TellerNovel

テラーノベル

アプリでサクサク楽しめる

テラーノベル(Teller Novel)

タイトル、作家名、タグで検索

ストーリーを書く

シェアするシェアする
報告する

その間、レウモラク市はひたすらに静謐で移り変わることはなかった。暑気を払う夏の風がマロニエの葉を揺することもなければ、悠然と聳える雲を千切り、彼方へ追い立てることもない。暑さから軒下に逃げ込むカササギも裏路地からこちらを見つめる尻尾の曲がった野良猫もいない。呪われたレウモラク市ともまた違った種類の寂しさをユカリは感じていた。


「それじゃあそろそろ浅い方向に移動しようか。と、その前にもう一つ」ユカリは周囲を渦巻く極彩色の翅に目を向ける。「この記憶の蝶は何? 放っといて大丈夫なの?」

「記憶の蝶? どこ?」と呟いてベルニージュが周囲を見渡す。「ああ、本当だ。いた。今の今まで気づかなかったよ。ちょっと透けてる? よく気づいたね。なんで魂から離れてるんだろう」


ベルニージュの視線は地面のそばを舞っていた。


「ベルには何頭くらい見えてるの?」ユカリは勇を鼓して尋ねる。

「ん? 十ちょっとじゃない? ユカリには違う風に見えるの?」

「私の視界では百を越えてる。記憶の蝶は自分の知っている人物と結びついているんだったよね」


だからベルニージュの周囲を飛び交う蝶は少ないのだ。元々他者との交流が少ないのでなければ。


「そう。それを失うとその人に関連することを記憶できなくなる器でもある。ところで、よくよく見たらワタシたちの知ってる記憶の蝶よりも多様じゃない?」


確かにベルニージュの言う通りだった。嵐雲のような黒を基調に稲妻を走らせている翅。他よりも一回り大きいが地味な翅。氷のように透けた儚げな翅。飛び方にも違いがあった。舞うように美しい蝶。流れるような静かな蝶。めちゃくちゃに飛び回る煩わしい蝶。


「これが記憶の蝶なら象徴している人物を表しているのかも」ユカリは思いつくままに話した仮説を検証するべくベルニージュの蝶を探す。激しく飛び回る蝶を払いつつ、各蝶を見比べる。


それはすぐに見つかる。何の根拠もないのに確信してしまう。揺らめく陽炎を纏う紅蓮の翅に光り輝く黄金の体。隠しきれない力の発散を感じた。ささやかながら溢れ出ている金色の放射は魔法の力だろうか。

その蝶がベルニージュのいる方向で乱舞している。あちらこちらへ舞い飛びつつも決してその方向から離れないことにユカリは気づき、すぐに確信する。


「この蝶がその人のいる方向を表してるんじゃない? いや、そうとしか思えない」

ユカリの力強い発想にベルニージュも頷く。「間違いないね」


その視線はユカリの胸の辺りを彷徨っている。


ユカリはベルニージュの蝶の姿を説明し、同じ説明を求める。「私の蝶はどんな感じ?」

「右の翅は大きくて、左の翅は小さい。十二個の斑点がある」

「嘘でしょ? 何でそんな歪なの?」主張の激しい蝶を手で払いつつユカリは失望する。

「本当だよ。何か心当たりはある?」

「それは、もちろん、魔法少女の力に関係していると思うけど」

「魔法少女の魔導書がユカリの魂に影響を及ぼしていると思うの?」


影響どころではない。ともに生まれた双子のような存在だ。だがそのことも、わずかながら異世界の記憶があることも、どうやら転生したらしいこともユカリはベルニージュに話していない。クオルが母エイカに施したという『禁忌の転生』なる実験についても直接は話していない。


「ただ、他には何も思いつかないってだけだよ」

ユカリの蝶の方を見つめたままベルニージュは答える。「他に考えられるとすれば……。ただ、友人として念のために言っておくと、魔法少女への変身が原因かもしれない。つまりそれを繰り返してきたことが」

魂に変容をもたらした、と。それもまたあり得そうな話だ。しかし魔法少女の力なくして魔導書収集の使命は成し得ない。

「気を付けるよ」ユカリは邪魔くさい蝶から逃げるように首を反らす。「これ誰なの?」


そう言葉にした瞬間、ユカリの心に答えが思い浮かぶ。確信する。


「あ、エイカだ」

「エイカの蝶? どんな見た目?」


ベルニージュも周囲を探す。


「見た目は普通の蝶に見える。ベルの髪ほどじゃないけど赤みがかった翅。でも、これといった特徴は無いかな。けど激しく飛び回ってる。縄張り争いする蝶がこんな感じだったな」

「ワタシの方にはそれらしいのがいないね。薄い蝶の中にいるのかも。ユカリに比べると関係性も浅いし」

「この蝶の方向にエイカがいるんだよね?」

「おそらくね。蝶を頼りにすれば深さを揃えることはできるかもしれないけど、問題は距離だね」

「もう!」いい加減に鬱陶しく感じたユカリはエイカの蝶を手で包んだ。


次の瞬間、世界の半分が塗り替わる。エイカの蝶を境に向こうの景色が一変した。ユカリの眼前に広がっていたレウモラク市が消え失せ、山並みを背景にした城のような立派な建物が現れた。しかし王の住まう堅牢な城や神の奉られる壮麗な神殿と違い、大きさの割に質素な趣で、封呪の長城の上で見た救済機構の施設に似ている。神経の細やかな妖精の大勢住まう工房といった趣だ。とはいえユカリが見たこともない建築様式で、それがグリシアン大陸のどこなのか、あるいはグリシアン大陸なのかどうかすら分からない。そのうえぼやけた緑の空は黒められ、星々が瞬く夜空に覆われた。まるで内から光を放っているかのような迫り来る存在感は背後のレウモラク市と同じだ。この館も、後ろの山もまた深奥に潜む魂の姿なのだろう。


その建物の敷地もやはり閑散としているが、ただ一人がぽつんと立っている。エイカだ。ユカリたちと同じく、地上での姿とは別の魂の姿だ。焚書官の黒の僧衣ではなく、妖精の衣とされる蜘蛛の糸で織られたような薄絹を纏っている。


「エイカ!」


ユカリは思わず駆け寄り、呆けた様子で建物を仰ぐエイカの正面に回り込む。その瞳は虚空を見つめているが、少なくとも腹は無事だ。呼吸も脈拍もあるが魂の姿で意味があるのかは分からない。ただし半年ほどが経過したにもかかわらずやつれている様子もなく、妊娠しているはずの腹の大きさは変わっていない。母体が無事なのだから胎児も無事なはずだ、と希望混じりに推測する。

ユカリは抱きしめようかとも考えたがそのような感慨はなかった。代わりに実母の頬を軽く繰り返し叩き、声をかける。


「エイカ。私です。ラミスカです。聞こえますか?」


エイカはじわりと滲むように表情を変化させる。青褪めた唇がゆっくりと開いて閉じ、死にかけた蛾が翅を開閉する時のように恐ろしく遅いまばたきをする。

ユカリは辛抱強く声をかけ続ける。このために皆の助けを借りて無茶をしたのだ。無事でなければ許せない。

エイカは唐突に久しぶりに呼吸をしたかのようにはっと息を吐くとユカリの紫の瞳を見つめる。


「ラミスカ? 今ラミスカって言った?」


エイカはゆっくりと手を伸ばし、両手でユカリの頬を挟む。

ユカリもまたじっとエイカの顔を見る。考えてみれば初めて母の顔を見るのだ。にもかかわらず、ずっと昔から知っているような気がした。鉄仮面なしの初対面とは思えない収まりの良さを感じた。あるいは自分自身ラミスカに似ているところがあるからかもしれない。しかし想像していた凛々しい顔立ちとは違い、よく言えば穏やかな、悪く言えば緊張感のない顔立ちだ。まるで起き抜けのようなぼやけた眼差し、好物を前にしたような緩んだ口元、耳も鼻も眉も何もかもが丸みを帯びているような印象がある。夜を溶かし込んだような黒い髪はラミスカによく似ているが、瞳の色は森の奥の湿り気を帯びた土のような焦げ茶色だった。


「そうですよ。助けに来ました。義母さんも一緒です。ここにはいませんが近くにいます」

「その姿は何? 前より縮んでない? それに光ってる? ここはどこ? どうしてこんなに暗いの? 何も見えない」


どうやらエイカの魂には娘の姿だけが見えているのだと分かる。

ユカリは自分のやり方を思い出して何とか言葉で説明する。


「ここがどこかは分かりません。立派な建物があって、その背後には山があります。でもここでは、景色は外ではなく、自分の内にあるんです。それを投影するように見る・・んです」

「見ると投影するは真逆の行為のように思えるんだけど」


至極最もだ。


「そうですが、ここでは何もかもが真逆なのだと思ってください。とりあえずは」

「うーん。こうかな? えい! とう! そりゃ! ……なるほど」

「見えました?」

「何も」

「どうやって焚書官の次席まで上り詰めたのか聞いてもいいですか?」

「また今度ね」とエイカは気の抜けた声で答えた。「それよりさ。私にラミスカって名乗るってことはさ」


エイカはユカリと目を合わせるのを躊躇うようにちらちらと視線を投げかける。


「ええ、あなたが私の母親だと知っています。クオルから聞きました」

「そっか、そうなんだ」エイカは言葉に詰まった様子で何度か口を開け閉めした後に尋ねる。「他には何か聞いた?」

「ええ、力ある子供を生み出す実験に利用されたとか。そのためにクオルを追っていたんですよね?」

「ああ、そのことも知っちゃったんだね」エイカは悲しそうに目を伏せる。「ごめん。今更クオルをどうこうしたところでどうにもならなかったんだけど、焚書官としての仕事で追うことになって、復讐心みたいなものが沸き上がっちゃったんだ」


ユカリはさらなる言葉を待つがエイカの言いたいことはそれだけだった。クオルの言葉など頭から信用するわけにはいかないが、エイカの説明とは齟齬があった。しかしユカリは言葉を呑み込む。今はそのような話をしている場合ではないはずだ。


「気にしないでください。クオルの件はもう終わりましたし、後で説明するので」そしてユカリははっきりと断る。「それはそれとして死んだことにして家を出て行った件に関しては後でじっくりと話し合いましょう」

「ああ、うん、そうね」


まるで門限破りを母に咎められたような表情でエイカは目を逸らす。

魔法少女って聞いてたけれど、ちょっと想像と違う世界観だよ。

作品ページ作品ページ
次の話を読む

この作品はいかがでしたか?

19

コメント

0

👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!

チャット小説はテラーノベルアプリをインストール
テラーノベルのスクリーンショット
テラーノベル

電車の中でも寝る前のベッドの中でもサクサク快適に。
もっと読みたい!がどんどんみつかる。
「読んで」「書いて」毎日が楽しくなる小説アプリをダウンロードしよう。

Apple StoreGoogle Play Store
本棚

ホーム

本棚

検索

ストーリーを書く
本棚

通知

本棚

本棚