝食の味噌汁は、いつもより少し甘く感じた。
遠坂衛二は、食卓の湯気をぼんやり眺めながら、そんなことを思っていた。
いや、実際に甘いわけではない。
士郎の味噌汁はいつも通り完璧で、出汁の香りも、豆腐の柔らかさも、わかめの食感も、何一つおかしくない。
ただ、昨日の夜が濃すぎたのだ。
冬木大橋地下霊脈。
月蝕教団。
神杯の欠片。
無窮剣界。
沈黙冠の夢。
あれだけのことがあった翌朝に、こうして温かい味噌汁を飲んでいる。
その事実が、妙に現実味を失わせていた。
「衛二」
向かいの席から凛の声が飛んでくる。
衛二は箸を止めた。
「はい」
「今日の予定、確認」
「学校」
「その後は?」
「まっすぐ帰宅」
「魔術は?」
「禁止」
「投影は?」
「禁止」
「五大元素は?」
「禁止」
「無窮剣界は?」
「絶対禁止」
「よろしい」
凛は満足そうに頷いた。
その隣で士郎が苦笑している。
「念入りだな、凛」
「当然でしょう。昨日あれだけ無茶したのよ? 本当なら学校も休ませたいくらいなんだから」
「でも、学校に行かないと余計に考え込むか」
「そういうこと。だから行くのは許可。ただし、何かあったら即帰宅。アストルフォ」
「はい!」
アストルフォは衛二の隣で元気よく返事をした。
彼は当然のように朝食の席にいる。
しかも今朝は、衛二の皿に卵焼きを一切れ乗せたばかりだった。
衛二が自分で取れると言っても、アストルフォは聞かなかった。
『今日は回復日だから、エイジは甘やかされる日!』
そう言い切って、朝から世話焼き全開である。
凛はアストルフォを見据えた。
「衛二が少しでも魔術を使おうとしたら止めなさい」
「任せて!」
「敵が出たら?」
「ボクが守る!」
「衛二が無茶しようとしたら?」
「ぎゅーで止める!」
「……物理的に止めなさい」
「ぎゅーは物理です!」
凛は額に手を当てた。
「間違ってはいないけど、そういう意味じゃないわ」
士郎が小さく笑う。
衛二は味噌汁を飲みながら、少しだけ肩を落とした。
「俺、そんなに信用ない?」
「あるわよ」
凛は即答した。
「信用しているから、あんたが無茶することも分かっているの」
「それは信用なのか?」
「遠坂家式の信用よ」
「重いな」
アストルフォが衛二の袖をつんつん引いた。
「エイジ」
「何?」
「今日一日、魔術使わなかったら、いっぱい褒めてあげるね」
「高校三年生が魔術を我慢しただけで褒められるのか」
「うん。すごくえらい」
「基準が甘い」
「今日は甘くていい日!」
アストルフォはにこっと笑った。
その笑顔を見ると、衛二は何も言えなくなる。
昨日の夜。
沈黙冠の夢から戻った時、アストルフォは泣きそうな顔で衛二の手を握っていた。
今朝、目覚めて最初に名前を呼ぶ約束をした。
そして衛二はちゃんと、その約束を守った。
ただそれだけで、アストルフォは本当に嬉しそうに笑った。
その笑顔を守りたい。
そう思った瞬間、衛二はすぐに自分へ言い聞かせる。
願いを、杯へ渡すな。
守りたいという気持ちは、自分のものだ。
誰かに利用されるためのものではない。
凛が衛二の様子に気づいた。
「また難しい顔」
「……してた?」
「してたわね」
アストルフォも頷く。
「してた」
士郎まで頷く。
「してたな」
「父さんまで」
ユイが静かに茶を置いた。
昨夜から遠坂邸に滞在している彼女は、今日も落ち着いた顔で食卓に同席していた。
その隣にはミライもいる。
月蝕教団の観測役だった少女は、まだ遠坂邸の空気に馴染んでいない。
食事にもほとんど手をつけていない。
だが、昨日より表情は柔らかかった。
少なくとも、敵として立っていた時の冷たさは薄れている。
ユイは衛二を見て言った。
「沈黙冠の問いは、すぐに答えが出るものではないわ。急ぎすぎると、逆に飲まれる」
「分かっています」
「本当に?」
今度はユイ、凛、アストルフォの声が重なった。
衛二は少しだけ顔を伏せる。
「……努力します」
「約束」
アストルフォが即座に言った。
衛二は彼を見る。
アストルフォは真剣だった。
「努力じゃなくて、約束」
その声には、昨日の不安がまだ残っている。
衛二は小さく頷いた。
「約束する。今日は一人で沈黙冠のことを考え込まない」
「うん」
「魔術も使わない」
「うん」
「何かあったら、まずアストルフォに言う」
「うん!」
アストルフォの顔が明るくなる。
「じゃあ、契約再確認」
「朝食中」
「頬じゃなくて、手ぎゅーなら?」
「それはいつもしてるだろ」
「じゃあ今もする」
アストルフォは当然のように、テーブルの下で衛二の手を握った。
凛が眉をひそめる。
「朝食中に何してるの?」
「精神安定です!」
「便利な言葉にしないの」
士郎は笑った。
衛二も、少しだけ笑った。
こうして笑える朝がある。
それだけで、沈黙冠の問いから少し遠ざかれる気がした。
◇
穂群原学園は、いつも通りだった。
昨日の夜、冬木大橋の地下で神杯の欠片を巡る戦いがあったことなど、誰も知らない。
生徒たちは登校し、友人と話し、受験の話題にため息をつき、昼休みの購買を心配している。
衛二はその日常の中に戻ってきた。
隣には、霊体化したアストルフォがいる。
『エイジ、今日は魔術禁止だよ』
「分かってる」
『投影も禁止』
「分かってる」
『無窮剣界も絶対禁止』
「学校で展開するわけないだろ」
『エイジなら、誰かが危なくなったらやりそう』
「信用がない」
『信用してるから心配なの!』
朝と同じことを言われた。
衛二は小さく息を吐く。
下駄箱で靴を履き替えていると、背後から声がした。
「遠坂」
柳洞悠馬だった。
眼鏡の奥の瞳は、いつもより険しい。
「おはよう、柳洞」
「ああ。おはよう」
柳洞は衛二の顔をじっと見た。
「顔色が悪いな」
「寝不足」
「昨日、冬木大橋で何かあったのか?」
直球だった。
衛二は一瞬、返答に詰まる。
柳洞は続けた。
「昨夜、寺の鐘が鳴った」
衛二の背筋が冷えた。
アストルフォの気配も引き締まる。
『エイジ』
「鐘って、柳洞寺の?」
「ああ。ただし、誰も撞いていない。父も、寺の者も、誰も鐘楼には近づいていなかった」
柳洞は声を落とす。
「だが鳴った。三度。しかも、最後の一度は音が途中で消えた」
「途中で?」
「鳴ったはずなのに、音だけが切り取られたように消えた。父はひどく気味悪がっていた」
沈黙冠。
衛二の脳裏に、その名が浮かんだ。
音が途中で消える。
鐘の音が、沈黙に飲まれる。
あまりにも象徴的だった。
衛二は拳を握りかけて、すぐに力を抜いた。
今日は魔術禁止。
一人で考え込まない。
何かあれば、まずアストルフォに言う。
約束したばかりだ。
『エイジ、今の顔はだめ』
「……分かってる」
思わず小声で返してしまった。
柳洞が首を傾げる。
「誰と話した?」
「あ、いや、独り言」
「遠坂、お前、昨日から本当に変だぞ」
「否定できない」
柳洞は少し沈黙した。
そして、真剣な声で言った。
「今日の放課後、柳洞寺に来られるか?」
衛二は目を細める。
「どうして?」
「父が、お前に会いたいと言っている。正確には、遠坂家の者に話したいことがあるらしい」
「柳洞寺の住職が、遠坂家に?」
「ああ。寺の地下で古い封印が反応している。父は詳しいことは話さなかったが、冬木の古い魔術師に関わるものだと言っていた」
アストルフォが小さく呟く。
『返事の庭……』
衛二の胸が重くなる。
昨夜、ユイが言った。
返事の庭は、柳洞寺の地下霊脈、そのさらに奥にある。
かつての大空洞に近い場所。
そして今、柳洞寺の鐘が鳴った。
衛二は即答しそうになった。
行く、と。
だがその前に、アストルフォの声が飛ぶ。
『エイジ。約束』
衛二は息を吐いた。
そうだ。
一人で決めない。
「柳洞。今日すぐに返事はできない」
「珍しいな」
「家に確認する。母さんたちにも関わる話かもしれない」
柳洞は少し驚いたようだったが、すぐに頷いた。
「分かった。だが、できれば早い方がいい。父は今朝からずっと落ち着かない様子だった」
「分かった。放課後までに返事する」
「頼む」
柳洞はそう言って教室へ向かった。
衛二はその背中を見送りながら、胸の奥に沈む予感を感じていた。
柳洞寺。
鐘。
返事の庭。
沈黙冠。
点が繋がっていく。
そして、その中心にまた自分がいる。
『エイジ』
アストルフォが隣で、少し柔らかい声を出す。
『今、ちゃんと相談しようとしたね』
「約束したからな」
『えらい』
「これで褒められるの、やっぱり基準が甘い」
『今日は甘くていい日だから』
衛二は少しだけ笑った。
その笑いは、今朝より少し固かった。
◇
授業は、ほとんど頭に入らなかった。
現代文の文章も、数学の問題も、英語の長文も、目には入る。
だが、思考はすぐに柳洞寺の鐘へ戻ってしまう。
鐘の音が途中で消えた。
まるで、返事が沈黙に飲まれたように。
アストルフォは授業中、いつもより静かだった。
普段なら。
『エイジ、眠そう』
『この問題難しい?』
『今の先生の言い方、ちょっと面白いね』
『頑張っててえらい』
などと、霊体化したまま隣で小さく話しかけてくる。
だが今日は、衛二の机の横に座り、時々心配そうに見上げるだけだった。
それが逆に、衛二の胸をくすぐる。
昼休み。
衛二は屋上へ向かった。
弁当を持ってではない。
スマホを手に、家へ連絡するためだ。
屋上には誰もいない。
冬の風が冷たい。
アストルフォが実体化する。
「エイジ、寒くない?」
「少し」
「じゃあ、これ」
アストルフォは自分のマントの端をふわりと衛二の肩にかけた。
「いや、実体化してる方が危ないだろ」
「今は誰もいないし、結界も薄く張ってる」
「アストルフォが?」
「うん。簡単なやつだけど」
「成長してるな」
「ボクだって護衛だからね!」
アストルフォは少し得意げに笑った。
衛二はスマホを取り出し、凛に電話をかける。
数コールで繋がった。
『衛二? 何かあった?』
第一声がそれだった。
「まだ何か起きたわけじゃない」
『“まだ”?』
鋭い。
衛二は苦笑した。
「柳洞から話を聞いた。昨夜、柳洞寺の鐘が勝手に鳴ったらしい。それも、最後の音が途中で消えたって」
電話の向こうで、凛が沈黙した。
その沈黙だけで、衛二は状況の重さを察する。
『……放課後、柳洞寺へ行くわ』
「俺も行く」
『今日は魔術禁止』
「分かってる。でも柳洞の父親が遠坂家の者に会いたいって言ってる。俺に話があるかもしれない」
『衛二』
「一人では行かない。アストルフォもいる。母さんたちと合流してから行く」
電話の向こうで、凛が小さく息を吐いた。
『ちゃんと相談した点は評価するわ』
横からアストルフォが小さくガッツポーズをした。
衛二は少し笑いそうになる。
『ただし、勝手な行動は絶対禁止。放課後、校門前で待ちなさい。私と士郎、ユイ、ミライも行く』
「ミライも?」
『柳洞寺と返事の庭が絡むなら、彼女の知識が必要になる』
「分かった」
『それと衛二』
「何?」
『魔術は使わない』
「分かってる」
『投影もしない』
「分かってる」
『アストルフォ』
電話越しに凛が呼んだ。
アストルフォがぴしっと背筋を伸ばす。
「はい!」
『衛二が何かしようとしたら止めなさい』
「任せて!」
『ぎゅーだけじゃなく、ちゃんと止めること』
「ぎゅーで止めつつ、ちゃんと止めます!」
『……まあいいわ』
通話が切れた。
衛二はスマホをしまう。
アストルフォは満足そうに頷いた。
「ちゃんと相談できたね」
「また褒めるのか」
「褒めるよ。エイジ、えらい」
「子どもみたいだ」
「でも嬉しい?」
「……少し」
アストルフォの顔がぱっと明るくなる。
「じゃあ、もっと褒める!」
「ほどほどに」
「今日は我慢した分、放課後にまとめて褒めます」
「予約制なのか」
「うん。エイジ甘やかし予約、今日もいっぱい」
衛二は呆れながらも、心の奥が少し温かくなるのを感じた。
柳洞寺へ行く。
そこには、おそらく返事の庭へ続く何かがある。
沈黙冠の問いにも近づくことになる。
怖い。
でも、今度は一人ではない。
アストルフォがいる。
凛がいる。
士郎がいる。
ユイがいる。
ミライもいる。
そして、自分はちゃんと相談した。
それだけで、昨日より少しだけ前へ進めた気がした。
◇
放課後。
校門前には、冬の夕陽が差していた。
衛二が鞄を肩にかけて待っていると、柳洞悠馬がやってきた。
「遠坂」
「柳洞」
「来てくれるのか?」
「ああ。ただし、うちの家族も一緒だ」
「家族?」
柳洞が首を傾げた瞬間、校門の外に赤い車が停まった。
運転席には士郎。
助手席に凛。
後部座席にユイとミライ。
柳洞は少し目を丸くした。
「……遠坂凛さんと衛宮士郎さん?」
「知ってるのか?」
「父から名前は聞いている。昔、冬木で色々あった人たちだと」
「色々、か」
衛二は苦笑した。
便利な言葉だ。
聖杯戦争も、神杯戦争も、魔術師の因縁も、全部「色々」で済まされる。
アストルフォは霊体化して衛二の隣にいる。
『エイジ、この人、本当に勘が鋭いね』
「そうだな」
小声で返す。
柳洞はまた怪訝そうな顔をしたが、今は追及しなかった。
凛が車から降りる。
「あなたが柳洞悠馬くんね」
「はい。父がお待ちしています」
「案内してくれる?」
「もちろんです」
柳洞は一礼した。
その所作は高校生にしては落ち着きすぎている。
寺の家に生まれた者らしい、静かな重みがあった。
車に乗り込む時、アストルフォが霊体のまま衛二に囁いた。
『エイジ、手』
「車内で?」
『霊体だから見えないよ』
「俺の反応でばれる」
『じゃあ袖だけ』
衛二はため息をついた。
だが、アストルフォの不安も分かる。
柳洞寺へ向かうということは、沈黙冠へ近づくということだ。
アストルフォは衛二がまた遠くへ行ってしまわないか、心配している。
衛二は、誰にも見えないように指先を少しだけ動かした。
霊体のアストルフォが、そっとその指に触れる。
温度はないはずなのに、確かに温かい。
『エイジ、ちゃんといる?』
「いるよ」
『うん』
アストルフォの声が少し安心したように柔らかくなる。
凛がバックミラー越しに衛二を見た。
「衛二、何か言った?」
「いや、何でも」
「アストルフォと話してたでしょ」
「……ばれてた」
「顔で分かるわよ」
士郎が運転しながら笑う。
「凛も昔から顔に出やすかったけどな」
「士郎?」
「何でもない」
車内に少しだけ笑いが起きる。
その横で、ミライは窓の外を見ていた。
彼女の表情は硬い。
ユイが隣で静かに声をかける。
「ミライ」
「分かっている」
「まだ何も言ってないわ」
「柳洞寺へ行けば、返事の庭に近づく。私は、そこへ戻る資格がない」
その言葉に、車内が少し静かになる。
ユイはミライを見る。
「資格なんて、誰が決めるの?」
「少なくとも、私は一度背を向けた。返事では足りないと考え、月蝕教団の観測役になった」
「戻るのに遅すぎることはないわ」
「戻ったところで、拒まれるかもしれない」
「それでも、一緒に行きましょう」
ユイの声は優しかった。
ミライは答えない。
ただ、窓に映る自分の顔を見つめていた。
衛二はその横顔を見て、沈黙冠の問いを思い出す。
返事を拒む願いには、どう答えるのか。
ミライもまた、その問いに傷ついているのかもしれない。
◇
柳洞寺へ向かう坂道は、夕暮れの色に染まっていた。
車を降りてからは、石段を歩く。
冬の空気が木々の間を抜け、かすかに葉を鳴らす。
遠くで烏の声がした。
アストルフォは霊体化を解き、認識阻害の魔術をかけた状態で衛二の隣を歩いていた。
凛はそれを見て一言だけ言った。
「勝手に実体化しない」
「もうしてる!」
「胸を張らない」
「エイジの護衛です!」
「それは分かってるわ」
凛はため息をつきつつも、止めはしなかった。
柳洞寺の境内へ入ると、空気が変わった。
静かだ。
寺だから当然とも言える。
だが、それだけではない。
音が吸われている。
風の音。
足音。
木々のざわめき。
すべてが一枚薄い布を被せられたように鈍い。
衛二は思わず耳に意識を向けた。
だがすぐにアストルフォが袖を引く。
「エイジ」
「分かってる。魔術は使ってない」
「ほんと?」
「感覚で聞いただけ」
「ならいいけど……無理しないでね」
「ああ」
境内の奥、鐘楼の前に一人の男性が立っていた。
柳洞悠馬の父。
柳洞寺の住職である柳洞宗真。
穏やかな顔つきの中年男性だが、今は眉間に深い皺を寄せていた。
「遠坂凛さん。衛宮士郎さん。お久しぶりです」
宗真は深く頭を下げた。
凛も軽く会釈する。
「お久しぶりです。柳洞さん」
士郎も頭を下げる。
「ご無沙汰しています」
「まさか、またこの寺であなた方に助けを求めることになるとは思いませんでした」
宗真の視線が衛二へ移る。
「そして、あなたが遠坂衛二くんですね」
「はい」
「お父上とお母上の若い頃を思い出します」
衛二は少し困ったように笑った。
「よく言われます」
「けれど、あなたはあなたなのでしょう」
その言葉に、衛二は少し驚いた。
宗真は穏やかに続ける。
「顔や血筋は似ていても、人は同じ道を歩くわけではありませんから」
衛二は静かに頷く。
「ありがとうございます」
アストルフォが隣で嬉しそうに小さく笑った。
「エイジ、いいこと言ってもらったね」
宗真はアストルフォを見る。
「そちらの方は?」
一瞬、場が固まった。
認識阻害は効いている。
一般人なら、アストルフォをただの同行者程度にしか認識できないはずだ。
だが宗真は、はっきりアストルフォを見ていた。
凛が目を細める。
「見えるのですか?」
「はい。不思議な方ですね。人のようで、人ではない。けれど、悪いものではない」
アストルフォは目を丸くした。
「すごい! お坊さんってすごいね!」
宗真は少しだけ微笑んだ。
「修行の賜物、と言いたいところですが、この寺の空気がそうさせるのでしょう。昨夜から、見えないはずのものが見えすぎる」
その言葉で、再び空気が重くなる。
凛が本題に入った。
「鐘の件を」
宗真は頷き、鐘楼を見上げた。
「昨夜、子の刻を過ぎた頃です。鐘が三度鳴りました。一度目は低く、二度目は遠く、三度目は……」
「音が消えた」
「はい。鳴ったはずなのに、途中から無音になった。けれど無音なのに、胸の内に響いた」
「胸の内に?」
ユイが尋ねる。
宗真は少し表情を曇らせた。
「問いのようでした」
衛二の背筋が冷たくなる。
「問い……」
「言葉ではありません。ただ、何かを問われた気がしたのです。返事をする気があるのか、と」
沈黙冠。
間違いない。
凛がユイを見る。
ユイは静かに頷いた。
「返事の庭が反応している」
宗真はその言葉を聞いて、目を伏せた。
「やはり、あの場所ですか」
「知っているのですか?」
衛二が尋ねる。
宗真はゆっくり答える。
「詳しくは知りません。ただ、先代から一つだけ伝えられていました。柳洞寺の地下には、返らぬ声を眠らせる庭がある、と」
返らぬ声。
その表現に、衛二は胸を締めつけられた。
返事の庭。
名前だけなら、優しい場所に聞こえる。
けれど実際には、返事を待ち続ける声が眠る場所なのだ。
返らぬ声。
届かなかった願い。
沈黙した問い。
ミライが一歩前に出た。
「入口は、まだ封じられている?」
宗真は彼女を見る。
「あなたは?」
「……返事の庭に、一度背を向けた者」
宗真はしばらくミライを見つめた。
責めるでもなく、咎めるでもなく。
ただ静かに。
「では、戻るために来たのですね」
ミライの瞳が揺れた。
「戻れるかは、分からない」
「戻るというのは、許されることではなく、歩くことです」
宗真の声は穏やかだった。
「迷いながらでも、足を向けたなら、それは戻るということなのでしょう」
ミライは何も言えなかった。
ユイがそっと彼女の横に立つ。
凛が鐘楼の下を調べる。
「霊脈の流れが乱れているわ。鐘楼を起点に、地下へ引き込まれてる」
士郎も周囲を見る。
「ここ、昔とは違うな」
「ええ」
凛は眉を寄せた。
「大空洞に続く気配じゃない。もっと奥、いや……横にずれている?」
ユイが説明するように言う。
「返事の庭は、物理的な地下だけにあるわけではないの。霊脈の奥に作られた、半分内的世界に近い場所。神杯戦争で残った願いの畑が変質して生まれた領域」
「固有結界に近い?」
衛二が尋ねる。
ユイは少し考えた。
「似ているけれど違うわ。固有結界は個人の内的世界。返事の庭は、複数の願いが作った共有の余白。誰か一人の世界ではない」
「共有の余白……」
衛二は無窮剣界を思い出した。
あれは自分の内側の世界だ。
剣の炉。
硝子の大地。
星鉄の炎。
だが返事の庭は、自分だけのものではない。
数え切れない願いが残した場所。
そこに沈黙冠の残響がある。
凛が衛二を見た。
「衛二。今、魔術を使おうとした?」
「してない」
「本当に?」
「本当に」
アストルフォも衛二の顔を覗き込む。
「ほんと?」
「アストルフォまで」
「エイジ、こういう時すぐ見ようとするから」
「……今日は我慢してる」
アストルフォはぱっと笑った。
「えらい!」
境内の重い空気の中で、その声だけが明るかった。
宗真が少し驚いたようにアストルフォを見る。
それから、柔らかく微笑む。
「良い方がそばにいますね」
衛二は少しだけ照れた。
「はい。最高のサーヴァントです」
アストルフォが固まった。
「エイジ」
「何?」
「今の、ここで言う?」
「事実だろ」
アストルフォの頬が赤くなる。
「ずるい……」
「また言われた」
凛がこめかみを押さえた。
「緊張感」
「すみません」
しかし、士郎は少し笑っていた。
ユイも、ほんの少しだけ。
ミライでさえ、微かに目を細めた。
多分、こういう温度こそが必要なのだ。
返事を拒む願いに向き合うには、沈黙に飲まれないための温度が。
◇
鐘楼の下には、古い石扉が隠されていた。
宗真が代々伝わる鍵を使い、表向きの封印を解く。
その奥にあったのは、魔術的な封印だった。
遠坂のものではない。
アインツベルンでも、間桐でもない。
神杯戦争の後に組まれた、複数の術式が絡み合った封印。
ユイが前に出る。
「私が開ける」
「大丈夫なの?」
ミライが尋ねる。
ユイは少しだけ笑った。
「昔は、あなたと一緒に閉じた場所だから」
ミライは息を呑んだ。
ユイは封印へ手をかざす。
淡い白い光が広がる。
その光の中に、いくつもの文字が浮かび上がった。
願い。
返事。
庭。
忘却。
記録。
沈黙。
未答。
衛二はそれらを見て、胸がざわつく。
アストルフォがすぐに手を握った。
「見すぎない」
「分かってる」
「魔術禁止」
「分かってる」
「でも、怖かったら言って」
「……少し怖い」
「うん。言えた」
アストルフォは衛二の手を優しく握った。
「ボクも一緒に怖がる」
「それ、心強いのか?」
「一人で怖いより、二人で怖い方がいいよ」
衛二は小さく笑った。
「確かに」
封印がゆっくり開く。
石扉の奥には、階段が続いていた。
だが暗くはない。
階段の壁に、淡い光が咲いている。
花のような光。
しかし花ではない。
それは、小さな文字だった。
ありがとう。
ごめん。
おかえり。
聞こえた。
忘れない。
またね。
返事の言葉。
それらが花の形をして、壁に咲いていた。
「返事の庭の外縁部ね」
ユイが言った。
「まだ本当の庭ではないわ。ここは、入口にあたる場所」
ミライが静かに呟く。
「……変わっていない」
「覚えているの?」
「忘れられない」
二人の声には、長い時間の重さがあった。
衛二は階段の奥を見る。
そこから、かすかに鐘の音が聞こえた。
いや。
鳴っているのではない。
鳴ろうとして、途中で沈黙している。
音になる前の震えだけが、胸に届く。
宗真が眉を寄せる。
「この先へは、私も入れません」
「柳洞さんはここまでで」
凛が言った。
「一般人には負荷が大きすぎる」
「分かっています。悠馬も、ここから先へは行かせません」
その言葉に、柳洞悠馬が反応した。
「父さん」
「駄目だ」
「でも、寺のことだ」
「だからこそだ」
宗真の声は厳しかった。
「お前はまだ、踏み込む必要がない」
柳洞は納得していない顔だった。
衛二はその気持ちが分かった。
自分の家に関わる秘密。
自分だけ知らされず、大人たちが奥へ行く。
納得できるはずがない。
だが同時に、危険なのも分かる。
返事の庭は、ただの地下空間ではない。
願いと沈黙が眠る場所だ。
魔術師でも危険なのに、一般人が入ればどうなるか分からない。
柳洞は衛二を見た。
「遠坂」
「……何だ?」
「お前は行くんだな」
「ああ」
「怖くないのか」
衛二は少し考えた。
そして正直に答えた。
「怖い」
柳洞の目が少し揺れた。
「でも行くのか」
「一人じゃないからな」
衛二は隣のアストルフォを見た。
柳洞には、アストルフォがどう見えているのだろう。
完全に見えているのか、ぼんやり感じているだけなのか。
だが柳洞は、衛二の視線の先に何かを感じたようだった。
「そうか」
柳洞は息を吐いた。
「なら、これを持っていけ」
彼は懐から小さな御守りを取り出した。
柳洞寺のものだ。
古い布に包まれているが、ただの御守りではない。
魔力ではなく、祈りに近い気配がある。
「父が今朝、用意していた。渡す相手は、おそらくお前だ」
衛二は受け取った。
温かい。
魔術礼装ではない。
だが、確かに何かが宿っている。
宗真は静かに言った。
「返事を求める場所へ行くなら、祈りも持っていきなさい。魔術だけでは届かないものもあります」
衛二は御守りを握った。
「ありがとうございます」
アストルフォが覗き込む。
「エイジ、それあったかいね」
「ああ」
「いいものだと思う」
「分かるのか?」
「なんとなく!」
アストルフォらしい答えだった。
でも、衛二も同じように感じていた。
凛が階段の入口に立つ。
「行くわよ。衛二、くれぐれも魔術禁止」
「ここまで来ても?」
「ここまで来たからこそ」
凛の目は真剣だった。
「今日のあんたは、観測役。戦闘役じゃない。何かあれば、私たちが対処する。アストルフォ、衛二の護衛を最優先」
「了解!」
士郎が干将・莫耶を投影する。
凛は宝石を指に挟む。
ユイは返事の庭の封印鍵を持つ。
ミライは少し震える手を握りしめていた。
衛二は深く息を吸う。
アストルフォが隣に立つ。
「エイジ」
「何?」
「手、繋ぐ?」
「……ああ」
今度は、衛二から手を出した。
アストルフォが嬉しそうに握る。
「怖い?」
「怖い」
「ボクも」
「じゃあ、一緒に怖がるか」
「うん」
二人は並んで、階段を下り始めた。
◇
階段を下りるたび、音が遠くなった。
地上の風。
木々のざわめき。
柳洞寺の境内の気配。
すべてが背後へ消えていく。
代わりに、壁の返事の花が増えていった。
ありがとう。
ごめんね。
聞いているよ。
もういいよ。
忘れないよ。
ここにいるよ。
おかえり。
優しい言葉ばかりだ。
なのに、胸が苦しい。
なぜなら、その一つ一つの裏に、返事を必要とした願いがあるから。
ありがとうと言われたかった人。
ごめんねを聞きたかった人。
忘れられたくなかった人。
ここにいるよと、誰かに言ってほしかった人。
返事の花は美しい。
だが、その根は痛みでできている。
衛二は奥歯を噛みしめた。
アストルフォがすぐに気づく。
「エイジ」
「大丈夫」
「今の大丈夫は、ちょっと怪しい」
「……少しだけ、きつい」
「うん」
アストルフォは握った手に力を込める。
「ゆっくり行こ」
「でも」
「急いで飲まれたら意味ないよ」
その言葉は正しい。
衛二は頷いた。
凛が前方から振り返る。
「衛二、大丈夫?」
「少しきつい。でも歩ける」
「無理は?」
「してない」
アストルフォが補足する。
「今のは本当!」
「ならいいわ」
凛は再び前を向いた。
士郎が少しだけ歩調を落とす。
父も、衛二に合わせてくれている。
それが分かって、衛二は胸が温かくなった。
ミライが突然、足を止めた。
ユイも止まる。
「ミライ?」
「あった」
ミライは壁の一輪の花を見つめていた。
他の返事の花より小さい。
淡い青色の光。
そこには、短い言葉が浮かんでいた。
――待っている。
ミライの顔が歪んだ。
「これは……」
ユイがそっと近づく。
「覚えている?」
「私が残した返事」
ミライの声が震えた。
「神杯戦争の後、返事の庭を閉じる時。私は、まだ答えられない願いに対して、待っていると返した」
「ええ」
「でも私は、待てなかった」
ミライは唇を噛む。
「返事だけでは足りないと思って、庭から離れた。月蝕教団へ行った。待っていると言ったのに、私が待てなかった」
ユイは何も言わず、ミライの隣に立った。
衛二はその背中を見つめる。
ミライは冷たい観測役ではなかった。
彼女もまた、返事をしたことがある。
返事を信じようとしたことがある。
でも、その返事が足りない痛みに耐えられなかった。
だから月蝕教団へ行った。
叶える力を求めた。
間違いだった。
でも、その根にある痛みは本物だった。
ミライは小さく呟く。
「私は、戻っていいの?」
返事の花は何も言わない。
ただ、淡く光っている。
ユイがミライの手を取った。
「一緒に聞きに行こう」
「答えがなかったら?」
「その時は、一緒に待とう」
ミライは目を閉じた。
返事はしなかった。
だが、ユイの手を振りほどきはしなかった。
アストルフォが衛二の隣で小さく言った。
「エイジ」
「何?」
「返事って、すぐ答えが出ることだけじゃないんだね」
「ああ」
「待つことも、返事なんだ」
「……そうかもしれない」
衛二は御守りを握った。
祈りの温度が、手の中にある。
◇
階段の終わりには、門があった。
木でも石でもない。
光でできた門。
その表面には、無数の返事の言葉が刻まれている。
だが中央だけ、真っ黒に沈黙していた。
文字がない。
返事がない。
ただ、黒い空白。
ユイが門の前に立つ。
「ここから先が、返事の庭」
凛が周囲を確認する。
「空間の性質が変わってるわね。ここから先は、物理的な移動じゃない」
「ええ。心の奥へ少し踏み込むことになる。強い願い、後悔、未練があるほど影響を受けやすい」
士郎が衛二を見る。
「衛二」
「分かってる。無理はしない」
「アストルフォ」
「エイジから離れない!」
「頼む」
アストルフォは真剣に頷いた。
ミライは門の黒い空白を見つめていた。
「沈黙が広がっている」
ユイも頷く。
「前に来た時より、ずっと濃い」
「沈黙冠の影響?」
「おそらく」
衛二は黒い空白を見た。
そこから、夢で聞いた問いがかすかに響く。
返事を拒む願いには、どう答える。
胸が重くなる。
だが、手の中にはアストルフォの温もりがある。
もう片方の手には、柳洞寺の御守り。
衛二は深く息を吸った。
「行きましょう」
凛が少し眉を上げる。
「今日は観測役って言ったわよね?」
「先頭に立つとは言ってない」
「ならよし」
アストルフォが衛二の手を握り直す。
「エイジ、入る前に確認」
「何を?」
「エイジは器じゃない」
「ああ」
「一人じゃない」
「ああ」
「魔術禁止」
「分かってる」
「怖い時は?」
「怖いって言う」
「甘えたい時は?」
「……甘える」
「よし」
アストルフォは満足そうに笑った。
それから、少しだけ背伸びして、衛二の頬に軽く唇を触れさせた。
ほんの一瞬。
「お守り追加」
衛二は固まった。
凛が目を細める。
「アストルフォ?」
「精神安定目的です!」
「ほんとに便利に使うわね、その言葉」
士郎が肩を震わせて笑っている。
ユイも微笑んだ。
ミライは少しだけ不思議そうに二人を見ていた。
衛二は頬に残った温度を感じながら、アストルフォを見る。
「……帰ったら説教が増える」
「一緒に怒られるって約束したから大丈夫!」
「大丈夫なのか、それ」
「大丈夫!」
アストルフォは笑う。
その笑顔があれば、沈黙の門の前でも息ができる気がした。
ユイが封印鍵を掲げる。
「開けます」
光の門が震えた。
刻まれた返事の文字が一斉に輝く。
ありがとう。
ごめん。
聞こえた。
おかえり。
待っている。
忘れない。
だが中央の黒い空白だけは、光らない。
むしろ、光を吸い込んでいる。
門が開いた。
その向こうにあったのは、庭だった。
薄明かりの空。
どこまでも続く白い花畑。
花びらの一枚一枚に、返事の言葉が刻まれている。
風が吹くと、花々がささやく。
聞こえた。
ここにいる。
忘れない。
待っている。
美しい場所だった。
悲しいほどに。
そして、その庭の中央。
白い花々が途切れた場所に、黒い丘があった。
花が咲いていない。
返事のない場所。
そこに、黒い冠が浮かんでいた。
夢で見たものより、ずっと遠い。
けれど確かに、そこにある。
沈黙冠の残響。
衛二の心臓が強く鳴った。
アストルフォが手を握る。
「エイジ」
「大丈夫」
「ほんと?」
「怖い。でも大丈夫」
「うん」
その時。
庭の奥から、声がした。
いや、声と言っていいのか分からない。
花々の返事を押し潰すような、低い沈黙。
その沈黙が、言葉になった。
――返事はいらない。
白い花が、一斉に揺れた。
ユイの顔が青ざめる。
ミライが一歩後ずさる。
凛が宝石を構える。
士郎が双剣を握る。
アストルフォは衛二の前に半歩出る。
そして衛二は、黒い丘を見つめた。
返事を拒む願い。
それが、ついに姿を現そうとしていた。